表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/20

6.寒風の吹く街

「来てしまったか……」


『沼田駅』の看板が掲げられた白壁の建物を出ながら、いかにもへたれた声で探偵は嘆く。真田氏ゆかりの地であるここは、関東の中でもなかなかの寒冷地。日差しがあるとはいえ、やや肌寒い風が身を穿つ。


「バス乗るのよね? しょちょーさん、行こ?」

「……ここに着いてからは飯塚さんと呼んでくれ。市役所職員の飯塚さんだ」

「あっ……さっき言われたのに忘れてたの」


 相変わらずの生気のない視線。それでも、ジト目を向けられた美穂は身体をびくつかせる。


「それで、聞き込みに行く前に注意しておきたいことがあってな。そうだな……こっち来てくれ」

「はーい」


 周囲を見回してあまり人がいないことを確認してから、駅舎の軒先の端、電話ボックスがぽつんと立っている辺りまで移動する。内緒話をするには、優に頭ひとつぶん以上違う背丈が邪魔だ。

  探偵はひざを曲げて中腰に近い体勢になってから、少女の耳元で両手のメガホンを作った。


「飯塚さん、それつらくない? だいじょうぶ?」


 不安定な体勢の探偵に、中身の詰まったビジネスバッグの荷重が襲いかかる。どんよりとした塩顔が、ほんのわずかに歯を食いしばってゆがむ。


「大丈夫さ。これくらいなんてことはない」

「ぷるぷるしてるよ?」

「……普通に話してもいいか?」

「いいよー。代わりにわたしが背伸びする」

「やめとけ……どっちみち片方が無理するだけだろそれ」


 か細い両肩にそっと手をかけ、すとんと押し込むように彼女のかかとを着地させる。滑らかなサイドテールにかすりながら手を放し、かろうじて聞きとれるくらいの声量で仕切り直した。


「とにかく、手短に話すぞ。これからいろんな人に話聞いて回るわけだが、俺が探偵の仕事のためにここに来たっていうのは何があっても言わないこと。それと、基本的には無理にお話ししなくてもいいぞ」

「横でぼーっとしてるだけでもいいの?」

「それでいい。もし近所の奥様方がにこにこ話しかけてきたときなんかは、少し頑張って話したほうがいいかもしれないが。ああいう人たちはよその子どもを本当にかわいがるからな」

「そうなんだー。知らない人がいっぱいなの怖いけど、がんばる」


 右手を胸の前できゅっと握って意思表明。身体の震えも相まって、その様子は勇ましいというよりはむしろ子猫のようである。


「まあ普段通りににこにこしてれば大丈夫だし、むしろそうしてくれるとありがたい。変なやつが声かけてきたりすれば俺が対応する。お前はがんばらなくていいし、嘘なんてつかなくていい」

「びくびくしちゃったらごめんなさい」

「お前が人見知りなのは知ってるから気にするな。こういうときは堂々とできたほうがいいのは確かだが。びくびくこそこそしてたら怪しまれるんだ、尾行でも聞き込みでも」

「そうなんだ……」

「聞き込み、基本のキだな。それで最後だが……」


 再び体勢がつらくなるのは承知で、少しだけひざを曲げる。目線を近づける。大事な話だというサイン。

 美穂が目を合わせたのを確認して、口に出す。


「なにがあっても俺から離れるな。あの手紙を読んだから、おまえは毒殺犯に狙われるかもしれないんだ。もしひとりになられたら守ってやれない。……わかるか?」

「……わかった。いっしょにいるの」

「おまえのせいじゃない。俺のせいでもない。それでも、いつ殺されてもおかしくないんだ。それだけは覚えておいてくれ」


  この少女は理解力がやや低い傾向にある。これは大事な話だろうとか、自分に対して友好的だとかいったニュアンスをくみ取るのが苦手。語彙もやや少なく、言葉の意味自体がわからないことも。

 英樹はそのことを知っている。交流の中で体感もしている。

 だから、わかりやすい言葉で論理的に。恐れを帯びた表情で。声のトーンにも気をつけて。怖がらせるリスクを負ってでも、伝わるような話し方を。真面目できりっとした表情からして、きっと彼女に届いたはず。


「それじゃあ行くか。こんなろくでもない依頼、さっさと終わらせるに限る」


 意気込む英樹に呼応するかのように、路線バスの野太いエンジン音が前方から響いてきた。


 駅より北方に約1.5キロ。調査対象が通う中学校の最寄りで、ふたりはバスを降りた。

 一面の田園の合間を縫ってぽつぽつと家が立ち、人や車の通行は少ない。60過ぎとおぼしき女性が操縦するコンバインの、やかましいエンジン音が空しくこだまする。人家やテナントの多かった駅前とは違う、いかにもな田舎の風景。

 全国いたるところに似たような場所があるであろうそれを、しかし美穂は新鮮そうに眺め回している。小刻みにぺたぺた回りながらすべてを見終えたところで、ふっと立ち止まって。


「……飯塚さん、なんだかとっても見られてる気がしたよ?」

「気がしたんじゃなくて、見られてたな。確実に」

「これからもさっきみたいにじーってされるのかな。あのおばさん、目が怖かったの」


 マスクに覆われた口元を押さえながら、身体を縮こまらせてうつむく。


「外からすれば見かけない顔だし、妙な組み合わせだと思われるだろうからな。ある程度はしかたないと思ってくれ」

「がまんする……」


 こればかりはというような言葉を受け、美穂の頭は上がらないままだった。きゃしゃなその肩を触れるくらいに叩き、英樹は住宅の集中するほうへ歩き出す。


「さっき言い忘れてたんだが、少し急いで動くぞ。噂ってのはすぐ広がるから、ちんたら聞き込みや調査してるとマル対……調査相手のことだ、その本人に話が届きかねない。下手したら、取り返しのつかないことになる」

「わっ! ……どうなるの?」


 こもりすぎるくらいに実感のこもった遠い目をして立ち止まる探偵に、ぶつかりそうになりながらもおっかなびっくりといった様子で尋ねる声。


「マル対が、依頼人とか俺に『何調べてやがる』と怒鳴りこんだりする。それで失敗したことも一度きりではないし、いよいよ追い詰められたと感じて自殺しようとした依頼人もいた」

「こ、こわいね……」


 遠い目からようやく立ち直って歩を進める。車通りが少ないのをいいことに飛ばして英樹たちを追い抜く、黒いワゴンに急かされるように。

「皆が情報ぺらぺら漏らさないようにできたらいいんだけどな。いくら注意しても口の軽い輩がいるのはどうしようもない。今日も三軽口(サンカルロ)と話さねばならんから、できるだけ早く終わらせたい」

「それなに……?」

「口の軽い人が多い気がする3つのタイプのことを勝手にそう呼んでる。今回はたぶん、学生のお子さんがいる奥様方とその子どもだけかな」


 あとの1つは仕事やめて暇になったご老人だよ、と軽い口調で付け足す。


「子どもは分かるかも。私もクラスにお口チャックできなくてうわさ話好きな子が多くて困ってるもん。お口チャックかあ……お口……マスク取ってもいい?」

「いいぞ。むしろ取ってくれたほうが俺としてはよかったりするが理由は聞かないでくれ」


 よほどわずらわしかったのか、彼女にしてはめずらしく乱雑にマスクを剥ぎ取って、白いかご編みのハンドバッグにしまう。やや納得いかなげに曲がった薄い唇が姿を現した。


「ええー……最近はもうあんまり使ってなかったから、久しぶりにつけるとやっぱり変だなあと思って。なんだかもわもわするの」


 丸っこいおとがいを上向けてぼへっとしている。今以上に身体が弱く、感染症にかかりがちだったころを思い出しているのだろうか。


「俺もそんなにだな。西沢さんはわりと好きらしいが。給食のおばちゃんっぽくっていいとかなんとか」

「ちょっとわからないかも……」

「お前もか。個人的にはあの人にはあんまり似合わないと思う。笑顔が素敵な人だから、それが隠れるのはなあ」

「芳子さんがにっこりしてるとこ見るの、わたしもすき」


 そう言ってほわほわと浮かべる笑みは、(おもむき)は違えど西沢と並ぶほどに人を安心させる優しいものだった。それに釣られるように、英樹も普段あまり見せない笑顔になる。


「同感。俺もああいう表情と話しっぷりできたらな。今日もいつもみたいに西沢さんにまかせよ……頼もうかとも思ったが、里帰りする予定があると聞いていたからな」


 笑顔が浮かんでいたのはほんの一瞬だった。悲観混じりのだるそうな表情が覆いつくす。


「飯塚さん、お話しするの苦手?」

「少なくとも得意ではない。西沢さんが愛想よく世間話しながら情報を引き出すのうまいんだが、そもそも『愛想よく世間話』の時点で俺には難しい」

「そういえば飯塚さんの小さいころの写真見せてもらったことあるよね? 無理やりにーってしてるなあって思った気がするかもしれないの」


 両手の人差し指で口を引っ張って、おかしそうに真似をする。無理やりにーってしてるというよりは、ほとんどただの変顔でしかない。

 どこか愛らしいそれを真正面から見せられて、探偵はため息をつくほかなかった。


「そりゃまたずいぶんとおぼろげな記憶だなあ。いや、見せたことはあるんだがな? 七五三のやつ」

「七五三って名前は聞いたことあったけど、これのことなのね?」

「ああ、子供の成長祝いの行事だな」

「いいなあいいなあ……わたしも祝われたい。なにかを」


 バッグから取り出したハンカチで指を拭いながら、心底うらやましげに上目遣いで英樹を見てくる。


「なにをだよ。で、どこまで話したっけな……」


 爪をぱちぱち合わせながら数瞬考え込む。


「そうだ、いつまでたっても笑顔も愛想も上手くならねえって話だ。この際顔はいいからせめて人当たりと会話だけでもどうにかしてえな」

「……わたしは、できてるかよくわかんないの。でも虫さんと動物さんとしかなかよくなれないの」


 突如重い言葉を口にする少女に、ふたりの間の空気が一気に引き締まる。顔をそむける彼女の首元に目をやったまま、なぐさめも否定も何もできず、ただただ機械のようにぎこちなく狭い歩幅で歩くことしかできなかった。

 やがてはっと頭を跳ね上げると、逃げと実状をごちゃ混ぜにした言葉を並べ、


「すまん、そろそろ急ぐぞ。くっちゃべっている場合ではなかった」

「ねえしょちょーさんっ! ねぇ、まって!」


 さっそうと歩く速度を早める。少し雲の出てきた空の下で、たっぷりと実った稲穂が冷ややかな風に吹かれていた。

 頼りなげに、揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
もしこの作品を読んで少しでも感じるものが、私に伝えたいと思うことがありましたら、感想やレビューをいただけるとすごく喜びます。無理にとは絶対に言いませんが、ひとことでも感想をいただけるのが私は一番嬉しいです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ