3.よそ行き願望
「というわけで、俺はあさってには群馬に行こうと思うのですが――この子がおともしたいと主張して聞かないわけです」
「何回でも言うよ~」
「もう十分やったはずなんだけど、ほんとツッコみたいところが多すぎるわね」
「ごもっとも……」
毒殺犯からの手紙を机の真ん中に広げて、英樹はことのあらましを語った。話の荒唐無稽ぶりに、語り手の彼と聞き手はあきれて天井を見上げている。
「まあとりあえず横に置いとくけど。言うだけ疲れそうだし。で、美穂ちゃんがついていきたいって話だけど」
「うんっ。はむ、んんん」
「ちゃんと飲み込んでからしゃべろうな」
一方、少女は先ほどからミニドーナツとチョコチップクッキーをもぐもぐしていた。入手先は電気ポットの隣に常備している来客時用のお菓子入れである。
「まったくもう、場を脱力させる名人なんだから」
西沢はくすくすと笑いながら、そのままの軽い調子で意見を述べた。
「私は美穂ちゃんの意思を尊重してあげたいね」
「やったぁ!」
「すみませんが理由は……?」
まさかあなたがそちら側につくとは。
中途半端に手を広げて困惑する英樹と、ソファから立ち上がらんばかりに両手を掲げる美穂。テンションにしても見た目にしても、実に対照的な情景だった。
「そもそも、言うほど危険でもないんじゃない? その少年が裏で黒い組織と繋がってましたーなんてことでもない限り、ただ聞き込みに行くだけでしょ? それに美穂ちゃんは自由な子だけど、理由をきっちり言い含めておけば足手まといにはならないんじゃないかしら」
「言われてみればそうかもしれませんけど……」
「むしろ連れて行ってそばに置いとくほうが安心安全かもしれないわよ? 美穂ちゃんも不安でしょうし、一緒にいてあげたほうが」
「――確かに」
渋い表情が徐々にやわらぐ。納得が支配する。そもそも、本来なら美穂には情報開示を許されていないのだ。不可抗力と判断したいが、毒殺犯がこの少女を許さない可能性も十分にある。ましてや彼女はか弱い子どもだ。この3人の中でもっとも狙われる危険性が高いのは美穂だろう。絶対に、守ってやらねば。
「きっと大丈夫よ」
「わかった。美穂、一緒に行こうか」
「ふふっ、新幹線乗れたらいいなあ」
丸めの輪郭と垂れ目と緩んだ口元が織りなすハーモニーによって、美穂はとろんとした笑顔になっている。
「まあ、『めぐみ園』の園長さんにおうかがいを立てる必要はあるんですけどね」
「そうだったわ……」
養護施設の園長とは直接の保護責任者であり、つまりは最終関門である。
「今から電話してみます」
すたすたと事務机のほうに歩いていくと、受話器を取って短縮ダイヤルで数回打ち込む。
「はいもしもし、こちら『めぐみ園』です」
「その声は園長さんですね、あの、お世話になっております。白鳥と申します」
「どうもどうも、片桐さん関係ですか?」
「お察しの通り。実はですね……日帰りで群馬に行く用事ができたんですが、それを偶然横で聞いてたあの子がついていきたいと言っていまして。いかがいたしましょうか?」
ほんのり固い声で応答を待つ。彼の背後では女性陣2名がじっとなりゆきを見守っている。
「ええ、白鳥さんのご迷惑にならないのでしたらかまいませんよ。いろんなところへ行ってみたいとは前に話してくれたことがありますし、そうさせてあげられないのはこちらがいっぱいいっぱいな面が大きいですから……」
「あっ、快諾していただきありがとうございます。それはもう、お気になさらず」
「そう言わずに。こちらから頼んだとはいえ、毎度よくしてくださっているようで……貴方の話、よく聞かせてもらっていますよ。遠出、楽しませてあげてくださいね。では」
応接机のほうに向き直りながら、了解が得られたにしては微妙な顔になる。暖かいと冷たいのどちらとも取れない声音、向こうからかけたにもかかわらずあっさりとした切断。本心から歓迎されたのか、彼にはいまいち判断がつかなかったのだ。
そんな英樹の様子に、待っていた二人は首をかしげる。だがそれも一瞬で、思い思いに祝福の言葉を発するのだった。
「すんなり話通ったのね。まあそっか。美穂ちゃんよかったねえー!!」
「ふあっ、わっ! もうちょっと優しく……うんうん、もう喜んでもいいの? わあい!」
テーブル越しに少女のやわらかな髪をわしわしと撫でさする西沢。ひだまりめいたほんわかな空気感に唇の端をほころばせながら、探偵はソファに戻ってきた。
「ということは『ミーハー探偵の推理ファイル ――上州・虚構の美少年――』近日刊行! ……なんてね。あははっ、冗談よ。だからそんな目をしない」
「勘弁してくださいよ……私は物語の中の名探偵じゃない。トリックも何も解かないし解けない。私がやるのは、情報収集と説得だけです」
両腕でバツ印を作って顔をしかめる。露骨な否定のポーズ。
「へー、こんな派手さのない探偵さんもいたもんだねえ」
「探偵なんてそんなもんですよ。それより美穂、あさっての朝9時にここに集合でもいいか?」
「わかった。思いっきりおしゃれしてきてもいい?」
「やりすぎない程度にな」
ワンピースの裾を掴んで、身体から色とりどりの音符が飛び出しそうなくらいに美穂は上機嫌。ガラス戸越しに彼女たちを照らす空は、一点の曇りもない濃橙色をしていた。