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14.これからふたりの話をしよう

 一般的な幼稚園と同じくらいにはあるだろう運動場。数棟の古びた木造平屋建て。それなりの敷地と積んできた歴史がある。けれど、養護施設『めぐみ園』には活気がなかった。真っ昼間で大半の子どもたちが学校にいることを考慮してもなお、だ。

 遊具の塗装は大きく剥げ、外壁や地面には雑草が生い茂り、なによりすれ違う職員の目が暗い。笑顔もどこか硬い。

 園長へのあいさつ……という名のお叱りを終えて憂鬱な気分になりながら、英樹は三十路すぎの男性職員に案内されていた。何度も訪れた場所ではあれど、部外者がひとりで歩くわけにもいかない。


「ずいぶんと怒られてましたねー。うちの人たちがすみません、愛情が行き過ぎて心配性なんですよ」

「間に入っていただいて助かりましたし、気になさらないでください。なにせ、あの子の頼みを聞いて同行させたのは私です」

「監督責任はこちらにあるんで、まあお互い反省すればよろしいんでないですか。このままじゃあ『いえいえ』『こちらこそ』合戦になりますからね!」


 やや強面寄りの職員は、重たい空気を吹き飛ばすようにガハハと笑う。ごつい体躯とは裏腹に爽やかな態度。英樹は少し、救われたような心地がした。


「とはいえ、いろいろと思うところはあるんですがね。片桐さんには謝ることばかりだ。私も含めてあの子と信頼関係を築けていない職員が多かったり、夜間管理の甘さで……ええ、ああいう事態になったり、ね」


 と思いきや、ためらうように言葉を濁す。児童間の性被害とはさすがに職員も言いづらかったのだろう。ましてや、当の施設内だ。


「……ここの経営状態がよろしくないのは知っておいででしょう。法律上ギリギリまで人員と設備を切り詰めているもんで、どうしても手が回らないところばかり。気持ちにも余裕がない人が多くてね。とはいえ、それで八つ当たりされた白鳥さんには申し訳ない」


 自分も理不尽に怒られてばかりですけど、まあしかたありませんよ。そう言ってみせる職員の笑い方には、先ほどのような勢いがなかった。


「自分で言うのもなんですが、嫉妬されているんだろうとは思います。私が美穂になつかれているから。普段みなさん温かい方だというのは、これまで接してきてわかっていますけど」

「でしょうねえ。こちらの力不足ゆえです。心意気はあれど、心身に余裕がないからうまく接することができずに、それでまた余裕を失ってしまう。悪循環ですよ」

「職員の方々ご自身の問題というよりは、環境が厳しいからなんでしょうね。心中お察しします。でも、あなたのように現状を分かった上で明るい人もいる」

「いやいや。今こうやって客観的に語ってはいますがね、自分もおんなじです。私に対して心を開かない子が多いのは、この面構えのせいだけじゃあない」


 職員はそう言って、よく焦げた額に手を当てる。まるでひっぱたくかのように強く。


「それでもやるしかないのが現実ですがね。白鳥さんのことだけでも、高校は養護学校に進むほうがいいんじゃないかとか、ここを出たあとはどうすんだとか。考えなきゃならんことは山ほどありますよ」

「確かに、親戚筋も引き取ってくれそうな人がいないっていう話ですし……」

「ええ。まあそれより前に、ここがあと何年続けられるかが問題ですけども」


 立ち止まり、ふたりして目の前の建物を仰ぎ見る。秋晴れの中たたずむそれは、敷地内に数棟立つ児童用の宿舎と同じ作りで。しかし、見た目には完全なる空き家だった。屋根瓦の一部が崩れ、壁にわずかながらツタが茂っている。

 陰気臭く近寄りがたい空気。それと似通った雰囲気をまといながら、職員は吐露する。


「経営は傾いとる、年間の事業計画――子どもたちの豊かな成長をはぐくむための目標設定です――の達成状況もかんばしくない。あの子らを路頭に迷わせる気はさらさらありませんが、上のほうがどこまで辛抱してくれるか」


 養護施設の大半がそうであるように、『めぐみ園』もまた社会福祉法人の経営である。利益を追求するための組織でないとはいえ、小さな民間団体だ。自治体とは違い、赤字続きの施設をいつまでも抱えられるほどの体力はない。

 ――自分にもできることはないだろうか。力になりたくとも、まだ提案できるほどの固まった考えはない。英樹にはそれが、ひどく申し訳なかったのだ。


「弱音吐いてすみませんね、外部の人にするような話じゃあないというのに。上がってください。そこのマスクとアルコール消毒をお忘れなく」


 がたがたと音を響かせながら、職員は建付けの悪い引き戸を開ける。彼の引き締まった身体なら容易に壊せてしまいそうなほど頼りない。しかし磨かれた床、ほこりのない靴箱。内部は掃除が行き届いている。むろん、用途があるからだ。

 それを裏付けるように、薄暗い構内には明かりがついている。たったひとつだけ、一番手前の部屋に。


「手短に終わらせてあげてください。終わったら管理棟まで戻ってきてもらえると助かります。……ごゆっくり」


 すぐに離れていく人影。ちらりと目をやってから上がり込む。わずかながら身がすくむのを、英樹は感じた。扉を開ける。

 間仕切り用のカーテンでいくつか分けられた空間のそれぞれに、ベッドが置かれた部屋。ここは風邪などの感染症にかかった子どもたちを隔離するための、医務室とは別の病室。その奥の空間に彼女はいた。

 事前に知らされていたのだろう。上体を起こして彼を見ている。マスクに隠れていない部分だけでもわかる、しんどそうな赤い顔。

 ベッドのそばでしゃがみ、視線を合わせる。このままでは気まずいだけだ。英樹のほうから口を開いた。


「……ごめんな」


 たったそれだけの言葉に、すべての気持ちを詰め込んで。


「ごほっ! ……ううん、だいじょうぶ。きらいになったりしてない。わたしがごめんなさいしなきゃなのに。あのとき、いやなこと言ってごめんなさい」


「しんどいよな。すぐ終わらせるから」


 弱々しく嗄れた、少女の声。いくら優しい言葉をもらえど、英樹は罪悪感をぬぐえない。

 かつての小さな住人が壁に残したのだろう、消えかけの落書き。たった2文字の「ばか」が、自分を責めているように思えた。クレヨンの赤が痛かった。


 美穂がやや身体が弱いのを知っていながら、『マスク外してもいい?』との問いにふたつ返事をしたことも。

 健一の母、啓子が風邪気味であったのに、美穂にマスクを付け直させなかったことも。

 結果的に、自分と美穂を雨ざらしにしたことも。

 仕事について来ようとした時点で止めきっていればよかったということも。

 無理してまで『大人』でいようとして、目の前の少女を傷つけたことも。


 どうにもならない後悔が、彼の脳内を埋めつくす。それでも、言うべきことがあった。


「ひとつだけ。風邪が治ったら、全部お話ししないか? 自分が本当に思っていることとか、今までのこととか、悩みとか。もっている障害がどういうもので、どうやって向き合おうか……障害より病気って言ったほうが伝わりやすいよな。違うものだが。そんなことを、お互い全部話しちゃう時間」

「うん、いっぱいお話ししようね。やくそく!」


 シガレットラムネのような白く細い小指が差し出された。優しく絡めて縦に振る。

 伝わってくる体温は、当然いつもより高かった。


「じゃあ帰るよ。職員さんにゼリー渡したから、おやつの時間にでも食べるといい」

「おかきじゃないんだ……」

「おかきが病人の食い物だと思うか? ……ゆっくり休んでくれ。今回は本当にすまなかった。またな」

「ばいばい」


 去り際にあふれる申し訳なさ。早足になりかける。

 けれど、最後まで笑みは崩れなかった。この子の力になりたいという思いがより強まったから。そのために必要なのは、具体的な方策だ。

 職員の待つ管理棟へ。探偵は、うつむかずに歩き出した。

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