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イリスの杖  作者: プレオネ
第一章
6/15

終わりと始まり



「.........なんだよ、」


三人はただただ呆然と見ていた。何もできなかった。できたとしてもきっと身体が動かなかった。


「ヒドラ......不死の多頭竜.........」


少年は思い出していた。自分には到底勝てない、力の差がありすぎる相手に出会った時のどうしようもない感覚。逃げられない、逃げられるわけがない、身体が動くことすら放棄してしまった堕ちた先。


少年は急いで辺りを見回した。ギルド長達は助けようとしないだろう。彼らは決して他のギルドに干渉しようとしない。それがルールであり、生き物としての掟だからだ。


ーーだけど......だけど!!


自分では助けることなどできない。それどころかコロシアムに張られた結界すら壊すことはできない。


だったらすることはただ一つだった。


ーーきっとどこかに......。


見たことがある。真っ黒なフードを被った長身で痩せ型の男。どこかに...どこかに.........。










怪物はニタリ、と笑う。


ゲッゲッゲッゲッゲ、と声をあげ、口から細い細い管を出す。


そしてそれを伸ばし、少女の首筋に突き刺した。




「...............え?」



少女は目を開いた。まるで何事もなかったような、キョトンとした目で。


眠気が消える。意識が目覚める。鮮明に、強制的に情報が脳に送られる。朦朧とした意識にかかった靄が取り払われ、意識がクリアになる。

それは同時に、痛みでさえも鮮明になる。


だがそれでさえ押し潰された。圧倒的な恐怖と比類ない力に。


「違う.........」


少女は自分が正気に戻ってくれと願う。


「嫌だ嫌だ嫌だ!!こんなの嘘だ!嘘だぁ!お願い覚めて!!早く覚めてよう!!お願いだから......」


一種の防衛策だった。本能的に、無意識的に恐怖による精神崩壊を免れるための、快楽物質で身体を騙すための手段。現実逃避、気絶、錯乱。だがそれはヒドラの注射で一瞬で叩き潰された。それどころか、産まれてから一度も体験したことがないほど意識はハッキリと敏感で鋭利な状態に押し上げられた。


少女は悲鳴をあげた。


怪物は笑った。


まるでそれこそが糧であるかのように。











「ありゃぁヒドラなんかじゃねえ」


コロシアムの観客席。誰からも認識されない黒いフードに身を包んだ青年は、土煙を上げる惨状をじっと見ていた。


「......わかっている。それより周囲に気を配れ」


フードの男は魔法で強化した二つの眼球でどうにかして見つけようとしていた。

少女を助けないのもそのため。少女には相手の目を引き、尚且つ釣り上げるための餌になってもらわなくてはいけないのだ。




その事は了解していた。バジルもミクルンも。虎穴に入らずんば虎子を得ず。危険を冒さないと得られないものは山ほどある。


これさえ。これさえなんとか耐え抜いてくれればいいのだ。そうすればきっと、脅威のない未来が待っている。きっとそうだ、と思って。青年はそのがんじがらめな心に蓋を閉じる。




「おい!!そこのやつ!!」


あまりにも自分に向かって伸びた声だった。しかし、青年は誰の目にも認識されないはず。だからきっと違う人間への......


「ルーク!!」


横からバジルが叫んだ。


ルークが振り返った先には、少年の拳があった。


乾いた音と共にフードの男は後ずさる。


ーーこいつ......見えて.........。あいつと同じか。


少年は近づき胸倉を掴みあげる。


「てめぇ!!なんで助けねえんだよ!」


少年は必死で叫ぶ。


「お前はあいつのギルド長だろうが!お前なら助けれるだろうが!!早くしろよ!ホノカが死んじまうだろうが!」


だが、唾を飛ばしながらいくら言っても青年は眉ひとつ動かさない。


「それはこちらが決めることだ。あいつは自ら進んで、お優しい剣士ギルドなら丁寧にルールを教えたろう。それを承知であいつは出場したんだ。何かトラブルを起こしたのはお前らなのだから、お前らがなんとかすればいい」


フードの青年は、そうできない理由を承知で言い放つ。

そしてそれが、力の無いものには誰かを助けることはできない、と少年に暗に突きつけていた。


少年は歯を食いしばり、掴んだ手を震わせる。


気の毒だと思った。だけどこれが現実なのだ。


「......もうすぐだ。もうすぐで終わる。あいつの未来の為には今この瞬間が必要なんだ」


ルークは、話は終わりだとばかりにその手を解く。意外だったが、あっさりと少年は離した。


「......すまない」


「.........謝ってんじゃねえよ」


すると少年は、まるで地の奥底から湧き上がるような声を出す。


「てめえが謝るべきはあいつだ!見てみろよ!あいつを!未来だとかなんだとかのお前が夢見るあいつじゃねえ!今のあいつを見てみろよ!」


そして少年は再びつかみかかり、強引にコロシアムの方を向けさせる。


「いい加減にあいつの顔をみろ!」


そうして少年はフードを引き剥がす。



真っ白、いや白銀色の髪が現れる。そして青年のその二つの両目が、今の少女を捉える。


少女は立っていた。ただ立っているだけだった。青年にはわかる。ただ開き直って立っているだけだということが。青年にはわかる。それがどれだけ生きるということに執着しているかが。


「今のあいつを救えるのは、お前だけなんだよ」


気づけば少年は涙を流していた。


「頼むよ......。」


少年は額を地面にこすりつけた。


「頼む.........」





青年は少女のためを思っていた。


だが、それとは裏腹に、誰もが思うであろうが、少女の苦しむ姿を見たくなかった。彼にはわからなかった。なぜこの世界の人間はあそこまで他人に無関心でいられるのだろうかと。同じ人間、同じ土地で生まれた人間であるはずなのに、なぜ助けようとしないのか。青年にはわからなかった。わからないから答えなんて出るはずがない。



「はっ......」


少し笑った。同時にさっきまでの自分を殺したくなった。何を勘違いしているのか、と。青年は持っていないのだ。未来を救う能力など。






青年は再びフードを被った。


「バジル。行くぞ」


「良いのかよ。そんな中途半端なことじゃあ、ホノカの苦しみも未来も、お前の目的でさえ遠のくぜ」


だが言葉とは裏腹に意気揚々としていた。


「.........いや、もう慣れた。その中途半端さのお陰で俺は今ここにいるからな。最後までお前に付き合ってやるぜ」


バジルは頷き、青年は片手を突き出した。


「我が身を纏え、バジドゥルース」


するとバジルは細かい光の粒子となり、フードの中に入っていった。


一見して何も変化がないように見えた。だが恐らく、熟練の魔導師が見れば、腰を抜かすだろう。


唯一変わったところといえば、頰に黄色い痣ができたところだけだ。


「まずはこの邪魔な結界からだな。行くぜルーク」


「ああ」


青年は両掌を結界に向け、魔法省略と詠唱破棄を同時に行う。


「グロース・マキシマム、チェイン7」


7つの黄色い魔方陣が縦に並んで現れる。一つ一つがあまりにも複雑で難解な式で構成されている。


そして片手で、


「ライトニング・ボルト」



それは雷撃魔法初級。ホノカでさえ使える魔法。だが、最初は良くて真空管での放電程度だったそれが、魔方陣を通過するたびに増幅され、遂には、極太のまさに雷撃へと変貌する。


そしてそれは、激しい音と熱を発しながら結界に激突し、爆発。



そこには大きな穴がポッカリと開いていた。



ルークは観客席から飛び出し、その穴を通る。


「コール。チェイン2」


空中で円を書いたかと思うと、そこから緑色に反射する何かが現れる。


「ちょ!いきなりでしかも空中?!ルーク一体...」


「黙っていろ。我が身を纏え、ミーフェクルルギス」


その瞬間、ミクルンは光の粒子となってルークを包み込む。今度はその頰には、緑色の痣ができていた。



怪物は気づく。突如として現れた桁外れの魔力に。自らの生命を脅かす存在に。


怪物は雄叫びを上げ、二つの首を伸ばし、牙を立てようとする。


「ディフェンド・ウォール、チェイン5」


巨大な土壁が現れ、それが5つの魔法陣の中を通される。するとみるみる硬く硬質になっていき、鋼よりも屈強な磐石の盾となる。


怪物はそれに食いつくが、金属音と共に真黄色なザラザラの骨が地面に折れる。


怪物の歯がへし折れた。



刀を抜き、もう一つの頭を斬りつける。大きく開かれた上顎を、口の中側から払うように斬り払うと、赤紫色の体液を吹き上げながら鼻先が地面に落ちた。


刀には一切の返り血を浴びていない。



そのまま地面に降り立つと、急いでホノカの元へと駆け寄り、抱き締めた。


ホノカの意識を失いかけた血塗れの頭を胸に押し付ける。


「リ・ジェネレーション・グロース・マキシマム、チェインインフィニティ」


「は?ちょ、ちょっとルーク!それは!!」


ミクルンが慌てて制止しようとするが、もう遅かった。


少女の身体は淡い淡い赤色に包まれる。血の色。人間の命の色だ。


傷が塞がっていく。青年の長い指を少女の汚れのついた髪に通せば、白銀色に輝き始める。



ルークはそのまま地面にそっと少女を寝かした。



「我が身を纏え、バジドゥルース」


再び頰に黄色い痣ができる。


「さあ!久しぶりに本気だぜ!」


「ちょっとキモ蛇。あんまり無茶はダメよ。さっきの魔法はものスゴく魔力を失うんだから」


「わーてるっての。ちゃんと効率的なのを選ぶっての」


「......準備はいいか?」



青年は刀を鞘に戻し、手のひらを怪物に向ける。


「ありゃ確かにヒドラじゃねえが、性質はヒドラそのもんだ。つーことは頭を潰してもいくらでも再生する」


言う通り、青年が斬りつけた頭は既に元に戻っていた。


「なら、やることは一つだ」


ルークは少しだけ上がった息を整える。魔力を練り上げていく。


「さあ行くぜ!光属性最上級魔法!!」


ルークの手の中に魔法陣が浮かぶ。黄金に輝く1枚の丸い板のように思えた。それだけ隙間なくビッチリと極小の魔法式が描かれている。



「ホーリー・レイ・レイン」


一瞬、何も起こらなかったように見えた。青年の両手にあった光り輝く塊は宙に上がって見えなくなってしまった。


怪物は笑う。馬鹿にしたような嘲笑と安堵の笑みを。しかし、


「おいこらヒドラに似たやつ。一つだけ教えてやろうじゃねえか」


怪物は首を伸ばし、一斉に襲いかかってくる。


「笑いてえのはこっちだよ!。上をみろ!このマヌケ!!」



その言葉がヒドラの耳に届くより速く、ヒドラの目に一線の光跡が残る。


太陽、いや違う。


怪物は上を見上げた。その瞬間、眩い光を見ると、眼球が光に貫かれる。


怪物は叫ぼうとした。しかしそれすら叶わなかった。光は既に怪物の口も喉も気管も、肺でさえも全てを貫いていたから。

それはあまりにも微細な光線だった。細く鋭い超高密度エネルギーが無慈悲に無差別に、それ一つだけでも半径20メートルは軽く吹き飛ばすほどの純粋なエネルギーの塊が怪物の細胞組織を1ミリの隙間もなく破壊していく。



怪物はもがくことも苦しむことも許されず、ただ身体が分解され、消失していくのだけを感じながら、消えていった。








「これは.........」


ルークはそれを見下ろした。裸の小さな、青い髪を乱して倒れる女性を。




「なーるほど。こりゃまた可哀想に。見てみろよルーク。そいつの胸部を」


それの胸には、まるで生きているかのように、水の精霊の身体とはとても思えない、灰色とドス黒いヘドロ色でできた、ビクビクと脈打つ肉塊があった。


ルークはそれを刀でつこうとした。しかしバジルがそれを制止する。



「やめとけ。それよりもこの哀れな精霊ごと完全に消失させた方が良い。こいつは......俺たちせーー」


「ルークさん!!」


声が響いた。さっきまで倒れていた少女の声だった。


「お願い......します。待ってください!」


少女は息を切らしながら叫ぶ。


ルークは驚いていた。少女の身体は確かに全快した。多分そうなる前よりも身軽に感じるほどに。しかしあの魔法は精神までは回復することはできない。


あんなことがあれば正気を失うということも覚悟の上だった。


ーーこれもこいつらだから.........いや、それだけじゃないんだろうが.........。



「あの......その子......どうする......?」


「殺すに決まってるだろ。正確には消滅させる。こんな状態で放っておくのも酷ってもんだ」


そうバジルが言うと少女は打ちのめされたような表情になる。


「.........どうしたい?お前は」


「ルーク!」


青年は再び上がってきた息を押し殺しながら尋ねる。



「私は......私はその子を.........」


助ける?そんなことしていいの?さっきは確かに助けようとした。でもそれは......今になって本当にこれが良い選択かわからない。

あの檻にいた他の生き物はどうなる?この子だけ助けていいの?だって私はただの.........。


「偽善、か?なら俺がお前を助けたのも、お前をこうして回復させたのも偽善か?」


「それは......」


そんなはずない。だって私は、私には、あなたに意見する資格なんてないんだから。あなたがいてくれなければ私は...。


「......偽善でも良いのなら......助けて欲しいです」


少女は考えた末に言葉を選びながら呟いた。ルークは少女をじっと見つめ、目をそらした。


ルークは刀をその肉塊に突き刺す。


「バジル、精霊内に存在する異物を探知しろ。細胞レベルでだ」


「...っち、ぶっ倒れても知らねえからな」


刀が光り始める。

一雫の汗がルークの顎から落ちる。我慢できず肩を大きく揺らしながら息を早く大きく吸い込む。


「ルークさん......」


少女には何もできない。力が無いから。力が無いから、誰かが行おうとしているのを変えることはできない。ただの傍観者でしかない。


「完了だぜルーク」


「わかった」


頷くと大きく息を吸い込み、


「ライトニング・ボルト」


一瞬、ドン!という音共に精霊が浮き上がり、地面に落ちる。


「...............」


「...もういい。......連れて行ってやれ」


ホノカに向かって言った。するとホノカは目に涙を浮かべながら、


「ありがとうございます!」


と言って急いで駆け寄り抱き締める。精霊は先程まで纏っていた妖艶で異質な雰囲気を消した。そしてみるみる大きさを縮ませていき、ついには赤ん坊ぐらいの大きさになってしまう。それを抱き止めれば、親の胸で眠る赤ん坊の様にすやすやと眠っている。


「良かった......本当に良かった......」


そして少女もゆっくりと意識を遠のかせ、倒れる。


青年が再び受け止めると、今度は幸せそうに目を閉じていた。




「バジル、多分もう無理だと思うが、一応探知を......」


「止まれ、フードの男」


突然現れた声。それと共にルークの周りに6人の人影が現れる。


皆ルークの頭部に向かって剣かもしくは杖を突きつけ、ルークのの周囲を囲っている。どの武器一つとっても威力の高い業物であることは間違いなかった。


そして彼らは鋭い目付きを決して緩めることなく、いつでも殺せるぞ、と言わんばかりに殺気を放っていた。


「.........貴様は何者だ」


剣を突きつけた仮面をかぶった人間が問う。


「只者ではない。魔力メーターが振り切ってしまっているのだからな。場合によっては......」


「黙れ、下賤の集団の長よ」神々しさを纏う白髪の杖を向けた老人が言う。背はかなり小さい。

「それに何故知らぬ。此奴は嘗て貴様の所の」


「人形ってことでしょ。まあ実力者だってことは認めるけど」


大きな帽子をかぶった、ピンク色の長い髪を持った女が遮る。


「ぬしらは黙っておれ。問題はこいつがどうというわけではない。こいつがおれ達との約束を破ったという点についてだ」


1人だけ水平でなくずっと上から、見下ろす様に彼を見つめる男。5メートルはくだらない大きさだ。


「何故......ヒドラがここに現れる?いや違うな、どうやってヒドラを出現させた」


一瞬男かと思える声。しかしそのプロポーションは紛れもなく女の姿だ。だが顔はまるで山姥のよう。そして持つ剣は太く長い。


「レッドオークならまだしも、ヒドラなんていうものを持ってこようと思えば、相当の魔力場が発生するはず。この街の結界を越えられるはずがない」


仮面は言った。


「貴様は何が目的だ。何をする気だ......この私を......」


「待って下さい皆さん。約束というのは知りませんがこの方がやったと確定したわけではありません。今はこれ以上被害が出ないように防衛策の確率が最優先かと」


冷静で落ち着いた声が響く。しかしその人物こそが最も鋭い視線を送っていた。


「黙れ!剣士ギルドの副局長風情がこの私に命令するな!こんな......これはどう考えても......」


「とにかくです。フードの方は来てもらいます。来てもらって事情を全て吐いてもらいます。それで良いですね?」


最後の言葉は他の人物にも言ったのだろう。仮面の人間は何も言わなかったが、他の人物はそれで納得したようだ。


「抵抗しても無駄だ。私には主の魔力が殆ど底をつきているのがわかるからのう。ぬしがどれほど強かろうと我々相手には無理な話だ」


ルークは最後まで黙っていた。少女の髪を眺めて。








『どうするよルーク。悔しいがあのジジイの言うとおりだぜ』


『でもこのままノコノコついて行ったら、タダじゃ済まないわよきっと。ホノカちゃんだって何されるかわかったもんじゃない』


『じゃあどうするってんだよ。少なくともルークには足手纏いを抱えながら逃げ切る余力はねえぜ』


『そんなのわかってるわよ!じゃあどうするってのよ!』


『だからここは大人しく付いてって隙を見て逃げ出すんだよ!ホノカだって後から取り返せば良いだろうが!』


『そんなことしたら結局振り出しじゃない!一体なんのために......』


『二人とも、少し黙ってろ』


『黙ってろってルーク......どうするの?』


『丁度いい。いやらしい接待には飽き飽きしてたところなんだよ』


『接待.........。まさかあの仮面?』


『おいおい何なんだよ。結局どうすんだ?』


『両方だ。捕らえられる気もないしこいつを奪われる気もない』


『だーかーら!それができるなら俺だって......』



『バジル、魔力回路を雷撃と結界のみに設定しろ。周波数と電圧を上げて刀に帯電。ヒーリング・ファーストが10回できる程度に魔力を温存。ミクルンは結界をホノカに張って、後は粘液で俺の背中に貼り付けろ』


『......っち!やる気かよ全く!』


『従うわ。これで借り二つだしそれが一番いいと思うし』










「おい!さっさと来い!このノロマが......」


仮面の男が掴みかかってくる。だが伸ばした手が彼に触れることはなかった。いや、彼の手が腕と繋がっていることすらできなかった。


「は?」


仮面の男は素っ頓狂な声を上げる。自分の腕が、その先がない。ボトッと落ちた手。一滴の血も落ちずにただ部品が外れただけのように。


「ひ、ひぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」



仮面の男が崩れ落ちる。


ルークは手が落ちたのだけ確認すると大きな帽子をかぶった女に一瞬で肉薄する。


「......この!変態!」


杖を振りかざし信じられない速度で魔力を練り上げる。しかし、ルークはただ杖を狙って刀を振った。


すると杖はまるで豆腐のように真っ二つにへし折れる。


そのままルークは女を蹴り飛ばす。


その反動で方向を変え、初老の男に向かって走り出す。


「愚かな。この程度では無駄じゃ」


だが刀はすんでのところで止まる。まるで見えない壁に阻まれたように。


「本当に愚かですよ」


剣がルークに向かって突き出される。それを躱すルーク。


「飛べ。カマイタチ」


だが剣は僅かに光った。その瞬間、ルークの左腕が貫かれる。


遠隔斬撃。まともに受けるとまずいと思ったルークは狙いを変え接近し鍔迫り合いに持ち込む。

だが、膂力では勝てると思っていたルークが、動かない。


ーーこいつ...衛兵1みたいな顔して......。


「終わりですよ」


その瞬間、視界が暗くなる。そして剣に込められていた力が急になくなる。

衛兵1は離脱しその差し込んだ影の外へと逃げる。


「しまっ...」



巨大な、あまりにも巨大な鉄塊が叩きつけられる。

地響きが鳴り、とてつもない風が吹き荒れる。


戦士ギルド長の一撃。その一振りは山を叩き割り、海を切り裂くと言われている。その前ではいくら強い剣士であろうとゴキブリのように潰されてしまう。




「まだ生き残りますか」


ルークは受け止めていた。足は地面にめり込み、震えている。顔からは汗が滴り落ちていた。


「でももう動けませんよね」


ルークの周りを囲むように彼らは立ち、それぞれ魔法陣を発生させている。


それ一つだけで小さな町はたやすく吹き飛ばすことができるであろうレベルの魔法。

それが合計4つ。


『未だミクルン!残存する全魔力を使って結界を張れ!』



「「最上級魔法」」


4人の声が重なる。


魔方陣が小さい太陽かと思えるほどに輝き出す。そしてルークはその溢れ出す光の中に消えていった。








「.........馬鹿な」


仮面の男がありえないとばかりに震えた声を出す。手はすでにくっついていた。


「......打ち消しあったか」初老の男は悲しそうに言う。「やはり昔のようには行かぬものじゃな」


「今のはあんたが邪魔したからだろうが、このクソジジイ!」

大きな帽子をかぶった女が叫ぶ。


「だがそうだとしても......明らかそうだったが、アレを受けきるとは」

山姥のような女が圧倒されたように呟く。



ルークは立っていた。ボロボロの衣服に破れたフード。露出している皮膚は全てが火傷か切り傷を負い、だがそれでも、背中に守る少女にだけは傷一つつけていない。


もう魔導師でなくても容易に分かった。ルークはもう戦うことはできない。魔法も剣術も全てが尽きているということが。


だがこれで......ここまでが彼の思惑通りだった。


「ちょっと待ってよ〜みんな〜」


そこに突然現れる長い髪と猫のような目をした女性。


いいタイミングだ、リオン、とルークは心の中で珍しく褒める。


「やっと来たかベルデギウス。この責任、きちんと取ってくれるのだろうな」


初老の男が咎めるように言う。


「ん〜〜まあ私の方にも非があるよ。あんなのの進入許しちゃって、もうちょっと警備強化しとけば良かったって思ってる」


ベルデギウスは剣を抜いてくるくると回しながら殆ど反省の色を見せずに話す。


「けどさ〜、今はそこの死に体のやつをどうするかってところじゃない?」


そう言うと皆一斉に黙り込む。


彼らは最初、ルークを連れて行き尋問する、さもなくば拘束という目的だった。それがルークの抵抗により捕縛、もしくは殺害に変わった。しかし、


「ルークちゃん、あんたから言いなさいよ」


ベルデギウスはルークの方を見ずに呟く。彼女にとっても剣士ギルド長としての責任があるし彼を放って置くわけにはいかない。しかしこのまま見捨てるのも嫌だった。


「最初の約束はまだ有効だ。それを使ってもらいたいのだが」


ルークは息を切らしながらなんとか声にする。


それを聞いて剣士ギルドの二人は周りを見る。二人は約束というのは知らない。どういったものかはわからなかったが、二人以外の、もっと言えばベルデギウスに決定権を与えないというルークの意図もあった。


「最初のという事はぬしが出て行くということか」


「馬鹿な!あいつは虫の息だ。さっさと殺してしまえばいい!」


「ダメよ〜ダメ社長さん。こいつは曲がりなりにも友人。殺すって言うなら私は抵抗するわ」


「ベル、そいつはこれだけのことをして私たちに攻撃したのよ?!ほら私の杖だって!」


「また作るか繁殖させるかしたらどうかしら〜?それに私はルークちゃんが殺されるってのなら黙ってないけど、拘束するなら別にいい寧ろ大歓迎(ゲス顏)」


ベルデギウスは少しだけ下衆った表情で含み笑いをする。まるで本当にルークを拘束したところを想像しているように。そして一体どんなことをしようか真剣に考えているように。


「無駄じゃろうて、拘束してもあの力では解かれる恐れがある。弱らせておきたいところじゃが、今の所その方法が魔力を吸い取るしかない。しかしあの者は魔力が殆どない状態で我らの攻撃を防いでおる」


「.........つまりどういうことだ?」


山姥のような女が言うと小さな老人が、


「つまりじゃ。約束通りにことを運んだ方が賢明だということじゃ。無駄に血を流すわけにもいかんしのぉ」


だがそうは言っても彼にもわかっていた。これがいいように誘導されただけのことだということを。


「まあ神官ギルド長がそう言うならそれが良いんだろう」山姥のような女が言う。

「それでいいよな、シャルル」


「ふん!好きにすれば。ただ杖は弁償してもらう」


「社長さん。あなたはどうするの〜?」


仮面の男は周りを信じられない、という表情で見つめている。しかし同時にそれしかないとも思い始めていた。ここにいる全員でかかればベルデギウスは倒せるだろうとは思える。だが恐らく自分もただでは済まない。


「じゃあそういう事で。みんな解散!」


ベルデギウスは言った。すると皆が渋々という表情で武器を下ろす。だがまだ警戒を解いたわけではなかった。



『え...結局どうなったの?これで成功なの?』


『ああ。ミクルン、憑依を解いてくれ。そろそろまずい』




ルークは憑依を解き、最後の力を振り絞ってこう言った。


「背中のやつには手を出すな。手を出せばこの街のすべての機密情報を他の街に流す。あとは個人的にも挨拶に行くかもしれん」


ルークがそう言うと全員が彼を凝視して固まった。

これでいい。

後は任せてあるしこれで残りは俺が落とし前をつけるだけだ。


ルークは少しだけ笑うとそのまま意識を失った。














見慣れない場所だった。少女は起き上がって辺りを見渡してみる。ベッドはとても固い。周囲の壁はコンクリートが剥き出しになっていて窓はカーテンが無くて一つだけ。それと他にもベッドが3つある。

まるで囚人みたいだ、と一瞬だけ思った。


すると肩に暖かい何かが触れている感触。


「あ......」


小さな、20センチほどの大きさの不思議な雰囲気を纏った女の子。小さな服を着ていてこの上なく可愛くてまるで人形のよう。長い髪はくくってポニーテールにしている。


「......良かった」


掌で女の子の背中に手を当てて優しく包み込む。




「あ、起きた〜。おはようホノカちゃん。元気〜?」


のんびりした声が聞こえる。


「......ベルデギウスさん」


少女は身体を縮こめ警戒心を剥き出しにした表情で睨みつける。


「ヤダァ、そんな怖がらなくていいわよ♡。それにそんな怖がってちゃ私のギルドでやってけないわよ?」


「え?」


ホノカは一瞬自分の耳を疑った。冗談と受け取るのがいいのか?と思った。


「冗談じゃないわよ〜」

そう言って一枚の用紙を見せる。

「ほら、ここにルークちゃんのとこのギルド解任と私のギルドへの入団の手続き書があるでしょ。ちゃんとルークちゃんのサインも入ってるわよ」


そこには紛れもなくルークの字。


「なんで......どうして、私が......」


「別にホノカちゃんのせいじゃ無いわよ〜。ルークは私に任せてって言ってたしそれに元老院との取引もあったみたいで......」


ベルデギウスはそこまで言ってしまったという表情で口を抑える。


「なんでもない!つまりルークちゃんはあなたを守るためにこの街から出て行ったの。でもホノカちゃんを連れて行きたくなかったの。だから私のところに預けたの」


ベルデギウスは少し慌てて話す。


でも少女の心には、見捨てられた、という言葉が浮かんできて、油のシミのように離れてくれない。


「そう!ルークから貰ってるの。ホノカちゃんに渡しといてって言われて」


そう言ってベルデギウスは小物が入る程度木でできたニス色の入れ物を取り出す。


「なんか人前で絶対に開けさせるなって言ってたから後で開けてね」


ベルデギウスから差し出されるも、手が出ない。


「あ、私は開けてないからね!私、約束は守る女だから!ね、だからね!」


ベルデギウスはどうやら自分が開けたかもしれないから受け取らないと思っているようだ。そんなことは決してないのだが、多分あんまり信用されないやつだと自覚しているんだろう。


「いえ、そうではなくて......ありがとうございます」


受け取るとそれは思ったより重たかった。なんだろう。人前で見せたらいけない何か.........秘密の武器だったりして、と冗談めいて思った。


「それからもう一つ伝言で、その精霊と一緒にいるつもりなら契約しといた方が良いからって言ってた。まあそれを決めるのはホノカちゃん自身だからするって決めたら私に声かけて。じゃあ頑張って」


そう言ってベルデギウスは部屋を後にしようとする。


「あ、あの!私はこれからどうなるんですか?」


ホノカは思い切って聞いた。コロシアム。怪物。ルークさん。色んなことがごっちゃになって全く先がわからない。


「それはホノカちゃんが決めることだよ」


ベルデギウスはあっさりと言ってのける。


「ルークはあなたを剣士ギルドに入れた。やめるのは自由だけど、あなたに強くなって欲しかったんじゃない?もしあなたがルークの意思に従うなら、ここの寮に入って訓練を積んでいけばいいわ。私から言えるのはそれだけよ」


ベルデギウスはそう言って今度こそ部屋から出て行った。その背中はとっても頼もしかった。


また一つ憧れが増えた気がした。





「あ.........!」


小さな精霊が、その瞼を持ち上げ、碧い瞳をホノカに向ける。一瞬キョトンとしていたが、直ぐにその瞳が七色に光りながら潤んでいき、


ギュッ


込められる一番強い力で少女の腕に抱きついた。もう二度と離さないとばかりに、離したくないと主張して、


怖くて怖くてしょうがなかった。あなたが目を覚まさなかったら、どうしようかって。怪物の目を通して少女の姿が見えた。そして自分の手が少女を壊して行っていた。嫌でやめたくてどうしようもなくて、ただただ泣いて叫んで自分がどうしてこんなことになるの、と悔やんで。だったらいっそ、と思っても、死にたくても死ねなくて。


少女を見て、そして私を助けたフードの人が私に言った。助けてやって欲しいって。違うかった。助けられてきたのは私だしそんなことになるようにしたのは間違いなく私。そんな私が、って言えなかった。


フードの人は消えた。幻だったのかなとも思った。でも私が傷つけた人はそこにいて、そして私の記憶には彼女の名前があって。




「ホノカ......で合ってる?」


精霊は少し怖がりながら尋ねる。


「うん」


「私のこと知ってる?」


「うん」


少女はゆっくり優しく撫でながら言った。


「私.........」


精霊は目を伏せた。


「ありがとう」


「え?」


「私の側にずっといてくれてたんでしょう?だからありがとう」


「そ、そんなこと......私あなたを......」


精霊は小さく布団に染みを作った。


その顔を見て心がチクリと痛んだ。どうしたら良いんだろうか。否定は......しても意味がない。いくらあなたのせいじゃないって言ってもきっとあなたは自分のせいにしてしまうから。優しいあなたみたいな人は、私みたいな誰かに流されていいように納得する人間とは違って。


「私あんまり覚えてないんだ実は。だから......そうだ!あなたの名前は?」


「え?.........そんなのない......。生まれた時から檻の中だから」


それを聞くと少女の顔から笑顔が消える。


「あなたも.........」


少女は言葉を失う。自分と同じ、なわけない。私には名前があって理解してくれる人がいるから。


「............名前考えよう?一緒に......可愛い名前を」


「え......でもそれって......」


精霊は戸惑ったように目を見開く。


「どうしたの?」


「う、うん。その......私達精霊にとって名付けっていうのは特別で.........。名前をつけると契約しちゃうの......」


それはフードの男から教わったことだ。


「その人の眷属として隷属することになって...魔力とか感情とかも共有しちゃうって...」


精霊はまた涙を流した。今度は言ってしまったことへの後悔。


「それでもいいの?」


じっと見つめる。その碧い目と銀色の目がお互いを写しあう。


「......それは、私の決めることじゃないから......」


少女は迷いながら口にする。


「ううん。あなたが決めることなの。あなたに決めてほしい」


「でも、そんなこと......私はできないし......」


「いいの!私はあなたに従うから」


「あ、あたしがあなたに従うことになるの!だからあなたが.........」






そうしてずっと言い合った。お互いこんな風に人に何かをいうのは初めてだった。そして言い合って疲れてくると、お互い笑い出した。



「なんかもう......どうでもよくなってきた。......私が名前を付けていい?」


「うん。いいよ」





そうして少女は精霊に名前をつけた。


「キリカ」という名前だった。どこからその名前が出てきたのか少女にもわからなかった。でもなんとなく、それが懐かしくてそして少し儚げな可愛い名前だということはわかっていた。


二人はそれから何度も名前を呼びあった。お互いになんの意味もなく。それがどれだけ貴重で大切なことか心の中に沁み渡らせながら。












ホノカはそれから剣士ギルドへの正式な手続きを行った。自分の意思でだった。

ルークに見捨てられたのかも、という心配は抜けきることはなかった。けどそれでも前を向こうとは思えた。




少女はあの日に貰った水晶の埋め込まれたペンダントを首にかけている。


そして剣士ギルドの寮へと移る日、みんながお見舞いに来てくれた。


みんな私を見て凄く涙ぐんで、それで謝っていた。

「助けられなくてごめんなさい」って何回も言われた。

そんなことないって申し訳なくなると同時に嬉しかった。そうやって心の奥底から私の事を心配してくれるのが本当に幸せだった。














ある日少女は少しだけ暇をもらってある場所に来ていた。


黒い壁に黒い屋根。ボロボロで白蟻の巣窟みたいな建物。だけどその中は広くて清潔で暖かで、とても居心地が良かった。




その場所は今、鼠色の人工的な硬い壁でできた殺風景な建物に変貌している。



「ここがホノカの暮らしてた場所?」


フードの中からヒョイと顔を出したキリカは興味津々に尋ねる。


「うん。でももう無くなっちゃったんだけど」


そう言葉にすると変に虚しくなってくる。壊れたものは決して戻らない。時間を巻き戻すことができないことと同じように。不可逆なことは、時々本当に心に突き刺さることがある。



「でも......今はホノカには家があるもん。だから大丈夫だよね」


キリカはホノカの雰囲気の変化を感じ取ったのか、慰めるように話す。


そんなのを聞いていると心配かけちゃったな、と申し訳なくなり、


「もちろん大丈夫。みんながいるから、大丈夫だよ」


少女はそう言ってその場所を後にした。心に残る燻りに知らないふりをして。

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