イタズラ
気づけば、もう朝の10時だった。
日がもう高く昇っていて、部屋は明かりをつけなくてもかなり明るい。
鳥がさえずるのが聞こえる。少しだけだけど演習場で誰かが練習してる音もする。
布団がやけに固く感じる、と思ったら床で寝ていた。毛布も何もかけていなかった。
しばらくの間そのまま天井を見つめた。
夢であってほしいという証拠を見つけようとした。でも記憶を探ったけどそれは無かった。
起き上がって布団を見れば、赤い円が何個かある。
転がったコボルトの牙。折り畳まれた紫色の綺麗な服。ボロボロになったクエスト用の衣服。そして床にあるシミ。
そのどれもが、夢であるということを示す証拠では決して無かった。
窓の外を見てみると、やはり少ないけれど誰かが練習をしている。
不意にガラスに映った自分の姿が目に入る。
目が真っ赤に腫れ上がってまるでお化けみたい。目ヤニもたくさんついてる。
酷い顔だった。
その上髪の毛はまるでスーパ◯サ◯ヤ人みたいに逆立っている。
.........あれ?スーパー何ちゃらって一体なに?
一瞬そう思ったけど、すぐにさっき自分がなにを思ったのかすら忘れてしまった。
髪の毛は水をかぶればどうにでもなるし目ヤニは取ればいい。でも腫れ上がった酷い顔だけはどうにもできない。
......ブスがさらにブサイクになっていた。
でも、心底どうでもいい、とすぐに思った。
綺麗に、別に自分が綺麗ってわけじゃ無いけど、そうする必要性なんて一切無い。
今までおかしかっただけだ。そんなことに時間を使うぐらいならもっと有意義なことに使いたい。
私はそのままの格好で刀とクエスト用の荷物を持った。服装だけは殆ど寝巻きに近いような格好だった。多分森に入れば切り傷だらけになる。でもそれを考えることすら億劫で、どうでもいいと思えてしまった。
そういえばどうして殆ど人がいないんだろう、と思って、普段は殆ど見ない、連絡版を見てみた。毎朝当番の人が今日の予定とかイベントとかを書いてくれている。いつもはエンジくんたちから聞かされているので見る必要が無かった。
そこには、魔物の大規模侵攻に対する迎撃作戦と、招集人員が書かれていた。剣士ギルドだけでもかなりの数だった。そこにはエンジくんの名前やクラサさんの名前もあった。Bランク以上は全員、Cランクは優秀そうな人が約半分くらい書かれていた。
そうか、だから人が少なかったのか。多分他のギルドや、或いは医者のような人までがたくさん招集されたんだろう。
でも、そうなると今のパーティーはルリちゃんとカズユキくんだけ。
そう思うと少し......いやかなり気が重かった。
そのまま食事も摂らずにギルドを出ると、そこには人がいた。
ボーッとしてるみたいで、ずいぶん長い間ここにいたようだ。
「カズユキくん」
呼びかけるとビクッと身体を震わせ、驚いた表情をこっちに向ける。
少しだけだけど笑ってみようと努力してみた。でもカズユキくんはますます驚きを深めていく。
.........あ。そういえば酷い顔してるんだっけ私。
そう思うと少しだけ恥ずかしかった。
「おはようホノカさん」
カズユキくんの声はかなり緊張していた。思えばカズユキくんと二人だけになるのは初めてだった。お互いエンジくんかルリちゃんにくっついていることが多かったから。それに口数も少ないし。
「うん......おはよう」
私の声も緊張していた。
その後の言葉は続かなかった。それもそうだった。だっていっつもこの後はルリちゃんやエンジくんが喋ってくれていたから。
シーンとした空気に耐えられなくなって何か発しようとした。するとその前にカズユキくんが口を開く。
「大丈夫?」
恐る恐る、といった感じだった。
私はどういう意味での大丈夫か、というのがわからなかった。
いや、わかっていない振りをした。だから都合のいい方に解釈した。
「うん。できるだけ枝とかに引っかからないようにするよ。迷惑もかけないから」
そう言うとカズユキくんは困ったような顔をする。
きっと私がきちんと話さなかったのが原因だろう。
そしてまた会話が途切れてしまう。高く上がった日差しが小さな影を作って、鳥が口うるさくさえずっている。やっぱり人の声は少なめだ。
「そういえばどうしてこんなに人が少ないんだろう」
ふとそんな話題を出した。もうこれ以上、私のことに関して聞いてほしく無かったから。
「それは......魔物の大規模侵攻で」
カズユキくんは丁寧に説明してくれる。でもそれは特に目新しいものでは無かった。殆どさっき掲示板で見た内容と同じだった。
「そっか......。ありがとう教えてくれて」
聞く必要は全然無かった。こういうところでも私は言い訳して逃げている。
「......ルリさんが待ってるから、行こう」
カズユキくんは言いにくそうに言った。ルリちゃんが話したとは思えないけど、きっと雰囲気を感じ取ったのだろう。今だって普段ならルリちゃんが来てたと思う。
「わかった」
そう返事してカズユキくんの大きな背中の後ろについていく。
多分ルリちゃんとだったら隣同士で歩いている、と思った。
「ルリちゃん.........」
いつもの集合場所、クエスト受注掲示板まで行けば、少ない人混みの中にルリちゃんが立っていた。
目があう。でもほんの一瞬だけルリちゃんの目が見開かれたのを見た直後、ルリちゃんは目を逸らしてしまった。
カズユキくんは私とルリちゃんを交互に見て、どうしようか、と迷っていたが、ルリちゃんの方を向いて、
「クエストは決めた?」
「......ようわからんかって決めれてない」
それからしばらく間を置いて、もしかしたら私を見てるんじゃないのかな、と思ったけど、カズユキくんを見たままだった。
「......もうええんとちゃうか?エンジもおらんし......」
ルリちゃんはそう言って......何かの言葉を飲み込んだようだった。
「......そうか」
カズユキくんは呟いた。別段、反対してるわけじゃない。カズユキくんにとっても、こんな状態でクエストに出たって意味がないと思っているようだった。
「ほな解散しよか」
ルリちゃんの声は疲れてるみたいだった。
でも私は、賛成できなかった。稼ぎがないと困る、とも思ったけど、どうしても、ルリちゃんと一緒にクエストに行きたいと思った。
若干男みたいだけど、口下手な私にとっては、言い訳ばかり蒔いてしまう私にとっては、クエストに出て、一緒に戦った方が、もしかしたらまた話せるのではないかと思うことができた。
「あの......わたs」
「おい!そこの貧相な牛乳女!」
突然、大きな声が響く。というか私のことをそんな風に呼ぶ人なんか1人しかいない。
その耳が異常に大きいエルフの少年は、息を切らせながら走り寄ってくる。
「昨日ぶりだな。風邪引いてねえか?ん?」
顔を寄せてきて尋ねてくる。ちょっと鬱陶しい。
カズユキくんはわけも分からずこっちを見てるし、ルリちゃんは警戒の目を露わにしていた。
.........でもルリちゃんはそれ以上のことをしようとしなかった。
「シュネル殿。あまりはしゃぎすぎては行けませぬ」
するとエルフの人の奥から、同じように長い耳をした、背の低いお爺さんが現れる、頭が禿げ上がっていて、顔はシワだらけだ。
エルフの少年は彼の姿を見て鬱陶しそうに目を狭める。あなたの方が鬱陶しいんですが。
「うるさいぞ黙ってろ」
エルフの少年の人は老人を見ることなく言い放つ。
「それより俺はこいつらに決めた。これは決定事項だ」
エルフの人はそう言った。老人が「彼らにですか?」と驚きの目をする。
「ああ。お前ら俺の護衛になれ」
.........え?今なんて.........護衛って言ったのかな。エルフの人の護衛か。
「いやお前らもっと驚けよ!」
エルフの人は大声で叫んだ。
驚くと思ったんだろうか。別段、護衛のために依頼をするのは珍しいことではない。寧ろ熱心な薬学者や研究者、もしくは鍜治屋などは直接危険地帯に行こうとする事が多い。或いは珍しいけど王族の護衛なんかもあったりする。
でも私達がその依頼を受けるのかどうかというのはまた別の問題だ。今、今日は依頼を受けないと決めたばかりだ。
「ま、まあいい。それで依頼の詳細は」
「ちょっと待ちいや。自分の話だけで進めんといて」
ルリちゃんが前に出て言った。
一瞬だけルリちゃんとの関係が戻ったのかと思った。でも期待を込めた目を向けるとすぐに逸らされてしまった。
「お前何もんなん?見たところエルフみたいやけれど」
ルリちゃんは威圧的な視線を向けた。するとエルフの少年はきつい目をルリちゃんに向けて、
「ああ、俺はエルフのシュネル。こっちは俺の護衛だ。それ以外に何か質問があるか?」
「何もんなんって聞いてるんやけど。どこの人間で何がどういう目的の護衛かってところを言え」
ルリちゃんはさらに語調を強めた。よくわからないけど怒ってるみたいだった。
「エルフの国から来たんだよ当たり前だろ。後は俺を狙う奴らから守ってくれたらいい。それ以外に必要な情報なんてあるのか?」
エルフの人は小馬鹿にしたように笑った。護衛なんてそれで十分だろう、と言わんばかりだ。
それがルリちゃんには頭にきたみたいで、一歩詰め寄る。
「悪いけどウチらは頼み込んでくる奴はもう信用しないって決めてんの。いい加減にせんとその目ん玉...」
「ルリさん。ストップ」
それを止めたのはカズユキくんだった。少しビクビクしながらだったけどきちんと声は出ている。
「おっ。そこの太ったのは了解してくれてるみたいだぜ。さあこれで2対1。決まりだな」
いや、私は賛成してないしカズユキくんだってそうだ。
カズユキくんは小さな声で、僕は別に......とボソボソと話す。
「私も......」
否定しようと思った。
「ああ、そういえば牛乳女」
急に彼はこっちを向いてしゃべりだした。不敵な笑みに顔が染まっている。
「そういやお前に貸した服の使用料、払ってもらってねえな」
......え?い、今それを出すの?あの服は確か畳んだ状態のまま自分のベッドの上に置いていたはず。
「なぁに報酬を腹わねぇってわけじゃねぇ。ただこの依頼を引き受けてくれりゃぁいいだけだ」
「あ、あの服は洗って綺麗にして返します!だから......」
そう言うと彼はますます口角を上げた。
「ああ、あの服なぁ、洗っちゃいけないタイプなんだよ。すぐ縮むからなぁ。それに牛乳女の匂いがついちまってんだから洗っても意味ないよな」
「で、でも私は......」
後ずさりするけどそれに合わせてエルフの人は詰め寄ってくる。
エルフの人の目が爛々と輝いて見える。
「んじゃ契約書にサインな」
そう言ってあらかじめ持っていたのであろうその用紙とペンを取り出す。
「あ、あの......」
これじゃあ恐喝だった。
私はルリちゃんが何か言ってくれると思った。。カズユキくんもそれに期待してるのかルリちゃんをチラチラ見ている。
だけどルリちゃんは急に無関心に成り行きを見ていた。このやり取りに興味がなくなった、のではなくきっと、私に興味がなくて、話しかけたくなかったからだと思った。
私だって断りたかった。以前の件のことだってあったし、何よりみんなが何も同意していないのに勝手に書くわけにはいかなかった。
でも私は.........断り切れなかった。この威圧的な重圧に、押し切られる感覚が嫌だった。早くしろ、早くしろ、とプレッシャーをかけられ、戸惑って冷静な判断ができない。
また気づかされた。こういうところでも私はルリちゃんに頼ってたんだって。それで今まで人に任せていた分の責任というツケが回ってきたんだってことに。
私はサインしてしまった。どうしようもなく申し訳ない気持ちになった。
ルリちゃんもカズユキくんも何も言わなかった。私にこんな事を決定する権利なんてない。
なのに私に託したのは信用や信頼などという素晴らしいものでは決してないということは明白だった。
「うっし。これで契約成立だな。それじゃあこれからよろしく」
エルフの人はその紙を満足気に眺めながら言った。一瞬だけ、この人の事を最低だ、殴り飛ばしたい、という声があったけど、すぐにそれも掻き消えた。ただの無限ループだった。
「ああ、そうだ。先に言っとくが報酬は後払いだからな。持逃げでもされたらたまったもんじゃない」
エルフの人は身震いしてそう言う。
「後は......お前ら名前はなんていう。あと所属」
今更になって彼は尋ねてくる。本当はこの人バカなんじゃないかと思ってしまった。
先にそう言う事を聞いておくのが普通だし護衛なんていう直接的に依頼者と被依頼者が接触するようなクエストならば尚更だ。
......私も人のこと言えない。
そう思ってしまってまた後悔が膨れ上がってくる。
「僕はカズユキ、カズユキ・ウエムラ。戦士ギルド。それで彼女はルリ・イガラシ。盗賊ギルド」
カズユキくんは自己紹介した後慌ててルリちゃんの事も紹介する。ルリちゃんは苛立って舌打ちした。
「私はホノカ・アマギ。今は剣士ギルドにいる」
「オッケ、牛乳女」
彼はニカッと笑ってそう言う。いい加減にやめて欲しい。
「それじゃあ...そうだな。街の案内でもしてくれ。詳しい話はそれから......」
エルフの人は少し考えてから話す。
「ならウチが付いていく。カズユキも来い」
ルリちゃんが素早く割って入って言った。カズユキくんの手を握っている。.........なんだろう、ちょっと心がズキッとした。ほんの一瞬で直後に記憶から消えてしまったけど、確かに......。
「牛乳女はどうするんだよ。仲間外れか?」
エルフの人が少しだけ怒って、なんで怒ったのかを理解はできなかったけど、ルリちゃんに言った。私は一瞬どういう話の流れかわからなかった。
「アホかお前」
『お前』という言葉が胸に突き刺さる。自分のことではないとわかると胸をなでおろすことはできたが、まだ心にしこりのように残っている。
「長期の護衛なら交代制でやったほうが良いに決まってる。また夜から交代や」
ルリちゃんがバカにしたような声で言った。そしてカズユキくんに何かを耳打ちする。その時一瞬だけ私の方を見たような気がした。
「......いいから来い。案内すんねやろ」
ルリちゃんはそう言って歩き出した。エルフの人は不審に思ったのか、ルリちゃんと私を交互に見る。
でもルリちゃんに「はよせい」と言われたらちょっと怯えたような怒ったような表情をして付いていく。執事のような人も一緒にだ。
「ホノカさん」
するとカズユキくんがやってきた。
「19時にまたここに集合。それで交代らしい」
カズユキくんはそれだけ伝えてルリちゃんに付いていく。
それぐらいなら私に直接言えばいいのに、と思った。それだけ、一言も話したく無いくらいに嫌われてると知るとますます気が滅入る思いが募っていった。
去っていくみんなの背中を見ていると、まるでみんなに見捨てられるような感覚がする。それが、時間が経てばきっと解決する、という希望を叩き潰していくような気がした。