第6話
ヒラリヒラリと赤い薔薇が舞った夜、人形達は動き出した。
そして2体の人形も。
「ライズ様。」
首をきつく絞めていたネクタイを緩め部屋にあるベッドに腰を下ろしたとき
扉の向こうからライズを呼ぶ焦った声が部屋に響いた。
「何?」
シュルとネクタイは外され、首がようやく開放されたライズは目を閉じてため息交じりに言った。
しかしその声はそんなライズに悠長に答えていられるほど余裕なさげに答えた。
「街で『霜』のレベルの人形が、人を喰らっているようです。」
『霜』とは人形の中でも最も低い位を意味する。もともと人形とは人間が堕落した生き物。
そしてその人形が『守』から『央』へと降りていく。
そして人形が『央』から『霜』へと降りきった時、人形は自我を失い、ただ人を恨み、喰らうようになる。
そうなってしまった人形の生命の糸を切るのが、人形師の仕事であった。
「そう。・・誰か行くでしょ。」
「そうなのですが・・・。」
「『L』はまだ誰も帰ってないから、遣いは出せない。それに俺は、ここを離れられない。」
ドサッとベッドに倒れこむと、ギシッと軋んだ音がした。
それ以外なんの音もしない。そしてそのベッドを薄っすらと照らす光を放つ、大きな窓の向こうには闇が広がり始めている。
「・・人形は全部で八体。街を囲むようにして人を喰らっています。」
「八体・・?」
そんな数の人形が一気に人を喰らい始めるなんて、確かに可笑しな話だった。
だからこそ、その知らせがライズにまで届いたのだ。
「どうして八体も・・。」
最近は人を喰らう人形が増えている。とは言っても、多くて一日二体だ。
今日だってすでに一体、ライズの元に報告が上がってきていた。それなのに今、街で八体が同時に人を喰らっているのだ。
「・・・会場に万全の警戒態勢をしいて。」
「はい。」
暗くなった部屋でライズは重い服を脱ぎ捨てると、動きやすいスーツに着替えた。
そしてその腰には小さな碧の球を紐に通してくくりつける。
「それから、中庭の出入りを禁止して。」
「はい。」
「ニックとサラはいつ戻る?」
扉の向こうと会話を投げ合う。二つの声は無駄なく行きかっている。
「あと2時間くらいかと。」
「そう。街の端の人形にかまわずにこっちに来るように伝えて。」
「はい。」
「もういい、下がって。」
「はい。」
着替え終えたライズが扉を開いたとき、もうその姿はなかった。
ライズは『流石お爺様に選ばれた遣いなだけはある。』と思いながら袖のボタンを止め歩き出した。
向かう場所は閉鎖された会場ではなく、人がいなくなった中庭。
八体もの人形が暴れだした街では、街に潜むようにして暮らしている一般の人形師が奮闘していた。
「君達。」
ライズは中庭に人がいないことを確認し、中庭を封鎖していた男達に声をかける。
「はい。」
「もういいよ。ここから離れてて。あぁ、ここ、誰も来ないようにしてね。」
「分かりました。おい。」
「はい。」
男達は相槌を打つとその場所から離れた。
それを確認したライズはゆっくりと中庭への扉を開き、緑の芝生を踏んだ。
空はすっかり闇に染まっていた。
『ライズ。』
その暗がりを一つの声と光が照らした。
「シザンクルス。どこに行ってたんだ?存在さえ感じなかったけど。」
優しい声が少し笑いながら質問した。
そんな声にシザンクルスは、ライズを優しく囲いながら回り答えた。
『あら、気づいてたの?ちょっと上に戻ってたの。』
「天に?」
『天は今期、太陽の力から精霊を取り出せなかったとか、なんとか・・。それで天炎の私がが呼ばれたってわけ。』
「色々大変だね、炎の神も。」
芝生がシザンクルスを囲む炎に少し焦げた匂いを放つ。
しかし聖炎であるシザンクルスの炎が、この地上に根をはった芝生と合うわけもなく直ぐに消える。
この地の物を餌として燃えることはできないのだ。
『そうね。でも・・・』
笑うような声を上げてライズがそういうと、シザンクルスは声を濁すようにして言った。
『こっちほど、大変な事にはなってなかったわ。』
風から漂う匂いに、シザンクルスは何が起こっているのか直ぐに予想をつけた。
そしてその予想は予感となり、予感はもちろん的中ということを前提に進んでいた。
ライズはそんなシザンクルスに、まぁねと答えて笑って見せた。
「街の周りで動いた人形は、俺の目を反らせる罠だ。そっちに気を取られてる俺を、人形達がきっと直接狙ってくる。」
『まぁ、そんなところだとは思っていたけど。』
「俺はそこまで愚かじゃない。」
それくらいの罠に気づけない者が、椅子に腰をかけられるはずがない。
ライズはそんなふうに思いながら、隣で心配そうな顔をしたシザンクルスをそっと撫でた。
『けれど貴方は愚かよ。』
「そう?」
『・・結局同じでしょう。こうして自ら一人の場所をつくるなんて。』
ライズは、渇いた声で笑った。
それから静かに空を見上げてポツリと呟くように言葉を放つ。
「同じじゃないよ。俺以外の被害はでない。警戒態勢整えたからね。」
『所詮貴方は人間ね。・・貴族にも人形師にもなりきれない、愚かな人間。』
哀しげな声でそう言うと、シザンクルスは頭をもたげた。
そんなシザンクルスにライズは『そうだね』と優しく言った。
その言葉にシザンクルスは少しの怒りを見せて、炎を黄色から赤へと変えた。
『私が戻らなかったらどうするつもりだったの。』
シザンクルスは怒りっぽい性格だった。
そして彼女が怒りを見せるのはいつも、彼女の主ライズばかりだった。
「さぁ?」
シザンクルスの炎の赤みが増した。ライズはそれを見てまた軽く笑う。
「・・今日は数が多いね。」
空の端に翼もない人間の姿をした者達が映った。
『私とライズなら、平気よ。』
何十という数の人形が空からライズの姿を見つけ、眼の色を変えて空を駆けた。
ライズはそっと腰に触れると、碧の球に力を注ぐ。
「久々だ。」
碧の淡い光がほのかに辺りを照らすと、ライズの手には人形師の鋏が握られていた。
大きな大きな鋏。それはただの鋏ではなく、人形の生命の糸を切れる人形師の鋏。
『もう二度と握らなければいいのに。』
シザンクルスは短い願望を込めた言葉だけ言うと、地をけり空へと昇った。
向かい来る人形を待ち構えるように堂々と。
黄色の光が闇に染められた夜の風を照らし、赤の光がその空を焦がした。
そうして夜は始まった。