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5.ほの暗い車窓

 狛江駅から小田急小田原線と中央本線を乗り継いで東京駅、そこから上越新幹線へ。それなりに熾烈な自由

 席戦争を見事制し、無事腰を落ち着けることに成功したふたりである。


「はやいね~! ルナちゃんもそう思うよね?」

「他にもお客さんがいるんだ、もうすこし静かにしような…」

「わかった。でも、こんなびゅんびゅんするのはじめて見るー」


 ラベンダー色のワンピースを着たキャベツ人形と一緒に、窓ガラスに張りつくかのようにして車窓に見入る美穂。都心もとうに過ぎ、田畑の目立つ風景が次々に飛び去っていく。


「人が横で考え事してるっていうのに、お前は楽しそうでいいな……にしても、だいぶ気に入ったんだな、それ。名前までつけて」

「髪の毛さらさらだし、とってもかわいいなあって」

「そうか。俺が持ってても棚の中で眠ってるだけだし、このまま連れて帰ってもいいぞ?」

「いいの!? やったぁ、これからずっと一緒にいようね」


 マスクの上からでも笑みを浮かべているのだろうと推測できるほど目元を緩ませ、人形の髪をすくようにいじる。ほぐしてはつまんで、離してはなでて。

 なんともほほえましく愛らしい光景だが、それを見つめる英樹の胸には、ひと筋の痛みがちくりと走る。

 確かに、ぬいぐるみや人形に安心感を覚えること自体はありふれた反応だろう。咎めるようなことでは毛頭ない。ただ英樹には、美穂のそれは欠落を埋めるための無意識的な行為であるように感じられてしかたなかった。親や友人といった、彼女があまり得られていない存在。その空白を、同じ生命の形をしているからという理由で。

 むろんすべては推測と想像でしかない。それでも英樹は、美穂の力になりたかった。支えのひとつになりたかった。最後の砦すら奪われた人間は、ろくでもない方法でストレスを発散する場合があることを、その目で見てきたから。

 心配そうな視線に気づいたのか、美穂は人形をひざの上に置いておもむろに振り返る。


「……わたし、なにか変?」

「どこも。むしろ変なのは俺のほう……いや、なんでもない」

「ほんとうにだいじょうぶ?」


 先ほどの英樹と同じくらい気づかわしげな目で、まじまじと見られる。


「大丈夫さ。ちょっとしたことでいちいちへこんでちゃ、こんな仕事務まらんよ」

「そうなんだ……あれ? そういえばしょちょーさんがお仕事してるとこちゃんと見るの、初めてかも」

「依頼人と話し込んでる最中に来られても追い返すしかないからな。暇な時でなきゃ」

「それはそうだねー。探偵さんがどんなことしてるか見れるの……んっ!?」

「その言葉を出すなと、乗る前に注意しただろう」


 あきれを露骨ににじませた声でささやきながら、少女の薄い唇の前に立てた小指をもっていく。

 彼女がこくこくとうなずいたのを見てから、テーブルの上に放ってあった空き箱を雑な手つきでビニール袋に押し込んだ。マスタードのピりついたにおいがかすかに漂うそれは、横浜名物の伝統あるサンドイッチのもの。


「ええー……かっこよく謎を解いたり悪い人と闘ったりするんじゃないんだ。わたし、そんな風に聞いたことあるのに」

「ホームズならそうしてたかもしれんが、俺らは違う。やることも受ける依頼も地味だ。そのくせ文字通りの無法地帯だから、犯罪すれすれなことだってする」

「そうなの……?」

「探偵なんて、まともに生きてるやつの仕事じゃねえ。やってるとしたら俺みたいに就職に失敗してしかたなくか、あるいはヤのつく方かってところだろうな。悪い人なのはこっちのほうだ」

「でも、しょちょーさんはとってもいい人だよ?」


 少女は軽く身を乗り出しながら、英樹の手のひらを両手できゅっと包む。はずみでキャベツ人形が床に落ちたことにすら、気づかない様子で。転がっているそれをそっと拾い上げて渡しながら、探偵は申し訳なさそうにつぶやいた。


「気持ちはありがたいんだが、俺は普通になれなかったダメな人間だ。仕事でも、結局お前の親御さん……あれ親って呼べるのか? とにかく、会わせてあげられなかったしな」

「それはもういいの。生きてるってわかったからうれしいし、探してほしいって頼みに行ったからしょちょーさんに出会えたんだもん。うん、うれしい」

「そんな下向いて言われてもな」


 お互いうつむいたまま、それっきり言葉が途絶える。秋晴れの車窓とは真反対の重苦しい時間。

 やがて先に沈黙を破ったのは、通路のほうを見つめる美穂の、心なしか普段より小さい声だった。


「家族の人がいっぱい乗ってるね。たのしそう」

「やっぱり引きずってるじゃないか、両親のこと」


 なにかを見つけたようにわーきゃー言いながら窓の外を指さす、5歳くらいの男の子。

 そのそばには、彼の二の腕を軽く押さえて制そうとする、アウトドア用の大きなリュックを背負った父親らしき男性と、あらあらとほほえむ母親らしき女性。

 美穂の視線の先にあったのは、いかにも週末を利用して旅行に出かける親子然とした3人の姿だった。


「だってさみしいもん。いそがしいのかなって思うけど、おうちの職員さんはあんまりお話してくれない。お母さんじゃない」


 返す言葉を持たなかった。いくら英樹が少女にとって親しい存在であるとはいえ、父親にはなってやれないのだから。

 どうしようもなく、彼らは他人どうしだった。


「みんなにね、『お父さんとお母さんがいないの、おかしい』って言われる。普通じゃないって」

「……そうなのか」

「わたしは、普通にならなきゃいけないのかな」

「別の話をしないか? 何か、話したいことは」


 英樹は逃げた。逃げてしまった。揺れる少女を心から納得させられるだけの答えを、出してあげられなかった。かといって、食い入るような美穂の視線から目をそむける不徳を冒すことも、またできなかった。

再びの沈黙ののち。また、美穂が気まずい空気を破る。


「そういえばね、しょちょーさんの家出る前に2階からへんなもの持ってきちゃったでしょう?」

「そのへんなものという言い方はやめような。微妙に傷つく」

「……ごめんなさい。でね、一番気になったのがすっごく派手な服なの。あれ、どこに着ていくの?」

「竹の子族……って言ってもきっとわからないよな。ああいう派手な服着て濃いメイクして、何チームも集まって踊るっていう文化みたいなものがあるんだよ。車が入れないようにした道路のど真ん中でな」


 (アン)駄犬(ダードッグ)。それが、英樹が数か月だけ属したチームの名前だった。

 テーブルからペットボトルの麦茶を取ってひと口飲み、あんなのとっくにやめたけどな、と続ける。怪訝(けげん)そうに小首をかしげる美穂。


「……なんだかこわくない?」

「実際俺でも怖かった。俺らの場合は自分たちでも衣装作ってたんだが、少しでも縫い目がよれてたり布の切り方がガタガタだったりすると殴られるか怒鳴られるかだ。おまけにヤクザと繋がってたりもして、ああいう手合いに脅されて5万くらい渡したやつが知り合いにもいたなあ」

「しょちょーさんがそんなことしてたの、けっこう意外だった。どうして?」

「自分もやらないと、話についていけなくなると思ったから。それだけ。俺はいつでも流行りに乗っておきたい人間なのは、美穂もよく知ってるはずだ」

「……あのね」


 普段のスポンジケーキのようにふにゃりとした声音はなりを潜め、眉がくいっと跳ね上がる。1拍の静寂。


「しょちょーさんのそういうとこ、わたしと逆だなあって。そこはあんまり好きじゃないかもって。ずっと思ってたの」

「……それはまあ、人それぞれだしな? 流行りもの追うかで意見合わなくても、それはしょうがない」

「うん……でもね。みんながやってるからって、楽しそうに思えなくても自分もやらなきゃいけないってなるのがね、わたしはとってもふしぎ」


 毒気のない心底不思議そうなその声を聞き、どうも分が悪いと英樹は見た。理解ある大人の対応の皮をかぶり、なあなあで済ませる方法は通用しないらしいと。この、どこまでも自分に忠実で無垢な少女の前では。

 彼は半ば無意識に体をよじり、ほんのわずかに距離を取ろうとする。それでなにが変わるわけでもないのに。


「ルナちゃんもね、しょちょーさんの家にいたのちょっとふしぎだなって思ったの。かわいいものよりはかっこいいもののほうが好きって前に言ってたの、覚えてるよ?」

「それも、流行りに乗りたかったからってだけだ……って言っても、納得してはくれないと思うが。習慣みたいなものだ。本当さ」

「……やっぱりわたしにはわかんないけど、しょちょーさんのことはすきだよ?」


 なんでもなさそうに発されたその言葉は、彼女にとってはおそらく純粋な好意によるもので。

 それでも、近くの座席に座っていたり壁際に立っていたりする乗客の何人かは、妙な組み合わせのふたりを一瞬ぎょっとした目で見た。


「はいはい、ありがとな」


 さしてその視線を気にしたわけでもなく、相応の感謝はこめた上で軽くあしらう。実際、()()()()()()ではさらさらないのだから。たとえ出発前の気がかりが、目的地に着く前から的中したとしても。

 何事もなかったかのように乗客のまなざしが元に戻ったあと、探偵は右手の指先でコツコツと頭を小突いた。


『まもなく高崎です。お降りのお客様は、お忘れ物のないようお支度ください』

「あっ……乗り換えるぞ。お茶とかルナちゃんとか、置いてかないようにな」

「ルナちゃんは置いていかないもん」

「お前なあ……」


 座席周りを今一度確認してから立ち上がり、人の波に軽く押されながら美穂と扉のそばまで移動する。


「……さっきは、ごめんな」

「ううん。でも、また答えてくれたら、うれしい」


 うっとうしげにマスクをずり下げて普段通りに笑む少女は、しかし探偵の目からはやや外れた首元を見ていた。


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