敗戦の後
『始まりの街』そこは多分ゲームの世界では通常、レベル1の主人公が旅支度を整えたりする街である。長閑な風景で、畑や田んぼがあり、町の住民は優しく、争いとは無関係で平和。
そして出現するモンスターのレベルは低く武器も弱い、よくもまあ凶暴な魔物に襲われて滅びないものだなぁ、と思えるだろう。
だがこの世界の『始まりの街』は違う。
たくさんの人人人。巨大な住宅街や城のような建物が立ち並び、賭け事や劇などの娯楽に溢れかえっている。自然のしの字もないくらいに最新の技術が使用され、全世界で最も都会となっている。
そして多数の貿易機構や政治機構、その他の企業の本社なども集中している。
人口は優に100万を超え、世界の総人口の3分の1がここに集中している。
詰まる所一つの国として考えた方が良いということになってしまう。
地理的な特徴としては、北側に海があり貿易や漁のための港が多数存在している。西側には広大な森林地帯が広がっていて、この世界で最も危険度の低い魔物生息区域となっている。そして南側と東側は巨大な山脈によって隔てられており、まるでそこから先と内側を区別するように、その先は魔物のレベルが極端に上がり、多数の未踏破地域が存在している。
気候は四季に富み、地域によって様々だが基本的には温暖である。
産業に関していえば、農林水産、貿易や工業、満遍なく盛んで、第三次産業も発達している。そしてこの街ならではの産業は冒険者に関連することだろう。冒険者はその名の通り各地へ冒険し様々なモノを取ってきてはそれを街に流通させる大切な産業だ。これによってこの街の産業の基盤が成り立っているといえる。
政治は、国民の選挙によって選ばれた10人によって構成される評議会と後述するギルドの長達によって構成される元老院の二つの機構によって行われ、それぞれが干渉し合うことによってバランスを保っている。
それぞれの公共施設や国家公務員は評議会によって作られたものと元老院によって作られた二種類存在し、潤沢な資金を持った元老院の方がどちらかといえば優れている。
そしてこの街にはギルドと呼ばれる所謂派遣会社のようなものがある。そこに登録することによって特定の職業に対する優先権が受けられる。ギルドにも様々な種類があり、冒険者はもちろんのこと例えば調理師専門のギルドや貿易会社専門のギルドもある。
この街ではほぼ全ての成人がギルドに所属している。逆に言えばギルドに所属していなければ満足な仕事にありつけないということだ。
因みにギルド自体の規模が大きくなりすぎると、様々な面を持つようになる。良い方にも悪い方にも。
所謂、冒険者ギルドはそれがかなり顕著だった。
ここに一つの冒険者ギルドがある。外見は一言で言うと、ボロボロ。真っ黒な木製の家で窓は風が吹くたびにギィギィと音がなり、木の壁はささくれだらけでシロアリが開けた穴だらけ。小さな庭は草が生い茂り、虫が大量にそこらじゅうを舞っている。
しかも周りの建物がどれも綺麗で豪華な建物なのだからその汚さは一層際立っている。
その家の玄関の前に一人の少女がいた。黄土色の地味な服を着て、それと同じ色のフードをスッポリと被っている。一見してその姿は、スラムの捨て子のような風格だった。だが、彼女の右手に掴まれている木の棒のような杖は、彼女が冒険者であることを証明していた。
少女はその扉をノックしようとして、寸前で止める。今まで少女は何回かノックをしていたがいつだって返事が来たことはない。いつも主は寝ているか出かけているかしているからだ。
そしてもう一つ理由がある。
彼女の姿はボロボロだった。この建物にお似合いだな、と言えるくらいの格好はしている。
それはひとえにさっきまで行ってきたクエストの所為だった。彼女にとっては荷が重かった。少女は西側のかなり最奥地まで足を伸ばしCランクの魔物と対峙したのだ。
もちろんそれは仲間があってこそだ。少女の実力では最奥地はおろか、中域でさえ生き残れるかわからない。そんな少女は運良くそんなクエストに入ることができたのだが、結局は足手纏いでチームに成果をあげることもできず失敗して帰ってきてしまったのだ。
いくらそれがここの主が命令したもので無いにしても、いくら失敗続きだろうとも、どんな顔をして合えばいいのか未だにわからないままだった。
だがこんなところにいたところで何かが解決するわけでもない。少女は震える手で扉をノックする。
「......入れ」
その声を聞いて心臓が破裂するくらい動揺する少女。
なんで今日に限って起きてるのか、全然わからない。なんて運が無いんだろう。
だけど言われた以上、入らなくてはいけない。
ギィィィ、と耳障りな音を立てて扉を開く。
一瞬、少女はホッと胸を撫で下ろした。そこには誰もいなかったからだ。多分外見だけ見たら絶対に信じられないくらいに綺麗で整った部屋。ここの主は実は意外と新しい物好きで色んなものが置いてある。
例えば少女の目の前にあるソファー。実はこのソファーは普通のソファーではなく、内蔵された魔方陣によって自動で動き出し、まるでマッサージされているように感じられる代物だ。魔力の装填が必要となるので少女は使ったことがないが、よくここの主が寝ているのを見たことがある。
他にも音声で目覚ましする時計や、音楽を自動で流してくれる装置など、本当にたくさんのものがある。
少女はそれに妙な懐かしさを感じていた。どこかで見たような聞いたような触れたことのあるような、懐かしさにも似た感覚だ。
だが彼女は、確かに平凡な農家の家庭に生まれ両親から口減らしされ、この都にやってきたのだ。
少女は独特の古めかしい匂いを嗅ぎながら、ここの主はどこにいるのかと辺りを見回す。
だが部屋には、まるで最初から誰もいないように、家具だけがその存在を主張している。
ーー聞き間違い?
そう思い始めた時だった。彼女の首筋にぬめり、とした冷たい感覚が走る。
「ひゃう!!」
思わず変な声を上げてしまう。恐る恐る、首筋に手をやると、その手にぬちょりとネバネバした粘液が付着する。ヌメヌメした感触はまるでアメフラシを触ってるみたいだ。
ーーえーとえーと、確かこんな生き物は確か......。
「......ミクルンさん?」
「はーい!大正解よ!」
すると首筋からまるでどこぞのマダムのような快活な声が聞こえてくる。
そしてゾクゾクするような感覚を彼女に与えながら、首筋の死角からゆっくりと、その粘液をふんだんに撒き散らしながら背中側から移動していき、鎖骨あたりにやってくる。
その姿を一言で言うなら、エメラルドグリーン色の半透明な、30センチ強はあるアメフラシだ。
艶めかしく光る体表は、彼女の身体をびちゃびちゃにした粘液を纏っており、体内に走っている赤い血がハッキリと見えている。
「ちょっとどうしたのホノカ。これ火炎系統の、それも中級以上の魔法じゃない」
ミクルンが言ってるのは、ホノカの衣服についている焼け焦げた後のことだろう。
この衣服に焦げ跡を修復するなんていう便利な機能はない。しかし燃えにくい素材でかなり頑強に作ってることに変わりはない。例えるならRPGで、二番目に行ける街で手に入れることのできるそこそこ頑強で、モンスター素材を使用しない防具のようなものだ。
ホノカの行ける場所にこれを焦がすほどの魔法を使うものは殆どいない。
「まーた無茶したのね?ね、そうなんでしょう。ほんとバカねぇ〜」
その言葉にホノカは一切返すことができない。以前も無茶して、森の奥深くまで行ってみんなに多大な迷惑をかけたことがあるからだ。
「まあ、この程度の傷ならすぐ治せるけど。でも今日は延長ね〜」
ミクルンは面白おかしそうに続け、
「ささ、早く部屋に戻りなさいよ」
と急かす。
「......毎回すいません」
ホノカは観念したようにトボトボと歩いていく。これから起こることを考えれば気持ちが落ち込むのも当然だったが、それ以上にここの主に怪我したところや服が焼けてるところなんて見せたくなかった。ここの主もミクルンと同じように治そうとしてくれるのだが、どうしても緊張して、それに今までにたくさん迷惑をかけてきたから遠慮してしまうのだ。
「いいーのよ〜。私だって楽しんでるし〜。あの無愛想なご主人と頭の固い鳥にウザい蛇しかいなかいこの家の唯一の癒しなんだから〜」
そんなdisりに対して言葉も出ず、苦笑いを浮かべながら周りにその本人たちがいないか確認する。
「だーいじょうぶよ。今は鳥も蛇もいないわ〜。いるのはあなたとご主人だけ♡」
最後についたハートマークに背筋が凍りつくような感覚に陥る。要はものすごく気持ち悪かった。
「まあとにかく、一応報告だけはしときなさいな。こんなのでも一応は仮にも......多分、恐らくは、十中三四正式なギルドなんだから」
だんだん曖昧になっていく正式という言葉に不安な心が少しだけまた出てくる。
確かにこの冒険者ギルドは異質だ。他のギルドは少なくとも100人以上の団員がいて、クエストの直接的な受注や他のギルドと協力して未開拓地域への遠征なんかも行っている。それに合わせて建物は巨大だし外見だってものすごい。
対してこのギルドは、本当に正式なのか疑問になる程に、大きさは少し大きめのマンションの一室ぐらいしかないし、人はホノカと主だけであとは魔物が3匹だけ。当然クエストの受注なんてできているはずがなく、総合ギルド統括局に行って受けなくてはいけない。
そして通常、クエストは複数のギルドメンバーとパーティーを組んで向かうのだがこんな誰にも知られていないようなギルドでは誰も組んでくれない。そもそもギルド間である種の同盟のようなものを組んでいるので、その輪に入れないここではDランククエストでもままならない。
「あ〜、今ここのギルドショボいって思ったでしょ」
「い、いえ!そんなことは...」
「当たってるわよ〜。ね、ルーク」
「え?」
ミクルンが一体どこに向かって話したのか、一瞬わからなかった。
でも、そのコブラのように伸ばした胴体の動く先、そこは彼女の背後。
そこには、室内だというのに深くフードを被った長身の男がいた。
身長は180センチ前後。フードのせいでよく見えないが、鼻が高く肌は白い。
「ねえルーク。今度もうちょっと増設しましょうよ。狭いったらありゃしないのよここ。肩が凝ってしょうがないわ」
あなたのどこに肩があるんですか、とツッコミたかったホノカだが、フードの男ーールークは口角を一切上げずに、
「金がない」
とだけ言った。
「金がない金がないって一体何百年前から言ってるのよ。いい加減こんな貧乏くさい生活してたら溜まるでしょうに」
ミクルンが少し怒ったような口調でそう言う。しかし言われた本人は全く耳に入ってきていないようで、
「今日はどうだった」
ホノカに向かって声をかける。ホノカにはその表情は伺えなかったが、怒っているようには思えない。いつものように、まるで習慣のように言ってる会話だ。
そして返すホノカの言葉は決まって、
「......すみません。また何も成果が上げられませんでした」
その言葉を口にするたびにホノカの心の中は惨めさでいっぱいに成る。こうやって言うのはもう何十回目だろうか。
悔しいし情けない。そう思っても、何も伴ってこないのだから余計にだ。
「何落ち込んでるのよー。まだDランクなんだからしょうがないわよー。ほら、ルークだって何か励ましぐらいしてやりなよ」
無視されたことなんてなんのその。ミクルンはその耳にキンキン残るような声を最大限に生かしながら話してくる。
因みにギルドには全体の力の指標であるギルドランクというものがある。
一番下がDランクで、成り立ての見習い。次がCランクで所謂二流のそこそこ普通なそこそこのランク。次のBランクになれば一人前と認められ、それなりの特権が与えられる。その上のAやSは絶対数が圧倒的に少なくなり、このはじまりの街でも殆ど見かけない
ランクを上げるには、昇級試験を受けるか、そのランクに見合うだけの実力を示すという方法がある。普通、DからCへは昇級試験を受けるが、それ以降は自然と認められるのを待つことが多い。それは単純に試験内容が極端に難しく、死傷者が続出した過去を持つからだ。
因みにギルド長はSランクまたはAランクであるはずだ。このフードを被った陰険そうな男も一応ギルド長なのだから高ランク保持者であることに間違いはない。
「......無謀と勇気は違う。無駄に足を引っ張るくらいならクエストなど受けるな」
冷たく、辛辣に、突き刺すような口調で言い放つ。
その瞬間、ホノカの肩がビクリと震えた。
「ちょっとルーク!!そんな言い方ないでしょ!」
ミクルンは憤慨した。確かに彼の言ってることは事実だ。しかし言葉というものがあるだろう。心に深く傷を受けてからでは遅いのだ。
「ルーク!待ちなさいよ!」
彼はもう何もいうことがなくなったのか、ホノカの脇を通り過ぎそのまま、地下室へ続く階段を降りていく。そこはホノカには絶対に入ってはいけないと言われた場所。ご丁寧に中級レベルの結界が張ってある。
「あんの根暗!ニート!友達いないボッチ!コミュ症!あんな言い方無いわよ!」
ミクルンは本当に怒っているようだ。その流体の身体を激しく脈打たせながら、ブルブルと震えている。心なしか粘液が暖かくなってきている気もする。
「ホノカもなんか言い返せば良いのよ。あんたの教え方が悪いんだ、とか。もっと良い装備寄越せよ、とか」
「いえ、いいんです。本当のことですから」
ホノカは無理に笑って、なんでもないように振る舞う。
「...ごめんなさい。ルークさん」
本人がいるであろう方向に向かって呟くホノカ。そして部屋の角にある小さな自室へ入っていった。
ちゃぷん、と水音が立つ。少しだけ湯気の出る暖かい水の中にゆっくりと身体を沈める。包み込むように熱が全身に伝わり浮力で身体がふわふわと浮いているように感じる。
手でお湯を掬って肩にかける。それを左右とも2回ずつ。そして肩まで湯の中に落としていき、口元まで沈めてしまう。
湯気が上がっていくのが間近に見える。
ーーどうやったら、強くなれるんだろう。あの人みたいに。
掌にうっすらと残る傷跡を見ながら、あの時のことを思い返す。
思えばあの人のようになりたかった、だから強くなりたかったのかもしれない。
あの人はとてつもなく強かった。長い白銀の髪をたなびかせ、純白のローブに身を包み、両手には炎のような赤い剣と青白い火花の散る刀を持ち、上級魔法を詠唱破棄で何発も繰り出す。
そうしてSランク級の魔物数十体を一掃したその姿に憧れたのだ。
口元からプクプクと泡を出す。
ーーどうしてるんだろう今頃。きっと私じゃ一生かかっても辿り着けないような場所にいるんだろうな。
少女は瞼の裏にその姿を映し出す。
耳の奥で心臓が脈打つ音がやけに強く響いてくる。普段より湯が熱いせいか頬が熱い。
何も苦しくないのに何かが締め付けられるように自然と鳩尾に力が入る。
少女はお湯に浮かんだ自らの髪にそっと触れる。
真っ白な透き通るような髪色。少女は今までその髪に嫌悪感を抱き続けていた。
曰く、悪魔の髪と。
神話らしい。白い髪に白い肌をした人間がこの世界を滅ぼすという。
それが未だに浸透しているあたり、この世界の人間がそれだけオカルトを信じているということなんだろう。
確かに彼女はギルドの適性検査でどのギルドにも適性が無かった。だが、それでも、例えば簡単な給仕のようなことはできたはずだ。
しかしできなかったのは単純にその髪色が忌避されるものだったにすぎない。他にも宿に泊めてもらえなかったり、商品を売ってもらえなかったりと差別されてきた。
今は彼女はその髪に愛おしささえ覚えている。
名前も知らないその人と唯一同じところだから。きっと彼も差別されながらも努力しあれだけの実力を手に入れたのだとおもう。
一時期染めてしまおうかとまで思った。だけどそれが宝物になった瞬間、キラキラと美しく目に映った。
ーーもう上がろう。ルークさんも入りたいだろうから。
少女は浴槽に蓋をして、風呂場を出る。
涼しい夜風に吹かれながら、身体を拭き、用意していた寝巻きに着替える。
ふと、腰の辺りに違和感を覚える。何かが引っかかっているようなむず痒さがする。
一瞬、何か虫でも入ったんじゃないかと思い、背筋が震えたが、考えてみればこの建物の中でゴキブリとかムカデとかを一切見たことがない。聞いた話によるとミクルンが発するフェロモンが拒絶させてるらしい。
だったら何だろう、と少女は腰に恐る恐る手を伸ばす。
この建物の唯一の共有スペースであるリビング。そこには硬めの二人掛けのソファーとテーブル。そして小さな台所が隣接していて大きな窓が付いている。
ソファーに腰掛け、顰めっ面で一枚の用紙を見つめる真っ黒なフードを被った男。
この建物の主である男だ。
何度もその内容を読み、頭に入って来ては眉間の皺が増えていく。
「ホッホッホ。そんな顔をして、どうかしたのか?」
深いゆったりとした声が部屋に響く。だが人の姿は無い。その代わりに空気をゆっくり撫でるような音がする。
「眉間の皺はなかなか取れんぞ?まだ若々しい姿を保っていたいなら表情には出さないことじゃ」
どこに眉間があるのか、全くもって疑問だがまるで老齢の爺さんのような口調の訳知り顏だ。
「余計なお世話だ、カーネル」
不機嫌そうに言い返すが、その一方で言われた場所を右手で揉んでいる。
「ホッホッホ、しかしお主にそんな表情をさせるのが、まさかそんな内容だとは。これでは一体どっちが強いのか分からなくなってくるのぉ」
カーネルは最初と同様に全く羽ばたいてるという感じを出さずに、まるでそこに上昇気流が存在するように滑空しながら舞い降りる。
真紅の体躯に鮮やかな羽毛。大きさは15センチ程しかないというのに、その姿は威厳で溢れている。
「時代と共に歴史は移る。老兵の出る幕ではないということではないのか」
カーネルは絶対にからかっている、と彼は確信した。この鳥に時代が移るだの歴史が変わるなどという概念はあっても、老兵は去るべきなんていう概念があるはずがない。
何故ならそれは、
「不死鳥のくせに何を言っている。なんならその小さな脳を少しでも役立ててみろ」
とは言いつつ不死鳥にも寿命はある。灰になってまた生まれてくる、というのとは別の周期が。だが人の歴史の中でそれが行われたことはない。
「そうじゃのう.........ワシ......いや、ミクルン殿にひと暴れして貰えばどうじゃ?本拠地を潰せばどうにでも終わるじゃろうて」
カーネルは気楽な口調でなかなかにえげつない事を考える。ミクルンに暴れさせる。それは一つ間違えれば天災レベルの災害を起こしてしまうというのに。
もっとも、カーネルや例の蛇より危険度は低いといえばそうなのだが。
主は聞かなければよかった、と思いつつ再びその用紙に目を落とす。
『ロドネス区魔導師ギルドの取り潰しについて』
ここの奴らのいいところといえば、こんな風に直接的に言ってくれるとこだけだ。
今時5歳児でももうちょっと言い回しに気を使うというのに。
この動きは以前からあったことだ。成果の上がらないギルドを取り潰す。それはどこでも必然的な淘汰だ。今まで強引な動きが無かっただけマシといえよう。こんなギルド成立していたこと自体不思議なことだったのだから。
「確か明日ここの社長と会うのじゃったのう。勝算はあるのか?」
カーネルは答えがわかっていてそれを聞いた。
カーネルにとっては疑問だった。主はここの場所に愛着は確かにある。だが、ここまで思い悩むほどのことでもないはずだ。現に彼は何度かこの土地の一部を売却したりもしている。
「まあ答えを聞かずともわかっている。お主が固執していることもな。あの髪ーーー」
「ルークさん!!!」
突然カーネルの言葉は遮られる。ドダドタと騒がしい音を響かせ少女は部屋に飛び込んでくる。
少女は気づかなかった。主とカーネルは少女が来た瞬間、驚きに目を見張り、ほんのわずか焦ったような表情をしたことに。
「わ、私の服の中にこんな手紙が......!」
わたわたと慌てながら見せるのは薄汚れた再生紙。興奮してるのか手が震えている。
「ホッホ、手紙とな。それはまた」
「.........静かにしてろ」
だが少女の慌てっぷりとは対照的に一人と一匹は全くもって冷静そのものだ。
「そ、それでですね!な、なんでかわかんないんですけど...!」
そう言って用紙を彼らの目の前に突きつける。
カーネルは2、3回ジャンプして身体の向きを少女に向けその用紙を見つめる。
「なになに?剣士ギルドでの集団演習への招待。魔導師、神官、関係ありません!みんなで楽しく剣を習いましょう!とな。これはまた面白そうな企画じゃのう」
「そうなんですよ!いつもならこんな用紙すら来ないのに!こんなボロボロの外見じゃあしょうがないんですけど......どこの物好きなんでしょうね!」
饒舌になってるせいか普段の彼女からは想像できないような言葉が発せられる。
その言葉にカーネルはホッホ、面白いことを言う、と言い、主はボロボロの外見という言葉に頬を引きつらせたが、外見と言ってるので一応セーフということにしておいた。
「それで、どうする?行きたいのか...
「行きます!行きたいです!あ...なんの予定も入ってなければですけど...」
「好きにしろ。剣は武器庫から適当に持っていけ」
主は面倒くさそうに言い放つ。その横でカーネルがニヤニヤと笑っていた。
「ありがとうございます!じゃ、じゃあ明日の朝ごはんの準備ができないんですけど..................どうして剣を持っていかないといけないって知ってるんですか?」
そう言われて主は表情に出さず心の中で冷や汗をかく。
横でカーネルが吹き出していた。
特に良い言い訳を思い浮かべることができず、仕方なく主は絶対に自分の口から言いたくなかったことを言う。
「おい。............自分の身体を見てみたらどうだ?」
「ふぇ?」と意外そうな声で聞き返すホノカ。そして言われるがままにお腹の方に目線を落とす。
「ふぇ............えええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
少女は、一応布は巻いてるのだが、身につけてるのはそれ一枚だけだった。濡れたその布は殆どその意味をなさず、少女の身体の輪郭が、少女が嫌で嫌でたまらない、プロポーションが全く整ってないと思ってるその身体が露わになっている。
少女はゆっくりと、まるでロボットのようなギチギチとした動きで、正面を見る。風呂上がりだから、というわけでは決してない赤が頬に現れる。
「.........言っておくが、特に何も思わないぞ」
きっと主はほんの少しでも気を使ったのであろう。彼だって少女の気持ちは少しはわかるつもりだったから。だがしかし、そんなことはなんの足しにもならない。寧ろ助長している。
「う......お!......大きなお世話です!!!」
多分少女が出せる限界のさらに先の声を絞り出し、そして彼女は走り去っていく。
まるで嵐のような少女に、部屋にほんのりと石鹸の香りが漂ったままだ。
「フォッフォッフォッフォッフォッフォッ!!!」
カーネルが涙も滲むほど盛大に笑い出す。
「.........騒がしい」
一方で主は呆れたようにボソリと呟く。だが、怒っているようではないようだ。
だが、主はふと、少女の行動に違和感を覚える。
幾ら何でもあそこまで興奮して慌てるものだろうか。
彼女はいつだってもの静かだし、冷静とは言い難いが、あんな行動をするとは思えない。
すると床を擦る音が聞こえてくる。ズルズル、と言うより、速く滑らかな動きのようだ。
「てめーら大根役者かよ。んだあのど下手くそな演技もどきは。道端の石ころの役する奴の方がまだマシだぜ」
鎌首をもたげて、細く先端が二股に別れた舌をチラチラと見せながら、茶色い鱗に覆われたその姿を見せる。
2メートル程の長さの、細長い小さな蛇だった。
「フォッフォッフォッ。バジル殿にでさえばれてしまうようでは、我々もやはり大根役者であったということか」
「このクソ鳥!どういう意味だそりゃあ!」
バジルの言葉にはシューシューという少し耳障りな音が混じる。
だがどうやっても所詮は地を這う蛇。空を飛べる鳥にはどうやっても届かない。
「それに化けナメクジ!てめえまた酒飲みやがったな!隠れてねえで出てきやがれ!」
しばらくカーネルを追い回していたバジルだったが、疲れ果て怒りの矛先をミクルンに向ける。
「やぁダァ、乙女のホロ酔い姿を見たいって?もう、バジちゃんたら、可愛いところあるじゃない」
するとミクルンがその透明な身体を不自然に揺らめかせながらやってくる。
そうして主とカーネルはやっと理解する。この家で酒を飲むのはミクルンだけ。そしてアルコールを摂取したミクルンは体表の粘液にも僅かながらアルコールを含み始める。
多分そのせいで、その粘液を浴びていたであろう少女は少なからずのアルコールを摂取することになってしまい、あんな行動に出てしまったのだ。
「フォッフォッフォ。ということはある意味ミクルン殿に助けられたということじゃな。仮に酒が入っとらんかったらあの子は簡単に我らの演技に気づいたじゃろうて」
「ん〜どうしたの〜?みんな演劇でも見に行くの〜?」
「てめえは黙ってろ!あークソ!酒臭いにおいで近づくんじゃねえ!」
しかしまあ、ミクルンの体液に含まれるアルコールなんてほんのわずかだろうに。どれだけ酒に弱いんのだろうか。
これでは将来的に、ランク昇進祝いなんてやってしまった日にはどうなることやら。
少女のランクは現在Dランク。だが多分、剣術を覚えればすぐにでもCに上がるだろう。
主は決して魔導師にさせるわけではない。恐らく魔導師に育てようとすれば、魔力不足や精密性に置いて、他人には勝てない。かと言って剣術のみ鍛えたところでたかが知れている。
中途半端、と言えばそこで終わりなのだが、だからこそ主は彼女に両方覚えて欲しいのだ。
この彼女のような人間にとって辛く厳しい世界で、戦える手段の多さはそれだけで武器となりうるのだから。
「カーネル。明日の朝、あいつに合う剣を選んでやれ。武器庫の鍵は開けておく」
「了解じゃ。して、お主は?」
「......面倒な接待を終わらせてくる」
「フォッフォッフォッ。ここの敷居は跨がせないということじゃな。やはり主は守るより攻める方が似合っておる」
その声を背中に聞きながら彼は部屋を後にする。
とにかく明日だ。明日になればどう動くかがきまる。剣士ギルド、それに戦士ギルドがあいつを見てどうするか。
ここをどうやっても手に入れたいらしい例の企業がどんな策で来るのか。
全ては誰かの行動次第だった。