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15.壊想:白鳥英樹の知りたいこと

 十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人。白鳥 英樹はそのことわざが嫌いだった。

 神童でも大人になるころには凡人だ? 凡人だろうと、今の自分よりずっとましじゃあないか。そう思ってしまうから。

 どうすればよかったんだろう。もう手遅れだと、わかってはいるのに。同じことばかりぐるぐると考えていた。


 ☆


「今までの人生で一番楽しかったときは?」と聞かれたなら、「小学生時代」と答えるだろう。それくらい、英樹にとっては楽しい時期だった。通知表には毎回二重丸が多く並び、教室では常に誰かしらとしゃべっている。放課後に公園で野球などをしても、十分に活躍できた。クラスの中心とまではいかなくとも、それなりに目立つ存在だったのは確か。

 無理に周りに合わせようとせずとも、自分のやりたいことをやればついてくる友だちがいる。

 毎日が楽しかった。気に病むことがあったとすれば、3つ年上の兄がうらやましげな態度をとってくるくらい。それすらずいぶん軽いもの。


 中学校に入ってから、すべてが変わった。


 他の小学校だった子どもたちが入ってくるとはいえ、爆発的に同年代が増えるわけでもない。せいぜい1.5倍程度。それなのに、得意だと思っていたことであまりいい成績が取れなくなったのだ。井の中の蛙は、湖を知った。

 今まで秀才で通っていたやつが急に中位まで落ちてきたとなれば、小学校からの知人は当然からかってくる。やがて、ろくに話したこともない男子すらそうしてくるようになった。新しい友達はほとんどできない。

 もともと、英樹には大してリーダーシップやコミュニケーション能力があったわけでもなかったのだ。小学生のころは、目立つ存在だったから人が集まったにすぎない。そして、彼は早熟だった。

 いじめまではいかず、ただなんとなく避けられているだけ。遠巻きにからかわれているだけ。けれど、居心地はすこぶる悪い。

 今までみたいに飛び抜けてなくてもいい。ちやほやされなくてもいい。だからせめて、みんなと普通にやっていかせてくれと。それだけが彼の願い。

 行動に移すのは早かった。


 ひとつは、勉強にも中学で始めたバレーボールにも精を出すこと。周りに埋もれているのなら、努力して抜け出すまで。なかなか芽は出ない。それでも、根気よく積み重ねていく。将来にもつながるんだと。

 もうひとつは、できるだけ他人に合わせること。クラスの中心グループにそれとなく加わる。なんでいるんだと思われないよう、一番外側で話を聞く。常に賛同し、まねをする。笑顔を保つ。

 無害な存在でいればそこまで言われずにすむということを、英樹は学んでいった。作戦は成功した。してしまったのだ。

 小学生時代のようにとはいかずとも、少しずつ学校内に友人が増えていく。だというのに心は暗いまま。英樹は周囲とのずれを自覚し始めていた。


 彼が中学校に上がったのと時を同じくして、いわゆるオカルトブームが吹き荒れる。

 きっかけは25年後の滅亡を唱える、ノストラダムスの大予言。それから念力でスプーンを曲げる少年、ネッシーやらツチノコやらのUNA、心霊写真に超古代文明。その他もろもろ。

 ときに面白おかしく、ときには大まじめに取り上げられるそれらは、そこはかとない不安感を抱えていた当時の世相に直撃した。多感で好奇心の強い思春期の子どもたちなら、なおさら興味をもつだろう。英樹の通う中学校でも、それはもう大流行りだった。


 しかし、彼はその波に乗れなかった。


 ほとんどの人たちは、まゆつば物であることを分かった上で楽しんでいる。それは普通のことだし、面白いほら話としてはいいものだとも思う。けれど心から信じている人もいたのだ。英樹には、それがどうにも受け入れられなかった。

 たとえば人間とチンパンジーの間の存在として名をはせたガリバー君など、どう見ても毛を剃っただけのチンパンジーで。それでも受け入れる人はいた。


 英樹のクラスの中心にいた少年もそう。少しでも嫌なことがあると歯向かう悪ガキだが、他人の噂やセンセーショナルな話は素直に信じ込むような性格だった。

 近くの多摩川にタッシーが出たなどと騒いでは、取り巻きを連れて意気揚々と捜索に出る。授業中には決して見せない、真剣な目で。

 取り巻きのひとりである以上、選択肢は『ついていく』のみ。けれども、英樹はその度に憂鬱な気分になるのだった。


 できるだけ正しくありたいが、嫌われるのはなにより怖い。輪から外されるのが怖いから、興味のないことやちょっとした悪事でもNOと言えない。なまじそれで成功してしまったから、無理にでも他人に合わせてしまう。周りの流行りには、とりあえず乗っかる。

 孤立しかけてからの数ヶ月間で、どうしようもなく染みついてしまった生き方だ。いっそ悪びれずにそうやって生きていけたなら、少しは楽だったかもしれないのに。中途半端なまじめさが、おそらくは英樹の本質であった。


 善人でありたいのに、行動が裏切ってしまう。笑顔の下に苦しみを抱えたまま、学生時代が過ぎていく。

 高校でも大学でも状況は似たようなものだった。人間環境が変わっても、一度学んだ生き方はやすやすと変えられない。言いようのないさみしさを抱えていた。

 特にやりたいことも思い浮かばず、とりあえず近場のそれなりな学校に入ったのも、理由のひとつかもしれない。

 成績も部活も趣味 (のようななにか)も、いまいちパッとしない。今までできていたはずのこともできなくなり、それを気に病んでまたパフォーマンスが下がる悪循環。


 大学では、単位を落とさない範囲で休みがちになった。休めば心配され、周りに注目されるのはわかった上で。時たま同期の顔を見るのも苦痛になるくらい。


 学校外でもうまくいかない。流行りに乗っていろいろやってはみたものの、交友関係は広がらなかった。

 いわゆる竹の子族の一チーム、『(アン)駄犬(ダードッグ)』に入ったときもそう。言動の荒々しさと体育会系のコミュニティー、バックにいたヤクザ崩れの連中が肌に合わず、集団の中で孤立した。そもそも、公衆の前で踊るのは苦手なのだ。

 数か月で限界がきた。得られたのは、ちょっとしたダンスの技能と振り付けだけ。親にひた隠してまで続けたわりには、あまりにもしょっぱい報酬だ。


 暗い感情は下校しても晴れることはない。むしろ、家には家で別の悩みがあった。次第にグレていく3つ上の兄のこと。

 少々プライドが高いくらいで、普通の優しい兄だったのに。英樹が中学に上がる手前あたりから、変わっていった。どうやら志望校に進めず落ち込んでいる最中に、悪い先輩と出会ってしまったらしい。半年も経てば、立派な暴走族になっていた。立派どころか不良だが。

 警察のご厄介になったのも、一度きりではない。


 英樹たちの両親は、当然彼を正そうとした。しかし、ワルくて強いやつへのあこがれと反抗期とストレスとを混ぜ合わせた不良は、そうやすやすと止められない。

 親に手を上げることこそなかった代わりに、ほとんどの会話を拒むようになった。両親のほうも、次第にあきらめて冷たく接し始める。

 上の息子がそんな様子だ。下の英樹についても気がかりに思うこと自体は、親として当然の道理だろう。口酸っぱく言い含められた。


「おまえは普通に社会に出てくれよ、一生のお願いだ」

「真面目が一番なのよ。もしあんたが悪い子になったら、みんなが悲しむわ」


 感情のまま懇願される日々。そして、行動も厳しく監視された。

 交友関係を隅まで洗われ、少しでも悪い噂のある子どもと関わろうものなら縁を切るよう迫る。いつ誰とどこに行くか、幼子でもないのに聞いてくる。

 おかげでガキ大将の取り巻きになる事は減った。人気者にすり寄って彼らと同じことをする、というのは変わらなかったが。

 親の気持ちは痛いほど理解できる。けれど、英樹にとっては苦痛だった。兄の存在と同じくらいに。

 過剰に縛られるのは重荷でしかないが、反発するのも難しい。

 普通でいることへのこだわりは悪化した。流行り物を買うためだけに、郵便配達のアルバイトまで始めるほど。流行りと周りに合わせることが本当に「普通」なのかとは、考えないままに。


 兄のこともやはり悩みの種だった。仲間と改造オートバイを乗り回し、暴れることで日々のうっぷんを晴らしているかと思いきや。彼が身につけた暴力は、家族である英樹にも向かった。


「父さんと母さんは殴らなくても、僕を殴ったら結局同じじゃん!」

「うるっせえ! 気に食わねえからに決まってんだろ!」


 理不尽にふるまい、兄の立場と腕力で押さえつける。幾度となく繰り返された。友人に恵まれ、日々楽しんでいるように見える英樹が妬ましかったのだろう。うわべだけだと気づきもしないで。

 家族からも拒絶され、兄はますますストレスを溜めて悪事に走る。家庭内暴力も激しくなる。彼が高校卒業と同時に家を出るまで耐えるしかなかった。

 これで自由だとでも言うような、去り際の晴れ晴れとした顔。もうおびえずに済むんだと思った。出ていった先でまた誰かを傷つけないかという不安はあれど。


 音信不通になった兄。風の便りでいくらか消息を伝え聞くだけだった彼は、5年後に突然帰ってきた。糊のきいたスーツを着こなし、爽やかな笑みをたたえて。まるで別人かのようなその姿に、英樹はなぜか寒気がした。

 いくつか職を渡り歩いた末に、自動車会社の営業マンになったらしい。同期の中でもかなりいい成績を収めているんだと、自慢げに話していた。


「今まで迷惑をかけてごめん。でもようやく真人間になれたよ。育ててくれてありがとう」


 その言葉に涙する両親を横目に見ながら、内心冷ややかな英樹。感動的な抱擁も響かなかった。

『どうだ!更生できて素晴らしいだろ!』とでも言わんばかりに、押しつけがましく映ったそれは。今まで見てきたガキ大将たちの表面的な反省ぶりと、ひどく似通ったものだったから。

 ――予感は的中した。


「くれぐれも今までの俺のこと吹きまわるんじゃねえぞ。出世に傷つけようもんなら……わかってるよな」


 親が寝静まると、兄は圧力をかけてきたのだ。至近距離まで詰め寄って、ごついこぶしを振りかぶって。5年の月日に少しも意味がなかったことを、英樹は理解した。

 あんな風にはなりたくないと、親からのプレッシャーを受け入れてまで普通に暮らそうとしたのに。家のことで悩むことは減ると、思っていたのに。自分なりの方法でよく生きようとしても、何も変わらない。学校と家と日常に絡めとられて、英樹の心はへし折れた。成人したばかりの夏のことだった。

 大学を辞め、親に迷惑をかけるのも嫌で隣町に移り住んで。もともと両親とは心の距離感があったのもある。古アパートの一室で、身の振り方を考える日々が続く。

 心身ともに体調を崩して、そのくせブームを追うことだけはやめられない。流行りものを街で見かけた際に湧き上がるのは、『欲しい』ではなく『自分も買わなきゃ』という思考。品薄であろうと、血眼になって何店も見て回った。

 強迫性障害だという医師の診断も受けた。診断がつくまで悪化したという事実が、いっそう心を傷つける。気力を絞り出して転々とアルバイトをしてはいるが、早く定職に就かなくては。

 学歴も高校・大学と偏差値50台後半でそこそこ止まり。大学に至っては3年次に中退している。売りにできる技能もない。誠実さだけで勝ち取れるほど、就職活動は甘くなかった。

 ならどうしようか。熟慮の果てに目をつけたのが探偵業だった。


 小規模にするならば、初期投資が比較的少なくてすむ。

 探偵業に関する法律はないのでやり方が自由。

 案件1つあたりの単価が高い。

 特殊な技能がそこまでいらない。


 それらが英樹の感じたメリット。比較的少ない準備で始められそうな仕事として、魅力的に思えた。

 ……世間からはいい目で見られない職だろうという点を無視するならば。


 しかし、パート募集で雇った西沢と開業したはいいものの鳴かず飛ばず。コミュニケーション能力と情報収集の力が足りず、依頼が失敗に終わることが多々。顧客や調査対象の機嫌を損ねて暴力沙汰になる事も複数回あった。ゆえに最初は経営も苦しかった。

 それ以上に胸が痛んだのは、探偵の仕事にやりがいを感じられなかったことだ。


 身分の偽装。しつこい尾行。

 盗聴器をしかけるなどの細工。

 関係者に調査対象を裏切ってもらうこと。


 ちょっとした嘘から法律すれすれの行為まで、解決のためには手段を選んでいられない必要悪。一種の汚れ仕事。探偵業とは、そういうものだった。

 良心が悲鳴を上げても、ここで潔くやめられないのが彼という人間だ。せっかく見出した活路を捨てたくはなかった。

 交友関係は仕事絡みと美穂しかなく、家族とも疎遠ぎみ。ある程度稼げるようになったとはいえ、不安定かつ多方面でつらい稼業。

 流行り物にはなんでも手を出すわりには、なんの芸も身についていない。ただ浪費して、ほぼ新品のまま棚のこやしになるだけ。子どものころに備わっていたものも、とっくの昔に劣化している。


 いつの間にか、ろくでもない人間になってしまった。


 ちょっと仲間外れになりそうだったからといって顔色をうかがい続けた結果がこのざまだ。本当に存在するかも怪しい『普通』にとらわれたまま、ここまできている。それは、彼もわかっているのだ。


 俺は何になりたかったんだろう。どうすればよかったんだろう。

 どこで、何を間違えた? 知りたいんだ、教えてくれよ。答えなどないのだろうけど。


 外の要因もあったにせよ、こうなったのは自分の行いのせいだ。己を責めて、暗闇の中で考える日々。

 白鳥 英樹は、今日も正解を求めている。

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