4.知りたい少女と宝島
秋晴れと呼ぶには少々雲の多い朝。入口のそばでかがみ込んで、革のビジネスバッグに荷物を詰める英樹。パキッと糊の効いた黒いスーツにぴっちりと包まれたその背中へ、ガラス戸の開く音とともにあいさつが飛ぶ。その舌っ足らずな声の合間には、荒めの呼吸が交じっていた。
「はぁっ、おはよー、しょちょーさん。なんだかいつもよりピシッとしてるね?」
「ふああ……おはよう。こういうときはピシッとしないとまずいからな。で、9時集合にしたはずだぞ?」
8時40分を指す腕時計をちらと見ながら、あくび混じりに英樹は言う。
「すっごく楽しみなんだもん。朝ごはん食べてすぐ家出たの。走ってきたの」
「食べてすぐの運動は身体に良くないぞ……」
首元に汗の筋が少しできているのを見ていても、そもそもどこに走る必要があった、とは言わない。言ったところで回答は「すっごく楽しみなんだもん」であることくらい、とっくのとうに英樹は学習している。
「それより、悪いが数分だけ待ってくれるか? 持ち物だけ用意し終わりゃすぐ出られるから」
「はーい。でも、わたし手伝うよ?」
「あと1個か2個くらいだからいい……ああわかった、わかったよ」
その大きな目から繰り出されるキラキラしたまなざしの前に、あっさり観念する英樹だった。
「2階のテレビの下に置いてある赤と白の箱みたいなものと、そこにある小さくて四角いやついくつか……いや待てよ、そういえば美穂って2階上がったことあるか?」
「たぶんないと思うの。しょちょーさんならよくわかんないものいっぱい持ってそうだから行ってみたい」
「……よくわからないものとはなんだ」
頬を細い指先でつまみながら、美穂はうーんと考えている。
「なんだろ。とってもごちゃごちゃしたの?」
「そういう話じゃないんだが……で、さっき言ったやつ取ってきてくれるか? 階段上がって左の部屋だ」
「赤くて四角いのね? わかった」
「お願いな。階段だいぶ急だから気をつけるんだぞ」
「はーい。うん、わたしこけない」
足首近くまであるカーキ色のワンピースのすそをはためかせ、事務所の左奥へとたとた歩いていく美穂を見送る。
2階がきのうあちこちひっくり返して調べたとき――盗聴器は結局見あたらなかった――のままであるのを思い出して申し訳なくなりつつ、英樹は浮かない顔で息を吐いた。眉間に浅くしわが刻まれている。
というのも、彼にとっては毒殺犯からの依頼と肩を並べるほど頭の痛い問題が、それはもうどっしりと立ちふさがっているのだ。かなり真面目に、切実に。
『美穂のこと、聞き込みの時になんてごまかせばいいんだ……絶対誰かには怪しまれるぞ。もし疑われたら、この子にまで迷惑をかけてしまう』
ある専門誌が発禁処分となるなど、数年前から続くいわゆるロリータブームにも自然消滅でない終わりが見え始めてきたこのご時世である。子を持つ奥様方などといった世間からあらぬ疑いをかけられたとしても無理はないだろう。父どころか、叔父ですら名乗るには無理があるほどに、ふたりの見かけの年齢差は何とも中途半端なのだから。
そもそも、子どもを連れて聞き込みや訪問などの仕事をするような者がどこにいるというのか。
彼はソファの側面にもたれる形で床に座り、落ち着かなげに考え込み始めた。ときたまぱちぱちと爪が鳴る。しばらくして思い出したように事務机までだらりと歩き、その引き出しから「沼田市役所 市民課 飯塚 誠」と書かれた名札を取り出して側面の入れ口にしまおうとしゃがんだところで、英樹の背後から階段のきしむ音が。
戻ってきたんだなと振り返った彼は――思わず目を見開いた。
取ってくるよう頼んでいた大流行のゲーム機と、それ専用のカセット。これはいい。だが、例えば茶髪ツインテールのキャベツ人形、あるいはハーレムスーツと呼ばれる光沢が強い派手な衣装。それ以外にも服やら雑貨やら玩具やらがどっさりと、少女のか細い両腕の内に抱え込まれていた。彼女の顔が見えなくなるほどに。
「危ない! 止まるんだ!」
彼はとっさに部屋中響くほどの声で警告を発したが、今この瞬間にも、足を踏み外すかバランスを失ってしまうかもしれない。その声は間に合わないかもしれない。
電撃に打たれたように立ち上がり、階段下まで急ぎ向かおうとして、
「だいじょうぶだよ」
あきれるくらい緊張感のない、だがそれゆえに心底大丈夫な気にさせられる声が彼を制した。そのせいで今度は英樹が勢い余って体勢を崩すも、ソファの背もたれにばすんと手をついて無事踏みとどまる。上体を起こした彼が改めて階段のほうを見ると、先ほどと同じ段に立っている美穂が、持っていたものたちをあらかた彼女の背後の段に置き終えたところだった。
「よくそんなに掘り起こしてきたな……」
「あっ……ごめんなさい」
あきれと安堵と小言がまぜこぜになって、何とも言えない声色の言葉が発された。それに気づかされるところがあったのか、途端にしゅんとうつむきながら、注文通りにゲーム機とカセットだけ持って降りてくる美穂。
「まあなにごともなくてよかったが……どうして頼んでないものも持ってこようと思ったんだ?」
「赤くて白いのはすぐ見つかったから持ってこようと思ったんだけど、押し入れの中にお人形さんがいるの見つけて。遠くに行くときはいつも連れてくのに、急いでて忘れちゃってたから……」
少女が抱えていた雑多な品々の中に、キャベツ人形とおぼしきものがあったことを思い出す。
「それで代わりに持っていこうと思ったってことか?」
「うん。それでね、押し入れの中見たらほんとによくわかんないものがたくさんあって……これなになにー? って聞きたいからそういうのたくさん持ってこようと思っちゃったの」
2段ぶん使って無造作に置かれている『そういうの』を視界に入れながら、英樹は気が抜けたように嘆息する。苦の比重が大きめの苦笑。
「なんというか、美穂らしいな……」
「ほめられたー?」
「褒めてはない」
「ええー」
美穂のそこまで不満そうでもない声はさらりと受け流し、小さく片手を差し出す。
「それ渡してくれるか」
「あっ、はーい。そういえばこれってなに?」
「大きいほうはテレビにつないでゲームを遊ぶためにいるやつで、小さいのにはそれで遊ぶためのゲームが入ってる。ファンコンって聞いたことあるか?」
「ファンコンってこれのことだったのねー。学校でもおうちでも、みんなが話してるのを見てるととってもよく聞く言葉だから、何だろうってずっと思ってたの」
ビジネスバッグにしまわれていく本体とカセット。
正式にはファンタスティックコントローラという名前のこの家庭用ゲーム機は、相当のスペックを誇りつつも比較的値段は抑えられており、今では一種の社会現象にまでなっている。
「あれ、家にはないのか?」
養護施設は10名単位で子供たちが住まう場である。そういう場ならたいてい重要な遊び道具として置いていそうだと英樹は想像していた。
「たぶんないと思うの。ねえしょちょーさん、これお外で虫さんと遊んだりするより楽しい?」
「ものによるな。面白いのもあれば、たいていの人が難しすぎて無理って投げ出すような代物もある。どういうのがあるか今度じっくり説明するから、気になるのがあったらやってみるか? 2人で遊べるのもあるぞ」」
「やってみたい!」
「まあ、この案件が無事終わったらになりそうだがな……。荷造りもできたしそろそろ出るぞ。人形、持っていくか?」
「いいの? やったぁ、かわいいなって思ってた!」
「その代わり、帰ってきたら一緒にあれ全部片づけような」
「……うん」
英樹が『あれ』を指さしたそばから、とがめるかのようにぜい肉マンの消しゴムが階段をふたつ転がり落ちた。