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◇
昴さんと私は路地の入口に向かった。そこにいたのは春奈さんだった。私はバツが悪くて俯いてしまった。
「とりあえず、うちにいこうか」
私は帰ると言えずに昴さんの家にお邪魔することにした。
「おかえり~、昴君。あれ? 春奈さん? ええっ! まこちゃんも!」
出迎えた朱音ちゃんが驚いた顔をした。でも、すぐに満面の笑顔になった。
「いらっしゃい。どうぞ遠慮せずに上がってね」
リビングに通されて、朱音ちゃんが温かいお茶を出してくれた。
一口飲んでホッと息を吐き出して湯呑を置いたら、私の手を朱音ちゃんが握ってきた。
「まこちゃん、大丈夫だからね」
私の目を真直ぐに見てそう言った。一瞬知るはずがないのに、先程の坂本さんとの事を知っていてそう言われたのかと思った。
「福沢君がまこちゃん以外を選ぶはずはないからね」
その言葉にキョトンとしてしまった。そして朱音ちゃんが言っているのが御園さんとのことだと判り、視線を移して昴さんと春奈さんを見た。二人は目を瞬いていた。二人は今日会社であったことを知らないからこそ、朱音ちゃんが何を言っているのかわからないのだろう。その様子に私は笑いがこみあげてきた。
「ふふっ」
「まこちゃん? 何を笑っているの?」
朱音ちゃんの言葉にもっと笑えてきた。朱音ちゃんも意味がわからないようで、困ったように昴さんと春奈さんのことを見ている。
私はひとしきり笑ったあと、まずは昴さんと春奈さんに会社で千彰と御園さんの仲良さそうにしている姿を見たことを話した。それから、終業時にまた二人を見たことも。それに動揺していたら、坂本さんに食事に連れていかれて告白をされ、強引に迫られたのだと説明をした。
話を聞いた朱音ちゃんが憤慨したように言った。
「もう~。福沢君は何をしているのよ! そんな子よりまこちゃんのほうが大事でしょうに~! それに営業の坂本さん。彼がまこちゃんに気があるのを知っていたはずなのに、そこで隙を見せるなんて!」
「本当ね。これは迅さんに話さないといけないわね」
春奈さんまでそう言ってくれた。私は春奈さんの言葉に慌ててしまった。兄達に言いつけられるのは困るから。
「待ってください、春奈さん。兄さん達には言わないで!」
「どうして。かわいい義妹が危ない目に遭ったのよ。二人に千彰君の不甲斐なさを報告しないと」
春奈さんが怒った眼をしている。迅兄さんとつき合うようになってから本当の妹の様に可愛がって貰っていた。だから本気で千彰のことを怒っているのだろう。
「本当に止めてください。今回は千彰だけが悪いんじゃないんです。私も意地を張り過ぎたと思います」
私の言葉に昴さんが笑った。
「それじゃあ真琴さんはどうするつもりなの?」
「千彰に会います。会って私から告白します」
キッパリと言ったら朱音ちゃんが嬉しそうに笑った。
「昴君、車出してあげて」
「わかった」
二人の言葉に私はまた慌ててしまった。
「えっ。もしかして今から」
「そうだよ。まこちゃんは明日にすると、意地っ張りの虫が出てきて素直になれなくなっちゃうもの」
「そうね。思い立ったが吉日という、ことわざがあるくらいだし」
朱音ちゃんと春奈さんの言葉にウッとなる。付き合いの長い春奈さんだけでなく、朱音ちゃんにまで性格を見透かされていたのかと思うと、恥ずかしくなってきた。
「じゃあ、送って行くから行こうか」
昴さんの言葉に頷いて私は立ち上がったのでした。
◇
来慣れたはずの千彰の部屋の前で私は深呼吸をした。チャイムを鳴らしたらすぐにインターホンから声がした。
『真琴? ちょっと待って』
それからバタバタという音が遠ざかるのが聞こえている。慌てたのかインターホンを切り忘れたようだ。すぐにガチャっという音がしてドアが開いた。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「話があるの」
千彰の目を見てそう言ったら千彰が目を丸くした。それから私が手に持っているものに目を向けてから「どうぞ」と言った。
私は玄関の中に入り靴を脱ぐと、勝手知ったるでリビングに行った。リビングに入ると手に持っていたものを置き、千彰に向き直る。
「本当にどうしたんだ。迅さんや司はここに来たことを知っているのか」
顔を見たとたんにそういう千彰。瞳の中には戸惑いや心配、不安などの感情が揺れて見える。でもその中に、後ろめたさの感情がないことに安堵する。
「大丈夫よ。二人には千彰のところに行くって伝えてあるから」
そう言って一歩千彰に近づいた。千彰はいつもと違う私に戸惑っているようだ。
「とりあえず座ろうか。あっ、何か飲むか」
そう言って踵を返してキッチンに向かおうとしたから、私は千彰の腕を掴んで引き留めた。
「何も要らないわ。それよりも私の話を聞いて欲しいの」
千彰の目を見てそう言ったら千彰の瞳に動揺が走った。
「真琴、と、とにかく落ち着こうか」
自分の腕から私の手を外しながら言う千彰。千彰に掴まれていない方の手で今度は肩を掴んだ。
「私は落ち着いているわ。千彰こそ話を聞いてくれる気はないの」
「そんなことはないんだけど・・・なあ、さっきから体勢が変じゃないか」
会話の間に千彰はまた私の手を外して私から離れるように下がっていったから、今は壁際に追い詰められて顔の両脇に手をつかれている状態になっている。
そう俗にいう、壁ドンを私にされているという状態だ。
私は頭の片隅で冷静にそんなことを考えていた。
目の前には男にしては可愛らしい顔立ちの千彰がいる。だからって男らしくないわけじゃない。見た目より筋肉だってついていて、同じくらいの身長の私を抱き上げることが出来るもの。
私は右手を動かして千彰の左胸に手を当てた。
「千彰が逃げるからでしょ」
「逃げてない! だからこの体勢・・・ウグッ」
私は千彰の唇に自分の唇を重ねた。唇を離し、千彰の目を見つめる。
「好きなの。千彰と初めて会った時からずっと。千彰につき合おうと言われて、とてもうれしかったの。でも、醜態を晒したのが恥ずかしくて、なかったことにしたくて、忘れた振りをしていたの。そのあとも何度もつき合おうって言ってくれたけど、結局はお酒を飲んで醜態を晒すことになって。毎回毎回そんなことになるのだもの。忘れたくなっても仕方がないじゃない。お酒が入らない状態で次の日を迎えたくても、千彰はかならずお酒を飲ませるんだもの。そんなんじゃ素直になれるわけないじゃない」
話しているうちに私はだんだんと俯いてしまった。呆気にとられたような顔で聞いていた千彰は、私の肩を掴んで来た。
「真琴~! 真琴から始めて好きって言って貰えた~。俺も大好きだよ」
千彰は感動したように言って私の事を抱きしめてきたけど、私は千彰の胸に手を当てて抱擁から逃げ出そうとした。
「真琴?」
「・・・ごめん、限界」
私は一言そういうとトイレへと駆け込んだのでした。