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― 千彰 ―
帰ろうとしたところで女狐の相手をさせられて、なんとか振り切った時には真琴は帰った後だった。
せっかくだから真琴を食事に誘って落ち着いたところで、プロポーズをしたかったのに。
森崎家に行こうかとも思ったけど、迅さんと司の前でのプロポーズは恥ずかしいから、明日に勝負をかけようと決意を固めて家に戻った。
時間的には早いけどそろそろ休もうかと思った時に、来客を知らせるチャイムがなった。10時30分を過ぎてうちに来るのは、司か昴くらいだろう。昴は新婚で今は一番熱い時期だから、司かと思いインターホンを見たら真琴だった。慌てて玄関に行き鍵を開けた。
ドアの向こうには真琴だけ。真琴に過保護な迅さんと司がこんな時間まで一人で出歩かせていることに驚いた。話があるという真琴を部屋の中に招きいれた。
先にリビングに歩いて行く真琴に違和感を抱く。いつもなら俺より先に部屋の中に入ることはないのに。
と、同時に少し不安を覚えた。もしかして俺は愛想を尽かされたのだろうか。変な意地を張っている、『そんな性格の俺には、もうつき合えない!』とでも、言われてしまうのだろうか。それとも誰か好きな奴が出来たと言われてしまうとか。
悪いことばかり想像してしまい、真琴からの言葉を聞きたくなくて、時間稼ぎをしようとした。それを見透かしたかのように、真琴に腕を掴まれた。
真っ直ぐに俺の目を見て話してくる真琴。最近はお互いに目が合うと逸らしてばかりだったのに。
やはりこれは別離の言葉を言われるのだと思った。真琴の手を外し逃げ出そうとしたら今度は肩を掴まれた。真琴の手から逃れるように後退っていたら、背中に何かが当たった。何かじゃなくて、壁だった。壁際に追い込まれた俺の顔の横に真琴は手をついた。
・・・ってこれ、壁ドンだろ。なんで男が女に壁ドンされなければならないんだ。
真琴の手が動いて俺の左胸に置かれた。真琴の目が潤んでいる気がする。175センチの俺と172センチの真琴。視線が絡み合う。
何とかこの体勢から逃げようと言葉で説得しようとしたら、いきなり唇を塞がれた。
・・・あれ?
別れ話をしに来たんじゃないのか?
真琴が唇を離し俺の目を潤んだ眼差しで見つめてくる。そして言われた言葉。
「好きなの。千彰と初めて会った時からずっと。千彰につき合おうと言われて、とてもうれしかったの。でも、醜態を晒したのが恥ずかしくて、なかったことにしたくて、忘れた振りをしていたの。そのあとも何度もつき合おうって言ってくれたけど、結局はお酒を飲んで醜態を晒すことになって。毎回毎回そんなことになるのだもの。忘れたくなっても仕方がないじゃない。お酒が入らない状態で次の日を迎えたくても、千彰はかならずお酒を飲ませるんだもの。そんなんじゃ素直になれるわけないじゃない」
・・・えーと、つまり、真琴は俺の事が好きだった・・・。
あー!
俺は恥ずかしくて俯いてしまった真琴の肩を掴んだ。
「真琴~! 真琴から初めて好きって言って貰えた~。俺も大好きだよ」
別れ話や愛想を尽かした話でないことに安堵して、真琴のことを抱きしめた。けど真琴はすぐに、俺の胸に手をついて距離をおこうとした。
「真琴?」
「・・・ごめん、限界」
顔を覗き込もうとしたら、真琴は口元を押さえてトイレへと駆け込んでしまったのだった。
◇
しばらくして出て来た真琴は顔色が青かった。洗面所で口を濯ぎ、ソファーにグッタリと倒れ込んでしまった。
俺は水を用意して持っていった。
「真琴、水。飲める」
「ごめん。・・・もう少し・・・後で」
ソファーのひじ掛けに腰かけて真琴の乱れた髪を撫でつけた。
「どんだけ飲んだんだよ」
「・・・一口だけ」
「嘘だろ。いつもはここまでにならないだろ」
「ブランデーを・・・景気付けにって」
真琴のいうことがよくわからない。
「それって司が」
「・・・ううん。朱音ちゃんが」
答えるのもやっとの様子の真琴から離れて、スマホを持つと廊下にでた。そして昴に電話を掛けた。昴は俺から連絡が来るのを分かっていたようにすぐに出たんだ。昴との話は途中で向坂に変わり、今日の会社での真琴の様子を補足してくれた。
昴達との会話を終え、俺は溜め息を吐き出した。本当に自分の迂闊さが嫌になる。女狐の思惑を探るつもりでした事が、大切な女性に心労を掛けていたなんて。
俺は真琴のそばに行くと声を掛けた。
「真琴、動けるか」
「う~ん」
呻きながらも真琴が体を起こした。さっきよりは顔色は悪くない。水を渡したらゴクゴクと飲み干した。
「ここじゃあ寝にくいだろ。ベッドに行こう」
そう言って手を差し出したらパシンと払われた。
「まだ、話が終わってない」
真琴が俺の事を見上げてくる。潤んだ瞳に理性がどこかにいきそうになる。それを何とか縛り付けて、真琴と話す。
「だけど、起きているのも辛いだろ。話しは明日にしよう」
「・・・やだ。それをしたら今までと変わらないもの。今日、話すの」
少し駄々っ子のような言い方。酔っている時の真琴の話し方だ。
「うん、わかった。それならさ、楽な格好になって楽な姿勢で話そうよ」
そう言ったらコクリと真琴は頷いた。そして持ってきた紙袋を指さした。
「あのね、着替えが入っているの」
真琴はニコッと笑いながら言った。紙袋の中身を出したら、本当に着替えが入っていた。ご丁寧にも明日、会社に来ていくスーツやストッキングまである。
「これってどうしたんだ」
「春奈さんが用意してくれたの」
まだニコニコとして話す真琴。
「そうかよかったな。じゃあ移動するか」
真琴を立たせて支えるようにベッドのところまで連れて行く。ベッドに座らせるとルームウェアを渡した。
「じゃあ、ちゃんと着替えるんだぞ」
と、離れようとしたら上着の背中部分を掴まれた。「何すんだ」と振り向いたら、潤んだ瞳で「着替えさせて」と言いやがった。
こっちの気も知らないでと、ムカついた俺は真琴をベッドに押し倒した。
「あんまり聞き分けないと襲うぞ」
「いいよ。千彰になら何をされてもいい」
俺の首に手を回して潤んだ目で見上げる真琴に、理性は吹っ飛んだ。真琴に覆いかぶさると唇を重ねた。何度も角度を替えて口付けていく。
そのあと、何とか理性を総動員して唇を離し、真琴の上から起き上がる。そのまま離れようとしたら、また上着の裾を掴まれた。
「真琴、いい加減に」
しろ! と言いかけて言葉が止まる。真琴の目から涙が溢れていた。真琴の頬に手を当てて伝う涙を指先でそっと拭う。
「なんで・・・何もしないの」
ぽろぽろと涙をこぼす真琴をそっと抱き起して、抱きしめる。
「真琴のことが大切だからだよ」
「うそ。・・・私に魅力がないからでしょ」
また俺は溜め息を吐いた。真琴の背中を撫でながら、言い含めるようにやさしく言った。
「そんなことないってば。本当は今すぐに押し倒したいくらいだよ」
「じゃあ、なんで」
「具合が悪いのに無理やりするって鬼畜なことが出来るか!」
俺の言葉に真琴が見上げてきた。
「それって・・・千彰が悪いじゃない」
「まさしくその通りだから、手を出さないようにいつも我慢してたんだよ」
俺はまたため息交じりにそう言ったのだった。
思わず・・・やっとかよ! と、思ったね。