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イリスの杖  作者: プレオネ
第二章
12/15

憂い

「意外に静かなんだな」


彼は少しの間走り続けて、門からかなり距離が離れたところまで来ていた。住宅街が広がる区域だ。


「......はぁ、はぁ.........どうやったんですか......門番のところ」


私は息を整えながら尋ねる。


「簡単な錯乱魔法だ。効果も薄いから20秒も持たないんだが、案外役に立つだろ」


「それで......走ってたんですか」


最初、門番に突撃した時は、この人馬鹿なんじゃないかと思ってしまったけど.........意外と頭のいい人なのかな。


「いや......まあそれもだが......1番は」


そう言って彼は私の方を見つめてくる。


......?どうしたんだろう。私何か、


そう思った瞬間、今の私の格好を私は再認識した。


「...じゃあな牛乳女。人生に福があるといいな、服だけに」


そう言って彼は急いで走って去っていく。


.........は?なに。さむっ............じゃなくて。牛乳女.........?いや、牛乳女って.........やめて下さいよ......。













廊下を足早に歩いて、できるだけ人に見つからないようにコッソリゆっくり慎重に進む。

剣士ギルド内の女子寮であったとしても素っ裸で歩き回ってるなんて所が見つかれば大変なことになる。


私はさらに奥へ進む。もう目の前に私の部屋がある。


変だな......。


奇妙なことに、ここに来るまで殆ど人と遭遇することがなかった。街に入ってからずっと。しかも街はシンと静まり返っていて、閑古鳥が鳴きそうな、光景だった。剣士ギルドには流石に人がいたけど、みんな何か別のことに気をとられてるというか、雰囲気が全然違った。


何か......あったのかな。事件......テロとかじゃないよね.........。


さっき出会ったエルフで思い出したけど、最近この街は対外関係、特に他種族との間でいざこざがたくさんあった気がする。以前ニンフの国に攻め入り殆ど隷属国にしてしまったこともあった。


でもテロとかなら逆に警備とか、或いは避難民とかで騒がしいはずだから、そんな事はないと思うんだけれど.........。


そんな事を考えながら自分の部屋にたどり着く。


最後に、クラサさんがいたらどうしようか、という心配はあったけど、幸いなことにいなかった。


私は大きく息を吐くと、急いで自分の服を取り出してそれを身につける。クエストの時に着てた、あの破られた服みたいに強固でも動きやすくもないただの地味な麻の服だ。


あのエルフの人から貸してもらった紫色の綺麗な服は、とりあえず畳んで布団の上に置く。それから布に包んでるコボルトの牙はその隣に置いた。


最後に刀を置いて、私はベッドの上に座った。


シーンと静まり返ってる。夕日が差し込み始め、西日が部屋に差し込み始めた。


今日は結局手に入ったのはコボルトの牙だけだった。ルリちゃんにあげようと思ってるからこれは売ることができない。


だから今日は夕ご飯抜きになるな。


......まあ、ちょうど良いか。1日ぐらい食べなくても、何とか。


オレンジ色の光が、窓に垂直に入ってくる。カーテンを閉めても強い光はあんまり防げなくて、部屋がオレンジ色に染まってる。綺麗な色だった。でも暖色なのに、心をどんどん冷たくさせている気がした。

寂しかった。いつもならこの時間、必ず誰かの声を聞いていた。訓練するギルドの人だったり、ルリちゃんやエンジくんとの会話だったり、或いはクラサさんと取り巻きの人達の大声の会話だったりもする。


......寒いなぁ。もっと西日が強くても良かったのに。



「......おかえり」


背筋が凍ったかと思った。空気が一瞬で冷え固まった。私は思わず立ち上がった。


「ルリちゃん.........!」


その声がした方向、扉の方を見ると、西日に照らされオレンジ色に染まるルリちゃんの姿があった。眩しいのか、少し目を細めている。


会いたい人だった。今、寂しいと思って、話をしたいと思っていた人だった。

ルリちゃんはいっつも私の話を聞いてくれて、理解して味方になってくれる人だった。ちょっと変な思考を持ってるなぁと思う時もあったけど、それも含めて、私が大切にされてるんだと思うことができてとても嬉しかった。



でも、今のルリちゃんの声はまるで、一縷の隙もない、空気の一切入っていない氷の単結晶のように、冷たくて透明で硬かった。


「楽しかった?」


ルリちゃんは言った。その瞳はオレンジ色に包まれてて全然読み取れない。だけど貫くような心だけはまるでこの目で見えているようにはっきりとわかる。


「ウチらに心配かけて、楽しかった?」


私は声が出なかった。何を言えば良いのかわからなかった。そして、多分1番ダメだったのは、何を言おうとするのかを意識的に、必死になって考えたことだったと思う。


「なぁ、なんか言ったら?お前、ちゃんと喋れるやろ?」


「お前」その言葉が氷柱のように心に突き刺さった。いつも名前で呼んでくれていた。それがただの代名詞に変わっただけ。ただそれだけなのに何故か、私は足を引きずって後ろに一歩、下がってしまった。


「.........質問変えるわ。ウチらとなんでクエスト行かへんだん?」


それは.........。


理由は......ある。そして多分、言えばルリちゃんは納得してくれる。きっと許してくれる。わかってる。うぬぼれだけど、わかってる。でも......だから言ったら、またルリちゃんは助けようとする。そしたら.........もしクラサさんに標的にされたら......ルリちゃんが困るようなことになったら、わたし.........耐えられない。


「わたし......」



「......おっそいねん。イラつくってのわかってる?」


......え?


わたし、いつも通りに言い訳しようとして......。


その時に気付いた。理解した。私はずっと待たせていたってこと。そしてエンジくんやルリちゃんは待ってくれていたってこと。もしかしたらずっと私は、みんなをイラつかせていた.........。



「.....................私は」


でも、たとえそれがわかったとしても、何か言葉を思いつくわけじゃない。

.........言い訳ばっかり考えようとしていた。何か...どうにかしたら、なんとかなると、そう思っていた.........思いたかった。



「どこいっとったん?」


ルリちゃんはさらに質問を変えた。


でもそれにも.........。


「っていうても答えへんか」


呆れられたような口調だった。嫌だった。そんな声聞きたくなかった。まるで見捨てられたみたいだったから。


「.........なんで服がこんなボロボロなん?」


ルリちゃんはいつの間にか私のベッドの近くにいた。今はただの布切れ担ったそれを見つめ、手を伸ばす。


その声は、この部屋に来て初めて発した純粋な疑問と興味からの声に聞こえた。一瞬だけど、以前のように戻った気がした。


でも、ルリちゃんがボロ布から取り出したそれを見て、私は再び氷の中に閉じ込められた。


「コボルト......」


ルリちゃんはそれだけ言った。


わかっていたはずだった。それをルリちゃんに見せれば、一体どんな反応されるか。コボルトの歯を持っているということが、私がどんな危険を犯したのか、はっきりと示しているのか。


ルリちゃんはそれを手に持って、握り締めた。


「ルリちゃん!」


初めてはっきりとした声が出た。


ルリちゃんの手から血が染み出した。布団の上にポタ、ポタ、と垂れ落ち染み込み、赤くて丸いシミを作る。


「ジッとしてて!治すから!」


そう言って私はベッドに飛び乗り、ルリちゃんの怪我した手に両手を当てる。


「あ〜、そういうことかいな」


でも、ルリちゃんは笑っていた。クスクスと、いつもの明るい笑いじゃなくて、墨をベタ塗りしたような、暗くて低い笑いだった。


「ルリちゃん?そういうことって......」


私は詠唱を途中でやめた。


「.........あの男と、エルフの奴やったかな?あいつと行ってたんやろ」


ドクン、と心臓が飛び跳ねて、胃がひっくり返りそうになった。

見られてる.........。そのことがどうしようもなく追い詰めていった。じゃあ私が、服を身につけていなかったことも、あのエルフの人から服を貸してもらってたことも。


「コボルトの牙なんて知ってるわけないもんなぁお前が。エルフの奴に取ってもろたんやろ?」


違う。違う違う。私は、ルリちゃんがこれを使ってたから。ルリちゃんのためになるかなと思って、私はこれの取り方を知ったの。違うの。お願い......気づいてよ!


「それで?あんな美形やったから、気持ち良いことでもしようとおもたんやろ」


「.........え?」


何言ってるの?ルリちゃん.........?冗談だよね?そんなこと......あるはずないってルリちゃんが1番知ってるもんね。だってルリちゃんは......私の......!


「あのエルフ、風邪引い取ったみたいやし、青姦か?とんだ尻軽女やな」


「.....................っっ!」


私はただ後ろに下がった。唇がとっても冷たくて、指先が凍死しそうなくらいに震えてる。目の前がグルグルと回ってる。ルリちゃんが、まるで全然違う生き物のように歪んで、捻れて、形を無くしていく。


そのままベッドから落ちる。細かなボロ布が宙を舞った。それが1つ、1つ目の前を通り過ぎていくたびにルリちゃんが遠ざかって行った。


扉が開いた音がした。



そしてそれは、一切の躊躇を残すことなく閉まった。






コトっとベッドから、物が落ちる。牙だった。コボルトの口からもぎ取った、黄土色に黄ばんだ鋭い歯。ルリちゃんの血がついて、赤いシミになっている。


「............」


私はそれを、ただジッと見つめていた。何かを考えていたわけでもなく、何も考えていなかったわけでもなかった。


そして私はそれを、右手で掴んで左腕に突き刺した。


血が漏れ出す。それを私は冷めた目で見ていた。まるで小説の中の誰かが、そうしているだけのような、客観的で第三者的な視点だった。


引き抜くと血に塗れた牙が出てくる。当然。引き抜いた穴からも血が溢れ出てくる。


でも、私はそれでも左の指先を動かすことができた。筋繊維を断絶した筈なのに自由に動かすことができた。

それは、一緒だった。灰色の怪物になったあの男の腕と一緒だった。


化け物.........。


傷が治ってきた。みるみるうちに血は止まり、穴が塞がっていく。




私は証明したかった。肯定か否定か。化け物か人間か。もし左腕が化け物なら右腕は?


私は左腕に牙を持ち替え、振り上げた。





でもそれは途中で止まった。否、止められた。



キリカ。


小さな精霊が、右腕の上に立っていた。両手を広げてただそこに。


キリカはその場でジャンプし、空中に浮遊する。


「ホノカ......」


キリカはそっと私の頰に触れてくれた。冷たいのに暖かかった。

その瞬間、まるで脳に取り付いた悪霊が消えていくように、凝り固まった脳がほぐれていった気がした。心音が静かなメロディを取り戻し、景色に色が戻っていった。


不思議な気持ちだった。心が、何もない、夜の砂漠のような風景に彩られていく。砂色と藍色が混ざり合っていく。


「ホノカは化け物なんかじゃないよ。だってキリカを傷つけなかった。だから化け物じゃない。優しいよ」


それでも、耳障りだと叫ぶ声があった。


「............キリカ」


「キリカにもわかる。勘違いされて傷つけられる気持ち。.........だからこれ以上.........自分を傷つけないで」


キリカがそのままポタポタと涙を落とし続ける。小さな小さな雫だけど、きっと床には大きなシミができているだろう。可愛らしいパッチリとした目は腫れあがって、とっても疲れてるようだった。


でも私は............。





私はその姿を見て、ただ、怒りがこみ上げてきた。






「なんで気持ちがわかるの」


自分でもゾッとした。心が落ち着いてきた、と思った瞬間の、バネの反動のように、いきなり噴き出た。


キリカが泣くのを止めた。でも涙はこぼれたままだ。


溢れ出てきた憎悪だった。いや、もっと醜い、やつあたり、嫉妬、嫉み。そうやって慰められたくないという感情と、安易に同情された悔しさと後悔がグチャグチャに入り混じって、混沌とした灰色の怒りを爆発させた。


「私の......私の気持ちなんか!魔物にわかるわけがない!」


心臓が爆発したような気がした。血管がブチ切れ、筋肉が裂かれ、骨が砕かれたような気がした。


この時のことはよく覚えていない。この後どんな罵詈雑言を発したのか、どんな侮辱を投げかけたのか、自分はどんな気持ちだったのかさえも。だけど、キリカの顔だけは覚えてた。




今から思えばあの時の私のような、顔をしていた。


でも私はその顔を見ていなかった。目には映っていても見ていなかった。自分のことしか考えていなかった。


キリカが消えたあたりから記憶がはっきりしている。


酷いことをたくさん言った、という自覚は多分この辺りから。


そして、やっと.........


ポタ、と雫が落ちる。



今更だった。


今になって、瞳から涙が溢れ出てきた。


遅すぎた。


もしかしたら泣けばルリちゃんは話を聞いてくれたかもしれないのに。もし泣けば、誤解を生むこともなかったかもしれないのに。


もし泣けば、気持ちが洗われてキリカを傷つけなくてすんだかもしれないのに。


手遅れだった。


もう見捨てられた。きっと口も聞いてもらえない。それ以前に会ってくれるかどうかもわからない。それが、ただただ、悲しかった。哀しくて、辛くて、嫌で、どうしようもない自己嫌悪に陥っていた。


全部私が悪かった。きっかけを作ったのも、きっかけが言い訳になったのも、言い訳が偽りになって誤解になって、言い訳を重ねようとして、上手くいかなくて失敗して。


最後には八つ当たり。


どうしようもなく惨めだった。ほんのわずかだけ自分が可哀想だという気持ちさえあった。でも結局悪いのは私だった。


涙が止まらない。


でももう止める必要もないし、第一止めてくれる人はいなかった............いや、そうしたのは自分だった。


死にたい、って思った。でも、私は臆病だった。


左腕を傷つけたのも治ってくれるとわかっていたから。本気で手首を切ることなんて、私には絶対できない。中途半端が恨めしかった。



どれくらい泣いただろうか、全然覚えていない。


きっと枯れるまで泣いたと思う。


誰かが助けてくれるわけでも、心が綺麗になるわけでもなかった。



でも、その行為になんの意味も無いということを知りながらも、無意味に縋り付いた。




ただ嘆き、憂いただけだった。


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