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イリスの杖  作者: プレオネ
第一章
5/15

水と静寂

「おーい!ホノカ!こっちだこっち!」


元気の良い声が、騒がしい人混みの中から聞こえる。

ホノカがそっちを向くと、たくさんの人の中で1人の少年が手を振っているのが目に入る。

エンジだった。

ホノカが近づいていくとそこにはあと二人の男女がいた。


「カズユキ君、ルリちゃん......」


ホノカが近づいていくと二人は気づいて振り返る。


「ホノカ!ひっさしぶりやなーーー」


そう言ってルリと呼ばれた、ホノカより幾分背が高く、エンジほどもあるであろう女性はホノカに抱きつく。


「モガ......ルリちゃん...苦しい」


あまりにきつく自らの胸に押し付けようとするのでホノカはくぐもった抵抗の声を発する。

するとルリは慌てて手の力を緩めるが今度は頬をすり寄せてくる。


「いやーやっぱホノカはええ匂いやー。本当に気持ちいいー」


まるで猫のようにホノカの首筋に擦り寄れば、ルリの短くてボーイッシュなオレンジの髪がホノカをくすぐる。


「おいルリ!ホノカが嫌がってるだろ。あとカズユキとも再開させてやれよ」


エンジが見るに耐えなくなって声を上げる。

するとルリは名残惜しそうにホノカを離した。しかし目はまるでヒョウのように光っていた。いつでも襲いかかれるという体勢だ。


「久しぶりホノカさん」


ホノカの前に1人の男が立つ。それはまるで山のような男だった。身長は2メートル近く、横幅はエンジ二人分はあり、足も手も太くて大きい。ホノカは見上げなければ顔を見ることができなかった。

しかしその声は低く優しげで、気弱さが滲み出ている。


「久しぶり、カズユキ君。みんな元気そう。よかった」


そうホノカが微笑むと三人とも頬を赤らめ顔を背けた。





「カズユキ君達はよく会ってたの?」


受け付けを目指して4人が歩いている中ホノカが尋ねる。


「あーそうか言ってなかったか。俺たち今パーティーを組んでるんだ。正式なやつ。だからずっと一緒にクエストに行ってる」


そう言ってエンジは水色の水晶が入ったペンダントを見せる。正式なパーティーと成ったら共通の証を持つという習わしがある。

ホノカはまだ一度も持ったことはない。


「......そうなんだ」


ホノカは直ぐに表情に影を落とした。だけど即座に笑みを戻し、


「おめでとう。エンジ君もBランクに昇格できたしこれからも頑張ってね」


「何言ってんだよ。ほらこれお前の分の。なんのためにみんな集まったと思ってんだよ」


そう言ってエンジは水色の水晶が入ったペンダントを放る。


「え、ちょちょ、え?」


慌ててそれを受け取るも頭には疑問がいっぱいだ。


「ホノカは嫌や?うちらのパーティーに入んの」


「う、ううん。そんなことない。けど......」


ホノカは思い出す。臨時パーティーに入れてもらえた時の足を引っ張った時を。自分は仲間なんか持てないとずっと思ってた。

なのにこうもあっさりと、何の捻りも波乱もなく彼らはホノカを仲間に入れたいと言った。


「私なんか迷惑じゃないの?」


少し涙目だった。嬉しさと、思い出した悲しさの涙だった。


しかし、そう言うと三人とも一瞬キョトンとして、笑い出した。


「まさか、迷惑だと思ってたら誘わない。お前の強さは俺が一番わかってるからな」


「そうそう!それにホノカがパーティーに入ればずっと抱け.........一緒にいれるし」


「僕も......賛成。ホノカさん頼りになるし」



三人とも笑顔でそういった。今度はホノカが顔を赤くする番だった。


「じゃそういうわけで受け取ってくれる?」


ルリが最後のダメ押しとばかりに言った。


私の顔見たらわかると思うんだけど。


言葉じゃ足りない気がした。どんな感謝の言葉も足りない気がした。

でももう瞳からこぼれた涙は、私の思いを連れて、足元で小さな海になっていた。


「もう〜〜、泣くなやホノカ〜」


ルリが再びホノカを自分の胸に押しつける。さっきは拒否したけど今度は逆にホノカ自身が顔を埋めた。


その姿を見ずに、ルリはホノカのサラサラの髪をすいた。


「.........ありがとう」


埋めたまま呟いた。


握り締めた青い水晶が全員の顔を反射しそれぞれの瞳を映し出していた。

















「さあ!ついに今日もこの季節がやってきました!寒い?暑い?そんなのこの季節には関係ねぇ!気まぐれな空には気まぐれな奴らがお似合いですねぇ!なあ野郎ども!」


コロシアムの中央に立ったチャラい司会が叫ぶとぐるりと囲った客席から声援が上がる。


見渡す限り人人ひと。観客用の席は既に満員で、通り道まで溢れている。

一方ホノカたちがいるのは選手用の席。多くはないが空いた席もある。


「おいおいすげーな。やけに人が多いと思ったら、」


そう言ってエンジが指差した方向には、屈強な男たちがやけに揃った集団がいた。


「見てみろよカズユキ。お前んとこのギルド長がいるぜ」


なるほど、とホノカは納得する。カズユキは戦士ギルド員。そしてエンジが指差した方向にいるのは戦士ギルド長ということになる。


遠目でよく見えなかったが、多分巨人族の血が入っているんだろうと思える巨体。横にはその身体よりも大きい大剣が置いてある。

カズユキはその姿を見てビクつくように身体を縮めた。


「それにほら、盗賊ギルド長の......」


「え、マジで?姉貴がいてるの?どこどこ?」


エンジが再び刺した方向には荒々しそうな細い女性。なんだか森から出てきた山姥って感じがホノカにはした。


「それに神官ギルド長に、あれはギルド斡旋機関長だぜ。おまけにその横にはアイテム社の社長と副社長だ。すげーな。今年はなんかあるのか?」


順にエンジが指差した方を見ていくと、神々しい、という言葉がぴったりな高齢で背の低いお爺ちゃんがちょこんと座っていた。


そこからさらに映していくと、斡旋機関長と言う、初老でちょっと太った男の人とその隣には何故か仮面をかぶった副社長が座っていた。


「あんたよく知ってんなー。うちなんか自分とこのギルド長様しかわからんかったで」


「Bランク昇格祝いの時にこっちのギルド長に散々連れまわされたんだよ。正直めんどくさかっただけなんだが」


「ふえー。そんならランク昇格も考えもんやなー。なぁホノカ」


急に同意を求められて慌てるホノカ。だがそんな反応もわかっていたみたいで、「かわええなー」と頭を撫でられるだけだった。


「みんな見て」


するとカズユキがコロシアム中央を指さしている。


そこには背の高いとっても綺麗な女性。


「さあ我らがギルド長、ベルデギウス・リオン様によります、デモンストレーションです。見てくださいあの美貌を。あの美しさで一体いくつの男性を食ってきたのか計り知れません。しかし今まで結婚までつきつけることはできず、今では立派な40路!!それが我らの......ぐえふ!!」


突然飛んできた石が司会の意識を奪う。言わずもがなギルド長が投げた石である。




そして何人かのギルド員が倒れた司会を運んでいく。





「さあ始まるぜ。今回の一番の目玉かもな」


会場を包む興奮した熱気。その熱エネルギーを一気に奪い取るほどの冷気が会場を支配する。


「さあ!会場西側より入ってきましたのは、美しき四大精霊の一角、ウンディーネ!その美しさとは裏腹に強大な魔法力はSランクとして全く恥じない力を持っています」


そう司会が叫ぶが会場はなんの声も出さない。目の前に現れたその姿に女性も含めた全員が見惚れていたからだ。


日光に照らされキラキラと光る長く蒼い髪。透き通るようでどこか寂しげな碧い瞳。そして一切のシミがない妖艶で女性のふくらみをこれでもかと淫乱に強調したような肢体。唯一の汚点といえば、身体中に打ち込まれた杭とそれを繋ぐ鎖。しかしそれさえも、男性から見れば心を抉るような背徳感が得られるものだった。

そしてその身体は人間の身長と同じだった。


ウンディーネはその目を無感情にベルデギウスに向ける。そしてすぐ様、口に巨大な魔法陣を形成し放った。


だがそれをベルデギウスは手にした剣を横に降るだけで受け流す。彼女の背後には巨大な水柱が立った。




「なあ、やっぱ綺麗だよなベルデギウスさんは。しかもめちゃくちゃ強くて、かっこよくて」


エンジが言った時にはベルデギウスはウンディーネの腕に斬りつけていた。ウンディーネは叫び声を上げさらに攻撃回数を増やしていく。鎖で身体を拘束されていてもその速度はベルデギウスと大して変わらない。


「ほんまやなぁー。ウチもあんな風になってホノカと釣り会えるような女になりたいなぁ」


ルリが同意とも取れそうで目的が違う発言をする。


「......でもウンディーネは四大精霊の内の......水と静寂を司る精霊のはずじゃ......」


ホノカは呟く。そしてそれを一切認識していない周りの人間を見て背筋を凍らせる。


なぜわからないのか。四大精霊といえば人間をも上回る知性を持つことで有名だ。

例えば、ある学者の話によると未開拓地域の奥深くで人間よりも高度な文明を作り上げている、というのがあるほどに。


しかしこれでは......ただの獣。


「そんなもんやって。蓋を開けてみればズワイガニがカニカマだったってことようある話やんけ」


ルリはそう言うがホノカは納得できない。あのウンディーネの表情が、作られ苦しめられた末の顔だということしかわからない。


「多分そろそろ終了だ。ほら」


ホノカがベルデギウスの方に目線を移すと、彼女の剣が蒼灰色に光り輝いていた。


「魔法を武器に付与させる。これだけでかなり高等な技術なんだけど、あれはさらに上。自身が隷属させた魔物を武器に込めてるんだ」


するとその剣がまるで怒りを讃えるように赤く脈動し始める。彼女はその剣を見て愉快そうに笑い、そっと刀身に唇を落とす。


そして一瞬で、ホノカの目には消えたように見えた。気づけば彼女はウンディーネへと肉薄し、その胴体を真っ二つに斬っていた。


一気に歓声が上がった。


「強い!強い!強いィィ!流石は剣士ギルド長様。その瞳で蔑まれたい。踏まれて罵倒されたい!あなたの靴底を舐めれる日がいつか来るのでしょうか.........ぐえふ!」


司会はもう一度失神した。


「あれで本気じゃないらしいからな。本当にSランクってのは人間なのかって思えてくるよな」


「ほんまほんま。ウチもあんな綺麗で強い女になりたい」


「僕も......憧れる」


みな一様にベルデギウスを賞賛と羨望の眼差しで見ていた。


だけどホノカは違った。もう無視されるとわかっているから口には出さない。


でもあの精霊は......死んでない。


まるで生に縛り付けられているように、蠢き、もがき、胸をかきむしりながら、生きている。ギルド員達によってコロシアムからは移動させられもうその姿を見ることはできなかったが、ホノカの瞼の裏には鮮明にそれが刻印された。












午前中はホノカの試合はなかった。代わりにカズユキとルリの試合だった。


カズユキは巨大なオークを相手に戦った。グリーンオークと言うらしいが。普通のオークよりさらに巨大で巨人族と張るほどの大きさらしい。それ相手にカズユキ達5人の戦士ギルドは全く競り負けることなく、力勝負していた。


最後には恐らくリーダーと思わしき人物が相手の腹を真横にかっさばき、大量に血を噴出させ試合は終わった。





ルリの相手はカマイタチと呼ばれる小さいキツネのような魔物だった。しかし愛らしい姿とは裏腹に空気を操り遠隔斬撃を打ってくる上に素早くまとも小さいという厄介な相手だった。


それを相手取る盗賊ギルドの4人は慎重に相手の動きを見切り続け罠を貼り、カマイタチが疲弊したと思われた瞬間に一気に勝負に出た。


弓でカマイタチを作戦ポイントに誘導し拘束罠を使い動きを止める。勿論一瞬で切り刻まれてしまいカマイタチは自由になるが、その一瞬で十分だった。

多分魔力を込めた矢を使ったのだろう。それは燃えるような赤色の光跡を残しながら普通の矢では絶対にありえない速度でカマイタチを捉え炎上させた。








午後、日が少しだけ傾き、1日で一番暑いと思える時間帯。


吐くかもしれないからとホノカは昼食を食べずに観客席から離れていった。


「頑張れよ!多分ホワイトウルフぐらいの雑魚しか出てこないと思うから気楽にな」


「応援してっからなー。気いつけて頑張りや」


「頑張って。応援してる」



今までもミクルンやカーネルからこういった言葉は貰えたのだがやっぱり同年代の仲間から貰えるのは違った。

あの精霊のことは確かに気にはなる。しかし今は試合に集中しようと思った。







試合は2回行われる。午前中は団体戦の第1部。午後からは団体戦の第2部で、その間にエントリー数が少ない個人出場の試合を一気に消化してしまう。


1回戦目、ホノカの相手はレッドキャップ。小さな赤いゴブリンのような相手だった。手には身の丈に似合わない鎌を持っている。

それが3匹。どのレッドキャップも口からよだれを垂らしながらホノカを見ている。


試合のゴングが鳴り響いた。それと同時に一気に接近してくるレッドキャップ。

ホノカは抜刀せず、じっと敵が自分の間合いに入ってくるのを待つ。


そして1匹が突出して鎌で斬りかかろうとした瞬間、ホノカは刀を抜き、その小さな身体を真っ二つにする。

残り2匹も飛びかかってきたが、ホノカは冷静に刀を返しながら1匹のレッドキャップを斬りつけ、一歩後退する。先程とは違い、踏み込みが入っていなかった分その傷は浅い。

残りのレッドキャップが切りかかってきたのを受け止め、そのまま片手を離し詠唱する。


「我が魔力を喰らいて暗闇を照らす一筋の迅光と成れ」


真っ直ぐ手のひらを向け、


「ライトニングボルト!」


直接電流を流されたレッドキャップは痙攣し、泡を吹きながら倒れた。


残った1匹のレッドキャップはもう戦意を喪失したみたいで泣きわめきながらズルズルと下がっている。


試合終了のゴングが鳴った。これで勝ちだと認められたようだ。

集中から解放されると一気に歓声が耳に入ってきた。


その瞬間、ホノカは吐き気がするような声に見舞われた。


「殺せぇぇぇぇ!若い冒険者!やっちまえぇ!」


「いけ!一思いにやっちまえ!」


「何やってんだよさっさと止めを刺せ!」


殺せ、殺せと一斉に観客が騒ぎ立てる。その光景が、まるで一糸乱れぬ号令のように鳴り響く光景があまりにもおぞましかった。


「......なんで」


殺すの?そう口を開きかけた瞬間、一本の矢がレッドキャップの脳を貫いた。1人の剣士ギルド員だった。

そのままレッドキャップは息絶えた。












「次の試合の方ー。こちらまで来てください」


選手控え室。そこには屈強な選手が大勢揃っていた。言わずもがな男女兼用で、しかも殆どが男性だ。

とにかく、人前で着替えるのは本当に止めて欲しいと思うホノカ。どっちを向いても男の裸が目に入るもんだから俯くしかないのだ。

何度か他の選手に声をかけられたが、コミュ症を発動させ殆ど喋れなかった。



「こんにちは。ホノカさん」


すると今まで聞こえてこなかった女性の声が耳に入る。なんだか仲間意識が芽生えた気がして嬉しそうにパッと顔を上げる。


でもすぐに表情が陰った。



「......コトネさん」


そこにいたのは、嘗ての同期である少女。深翠色のローブに身を包み金色の髪を持ち、スラリとした身体に優雅な雰囲気を纏った少女。


神官ギルドに入っているコトネ・モチヅキだ。




「お久しぶりね。相変わらず貧乏くさいことをやられているようだけど」


コトネは値踏みするようにホノカの身体を下から順に見上げていく。


「今日の試合はなかなかでしたわ。あなたもようやくあそこまで行けたとなると嘗ての仲間として嬉しくて」


その表情は全く嬉しくなど思っていない。いや、ある意味では嬉しんだろう。ホノカが未だあのレベルであるということが。


「すみません。私は忙しい身なのでこれで失礼致しますわ。次の試合もせいぜい死なないように頑張ってください」


そう言って身を翻し去っていく。





ホノカは水から顔を上げたように、一気に息を吐く。

とてつもなく緊張した。前もそうだった。彼女といると妙に緊張して萎縮してしまう。



時計を見るとまだ試合まで30分ほどあった。

少し外の風に当たってこようと少女は控え室を出る。











..............................迷った。



ホノカは焦った表情で周りをグルグルと見回す。しかし人影はおろか、声すら聞こえない。相当遠くに来たか、地下深くに降りてしまったか、どっちかだった。



まだ試合までには余裕がある。しかし早くこの迷路から脱出したい。




すると廊下の奥から声がする。もうコミュ症とか言ってられない。ホノカは慌てて駆け寄って声をかけようとする。



「しっかしウンディーネってのはエロいなぁ。ありゃ本気で狙ってんじゃね?水の精霊ってのは女ばっかだろ。男が欲しいんだよあれは」


「あんな化け物相手によくそんなことが想像できるな。というかそれを言うならニンフの方だろ。ほら、この前決められた魔物法で、人間に近い知性を持つ生物の権利とかいうやつ。あれからニンフとか精霊が外されたんだぜ?」


「うおい、マジかよ。じゃあニンフの値段が安くなるってことだよな。じゃあ俺専用のも買えるかな」


「バーカ。いくら安くても無理だよ。せいぜい1週間レンタルでもしとけ」


「だけどなぁ、やっぱりウンディーネはいいよなぁ。すぐ目の前にいるんだからさ。一発やっちまおうぜ」


「まだ言うか、勝手にしろ」





そうして二人の男は廊下の奥から現れ、ホノカに気づかずに去っていく。


普通なら今声をかけるべきだろう。ホノカは試合に出なくちゃいけない。グズグズしてたら間に合わないかもしれない。


だけどホノカの頭の中は、ウンディーネがここにいるという言葉でいっぱいだった。



ホノカは二人の男が充分距離を開けるまでまち、そして彼らが出て行った扉の前に立つ。

立ち入り禁止と書かれていたが、鍵はかかっていない。


ホノカはその扉の中に入っていった。


入った瞬間立ち込める獣臭。そしてハエが頰に何度も当たった。



そこは、まるで暗い動物園だった。頑強な檻で作られたケージの中に多種多様の魔物がいる。

その全てが鎖で繋がれ、身体中に杭が打たれていた。



「レッドキャップ.........」


そこには小柄で赤い小人のような魔物。ビッシリと狭いケージの中に隙間なく敷き詰められている。


「カマイタチ............、グリーンオーク............、ダークエルフ、ツチグモ、サテュロス.........」


他にも見たことのない魔物がたくさんいる。どのケージも不衛生で、生き物として扱われていなかった。


「.........ウンディーネ」


一番奥、一番大きなケージで一番太い鉄格子が嵌められたその檻の中、暗くて全貌は分からない、けどその長く美しい蒼い髪はすぐに分かった。


「.........誰?」


あまりにも美しくて儚く弱々しい声。声の主が身体を引きずりながら寄ってくるのが分かった。

ホノカは左手を伸ばした。ケージの中に入れ、檻の中の手を取る。

冷たかった。まるで人の温もりを知らないかのように、少女の体温を奪い去っていった。


「......あったかい」


檻の中の声はさらに近づいてくる。赤ん坊が親に甘えるようにゆっくりと安心と温もりを求めて。

ゆっくりとその顔がわかる。傷の一切ない、美しい顔だ。

その透き通った碧い瞳がホノカの顔を映し出す。



その瞬間、その瞳が真っ赤に燃え上がった。

ホノカがそれに気づいた時には、もう遅かった。

水柱がホノカの左腕で起こっていた。水が赤く染めあがって行く。何本も何本も、次々と上がっていく。


「ーーーー〜〜〜〜っっっっっっ!!」


ホノカは歯をくいしばった。


腕から伝わる激痛に身体中の細胞が悲鳴をあげ、魔法で形作られた水を拒もうとする。

水が筋肉を食い破り骨を砕き血管を引き裂き神経を押しつぶす。

潰された神経が大量の神経伝達物質を作り出し、身体の被害を激痛で伝える。


だけど少女は取られた手を離さなかった。逆に痛いぐらいに握りしめた。


きっとこの子の意思じゃない。

あの声を発したこの子がこんなことするはずがない。


そうしてホノカはきっと魔法で隷属させられているんだと思った。


そして魔法なら.........


少女は辺りを見回す。するとさっきまでは何もなかった所に赤い魔方陣が浮かび上がっている。


少女は必死の思いで右手をそれに合わせ、食いしばった歯を無理矢理開く。


「我が......魔力を喰ら............いて暗闇を......っ照らす一筋の迅光と成れ!」


魔力を絞りだす。


「ライトニング・ボルト!」


一瞬、光が部屋を満たす。そして鎖が割れる音と共に精霊の枷の一つが外れる。


その瞬間、精霊の目が綺麗な碧色に戻る。ホノカの手を貫いていた水柱が蒸発とは違う消え方をしていく。しかし、腕にポッカリと蜂の巣のように空いた穴は元には戻らなかった。


精霊は瞬きを何度もして、その手と顔を見る。


「......何してるの?」


その美しい声は、震えていた。


「嫌、嫌だ!嫌だ!!もう嫌.........傷つけたくない.........」


精霊は離そうとした。でもホノカは離さなかった。ホノカは、もう筋肉も骨もキチンと繋がっていない左手で精霊の手をほんの僅かな力で握っていた。


「......痛いよね。ごめん。ごめんなさい。こんな......こんなことじゃ絶対に釣り合わないことをさせて......」


銀色の瞳から雫が垂れる。


碧色の瞳が雫に溺れる。


「ごめんなさい.........ごめんなさい.........」


少女は右手を優しく、包み込むように添えた。








がチャリ、と扉が開く音がした。


ホノカは何とかして鎖を外そうとしていた所だった。勿論少女はここにいる全員を助け出したかった。でも.........平等は時として何も救えない、とルークが言っていたのを思い出し、無理矢理精霊だけを視界に入れていた。



「行って!私は良いから。お願い」


精霊はそう頼んだ。少女は戸惑った。しかしだんだんと近づいてくる足音とまだ取れそうにない鎖を見て、


「必ずまた来るから。絶対に......だから待ってて!」


少女はそう言って精霊から手を離した。

いや、精霊が無理に離させた。少女はどうしても自分から離すことができなかった。




少女は現れた人影から身を隠し、通り過ぎるのを待つ。そして行ったのを確認した後、そっと音を立てないようにして扉を開き、部屋を後にした。








「水と静寂の精霊ウンディーネか......。複製品だが、良質な核になるだろう」














帰り道は一切迷うことがなかった。そしてしっかりとその扉に続く道を記憶した。


少女は不意に、左腕の痛みが消えていることに気づいた。慌ててそこを見れば、もう傷は殆ど塞がっていた。そして残っているのは、少し変色した傷跡と黒い血の塊だけだった。













「おーい!ホノカ!早く来いって!」


エンジが呼びかけている。そこでは受付の人が困ったような表情でエンジと話していた。


「アマギさんですよね。早くしてください。もう試合開始の時刻はとっくに過ぎているんですから!」


「は、はい。すいません」


「頑張れよ!応援してるからな!.........ってお前その腕どうした?」


ホノカの黒い血のついた腕を見てエンジは言った。


「な、なんでもないよ。大丈夫だから。頑張ってくるね」


ホノカは袖を伸ばして傷を隠した。心配かけたくなかった。














「さあ!これから始まる個人エントリー第二部!敵の難易度も上がっております。さあ盛り上がっていきましょう!」



ホノカはコロシアムに出る。強い直射日光が肌を突き刺す。歓声が耳を劈いた。


しかしそこには魔物がいなかった。おかしいな、と思った。さっき檻の中にいるショッキングな光景を目の当たりにしたとはいえ、既に用意されてると思ってたのに。


「おや、おかしいですな。今回の敵はゴブリンの群れ5体なはず.........」


司会も疑問に思ってついつぶやいてしまう。観客もざわざわと騒ぎ始めていた。


「うーんすいませんすぐに関係者に.........」


その時、突如として地面が揺れ動く。


「じ、地震?」


しかしプロのギルド員達にはわかった。これが魔物の出す地響きの類である事を。

あちこちで剣を抜き、杖を構え始めるものが現れる。


「お、落ち着いて下さい皆さん。万が一魔物が逃げ出しても、このコロシアムは結界が張ってあるので皆さんに被害が及ぶことは.........」


しかし司会は、今度こそその口が開かなくなる。


地面が割れた。さっきとは比べものにならない轟音と、とてつもない突風が吹き荒れる。

まるでその割れ目全体が呼吸をしているかのように、吸い込み、吐き出し、その度に少女はなんとか踏み止まる。

おぞましい邪悪な匂いが立ち込めた。そして風が熱風へと変わる。



「......何......あれ...」


地面から何かが現れた。最初は細長い蛇のようだった。しかしそれが、2本目、3本目、4本目。大小様々の頭が現れる。


そして、けたたましい炸裂音が鼓膜を破かんと空気を爆発させる。その爆音は周囲の土煙を一掃させた。


観客が一瞬静まり返る。水の精霊を見た時よりもずっと長く長く、そしてそれが一気に解放され、パニックという翻弄された大渦が観客を巻き込んでいく。


それは物凄く簡単に言えば、頭がたくさんある蛇だった。

数えれば全部でそれは9つ。大小様々だが、小さいものでも4人乗りの馬車以上の大きさがある。


体表は、毒々しい赤と紫に彩られ、その彩りが太陽の光を乱反射している。鱗一枚一枚がまるで良質な刃のように尖り、それが一切の隙間なく並んでいる。


その首が最終的につながっている場所はよく見えない。しかしおよそ生物とは思えない人工的で作為的な、何かの塊のように見えた。いや、何か、そこだけが、雰囲気が違うようにも見えた。


「あ、あ、あっ!ヒ!ヒドラだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



司会が叫ぶ。しかしそれは一斉に逃げようとする観客の声でかき消されてしまう。




ホノカはただ突っ立っていた。何も感じることができなかった。目の前にどうしようもないどうやっても勝てない相手がいて、それに殺される。それがあまりにも鮮明に明確に、一縷の希望すら入り込む余地を与えずに、少女の身体の60兆個の細胞全てを満たしていた。


血走った目が少女を捉える。怪物から見ればちっぽけすぎる相手だった。何かを考えるより容易い。ただ食べれば良いのだから。


「ホノカ!逃げろ!」


「ホノカ!!はよ逃げんと!!」


「ホノカさん!」


仲間の声も聞こえない。鼓膜がもう働いていなかった。


ヒドラの首が猛スピードでホノカに向かう。これと比べれば、レッドオークの走る速度など、ナメクジのようなものだった。


あんぐりと開けたヒドラの口の奥には、何もない。ただ暗闇が、本当の死への闇が広がっていた。

手は震えを通り越して硬直していた。もう何もかも無駄............。


「ーーーーーー!!」



首が少女を飲み込み、その勢いのまま、コロシアムの壁に激突する。




「......くっ......あ!」


だが少女は生きていた。まだかろうじて。


刀を構え、首を受け止めていた。刀の刃は硬質な鱗と堅牢な牙とぶつかり、カチカチと震えるような金属音を靡かせている。


動かなかったはずだった。なのに、まるで誰かが強制的に刀を抜かせたように、少女の身体は動いていた。


ヒドラの生暖かい吐息がかかる。それだけで目と喉が焼けるような痛みを発した。

ヒドラは全身が毒素の塊。身体中にありとあらゆる毒を持ち、それを使い分けることが可能だ。


どこかで読んだヒドラのことに関する記述。だけどそんなものなんの糧にもならない。


単純に勝てるわけがない。膂力も大きさも何もかもが違いすぎる。たとえ少女がヒドラの動きに対応できたとしても、その堅牢な鱗を貫くことなどできはしない。そもそも、ヒドラの攻撃に当たっているという時点で、既に勝敗はついていた。小さきものが持つ、素早さと俊敏さという二つのアドバンテージを少女は既に失っているのだから。


ヒドラが顔を離すと、まるでロウソクが燃え尽き、倒れるように少女は地面に落ちる。


ピクリとも自分の意思で動かせなかった。動いたように見えるのはただの痙攣。



そして少女の胸が燃え上がるように激痛を訴える。


毒だった。少女がヒドラの体表に触れた瞬間、いや息を吹きかけられた瞬間、勝負はついていた。皮膚と粘膜から侵入した毒素は既に全身を周り蝕んでいた。

身体がいくら酵素を使おうと、脳がいくら命令しようと、少女はもう虫の息だった。


いや、もう脳は大量の快楽物質を作り痛みとストレスを和らげる、そんなことしかしていなかった。


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