襲撃
一言でいうと、暇だった。何もすることがなかった。部屋に戻ってベッドに座る。昼は何人かいたギルドの人もクエストに行くなりして、もう本当に誰もいなかった。
一人で練習する気にもなれない。いや、今まで練習してたのはキリカがいたからだ。彼女が話し相手になってくれてたし、憑依の練習もできた。
キリカはあれから顔を出そうとしない。契約の関係上彼女の気配は感じ取ることができるが、それだけだ。
今は何も感じない。本当に独りだった。
服を買いに行こうかと思った。ボロボロになったクエスト用の服を見てそう思った。
でも考えてみればお金がない。最近まで寝込んでいたせいもあって殆ど貯金が無いのだ。
食事に行こうかと思ったが、全くお腹が減っていない。ベヒーモスフルーツのせいだろうか、と考えた。食事をとらないと筋肉が減っちゃうのに、と思ったが、お腹が減らないのだからしょうがない。
今だけはそれを恨めしく思った。行動する理由を潰したベヒーモスフルーツに、それを持ってきたジンくんに。
そういえばジンくんとコトネさんはどうしているんだろう、と思った。多分今回の大規模迎撃作戦に組み込まれているのだろうけど......。
あの二人付き合ってるのだろうか。
どちらも美形だ。ジンくんは背が高くて髪はツヤツヤでサラサラ。顔立ちも身体もスラッとしててそれに実力もある。コトネさんはとっても綺麗だ。身につけてる服装も高級なものだしそれを着こなすプロポーションがある。化粧だって綺麗にしてるし太ってるわけじゃ無いのに胸だって大きいし、もう直ぐAランクにたどり着くような実力だ。
考えれば考えるほど二人はお似合いだ。
でも前に見た感じでは、二人は同僚って感じで恋人というか友達ですら無い、ただのチームとしての仲間、と言う印象が強かった。
......そんな事を思いながら、もう考えるネタが無くなってしまった。
そっと瞼を閉じて眠くも無いのに、寝ようとした。
人間っていうのは便利に出来てるみたいでそうすると自然と眠ってしまう。浅い眠りと濃い夢の中へと直ぐに誘われた。
気づくと既に集合時間の30分前になっていた。私は慌てて飛び起きてボサボサになった髪の毛をできるだけ綺麗にする。
5時間以上寝ていた。それに深い眠りから覚めた時のようにもっと寝たい、という頭の訴えがする。普通に昼寝した後ならスッキリするはずなのに。それに夢も覚えていないし見た気もしない。昼寝なら普通は夢をよく覚えているはずなのに。
そんな事を色々考えながら刀だけ持って部屋を出る。ここから受注場まで走って30分。間に合うかどうかギリギリだった。
待ち合わせ場所に行くとそこには既に三人の姿があった。なんとなく声をかけるような雰囲気じゃなかったので少し隠れて近づいていった。隠れてとは言っても私にそんな能力は無くて、精々身を低くして足音を立てないように、というだけのことだけど。
「......それがウチらに近づいた目的?」
ルリちゃんの低くて棘にある声が聞こえる。何のことだろう、と思って隠れて耳をそばだてる。
ルリちゃんが溜息をついた。
「.........とにかく、了承できへん。というかウチらが決めるような案件やないやろ。本人もそうやしもっと......法律みたいなことに関することや」
ルリちゃんの最後の言葉は、まるで今まで発したことのないように、言いにくそうだった。
それに対しエルフの人が何かゴソゴソしゃべる。小さくてよく聞こえない.........いやルリちゃんの声が大きいだけなのかも。
「......それぐらいはしたる。ただし絶対に直接会うな。破ったらぶちのめしたる」
何やら物騒な話になってきてる気がする。しかも私の知らないところで。もしかしたらルリちゃんがエルフの人を誘ったのは、そのため?私だけ仲間外れなの?
いつもならこんな疑いは持つことはない。こんな醜い感情、持たなくていいのに.........。
「ホノカさん」
突然背後から声がして、思いっきり飛び上がる。
「...来てたんですか。こっちですよ」
カズユキくんは何の疑いも無く私に接する。それは優しさかそれとも単に気づいていないだけか。
というかコソコソと聞き耳を立ててたことぐらいわかるものだと思ったんだけど。
「うん......ごめんね」
立ち上がって二人の元に行く。
状況的に私が突然現れた形。だけど二人は特に驚くことはなかった。
エルフの人は相変わらず牛乳女、と私の事を呼んだ。ちょっと赤面しながらも無視することに成功する。けどどの道、話せるのは彼しかいないんだから、少々乱暴な言葉遣いに付き合わざるをえなかった。
その夜、私達はエルフの人が住んでいるという家に向かう。古ぼけた木造2階建てだった。
この人は都市の外からやってきたのにどうやってこの家を調達したのだろう。そんな疑問が生まれる。もしかしたらあの魔法で錯乱させたのかも。そう思うと不安になってくる。
「なんや、エルフっていうから大層な家を想像したんやけど、拍子抜け」
「うん、ちょっと狭い......」
ルリちゃんとカズユキくんはエルフの人に続いてなんの遠慮も無く上がっていく。靴は脱がなくていいみたいだった。
中は予想通りの家だった。妙に使い込んだ感じのある机や椅子。歩くとキイキイと音の立つ床。キッチンでは執事のような老人のエルフの人が料理を作っていた。
「それじゃあ食べてくれ。遠慮はしなくていい。これも報酬の内だ」
エルフの人は人数分の料理を用意していたみたいだった。
その美味しそうな料理を見ると合計して4食も抜いてる私は盛大にお腹を鳴らした。
「牛乳女は腹を空かしてるようだが」
笑いをこらえようともせずに言うエルフの人に流石に無視しきることができなかった。
顔を真っ赤にして俯いてしまう。もしかしたら泣きそうに見えたのかもしれない。
「わ......悪かったよ。ほら、さっさと食え」
そう言って出された食事に私はかぶりついた。なんかもう何もかもがどうでもよく感じるくらいには、お腹が減ってたみたいだったから。
ルリちゃんとカズユキくんは平然と至って普通に食事している。とは言ってもみんな口数が少ない。いつもなら耳に響く食事の音すらかき消してルリちゃんが叫び出すところなのに。
なんとなく寂しかった。食事も見た時は美味しそうだったけど、いざ食べてみると味がしない。
決してエルフのおじいさんを悪く言ってるわけじゃない。けど、本当に、なんの味もしなかった。
「夜は、相談して1人が休んで二人が護衛って形にしようっておもてん」
食事が済んでからルリちゃんが言った。相変わらず私の方は向いてくれない。
「こいつの寝室の前と家の外周。まあ、3人しかおらんからそれぐらいしかできへんねやけど」
取り出された用紙にはローテーションの順番と場所が書いてあった。3時間交代で私が最初外周になってる。
でも......私はさっきまでずっと休んでた。だから私は休みなんて必要ないって言うべきだったのかもしれない。
でもなんだか、ルリちゃんに話しかけるのが怖くて、私は誰に言うともなく「わかった」と呟いた。
冷え込む夜だった。満月に限りなく近い月。北風が強く吹いていて人の気配は殆どない。
そんな中1人で外にいるのは意外と苦痛ではなかった。
1人は嫌いではなかった。寧ろ好きな部類に入るのかもしれない。
今日はこの都市で初めて星を見た。オリオン座の一等星しか見えなかったけどちょっと感動した。
他にも普段は人の声が邪魔して聞こえない虫の声や風の音なんかも耳に響いた。
きっとこれをわけあえる人がいればもっと感動するんだろう。
そんな風に思いながら、きっと嘘でしかない孤独を好む時間は過ぎていった。
3時間経ってから交代の時刻になる。カズユキくんが外。ルリちゃんが休憩して私が彼の部屋の前に行った。ルリちゃんは既に休憩してて、私は特に話しかけることはなかった。
二階も至って普通の間取りだった。部屋は一つだけ。階段を登ったらドアがありその横には小さなガラス戸があって、そこからバルコニーに出ることができる。
「次は牛乳女の番だったか」
ドアの奥から声が聞こえてくる。
寝てたのかと思った。もう10時を回ってるから。やっぱり狙われてるというのは本当なのだろうか。できれば何も起こらないで欲しい。
「......よろしくお願いします」
一体何をよろしくなのかよくわからなかったけどとりあえず言った。そもそも私はこの人に小言の一つでも言って構わないのではないのだろうか。
「なぁ牛乳女。一つ聞きたいことがあるんだが......」
「なんですか?」
「お前さ、俺のことなんで名前で呼んでくれねぇの?」
思わず転びそうになった。
この人、何言ってるんだ?一瞬乙女の言葉かと思ってしまった。そんな低い声で弱々しく言わないで欲しいのだが。
「他の奴はさぁ、呼んでくれるんだが、お前だけは呼んでくれねぇ」
なんだか拗ねてるみたいな声だった。イジイジといじけた少年の姿が目に浮かぶ。体育座りして布団を口元ぐらいまで引き寄せてそうだ。
というかこの人性格変わってないだろうか。もっと高慢で尊大な人でプライドの高いものだと思っていたんだけど。
深夜テンションってやつなのかな、まだ10時だけど。
「......なぁなんでだ?」
なんでだ、と聞かれても......。
そもそも会話してる回数自体が少ない上に名前を呼ぶ機会なんてなかった気がする。
いやそもそもこの人、なんて名前だっけ。
「忘れたなんてことねぇよな」
怖さ半分怒り半分という感じの声だ。
「...............」
黙っていると盛大にため息をつかれる。
「シュネルだ。シュネル・ソレイム。忘れてるかもしれねぇが、エルフだ」
不機嫌な声だ。
「エルフだってことは知っています。......シュネルさん」
若干硬くなりながらも呟いた。意図して誰かの名前を口に出すということは思いの外恥ずかしいことだとわかった。
私の言葉を聞いて満足そうにウンウン言ってる。
寂しいのだろうか。
エルフというと高潔で誇り高い魔術一族だと思っていて、私達人間とはもしかしたら思考回路がことなるんじゃないかと思ってたけど、全然そんなことはなかった。
考えてみれば、誇り高いというのも人間と同じ。そして寂しがりなのは、もしかしたら誰も同族がいないからなのかもしれない。
私も、誰も知り合いのいないパーティーに入ったりすると緊張して寂しくなって、ちょっとしたことで突き放されたと感じたりして悲しくなる。
似てる。そう思った。
「......大丈夫ですよ」
静かに呟いた。別段こんなことする義理も義務もないのだけれど。
「きっとすぐに仲間が見つかります。望めばきっと心の許せる仲間が」
説得力のない言葉だな、と思った。確かに私には仲間が昔はいなかったかもしれない。少なくとも一緒に汗を流してクエストに向かう仲間はいなかった。だけど家はあった。そこにいる人たちは家族みたいだった。それは、心を許せるということであり、ほんの瞬きのような時間だったが、家族と仲間を両方いた時もあった。
今は仲間が家族になって、幸せを満たしてくれている。
つまり私には仲間がいないという気持ちがわからないということだ。ずっと、恵まれていないと思っていた時でさえ、支えてくれる人がいた。それが幸せだということに気づくまでとても長い時間がかかったことは後悔なんだけど。
「そうか。なら俺は胸と尻のでかい女と仲間になりてぇな」
しれっとした声が耳に響く。
「それを5人くらい侍らせてハーレムしてぇな。両方の腕に絡んでもらってでっかくて柔らかい肉丘の感触を楽しんで......」
前言撤回したくなった。なんでこの状況でこんなこと言えるんだろうか。全く理解できない。
「エルフってにはどいつもこいつも貧乳ばっかでな。つまんないってわけじゃないがなんだかこう手応えって奴がな」
私は一体なんて反応すればいいの?貧乳とか巨乳とか私に言われたってわかるわけない。なんでこんなにデリカシーに欠けてるの?
「ああ、そういう意味ではお前は好みだぞ牛乳女。乳もでかいし、もうちょい尻が出かけりゃグッドだったんだがなぁ」
............やめてよ。
「でもまぁ及第点。お前ぐらいの歳にしちゃあ」
「やめて.........」
沈んだ、かすれた声が出た。その声にシュネルさんの声が止む。
「......事実だってわかってる。そんなこと......1番よく知ってる。私が太ってるってことぐらい......」
ほんの少しだけ涙が出そうになった。それが鼻声となって声を萎ませる。
「.........本気で言ってんのか?」
シュネルさんは一体何を驚いたのか。
わかりきったことだった。
でもそれを、エルフであっても男の人に言われるのはわけが違うかった。
自分の容姿が全否定されてるような気がした。きっと彼にはこんな心、一切理解できない。
でも、からかったら人が傷つくってことぐらい知っていてほしい。いくらバカだってそれぐらいわかっていてほしい。
それから随分長い間黙っていたと思う。
黙りすぎて、少しだけ欠伸が漏れた。
ガラス戸の方に移動する。この角度からでは星は見えなかった。
少し残念に思って、ガラス戸に背を預け座り込む。
一応護衛なんだから窓に目を向けてるべきなのに。
「......なぁ、聞いても良いか」
しばらくして、シュネルさんはまた尋ねてきた。今度はしっかりとした声。でも遠慮がちな雰囲気があった。
「ルリって女と仲が良いのか?」
一瞬、心臓が大きく跳ねた気がした。今この時に聞かれることだとは思わなかった。
「どうして......」
仲が良い、と聞くのだろうか。普通なら、私達は目に見えてわかるほど無視し合ってたのだから、仲が悪いのか、と聞くのが普通なはずだ。
「いや、何と無くだけどよ、お前ずっとあの女のこと見てるだろ。ありゃ話しかけたいって思う目だと思うんだが、違うか?」
......少し驚いた。この人バカなのか鋭いのかどっちかにしてほしい。
私は答えなかった。少し喋るのに疲れたかもしれない。
背後を見て誰もいないことを確認する。そしてそっと目を閉じた。
寝るつもりはなかったがやっぱりちょっと疲れてる気がした。
目をつぶると色んなことが頭の中で考えられる。それだけ視覚の情報処理にはタスクを割いている。
シュネルさんから見て私はどう見えたのだろうか。
意地汚い、若しくは未練がましく見えたのだろうか。
それとも辛そうに、かわいそうに見えたのだろうか。
どれも嫌だなぁ。
時間が解決してくれると思っていて、今のことに集中しようとしても、どうしてもルリちゃんの顔がチラつく。
気にしすぎてしまう。まるで思春期の男のように。
どうしたらいいのかわからない。答えがないから、そもそも誰かとここまで喧嘩するほど仲が良くなったことなんて無かったから。
悶々とただ悩んでるだけなのに......。
その時、床についてる指先がヒンヤリしてることに気づいた。
隙間風?と思ったけど、そうじゃない。
濡れていた。
雨かと思って振り返るけど空は雲一つない夜色だ。
不思議に思って指先を確認すると、それは水ではなく、何か流動状のネバネバした何かだった。人差し指と親指を離すと、糸が伸びる。
見たことない液体だった。
「まぁでもあっちの方も......」
シュネルさんが何か言ってるけど耳に入ってこなかった。
このネバネバがあったところを見ると少しずつ液体の円が広がっている。
ガラス戸の隙間から滲み出ているように見えた。
まるで外側から水圧をかけているみたい。
この時はまだ、これが何かということは掴めず、漠然と疑問に思っただけだった。
ガラス戸は二枚あってスライドさせて動かすタイプ。縦長長方形で私よりちょっと背が高いくらい。カズユキくんだと屈まないと入れないと思う。
私はガラス戸を開けずに外の様子を伺った。水圧がかかっているなら外側に目に見えるくらいの何かがあるはずだ。
「.........え?」
目に飛び込んだのは巨大な緑だった。
植物とかの緑じゃなく、まるで絵の具をベタ塗りしたような真緑。それが夜空の光を反射しテカテカと光っている。
蠢いている。その証拠に光が移り変わる。
その動きはまるでこの部屋をこじ開けようとしてるようだった。
私は数秒硬直してから刀に手をかける。もしかしたらこれが、シュネルさんを狙うやつなのかもしれない。シュネルさんは決して人が襲ってくるか魔物が襲ってくるかとは言わなかった。
取っ手に手をかけガラス戸開け放った。
その瞬間だった。
夜じゃなくなった。
ガラス戸の奥がまるで昼間の輝きを取り戻したかと思えるほど発光したのだ。
その数瞬後、耳を貫くような破壊音が響き渡る。
連鎖的に続く音。そっちを見れば、ガラス戸が粉々に砕けていた。破片が飛び散り頰を引き裂く。
「なんだ?!なんの音だ!」
ドアの奥でシュネルさんがベッドから降りる音がした。
その時、外の光が再び強くなる。
私は本能的に後ろに飛びのいていた。ガラス戸は二枚ある。開け放っていたせいで二枚とも砕けたがもしかしたら、それが敵にわからなくてもう1発撃ってくる可能性は十分にあった。
そして見えた。それはまるで小さな太陽だった。白く発光する球体が猛スピードで通過したのだ。
それがこの光とガラス戸を破壊した正体。
ドアが開く。背後を振り向けばシュネルさんが呆然と立っていた。
私は止まれず、そのまま後ろ向きにシュネルさんにぶつかった。
「うぅ......」
と言う音が耳に聞こえた。案外硬い身体でホッソリした体型で、石鹸の匂いがした。
多分思いっきり肘を入れてしまったかもしれない。
「何があった?!!」
痛みをこらえたような声でシュネルさんが叫ぶ。私にもわからない。いきなり光の閃光が見えて、ガラス戸が割れた。
ガラス戸の奥に緑の塊があった。
それを思い出した時、目の前で緑の柱が生まれる。グネグネと動きながらそれはだんだんと丸まっていく。
さっきまで少しずつ染み込んできていたのが、ガラス戸が割れたせいで一気に入ってきたのだ。
ハッキリとこの目で見ればわかる。これはスライムだ。人を捉えて溶かして食べる。しかも高さが2m、幅は1.5m以上ある。この大きさは西の森には殆ど生息していないはず。その上こんな色は見たことがない。
巨大な体躯が薄く広がり、覆いかぶさろうとしてくる。
刀を抜き、左斜め下に斬り裂く。
でもあのドロドロの怪物と同じように、スライムは止まらずすぐに再生してしまう。
「どいてろ!」
シュネルさんは既に杖を構えていた。その先に魔法陣が浮かび上がる。
「ヒート・ショット!」
赤い魔法陣が消えた、そう思った数瞬後、スライムが爆発する。水分が蒸発したのか水蒸気が発生しそれが冷えて白い煙になる。
あれは確か熱魔法の一種。高温高圧にした空気をスライムの近くで解き放ってる。
「どうだ!この熱魔法は空気を.........」
刀をしまい、シュネルさんの手を取って、階段を急いで降りる。
一体何を解説しようとしているのか。今は襲撃中だ。急いで逃げないと。
「下だ!一階に下りた!」
上の階から誰かの声が響いた。聞いたことのない声だ。きっとこれがシュネルさんを狙ってる人たち。
「ヒート・ブレッド!」
階段を下りきった直後、シュネルさんは階上に向かって魔法を放った。今度は炸裂弾のような感じで、細かい爆発が一気に多数起こった。
木の壁が砕け散る音が響き、煙でよく見えないけど多分階段が滑落してる。
「ホノカさん危ない!」
カズユキくんの声がした。巨大な彼の大剣が目に入り、それが大きく揺れる。
カズユキくんが攻撃を防いでくれた。煙が廊下に立ち込める。
「カズユキ!ルリは!」
シュネルさんが問いかける。
「わからない。だけど多分外で応戦......」
その時、カズユキくんは何かを察知したように大剣を盾のように構える。
そこに再び何かがぶつかり、煙と共にカズユキくんは数歩後退する。
「くそったれっ!土魔法か!」
カズユキくんの大剣からボロボロと茶色いものが落ちる。言われてみれば確かに土のように見える。
「ヒート・ブレッド!」
カズユキくんを避けるようにして細かな熱魔法を放つシュネルさん。
着弾し、爆発する音がなんども聞こえた。しかし依然としてカズユキくんの大剣は土の塊を受け止めているしその勢いが弱まることはない。
「外に出なきゃ。ここにいたんじゃ袋の鼠」
私は2人向かって言った。
二人もこのままだとジリ貧。
「玄関まで......行ければ」
ここから玄関へは廊下を進んで右に曲がり、そこを進んだところにある。
だけどその方向を見た時、そこに魔法陣が見えた。
透明な魔法陣。多分、水魔法。
「ウォーター・ボルト!」
高圧の真っ白な水の塊が飛んでくる。私は慌てて刀を抜き、それが当たる前に斬り落とした。
でもキチンと構えれてなかったせいか、手首にビリビリとした痛みが走る。
その時私は初めて敵をはっきりと見た。異常に長い耳。染めたような青い髪の毛。目も青色でホッソリとした体躯。
間違いない。森で彼を追っていたのと同じ、エルフの人だ。
「どけ牛乳女!」
シュネルさんが青いエルフの人に杖を向けてる。私は急いで身を屈めた。
「ヒート・ショット!」
だが相手も同じタイミングで魔法を放つ。
「ウォーター・ボルト!」
二つの水と熱が空中でぶつかり、混ざり合った。
その瞬間、肉が焼け焦げるような音と共に白い爆風が吹き荒れた。
「あつっ!」
水蒸気が冷えた水滴。多分100度近くあったそれが廊下に充満し、視界を奪う。
「突破するぞ。俺が援護するから行け!」
シュネルさんは杖を構えて言った。既に魔法陣を展開し始めている。
私は頷いて刀を抜き、煙の中を走った。
殆ど見えない、けど狭い廊下だからある程度どこにいるかぐらいは予想できる。
一瞬見えた灰色の影。そこに向かって斬りつけると、何か木のようなもので受け止められる。
杖。
だけど膂力は全然ない。
私は思いっきり力を入れて相手を吹っ飛ばし、左手を向ける。
「ライトニング・ボルト」
ほぼゼロ距離でぶつけた雷撃によって青いエルフの人はビクビクと痙攣しそのまま泡を吹いて倒れる。
少しの間呆然としてると背後から、
「カズユキこっちだ!」
「ホノカさん、土魔法に注意して進んで!」
二人が蒸気をかき分け廊下を走る。シュネルさんが一歩前に出てて、カズユキくんが後方で敵の攻撃を受け止めながら進んでる。既にカズユキくんの頰や腕からは血が滲み出ていた。
私は先に廊下の角を曲がる。その時何か踏んだ気がしたけど、気にしてられない。
玄関が見えた。こっちではあまり戦闘が行われていないせいか、土煙も殆どない。
でも一瞬疑問に思った。さっき2階にいたエルフの仲間は私たちの位置を知らせたはず、普通二人一組以上で行動する。そう仮定すればもっとたくさんのエルフが、もしかしたら外でルリちゃんと.........。
そう思うと恐怖が身体を走った。ルリちゃんは強い。けどあれだけの魔法を一気に受ければ.........死んじゃうかも。
私は玄関に急いで走った。その短い道のりに敵はいない。私は後方の二人に合図だけ送って、玄関に迫った。
だけどたどり着くことはできなかった。
玄関が自分からやってきた。
いや違う。ドアが吹き飛んで、こっちに飛んできたのだ。
僅かに見える透明のガラス破片のようなもの。そして一気に立ち込める冷風。
私は横にあるリビングに飛び込んでドアを回避した。
その時、目に入った。扉と共に吹き飛ぶ人。
「ルリちゃん!」
その時かなり久し振りにその名前を呼んだ気がした。懐かしい感覚が口内を走った。
ルリちゃんはそのまま床に叩きつけられる。扉は砕け散り、破片をそこらじゅうにばら撒く。
急いで駆け寄ると、ルリちゃんは右肩を押さえて苦しそうに呻いていた。
何か瓦礫のようなものがルリちゃんの手から顔をのぞかせ、そこから血が滲み出ている。
私は急いでそこに手を当てて、回復魔法を唱えようとした。ここまで深いとほとんど効果はない。だけど少しでも、ルリちゃんの痛みが和らぐなら......。
「呆けんな!前見いや!」
ルリちゃんが痛みを噛み殺したような声で叫んだ。間違いなく私に向かった言葉だった。
心が痛んだ気がした。
慌てて玄関の方を見ればいくつもの色んな色の魔法陣が見えた。わかるのは火と水魔法だけ。でも他にも色んな魔法陣がある。
「ライトニング......」
私は左手を向けて口を開いた。でも対応しきれないということはわかっていた。ライトニング・ボルトに限らず雷撃魔法は、時間にすれば0.1秒にも満たない攻撃だ。だから連結された長時間の攻撃に弱い。その上私はまだ無詠唱ができないから、高速で連発できない。
たくさんの魔法陣から、多数の魔法が放たれた。
それはまるで生きてるみたいに渦巻き、真っ直ぐ私たちに向かってくる。
ライトニング・ボルトを放ったけど効果はスズメの涙ほどだった。
「アイス・シールド!」
ルリちゃんが叫んだ。その瞬間、大量の魔法が私達の眼と鼻の先でかき消えていく。
「...............!」
呆然とその光景を見ていた。火も水も、他の何かわからない魔法も次から次へと色とりどりの花火のようになって消えていく。
それが透明な壁だということにすぐに気づいた。そして感じるヒンヤリとした風。氷魔法による防壁。それが廊下に蓋をするように展開されていた。
だけどそれと同時にルリちゃんの叫び声が聞こえた。悲鳴だった。右肩をきつく押さえ、腰を浮かしながらビクビクと痛みに悶えている。
「る...ルリちゃん!しっかりして!どうしたら......」
「何立ち止まってんだ!」
シュネルさんとカズユキくんが走ってくる。二人とも息も絶えだえだ。しかもカズユキくんの足に大きな土の塊が刺さっている。
「ルリちゃんが!......どうしたら!」
未だに敵の魔法は続いている。それをルリちゃんの魔法はすべて受け止めてくれていた。
「......!こいつっ、憑依させた魔物に自分の魔力を吸い上げさせてやがる」
シュネルさんが驚愕の声で言った。でも私にはその言葉の意味が理解できなかった。
ただルリちゃんが助かるかどうかだけだった。
シュネルさんはその手をルリちゃんの肩に触れようとする。
でもルリちゃんはその手を払いのけた。
「.........っ!!がっ!ぐ......アウル.........もっと出力を......上げろ!」
口から泡を吹き出しながらなんとか声に出すルリちゃん。
そしてガクガクと震える足で立ち上がる。
「下がれ......ウチが...どうにかする!」
ルリちゃんは氷の壁を爆発させた。煙にまみれてわからなかったが、既に敵の魔法は止まっていた。
「おい、待てよ!お前は下がらないと......」
でもシュネルさんのその声を無視してルリちゃんは煙の中に飛び込む。
「......このっ!牛乳女!止めろ!」
その声を聞き、私は固まった足を動かした。ルリちゃんを止めなくちゃいけない。絶対に。こんなところで死なせるわけにはいかない。
私も煙の中に飛び込んだ。
ルリちゃんを止める。絶対に。謝りたいから。絶対に謝罪を聞いてもらうために。
だけど煙から出ると目に飛び込んできたのは、拘束されているルリちゃんだった。
ピンク色の糸が腕を押さえてルリちゃんの腰あたりをグルグル巻きにしてて、それが足にもある。がんじがらめで、ルリちゃんは必死で抵抗してるけど動けない。その糸の元はエルフの1人が持っていた。
けど、同時に気づいた。この状況でどうしてそんなことを思いつくのかわからない。普通ならルリちゃんのことで全て脳が埋め尽くされるはずなのに。
ルリちゃんはただ拘束されてるだけだった。
エルフから一切攻撃が来ない。魔力切れかとも思った。だけどナイフか何かで攻撃することだって、その気になれば杖で殴ることだってできるはずだった。
その時に音が聞こえた。水の音だった。バケツをひっくり返したような水の塊が地面に落ちる音がエルフの人達の方から響いた。
私はその方向に目を向けた。そして見えたのは、うずくまるエルフの人達。立っているのはルリちゃんを拘束する1人だけ。
そしてその音はエルフの人が黄色い液体を吐き出す音。
瞬間、目の前が真緑に塗りつぶされる。
グズグズと蠢めく流動質の塊。植物の緑とも違う、べた塗りのような色。
それが2階で遭遇した時と同じように身体を大きく広げ私たちに襲いかかった。
いや、私達、ではなく、ルリちゃんにだ。
廊下を覆い尽くすほどにひろがり、一切の逃げ道がない。
左手でライトニング・ボルトを放とうとした。だけどこの質量を一気に蒸発させるほどの威力はない。当たってもこのスライムは止まらない。
私は刀を抜いた。でもそれは決してこいつを斬るためではない。
冷たい、と思った。そして最初はまるでプールに飛び込んだみたいだった。
私はスライムの中に飛び込んでいた。流動質の物体でこれだけ動くためには、内部でかなり複雑な液体の動きをしてるはずだ。そこに私という異物が突如入れば、スライムは動きを失う。
身体の半分が包まれた。その瞬間、まるで崩れ落ちる建物のように私の身体から力が抜ける。
気持ちの悪い、グニュグニュとした何かが、まるで全身を舐め回すように体にまとわりつく。吸盤のように吸い付いて、私をスライムの奥へと引きずり込んでいく。
「......ルリちゃん」
私はまだかろうじて空気に触れている右手の刀でピンク色の糸を斬った。
「ごめんなさい......ルリちゃん。今度何でもするから」
二度目になるこの約束。それを呟いて、私はルリちゃんを思いっきり蹴飛ばした。
軽かった。何の抵抗もなくルリちゃんは飛ばされる。
その反動で一気に身体がスライムに侵食された。目の前が真緑になる。息が吸えなくなった。そして口へ鼻へ耳の奥へ、冷たいドロドロした物体が侵入していくのを感じた。
気持ち悪くて抵抗しようとしても身体が動かなかった。スライム自身による圧力と、弛緩した筋肉。そして頭がぼーっとしていき、視界が暗くなる。
死ぬのかな。
ふわふわと何かに浮いてる気がした。
でも、最後に謝れたからいっか。