第7話
『ここを通させやしないわよ。』
人形にとってシザンクルスの存在は脅威だった。
その炎は聖炎と呼ばれ天に召された神の炎で、人形にとって恐るべきものだった。
ただでさえ炎との相性が悪い人形にとって、シザンクルスは足元にも及べない存在だったのだ。
「シザン・・クルス。」
「どうします?」
「・・天炎の白虎・・・相手になれませんって・・!」
人形の先頭を切って飛んできた者が急に体を強張らせた。
いくら『守』の位にある人形といえど、シザンクルスの相手は厳しい。
『どうするの?』
「・・ッち。いいわ、行くのよ!!」
そういったのは、白い花びらを散らす人形だった。
その姿はもう大人で、目を惹く美しさをもつ人形だった。
大人の人形の方が多い。それは現実的に当たり前のことだった。
生きることに疲れ、堕落するのは希望を失いやすい大人ばかり。逆に子供の人形のほうが珍しいのだ。
生まれる時に神は人に希望を与える。生きることに希望を抱けるようにと。
しかしその希望が薄れた瞬間、人は堕落し、恨みや憎しみだけを抱く人間、そして自ら死を望む人間が人形と化すのだ。
「《 野薔薇の接続曲 》!!」
「《 雛罌粟の前奏曲 》。」
人形がそう声を上げると、その手からは刺すように蔓が伸びシザンクルスを捕らえようと試みる。
そしてその間を縫って小さな火の粉のような光が地上目掛けて飛んでいく。
シザンクルスに伸びた蔓は聖なる炎によってシザンクルスに触れることすらできない。
シザンクルスは地上へと飛ばされた小さな炎を一息吸って、自らに取り込んだ。
『言ったでしょう。ここは通さない、と。』
「・・っ・・!《 紫陽花の円舞曲》!」
蔓は燃やし切られ、無理に突破しようとする人形達はみなシザンクルスの炎に焼け落ちた。
シザンクルスが突っ込んでいく人形に気を取られた一瞬だった。
紫陽花の小さな花の花びらが輪を描いてシザンクルスを囲った。
シザンクルスはその一瞬に後悔を巡らせる。
『・・紫陽花、ね。』
シザンクルスは炎を司る神。そのため水の精霊がつく紫陽花を嫌っていた。
何の問題もない花びらは、シザンクルスの纏う炎にとって、好ましいものではなかった。
火の粉が効く相手ではなく、力は確かに少しずつ奪われていく。
「今よ。お行き!」
振りほどくのに必要なのは力ではなく、間合いだった。
紫陽花を解くために力を使えば、今シザンクルスの周りにあるもの全てが焼ける可能性があった。
そしてその『全て』の中にはもちろん、自分の従う主ライズが含まれてしまうことが大きな問題だったのだ。
力を奪いながら近づいてくる紫陽花の花びらに、シザンクルスは身動きすらとれず力を放つこともできなかった。
『・・ただの人形が。』
「どうしたの、シザンクルス。貴女が炎を放つ事を怯えるなんて、天炎の白虎の名が泣くわ!」
『戯言を・・。』
炎が捕らえられた瞬間、空から地へと人形が一気に降り注いだ。
「《 水仙の狂詩曲 》!!」
「《 酔芙蓉の小夜曲 》!」
人形達は口々に呪文を唱えると、葉の剣をライズに向けて飛ばし、地に生えた芝生でライズの足を縛り動きを封じた。
葉といえど掠るだけでライズの肌は切れそこから血も流れている。
鋏を構えるとその剣は高い金属音を上げて鋏に弾かれた。ライズはその鋏で草をなぎ払い、地を駆けた。
しかし地に生えた草はその足を糸も簡単に捕らえた。
「ちッ・・っ。」
何もない場所を選んでおくべきだった、とライズは後悔した。
しかしその瞬間に他の人形が動かぬライズ目掛けて炎やら剣やらを飛ばしてくる。
ライズが今まで戦ったのは皆『霜』まで堕ちた人形。そして、一人だけ『守』の位の人形。
それ以外は存在を感じるとすぐにその場から離れた。ライズはそれほど、無駄な争いを避けていたのだ。
しかしそれが仇となったのかもしれない。
大きな剣がライズの足に刃を剥いた。
鈍い音と風の音が混じり、その風には濃い血の匂いが混じった。
「しまっ・・」
「・・あぁ、ヴェスタの血だ・・。」
「ヴェスタ家の血の匂い・・」
「純血で・・濁りのない・・血だ。」
地上に降り立つ人形達が、足を崩して座り込んだライズにじわじわと近寄る。
右に刺さった剣が与える痛みによって、ライズは立ち上がることさえできなかった。
「・・くっ・・・」
それでも立ち上がろうとした時、フワリとその痛みが消え体が浮くような感覚がライズを襲った。
しかしそれは現実としてそこにあった。ライズは体を宙に浮かせていたのだ。
「な・・?」
ゆっくりと眼を開きライズがそっと手をついている物をみた。
それは小さな赤い花びらが織り成した、真っ赤な絨毯だった。
「それでもヴェスタの当主か。」
そしてその闇に舞う赤い薔薇の花びらを纏ってそこに現れたのは、ライズの見覚えのある少女だった。
生命と糸で繋がれたライズを襲う人形と同じ、人形。
「薔薇の歌姫・・・。」
「・・・人形師のくせに、シザンクルスまであのざまとは。」
「ヴェスタの血の匂いだねっ。」
「甘い香り。」
赤い瞳の少女の隣には色の白い少女が可愛く微笑んでいた。
「なッ・・赤薔薇!?お前!!」
「人形のくせに!何している!!」
「白百合まで・・!!!」
人形達はそれ以外何もいえなかった。
赤い花びらはライズの傷ついた右足を癒すように溶け込む。
その一瞬の熱に小さな痛みを覚えながら、ライズは二人を見上げた。
「この間の借りを返しに来ただけよ。」
呆気に取られる人形達。いや人形達だけでなく、ライズとシザンクルスも口を小さく開いていた。
その時を狙ったのか、赤薔薇の手からシュルッと素早く棘が伸びるとそこにいる人形達を大きく縛り上げた。
「《 薔薇の夜想曲 》」
そしてその棘が捕らえた人形に呪文を唱えると人形達を赤い花びらが囲い渦を巻く。
その渦が晴れたとき、そこにいた人形達は皆目を閉じてスヤスヤと眠りについていた。
「・・どうして・・人形の貴女が・・人形師を・・ッ!」
「言っただろう。私は借りを返しに来ただけ。お前に恨みが在るわけでも、こいつに情を持ったわけでもない。」
「・・そんなの・・ッ、」
ありえない話だった。人形が人形師の手助けをするなんて。
しかしこの少女は普通の人形とは少し違っていたのだ。隣にいる白百合も同じ。
人間を恨み憎しみ堕落した人間がほとんどの人形だ。しかし少女達は違った。
恨んだのは自分、憎んだのも自分、そう。彼女達が人形へと堕落した理由、それは自らの死を望んだ事にあったのだ。
「間違いでもかまわない。私は私の信じることをするだけ。」
しかし死ぬ事はできなかった。
その代わりとして与えられたのは、時を刻まない人形と言う存在場所だけだった。
それでも少女達は死ぬ事もできず、その存在場所でただ死を待ち望んでいただけだったのかもしれない。