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2.悪逆非道の依頼人

『白鳥探偵事務所 所長 白鳥 英樹

 私は、世間を騒がせている連続毒殺事件の犯人です。一連の事件の中には私……つまり犯人のせいに見せかけて、自作自演や自殺を図った者も混じっているということは知っているでしょう。ですが、そういうケースの中にひとつだけ、警察が殺人未遂として処理したものがあるのです。群馬県沼田市、中学1年生の少年が自作自演したケースです。

 正体不明だからこれ幸いという理由で濡れ衣を着せられ、被害者を騙ったあの少年は今もどこかでぬけぬけと暮らしている。自ら手をかけるほどではありませんが、私はその事実を許せない。だからできるだけ小さな探偵事務所を探し、事情を知らない一般人を二人ばかり経由させて手紙を届けることにしました。

 お前はきっと、なぜ自分のところにこれが届いたのかと疑念を抱くでしょうが、理由は今記したそれだけです。情報を知る者は少なければ少ないほど都合がいい。

 西沢という事務員が先にこの手紙を見ることも考えられますので、彼女には伝えてもかまいません。ですが、それ以外には決して口外しないように。西沢にも固く口止めしてくださいね。警察などもってのほかです。

 謝恩などはありませんが、できるだけ迅速に、そして必ず真相を解き明かすように。

 追伸:お前たちの動向はすべてこちらに筒抜けです。少しでも私の正体を嗅ぎ回ろうものなら、命はないものと思いなさい』


「なんだ、これは……」

「ど、どーしたの? それ見てもいい? 見るね?」


 最初の一文から理解不能と衝撃が襲い、読み終えたあとには苦い顔つきの探偵がいた。

 いたずらの可能性はある。手紙の中に真犯人が書いたものだという根拠があったわけではないのだ。動向を監視しているというのも、本当かどうか調べねば。事務所内に盗聴器をしかけられていないか、周囲に不審な人物はいないか。話はそれからだ、素直に受け取るのは浅慮というもの。

 ――だからといって、恐ろしくないわけがない。


「そんなにすごいこと書いてたの? 間違ってるかもだけど、挑戦状みたいな感じかなーって思ってた」

「むしろ逆だな。悪いことしたって疑われてるけどほんとは違うやつがやったんです、助けてくださいお願いします、というようなやつだ」

「そうなんだ、でもなんだか偉そうな感じしたよ? というかね、犯人とか書いてた気がしてきたんだけど……あの人は誰なの?」

「もう偉そうとかそういう次元の話ではない……」


 英樹の顔色が失われていくのを見て、美穂は肩を抱きかかえて支えようとしたが、そこは大人と子ども。もう少しのところで手が肩に届かない。このままではどうにもならないと思ったのだろう。上へ伸ばされていた彼女の右手は英樹の腰に回り、軽くソファのほうへと引っ張ることで座るよう促した。自分も隣に腰かけ、美穂はかすかに震えた声で問いかける。


「嫌だったらごめんなさいだけど、おしえてくれますか?」


 本来なら自分と西沢しか知りえないはずの案件に、この少女は偶発的に巻き込まれてしまった。だが、幸いにも事態をよく理解してはいない。

 先ほどは動揺していくつか話してしまったが、よく考えなくてもこれ以上伝えてはいけない。すべてを見なかったことにしてもらおう。そうすればきっと、彼女の安寧は保たれる。英樹はその一心ではっきりと断ることにした。


「申し訳ないが、やはりこれ以上はなにも言えない。俺は大丈夫だし、美穂はいい子だ。だから……な?」


 不器用な手つきでそっと少女の頭を撫でつけながら、ぽつりぽつりと言い含めるように。

 くせっ毛をさりさりとさすられるのがくすぐったいのか美穂は目を細めていたが、ややあって首を左右に振り、とろんとした大きな目でじっと英樹を見据えた。普段のぽわぽわとした彼女とは違う、何もかもを見透かす宝珠のような澄んだ視線に射られて。しかもそれがにじり寄ってきて。

 結果、英樹は少女の前に屈し、ちゃんと一から十までおしえることにした。冷静に考えれば、美穂はもはや部外者ではない。手紙を見てしまったのは事実なのだから。


 本当に毒殺犯のしわざなら、彼女を見過ごしはしないだろう。

 念のため外に出て、正面入り口と勝手口周辺に怪しい人陰がないか確認。特に見あたらなかったので、お互いきちんと座り直し、白鳥探偵のよくわかる事件講座が始まる。


「美穂、自動販売機で飲み物を買って取り出し口を見たらなぜか2本あって、前の人の置き忘れだ思ってそれの片方を飲んだら倒れてしまった……という話を知ってるか?」

「ええと、んーとぉ……あっ、たぶん思い出したの! 校長先生が朝礼で『お金入れたら飲み物が2本出てきたと思ったときは、両方とも飲まずに捨てましょう』って」


 手を外側に放り出してポイっとするようなしぐさをとる美穂に軽くうなずきを返して、探偵は話を進める。


「ああ、それだ。パラコート連続毒殺事件と呼ばれている」

「ぱ、ぱらこ……?」

「雑草を枯らすのに使う薬なんだが、ひと口飲み込んだだけでもほぼ確実に死ぬくらいの毒らしい。それを飲み物に混ぜて取り出し口に置くわけだ。混ぜられるのはほとんどが栄養ドリンクかコーラだな」

「やだなあ……」


 美穂の顔におびえの色が見えてきた。


「だから気をつけてくれ。美穂はそういうところぽけーっとしてそうだからなあ」

「はーい、絶対飲まないの! それに私が好きなのはお茶だよ~?」

「そういう問題では……いやまあ、そうかもしれないが」


 一瞬で邪気のない笑みに変わった美穂に気圧されて、英樹は苦い顔をするしかなかった。


「わたしはがんばって気をつけるからだいじょうぶかなあだけど、そんなことする人はとってもこわいね……」

「怖いというかもはや悪魔以上のなにかだろ、あれは……目的は知らんが何人も無差別に手にかけ、依頼のしかたもひどく高圧的でこちらに一銭もよこしちゃくれない、おまけに埒外の切れ者と見た。なんなんだこいつは……」


 逃げるように、ソファに全体重を預ける。

「しょちょーさん、わたしのことはいいからもう寝たほうがいいと思うよ?」

「そうしたいし、この手紙をただの悪戯だと切り捨てて普通に暮らしてやりたいけど、そうはいかないんだよな。もしこの案件を放り出したせいで、口封じに俺たちを殺そうとしてきたら――」

「死ぬのはやだもん……」

「大丈夫だ、こわくないこわくない。必ず解決してみせるから……まあ、それこそ死ぬほど面倒だけどな」


 死という可能性を突きつけられ、現実が見えたのだろう。ひしと身体を掻き抱く美穂。その背中に手を置いて、できるだけ優しく言葉を紡ぐ。


「できるだけ早く安心できるようにしないとな」

「がんばろうね」


 この子だけでも守らねばと思うと、くたびれきった彼の精神にも少しだけ気力が沸いてくるのであった。


「ああ、なるたけ急いで終わらせる。今日と明日でざっと下調べして、あさってにはその少年のいる町へ聞き込みしに行くかな。遊び相手がいないからって来ても無駄だぞ」


 やや重たげな無表情のまま、口調だけ冗談めかして言う英樹。軽く放っただけのそれに対し、両手をひざの前で重ねた美穂は存外に真剣なまなざしを向けていて。


「どうした?」

「あのね、わたしもそのききこみ? ついて行ってもいーい? あさってなら土曜日だもん、学校はだいじょうぶだよ」


 あまりに突拍子もない意思表明。5秒ほどフリーズした英樹は、自分を落ち着かせようと数回首を横に振った。それから、あえてきっぱりとした口調で告げる。


「断る。美穂は来ちゃいけないし、その必要もない。まずな、どうして行きたいと思ったんだ?」


 強めの否定がいくつか重なる。だがそれらは全部、これ以上関わらないほうがいい、が素直に言えなかっただけの話。しかし美穂は、そんな言葉の盾をなにごともなかったかのように突き壊していく。


「なんとなくなんだけど、行ったほうがいいなあってびびっときたの」

「……それじゃあダメだ。足手まといになるだけ」

「あとね、わたしってあまり遠くに行けることないから――園長さんたちがしてくれないから。いろんなものが見たい。新幹線乗ったりしたい」

「――それは」


 探偵は言葉に詰まった。養護施設の子たちの大半は、どうしても施設(と学校)が生活のほとんどになりがちだろう。それは避けがたく、だからこそ切実で。

 少女はあくまでも真摯に追い打ちをかける。


「だから、連れて行ってほしいです。おねがいします」


 たいていの大人はあえなく陥落しそうな、殊勝極まりない顔つきと態度。英樹はそれに耐えようとして、落ち着かずに身体が揺れる。やがて、その表情を崩さずに出した答えは――


「それでもダメだ。すまないな」


 ――先ほどと同様の拒絶だった。純粋な欲求を正面からぶつけられてもなお、彼女の身を案じるほうを優先したのだ。それはきっと、大人が子供を守るための対応として何ら間違ってはいない。

 ……もっとも、彼女の求めるものでは決してないわけだが。


「しょちょーさんっ!」


 それきり美穂はひとことも発さず、彼女としてはめずらしい怒りのこもったまなざしで、ただ隣にいる人物をじっと凝視し続けた。英樹も後には引けない。お互い吐き出すことも、泣き出すこともなく。ふつふつと煮えたぎるような緊張を伴って、長いにらみ合いが始まる。

 静かな対決の熱気と暖房が相まったのだろうか。途中で少女の額から汗がひと筋つうと流れ、カーディガンに小さな楕円状の染みを作った。

 均衡を破ったのは、ガラス戸が勢いよく開け放たれる音。


「はえっ!?」


 すっとんきょうな声を上げて、美穂がびくっとのけぞる。


「あっ西沢さん! か、帰ってきたんですね」

「ええ、戻りましたよ……んん? 何かあったね?」

「あー、えっと、これは……はい。話すと長くなりますが」


 しどろもどろでその場を取り繕ろうとする英樹だが、20年かけて培われた主婦の勘を前にしては意味をなさない。脅迫状に彼女の名前があった以上、隠し通すのもどうなのだろうか。そうして、彼はいさぎよく投降した。


「紅茶だけいつものところに置いてきていただけますか。西沢さんにお話ししたいことがあるので」

「なんだなんだ気になるねぇ、かしこまり! レシートも取っとくよ」

「ああそうだった、お願いします」


 レジ袋を奥のゴミ箱へ捨てに行く西沢。その白髪交じりな後頭部から視線を切った英樹はふっと息をつき、かたわらに座るちまっこい少女を一瞥した。


「今から次第だが、たぶん話を聞いたらあの人も反対するんじゃないか? 美穂のことかわいがっているしな」

「えっ、どういうこと?」

「危なそうなことに首突っ込んでほしくはないと思うぞってことだよ……俺もだが」


 最後はもごもごと口内でこね回すような、ほぼ聞き取れないくらいの声だった。


「そっか……ごめんなさい。でもね、やっぱり行きたいの」


 しっとりと俯きがちに、でもはっきり告げられた何度目かの言葉。泳ぐ目で数瞬考え込んだ英樹の唇が開きかけたのと同時に――


「さあ、話してごらんなさいよ」


 戻ってきた西沢がなだめるような調子でそう言いながら、英樹たちの向かいのソファに腰を落とした。


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