第22話
青き空に紫の桔梗の花びらが散った。
その花びらが落ちたのは、闇の深い夜にヴェスタ家新当主となったライズが血を流した中庭だった。
綺麗に整えられた木や芝生は、朝与えられた水によってきらきらと輝きを見せている。
風が吹けば葉の音を立て、花びらが落ちれば音もなく受け止める。
そんな中庭に女は言葉を落とした。
「まぁ、綺麗だこと。」
その言葉を聞くものは誰もいない。彼女はそれを知っていて、そう零したのだから。
そして彼女は目的を果たすため、そこを離れた。
風に流れるように漂い、ガラス張りの屋敷を眺めて回る。
しかしヴェスタ家本低であるその場所が、人形の一人も見つけられないはずがないのだ。
「いたぞ!」
「あんなところに!!」
花の香りに敏感なものばかりが集められて、その警備はこの世界でも最も高いといってもいいほど整えられていた。
鋏を握る人形師ばかりが警備を勤めているのだ。それはまず、ありえないことでもあった。
人形師とはもともと普通の人間とは違う、選ばれし者で鋏を持つにふさわしい者なのだ。
そんな者達をただの城外警備に当てるなど、他ならないこと。
しかしここの警備員たちはみな、ヴェスタ家の警備員であることに誇りさえ持っていた。
「群れるわね、人形師の端くれが。」
桔梗の花びらを散らすその人形は面倒くさそうに言った。
地上から浮き上がる彼女が発した言葉など、人形師たちには聞こえるはずもない。
ただ、何かを発したということだけは理解できた。
その時点で、人形師たちは鋏を取り出し、刃を空へとかざした。
しかしそれを見たところで、人形は薄く笑うだけで特に何をするでもなく辺りを見渡した。
「本当に広いお屋敷。探し物をするのが大変だわ。」
「お前みたいな守の位の人形がこんな昼間に、たった一人で何をしにきた!」
人形師の男が大声を上げ、空へと叫んだ。
「そうね。」
しかし人形は小さく呟き、ため息をつくと空を見上げて風に囁いた。
「尋ね人を求めて、といったところかしらね。」
闇の中でゆれた赤いローブを纏う幼き人形師。その姿は人形師たちの中にはなかった。
その姿を脳裏に浮かべ、人形は下に集まる人形師たちを睨んだ。
「こやつらよりは、高位か。」
なら用はない、そう思いさっさと片付けようと手を伸ばすと、鋏が三つ狙いを定めて投げられた。
しかしその瞬間、何かが彼女の視界を奪った。
視界を塞ぐほど大量の赤と白の花びらと、それに混ざる緑の葉。
「何だい?」
その壁を作り出している方向を見上げた桔梗の人形の目に、真っ白なドレスと真っ赤なドレスを纏った人形が映った。
そこらいったいに薔薇と白百合の香りが漂う。冷たい紅の目と穏やかな青い目がじっと桔梗を見つめた。
攻撃するわけでも守るわけでもなく、ただ地上の人形師との間に壁をつくる。
「ロージィー!」
すると遠くからその少女達のどちらかを呼ぶ声がした。その声に振り返ったのは、真っ赤なドレスを着た少女。
白いドレスを纏う少女はその間も、桔梗から目を逸らすことなく見つめていた。
「その名で呼ばないで。」
「名前がないと不便だ!それより、その人・・!」
「どうする、この家の長。私達は主の命令なら、何でもするよ。」
赤いドレスが風になびき、そんな事に構う様子も見せずに少女は言った。
『何でも』その言葉にライズは足を止め、自分の行為の愚かさに少し悔やみを見せた。
「俺は。」
ライズが何かを言いかけた瞬間、ライズの立っている廊下の端から大声が響き窓を突き抜けた。
その声に、それまでリリィを見つめ返しているだけだった桔梗の目が反れた。
「ライズ様!お待ちくださいっ!!」
幼い声がライズの口を封じ、目を奪った。
その少年はライズの元へと必死で走りながら、窓の向こうで起こっていることを呑み込もうと目を配らせていた。
そしてそこに舞う一人の女を見て、あまりの驚きに転びそうになった。
それでも彼は走り、ライズの元までたどり着くと、荒い息を吐き整えながらに言った。
「お待ちっ、・・ください!!」
「ニック。どうしたんだい?」
「はぁ・・。誠にご迷惑を・・おかけしてっ・・申し、訳ございませ・・ん・・。」
その容姿にはまったく似合わない言葉遣いで、ニックは丁寧に頭を下げた。
真剣な目を除くと息は荒く、まるで鬼ごっこをした後のようだった。それでも彼は言葉を続けた。
「あ・・っの。はぁっ。・・・あの人形はきっと、俺に用が。」
肩を揺らし息を整え、真紅のカーペットが敷かれたその廊下を見つめていた目をあげた。
ライズがその言葉に少し驚きを感じ、優しく少年の頭を撫でる。
そうしている間も、赤薔薇とリリィは必死に人形師から飛ぶ鋏を食い止めていた。
「そっか。」
ライズはそういって微笑むと、窓の外で地上に立ち戦う人形師たちに声を上げた。
「静まれ。」
低く唸るようなその声に、刃を向けていた人形師たちは動くのをやめた。
「そこにいる紫の姫を傷つけてくれるな。」
「ライズ?」
「・・人形師。」
リリィと赤薔薇はスッと手を下ろし、人形師たちのようにライズをジッと見つめた。
「そこの紫の方、今日はこの子に用があってお越しくださったのでは?」
ライズの丁寧な言葉に紫の方と呼ばれた女は、静かにその少年を見た。
見間違えるはずもない、その幼い容姿に、全くに合わない鋏玉を腰につけ、赤いローブを羽織る少年。
その少年の姿に桔梗は2,3枚花を風に遊ばせた。
ニックもその桔梗の姿を見ると、笑顔をパッと零した。
「もうよい、下がれ。リリィとロージィーも・・頼むから、そう・・争おうとしないでくれ。」
硬いライズの言葉に警備員達はしぶしぶ鋏を片付けて、元の配置へと戻っていく。
その言葉の最後が緩く悲しみに満ちたのを聞いたものは、赤薔薇とリリィ、それから桔梗とニックだけだった。
赤いドレスを纏った少女はロージィーと呼ばれ、鋭くライズを射るように見て言った。
「その名で呼ぶな。」
「ロージィー。」
「黙れ。」
そう言いながらもライズがいる廊下と繋がったテラスへとそっと舞い降りると、静かにライズの元へと歩いた。
その舞い降りる様子にライズは言葉を失いただ見つめている。
ニックはそれをみて、気を緩めると外にいる人形の様子をそっと伺った。
「はぁ。」
「・・・あぁ、ニック。お客は大切に扱うんだよ、俺は部屋に戻るから。」
「すいません。決して迷惑はかけません!!」
ニックのその必死な言葉にライズは笑うとそっと窓の外を指差し、言った。
「すでに中庭が大荒れだ。」
「すいません。」
「ふっ、それじゃあね。」
笑って言われたその言葉に、ニックも頬を緩ませた。
ライズはそんなニックを見るとサッと視線を逸らして、
自分の下へと歩いてくる二人の少女のところへと歩いていった。
「桔梗の女。」
「人形師の子。」
「ニックだ、俺はニック。」
「あれが主か、若いな。ヴェスタの新たな当主とは彼のこと?」
「あぁ、ライズ・ヴェスタ様。まだ十八さ。」
ガラス越しに会話が交わされる。言葉が向かう先に、自分とは違う生き物がいる。
桔梗の人形は一瞬そう感じ、すぐにその不思議な感覚を失って笑った。
「どうした?」
「・・いいえ、なんでもないわ。」
「何かおかしいか。」
おかしい、そんなものじゃない。桔梗は何を言うわけでもなくニックを見つめた。
この状況全てがおかしいのだから。
人形に敬語を使う人形師界のトップに立つ男、人形師に仕える人形、人形と笑いあう幼き人形師。
むしろこの状況の何がおかしくないのだと言いたげな顔をして見せた。
「えぇ」
愉快だ。
「今日はわざわざ何をしに?」
あの日、人形を救った人形師の顔をしっかりと確かめるために。
そしてあの夢のような日が、現実であったことを確かめるために。
「ただの気晴らしよ。」
笑われて不愉快な顔をする少年を見て、桔梗は愉快だと笑う。
ガラスを境にしばらく二人は見つめあい、笑ったといえるかどうか分からない程度に笑いあった。
風が吹きガラスを開いたニックに、桔梗が言った。
「桔梗は好き?」
「花か?」
「えぇ、桔梗の花よ。」
「別に、普通だけど?」
ニックは大きな窓を開きその風を迎え入れると同時に、微かに薔薇と白百合の香りを鼻の奥に感じた。
しかしその香りはたった一瞬のことで、
ただでさえ消えそうなほど微かな香りの上に強く匂いを放つものが差し出された。
濃く鮮やかに美しく紫に染まる、桔梗の花束。
「これは?」
「部屋にでもお飾りなさい、坊や。」
「何。もしかして・・・」
「この間のお礼よ。」
爽やかにあたかも当たり前であるかのように、彼女はそういうとどっさりと桔梗の花を廊下に入れた。
お礼。そんなもの人形から人形師へと贈られるものではなかった。
ライズもニックも人形とまるで当たり前であるかのように笑いあう。
しかしそれがどれほどまでに考えられないことなのか、この屋敷の常は世界の常とは変わり始めているのだ。
「いい匂いだな。」
言葉を投げた先にいるのが、人形であることなんてあってはならないほどにありえないこと。
人形に向けて投げるものは鋏であって、決して会話へと繋ぐ言葉ではない。
そんな世界の常は、この屋敷では捩れ歪み始める。
この屋敷の常を作り出す、新たな当主によって少しずつ。
「また、どこかで。」
「・・ああ、桔梗。」
桔梗とニックはそういって、その場で別れた。
二人はそれを少しずつ感じていた。変わり始めている、小さな何か。
「本当に、いい香りだな。」
山のように積まれた紫の花に、ニックは笑いかけた。
いつかこの世界の常でさえ変えてしまえるように、その花に小さな願いを託して。




