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20.だから彼は謎を解かない

「終わっ、た……!」


 健一と啓子を見送り、入れ直したお茶でひと息ついて。

 大仕事を終えた探偵は大きく伸びをした。ソファのやわらかさをいいことに背中を反り返らせ、解放されたという実感にひたる。全身を安堵で満たす。

 喜びをいっぱいに表すのは、普段の彼にはめずらしい。美穂と西沢が対面に座り、満面の笑みでねぎらってきた。


「今回だいぶ大変そうだったものねえ。お疲れ様」

「がんばったで賞あげるね!」

「ありがとう。2人とも、巻き込んで本当に申し訳ないです。せめて、毒殺犯からの接触はもうないだろうということだけでも、安心してもらえれば」


 手紙には『西沢にだけは伝えてもいい』との記述があったが、本来ならひとりで抱え込むべき事案である。なにしろ相手が正体不明の毒殺犯だ。こちらに牙を剥いてくる可能性を否定できない。その対象が自分ひとりならまだしも、彼女らを危険にさらすのは。

 手紙を受け取ったときからずっと、探偵は気に病んでいた。それももうおしまいだ。この手紙のことは警察に届け出よう。

 あいつが裏切りの報いと襲ってくるかもしれないが、そのためにも警察に守ってもらおう。


「いいのいいの。われらが所長ならきっと無事に解決してくれるでしょって信じてたから」

「うん、こわくなかった」

「おまえはそもそも怖さを理解してたか……?」

「死ぬのはこわいよ?」

「それがわかってるならいいよ……」


 きょとんとした顔で小首をかしげる少女。その無垢さに根負けしつつ、この子を社会に出す手助けをせねばと決心する探偵であった。癒されもした。

 やや冷えこんだ室温の事務所内に、弛緩した空気が流れる。

 道場家を呼び寄せてじっくり話す時間を確保するべく、他の依頼で急ぎのものはできるだけ消化した。だから今は、存分におだやかな空気を吸っていていい。


「あの人ら、そこまで悪い人だとは感じなかったわ。あくまであたしはね」

「かばうつもりはないです。個人的な目的のために世間をだまして、警察を振り回したのは事実です。犯罪は犯罪だ。……ただ、根本から道を踏み外したわけではない気がします。まだ届くと思ったから、ああいうことを言ったわけですし。切り捨ててはいけない気がしまして」


 きわめてフラットな気持ちで探偵は言う。印象がいいわけではない。

 こちらへの攻撃的な言動や、利己的に見える発言。だが、それらを見てきた上でなお、完全な否定はできなかった。

 ――なぜなら、


「あの親子、自分と似ているって思ったんです。違うのは、行動に移してしまったかどうか、それだけ。うまく人の輪に入れなかったところ。どうにかして『普通』になろうとしたところ。生きてる環境がよくなくて、生きづらさを感じていたところ。

 自分が健一君のような行動を起こさないなんて誰が言える? 見捨ててしまったら、俺の中のなにかが壊れるんじゃないかと、そう思いました」

「なるほどねえ。その気持ち、大事にするといいんじゃないかな……という、おばさんのおせっかい」

「自分への疑問や危機感、心のどこかにはもっておこうと思います。自分は間違ったことをする可能性があるぞ、とか。今の自分で本当にいいのか、みたいな。自分らしく生きられるようになりたいから」


 そう思えるようになったのは、つい最近のこと。きっかけは、ほかでもない。


「あのふたり、特に健一君には感謝しています。『あなたたちは普通じゃない』って言われたから、自分が現状から逃げていたのを自覚できた。普通の大人になりたいのになれなくて、興味もない流行りものを追うのをやめられない。そういう自分を見つめ直せて、変わりたいと思えたんです」

「わたしもね、がんばろーってきもちになったの。知らないことがいっぱいあるってわかった。学校とか園のみんなのことも、もっと知りたい」

「よかったわねえ、ほんっとうによかった。あの人らも、幸せになれるといいわね」


 しみじみとつぶやいたのは西沢だ。彼女が手にしている湯のみのような、温かい声だった。


「俺もそう願ってます。今後どうするのかが大事でしょうけど」

「心を入れ替えてがんばりますって、口では言えても実際やるのはむずかしいものねえ」

「人は簡単には変われないでしょうし、僕の言葉であのふたりを変えられたとは思っていません。どろっとした気持ちを持ったままかもしれない。けれど、きっかけ作りを手伝うことはできたと胸張って言えます」


 あごを上げ、実際に胸を張って答える。彼らの思いや動機は、自分にも思い当たるものがあったから。

 同じ立場になったつもりで、浮かんだ言葉を投げかけた。対話しようと試みた。それが自分自身をも救うと信じて。


「英樹君、大人になれてるじゃない。あれだけなりたいって言ってた大人に」

「……そうですかね?」

「定義なんてありゃしないけどさ、『誰かの力になろうと動ける人』はすごく大人だと思うわよ」

「……ありがとうございます。もっともっとそういう人になりたいですね」


 謙遜でも自虐でもない、前を向いた言葉。心からの笑顔だった。


「あっ、しょちょーさんがにこってしてる! そういう顔すきだから、もっと笑ってほしいな」

「そんなにいつもムスッとしてるか? 俺も面白いとか幸せだって思ったら笑うぞ」

「じゃあもっとしあわせになってほしい。わたしもてつだう」


 いつになく真剣な顔で、上目づかい。心底から幸せを願っていると伝わってくる。

 その親愛は受け止めて、でも。


「断る。それは違う」

「――えっ」


 申し出は受け入れない。だって、それだけじゃ足りない。


「美穂、一緒に幸せになろう」

「……えっ!?」


 プロポーズの言い方だとは自覚している。西沢にきゃーきゃー言われるだろうことも。

 けれども、これが英樹の素直な気持ちなのだ。


 周りとの違いや不和に悩み、苦しい環境で生きねばならず、さまよっていたのは。

 健一がぶつけてきた言葉に衝撃を受け、自分を変えたいと思ったのは。

 ゆっくりとでも向き合い、ともに生きるべき特性(ハードル)があるのは。

 幸せになるべきなのは。

 大切なのは。


 英樹自身であると同時に、目の前の少女でもあった。


「『めぐみ園』の人たちとか、おまえの将来とかについてたまに考えるんだが」

「うん……大人になったらわたしどうしてるのかなって思うこと、ある」

「いつまでもあそこにはいられない。生き方は何通りもあるだろうが、そのどれかを選ぶときがくる。俺は美穂が幸せに生きられるように手伝いたいんだ。どうやって手伝うかいろいろ考えた中で、これはどうだろうと思えるものがひとつ出てきた」


 テーブルの向こう、少女と事務員。かたずをのんで次の言葉を待っている。

 これを言えば自分たちの人生が塗り替わるかもしれない。そう思うと、英樹のくちびるはけいれんのごとく震えた。

 ――それでも口をこじ開ける。幸多き未来のために。


「おまえさ、俺の子どもになるつもりはないか? 養子縁組といって、血のつながり……親子や親戚のことだな、そういうのがなくても親子関係になれる仕組みがあるんだ。……どうしたい?」

「なる!」


 即答しながら立ち上がり、彼女は英樹めがけて走り込んできた。そして彼の左腕に抱きつき、背中から飛び込むようにしてソファに座る。ことの重大さをちゃんとわかっているのだろう、(たかぶ)った笑顔の中にもまじめさがうかがえた。

 懸念点は多い。実現とその先の生活に向けて、話すべきことも山ほどある。けれど、それはあとでもいいと思えた。

 いつものように少女の身体を引き離す気も、今回ばかりは起きなかった。


「ヒューヒュー! ふたりとも、お幸せにね!!」

「違う。合ってますけど違う」

「そうだよ。しょちょーさんはお父さんになるんだもん。ね、おとーさん」

「それも違う! ……いや、まだ今はな」


 調子を狂わされかけつつも立て直す。スーツのネクタイも整えて。


「これからもよろしくな――とは、実はまだ言えないんだが。俺らの場合、子どもが15歳以上にならないと養子縁組がしづらいんだ。つまりあと2年はいる。そもそも、養子縁組するところまでいけるかもまだわからない」


 もし将来の伴侶になるかもしれない女性と出会ったら? 美穂のことを、どう伝えるのか。 

 養子のため妻と夫の両方とも血はつながらない。軽度の精神遅滞がある。

 どちらの要素も、決して差別されてはならないもの。しかし、それを聞いて一切の抵抗なく受け入れられる人がどれだけいるのだろうか。

 どんな子どもでも夫婦で幸せに育ててやるんだ。そのような覚悟は、きっと並大抵にできるものではない。自分が覚悟できているからといって他人にも求めてはならない。仮に無理だと言われても、その人を責められやしない。


「なるって言わせておいてこのありさまで申し訳ない。でも、できるようにたくさん努力する」

「いいよー。あと2年でしょ? いい子にして待ってるね」


 室内灯の光も手伝い、少女は希望で輝いているような目をしていた。


「ありがとう。その間に問題片づけないとな。やることはいくらでもある。

 たとえば、今はじめて言いますが、実は別の街に事務所を移すのもありだと思ってます。できるなら、養子になって『めぐみ園』を巣立った美穂を連れて。この子の進路や養子縁組がどうなるかみたいな決まってないことも多いので、慎重に考えますが。西沢さんが通勤しやすい場所を選ぶ必要もありますし」

「自分の車持ってるもの、多少の距離なら心配ないわ。これからも所長さんを支えてやりますよ、このあたしがね!」


 あばら骨のあたりをどーんとたたき、自信満々に笑う事務員。彼女がパートタイマーに応募してくれたこと、改めてありがたく思う探偵であった。


「相変わらずの頼もしさですね。いつか事務所移す際はあとふたりほど雇おうと思っていますけど」

「なになに、あたしだけじゃ力不足って~? おばさん悲しいわ……」

「笑いながら悲しんでいる光景ってシュールですね」


 よよよと泣くふりまで始めた西沢にツッコミを入れて、続ける。


「今の人員では厳しそうな依頼の場合、電話の時点で断ることがありますよね。長期間の尾行とか。ああいうのをなくしたいし、単純に効率を上げたいんです。今より稼ぐ必要が出てきましたから」

「そんなことだろうと思ってた。美穂ちゃんのためならあたしも100万馬力よ。……がんばってね」

「もちろんです。上手く軌道に乗れたときは、健一君たちにも報告したいですね。電話番号聞けずじまいだったので、手紙で」


 自分たちが前を向き、己の特性や課題から目をそらさずに取り組む。そうすればするほど、彼らも同じだけの努力を積み重ねていくのではないか。なんの根拠もない希望論を、探偵は不思議と信じられる気がした。


『こっちは元気にやってます。そちらはどうですか?』

『おかげさまで元気ですよ』


 そんなやりとりができたなら、この案件は真の意味で解決となるかもしれない。

 謎やトリックを鮮やかにあばく探偵は、間違いなくひとつの理想像。けれども、この案件を通してお互いが1歩未来へ踏み出せたなら、それもまたハッピーエンドだろう。

 謎を解こうとせず、不可解な点に深入りしないのは、自分じゃ本の中の名探偵にはなれないから。そういった悲観は、いまだ英樹の中にある。けれど、それでもいいと思えた。

 だから英樹は謎を解かない。彼が目を向けていたいのは、自分自身と大切な人たちだ。

 めぐみ園の職員たち。これまでにかかわってきた、そして今後出会うだろう依頼者。仕事関係の知人。なんだかんだ両親。正面に座る西沢もそう。


 ――そして、


「ほんとう? じゃあわたし、絵手紙っていうのやってみたい。さいきん美術の授業で習ったの」

「いいじゃない! あたしもちょうど始めてみたかったの」


 なにを描きたいか、談議に事務員と花を咲かせるこの少女――美穂だった。


 はがきに好きな絵を描き、絵柄に合った言葉を一筆したためる絵手紙は、素朴な温かさで親しまれている。英樹たちの住む町、狛江。ここはその発祥の地。

 彼女らと事務所のことを絵手紙にして、健一たちに届けようか。自分が思う明るい未来は、こんな形をしていると。

 沈んでいた自分は、まだ顔を上げただけ。前に踏み出す準備ができただけだ。いずれ待ち受けるだろうたくさんの障害に向けて、歩き出すのはまだこれから。抱えている悩みも、完全に吹っ切れたわけじゃない。社会にうまく交われないことをはじめとして、まだまだ不安が肺を満たしている。

 それは、美穂も同じだろう。自分と彼女の境遇は、悩みは、違えどもどこか重なっている。


 加えて、養子を育てながらの生活が叶うなら、きっと多くの壁がつきまとうことだろう。

 けれども今の英樹には、不安の中にも希望があった。みずぼらしくて異端なひな鳥でも、自分の名前通り白鳥になれるのかもしれないと。あるいは最初から白鳥だったとしたらどうか。

 人と違うのを悪いことと思い込み、個性であるとは気づけなかっただけで、本当は。それが真実だったなら?


 ――いや、この手で真実にするんだ。自分たちふたり、白鳥であると気づけるように。


 大切な人たちの力も借り、そしてみんなで幸せになる。それぞれの形で、それぞれにとっての明るい将来を描いていく。「ここにいたい」と思える場所を。

 心の中で覚悟を決めた英樹は、隣の少女に笑いかける。希望にあふれた笑顔が返ってきた。

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