エルフ
日が昇りきっていない、朝方だった。視界は良くない。放射冷却現象によって気温が低くなり、空気中の水蒸気が凝縮し、深い霧を作っていた。
でも私は一切肌寒さを感じていなかった。寧ろ暑い。汗を大量にかいていて、もう髪の毛も、霧の影響もあるとはいえ、びしょ濡れだ。
「そりゃ!」
木刀が耳の横を掠める。少しずつ相手の剣さばきが見えてきていた。
私は相手よりも一回り小ぶりな木刀を、一歩前に踏み込んで横から薙ぎ払うように斬りつける。
しかし相手も慣れてくるのは当然のこと。相手の木刀で押さえつけられ、弾かれた。その勢いで疲れ果てていた筋肉が悲鳴をあげ、足から崩れ落ちてしまう。
ガランガラン、と地面に木刀が落ちる。
「勝負あり。ホノカちゃんの負け」
元気のいい男の声がそういった。
「いやーいい勝負だったな」
「おいこら、お前もう少し手加減てもんをしてやれよ。相手は剣術習って一ヶ月も経ってねえんだぞ」
「馬鹿、手加減したらやられてたよな。なぁホノカちゃん。こいつ意地になって無理な攻撃しやがって」
さらに周りから男が寄ってくる。みんな寝癖がついてて無精髭を生やし、寝巻きの姿の人もいた。
「はぁ、はぁ................いえ。そんなことは......、私.........まだまだですから」
「いやぁ謙遜しなくていいよ」
私とさっき稽古していた男の人がいった。
「本当に強いし、可愛いしなぁ」
「ははっちげえねえ。少なくとも剣士ギルドじゃあ一番の美貌を持ってるな」
「そ、そんなことないです」
そんなお世辞言われたって......恥ずかしいだけだ。私なんて全然可愛くないしまして美人なんてそんなわけがない。ルリちゃんやベルデギウスさんの前じゃ全然、ただの太ってる人でしかない。
「やめとけよ。俺前口説きに行ったら背の高い女にボコボコにされたからな」
笑い声だ起きた。きっとそれはルリちゃんじゃないだろうか。もしかして私の知らぬ間に?
「さ、もう朝食の時間だし稽古は終了だ。お嬢ちゃんは湯浴みに行ってこい。汗臭かったらせっかくのルックスも台無しだぜ」
そう言い残して仲間と大笑いしながら、少しずつ明るくなってきた空の中、彼らは去っていった。
可愛いわけないのに。こんな太ってて不細工で髪の毛だって最近やっとルリちゃんから手入れの方法を教えてもらったばかりで、それに胸だって......全然無いし.........。
「.........お風呂に行こう」
誰もいなくなった演習場はとても寂しげだった。
私は木刀を持ったまま、湯浴みに向かった。
『ねえホノカ。ちょっとオーバーワークすぎじゃ無い?なんでそんなに焦ってるの?』
お風呂上がり、食堂へと向かう私にキリカが尋ねてきた。
『朝は4時から今まで3時間も男に混じって稽古して、クエスト行って、夜は暇さえあれば刀を振ってるし。身体壊しちゃうよ』
キリカの声は心配そうだった。でも私は、別に焦ってるってわけじゃ無いのに。
『焦ってないって......じゃあなんでこんな必死なの?』
「いや、その焦ってないってわけじゃ無いんだけど」
そう、私は別に焦ってないわけでも必死じゃ無いわけでも決して無い。だけど今は、今までのただ強くなりたいという気持ちとは、必死さのベクトルが全く違っていた。ベクトルとは方向と大きさを持つ。すなわち物凄ーく別の意味で必死だった。
それは、
「ベヒーモスフルーツ......」
『え......?』
そう。思い出しただけで心がムカムカしてきた。ついでに胃も。あの憧れ......じゃなくて忌々しい巨大フルーツ。あんなものがあるせいで.........。
「私はあの晩、一人前で成人男性の平均摂取カロリーの2倍を含むとされているベヒーモスパイを6人前。そしてベヒーモスパイ一人前に含まれているカロリーの5倍の濃度であるベヒーモスジュースを10人分摂取した。すなわち、1日分のカロリー×2×6+1日分のカロリー×5×10=62日分のカロリーが体内に含まれているからであって......」
また何度も何度も頭の中で行った計算を再度繰り返す。そう。この事実は数式にキチンと現れている。私は62日分のエネルギーを過剰にとってしまったという事実を。
『で、でもさ、だったら食事を抜けば...』
食事を抜く?おいこらキリカ。そんなことすればどうなるかあなた知ってるの?
......ごめんなさい。睨みすぎた。でもこれだけは言わせて。
「絶食すると筋肉がなくなって一見して痩せたように見えても、リバウンドしやすくなるの。それでリバウンドした脂肪はもっと落ちにくくなるの」
私は強く言い聞かせた。そうだ。だから運動して減らすしか無い。私はそうしないといけないんだ。
そう決意し廊下を歩いて行った。
その横で、キリカは呆れたような目で私を見つめていた。
『まあ、あんな風にホノカが考えるようになったのは良いことなのかも。好きな人ができると変わろうとするっていうしね』
でも......とキリカは少し疑問に思った。
『......それだけ食べても全然体調崩してないし、第一全然太ってないと思うんだけど』
「はぁ」
食事中、私はため息をついていた。ここは女子寮の食堂。当然、この食堂にいるのは全員が女性。
「はぁ......」
お箸でスープの具をつつきながらもう一度ため息。女性だけだからといって食事が軽いとかオシャレとか、そんなわけもなく、質素で栄養価が真剣に考えられている。
「......なんであんなこと」
さっきキリカに向かってとてつもなく大げさに言ってしまったこと。どうしてあんなこと言う必要があったのか、今思うと猛烈に恥ずかしい。
スープを飲み干して、パンを飲み込む。
ああもう。キリカ、早く出てきてくれないかな?謝りたいのに。
私が言いたいことがあれば大抵出てきてくれるというのに......。怒っちゃったのかな。
残った食事は牛乳。コップに入った150mlぐらいの白いコロイド溶液。
......あれだ。牛乳は卵と並んでほぼ完璧な栄養素を持った食品の一つ。カロリーも確かに多いけど良質なタンパク質を得ることができる。
さぁて、こいつをどう処理してやろうか.........。
「あっら〜ホノカじゃない」
その声を聞いて心が恐怖を叫んだ。だけどそれは思ってたほどでは無い。
「クラサさん.........」
と取り巻きの人達。
「あ、ダメじゃない牛乳残したら。ほら私が飲めてあげる」
ほら、感謝しなさい、と言いながら、私の飲みかけのコップを手にとって、それを私の頭上で傾ける。
「っっ!」
冷たくて白い液体が襟から入って体を強く刺激する。
「あははっ。そうそう、お風呂はきちんと掃除しておいたし元栓も閉めといた。これもありがたく思いなさいよ」
それだけ言って、やけにわざとらしく丁寧にコップを机に置いて、
「それじゃあ私、忙しいからまた会うことを祈って」
クラサさんと取り巻きの人達はクスクスと笑いながら去っていく。
周りの人は見て見ぬ振り。元々、女性は数がそんなに多くなく、この郊外の支部は若い人たちしかいないから、カースト的にクラサさん達が一番上だからだ。
私はコップを手に持って、底の方に僅かに残ったのを見つけてそれを飲み込む。いつもならちょっと嫌な気分になるだけで済むのだが、今回は吐き戻してしまいそうな腐ったような匂いがした。
そして多分それは私の服からも。多分、肌からも。
......なんでこんなことするんだろう。
私は白い液体が垂れる右腕を見つめながら思った。
きっとクラサさんにそう言えば、「なんででも」と返されるだろう。ルリちゃんやエンジくんに言えば、きっと助けてくれる。なんでかわからないけど私を無条件に救ってくれる。それが仲間という意味でそう言っているのなら、もしかしたら当たり前のことなのかもしれない。
でもあの時の2人の会話を思い出す。あの口振りだったら、何か二人は、私に対して後ろめたいことがあって、それで.........。
そう思う自分が嫌だった。鼻につく腐ったような匂いよりも、肌を伝う冷たい牛乳よりも嫌だった。
周りのみんなが、目を逸らしながら私を見ている。奇異、それとも同情だろうか。
私は席を立って、布巾で溢れた牛乳を拭いてから、食堂を後にした。耳に届いていない筈なのに、やたらとみんなの声が聞こえた気がした。
この後みんなと一緒にクエストを受ける予定があった。でも私は、集合場所に行かなかった。1人で森の方へと行った。
ブチ、という音を出して、薬草を採取する。
仙蓮草という名前で、小さいが滋養強壮の効果があり、これを潰して煮詰めて、乾燥させたものはB型兵糧丸という兵糧丸の中で最も多く使われる種類の材料になる。遠征などでよく使われているものだ。
茂みの奥の方でガサガサと葉っぱが揺れる。私は刀の柄に手をかけてその方向をじっと見つめる。さっきからやたらとグリーンコボルトと出会っていた。
グリーンコボルトはその名の通り全身を緑の毛で覆っていて、犬の頭と毛むくじゃらの筋肉質な人間のような身体を持った魔物だ。基本的に4足歩行だが、時折2足歩行もする。
グリーンコボルトは最も低級のコボルトだが、上級のコボルトは人に近い知能を持ち、1つの社会を作り上げているという。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!」
草むらから予想通りグリーンコボルトが飛び出してくる。私はその攻撃をかわしてから、左手でグリーンコボルトの脇腹に手を当てて、
「ライトニング・ボルト」
詠唱破棄して魔法を発動させるとコボルトはビクビクと身体を痙攣させてから、地面に落ちた。
最近になってようやく詠唱破棄ができるようになった。但し左手だけ、そして威力もあまり高く無いけれど。
コボルトは小さく泡を吐きながら気絶している。
コボルトの歯はある程度価値がある。軽くて丈夫で、確かルリちゃんの投合用ナイフはこれを使ってた筈だ。ただ、コボルトの口内はとっても臭くて、その上致死性の細菌が住み着いてるから万一歯で怪我すれば一大事になる。
だから私はそれを取ったことがなかった。けど......
顎を持って強引に口を開ける。吹いた泡が地面に落ちて、手にもつく。
1番尖って大きそうな犬歯を、怪我しないように慎重に......いや、多分そう思ってただけで実際は注意なんて1つも.........。
ゴキッと多分歯茎が折れた音を響かせて、歯が取れる。負った部分からは血が溢れてきた。歯の根元にも血がついてる。
自分の血がついてるかどうかはわからなかった。と言うより確認しなかった。
私はそのままそれを乱暴にしまって、歯が一本抜けて気絶したコボルトをそのままにしてその場を後にした。
水の音が聞こえた。通常の狩場から大きく道を外して歩いていたところだった。
普通、こういう場所は魔物も採取物も少なく、また獣道すら無いので冒険者たちが来ることはほとんど無い。
この辺りには川は無い筈だった。だから興味を持ってそっちの方に行ってみる。
泉だった。結構大きめで底が透き通って見えるほど綺麗。水草が水の中で動いていて、周りとは違う種類の草が生えている。
ソッと水の中へ手を入れてみると氷ってるみたいにとっても冷たい。地下水が滲み出てるのかな?それともどこかの雪解け水?
そんな事を考えながらしばらく水をかいていたら、無性に、自分の体の匂いが鼻についてきた。
わかってる。お風呂に入りたいなら街の銭湯に行けばいいってことぐらい。
でも今は誰とも出会いたくなかった。
キョロキョロと辺りを見回す。ここは魔物も少ないし、人だってほとんど来ない。
.........大丈夫よね。
刀を下ろして足元に置く。
ボタンを外して服を脱いでいく。そのたびに匂いが鼻につく。こんな匂いして歩いていたかと思うと本当に嫌になってくる。
......本当に誰もいないよね。
もう一度だけ確認して、誰もいない事がわかると静かに水の中へ身体を沈める。
刺すような冷たさが皮膚に突き刺さる。でもそれは一瞬で消え去り、心地いい感覚が身体を覆う。
普通なら歯を鳴らして震える温度なのにそんな事は一切ない。冷たいという感覚があるのに、それが嫌じゃなかった。
キリカのお陰なのかも。戦闘中も水をかぶると元気になるから。
手を合わせて水をすくう。とっても綺麗で濁り1つない。飲む気は無かったけど、唇に触れさせる。水が動いて冷たくてこそばゆい。ちょっと飲んでみると何の味もしない。本当に無味だった。
キリカは水を魔力に変換できるらしい。そしてそれを私に受け渡すことも。だけど私はそれを受け取ると身体が拒否反応みたいなのを起こして気持ち悪くなっていく。憑依が完璧にできたらこんなこともないんだろうけど。
キリカ、出てきてくれないかな。
私の心の声が聞こえるらしいけど、意外と曖昧みたいだ。それに眠ってると届かないらしい。
今朝言ってしまったことが原因なのだろうか。だったら早く謝りたい。あんなこと言うつもりは、無かった......と思うから。
でも......太りたくない。私みたいなブサイクな人がその上さらに太っちゃったら、本当に......本当にただの動くデブになっちゃうから。
肩まで浸かって、空を見上げる。雲1つない青色。木の葉が風に揺れている。
キラキラと葉の裏に水で反射して太陽光がさらに反射する。
そのままボーッとしていた。何分経ったか何十分経ったかわからない。でも私は、草の枕にもたれてそうしていることに全く飽きなかった。
不思議と虫も寄ってこなかった。
.........というか服にハエが寄ってたかってる。そりゃそうだろうけど。
こうやってるのも、案外良かった。けど何も考えることがないと余計に何か考えようとしてしまうのはしょうがないことなのだろうか。
ふ、とフードの人が脳をよぎった。結局私は彼の本当の顔さえわからないままだ。私じゃ何もわからない。調べようもないし、そんな力もない。
「.........幸せです。あなたが入れてくれた剣士ギルドは、とっても。あなたに貰った武器は本当に強いです。あなたに教えてもらった魔法はとっても強いです」
でも......その声が届くことなんてない。あなたとこの幸せが分け合えたらどんなに幸せなことか。
........................眠っちゃいそう。
そう思って上がろうとしたその時、茂みの奥で何かが蠢く。
......な!なに?!
それがドンドン近づいてくる。物凄いスピードで。まるで私を狙っているように。刀に手を伸ばそうと思った。だけど間に合わない。
だったら、と左手をそこに向けて魔法を...。
「ら、ライトニ.........」
人だった。一瞬二足歩行のコボルトかと思った。だけど違う。コボルトだとは全く思えない紫色の服に紫色の髪。
その人は後ろを見ながら走っていた。そしてここも陸地だと思ったんだろう。水の中に足を踏み入れ、そのまま......。
水しぶきが高々と上がり、白い泡がたくさん発生する。小さい泉だったから水位が少し低下する。
目を開けるとそこにはキョトンとした顔があった。紫色の髪に紫色の瞳。目の下には金色の刺繍が施してあって服装も気品あふれてる。そして1番特徴的なのは耳だった。大きく上に突き立つような尖った形。耳たぶは肩につこうとするぐらいに大きく、右側には肩に垂れるぐらいの、宝石がたくさん埋め込まれたピアスをしている。
私はその姿をマジマジと見るめていた。多分この人はエルフ。それももしかしたら高位のハイエルフ.........。
そしてその人も私をマジマジと見つめていた。マジマジと本当にマジマジと。
......あれ?私何かついてる?
そう思って視線を下げた瞬間、気づいた。
私は口を開けたまま固まった。もう顔が赤くなる暇すらない。
ギリギリと音が聞こえるような軋むような動きで前をみる。
私は今、なに1つとして......。
その瞬間、目の前の人はいきなり前に出て、私に抱きついてきた。
「ん〜〜〜〜〜〜!!ん〜〜!!!」
そして口を塞がれもう片方の手で体を押さえつける。
い、嫌!嫌だ!お願いやめて.........!!
心は必死で拒否しようとしてるのに身体が全く動かない。
恐怖が私を縛って羞恥心なんてものとっくに通り過ぎてしまった。早く逃げ出したい。逃げたい!逃げたい!でもいくら言っても体は動かない。
嫌......こんな。こんなの絶対に......助けて......!
...............あれ?
でも何も、その人はその後に何もしなかった。口を抑えられてる。胸の辺りを触られてる。身体が密着して、相手の足が私の足の間に水の中で絡まってる。なのにその人は何もしなかった。
この後何をされるかぐらいの知識は持ってる。
でも...予想したことをその人は何もしなかった。
泳ぎまくって全く焦点の合ってない目を、相手の顔に合わせる。
その目は私でなく周りを見ていた。警戒する目だった。こんなことしてるのに対しての、じゃなくて、もっと原始的な、私がなんども見てきた、命の危機に対する警戒の恐怖の目だ。
すると再び茂みが揺れて、そこからグリーンコボルトが2体出てくる。紫の人の手の力が強まった。
コボルトは鼻をならしながら泉の周りを回り始める。
そして遠くまで響くような声で遠吠えした。
声が反響していく。
するとその声が収まる前にコボルトは立ち止まった。そこは私が服を置いたところ。
コボルトは私の服に鼻を擦り付けるとそれを舐め回すように嗅ぎ始める。
そして2体で争うようにしてそれに噛みつき引きちぎり、ボロボロにしていった。
でも紫の人はまだ手の力を緩めなかった。それ以上にますます強くしていっている。
そしてコボルトが現れた方向から、今度は二人の人間が現れた。
いや、多分この人と同じエルフの人だ。耳がとっても長くて髪の色は緑色。そして右耳に特徴的なピアスをしているから。でもこの人とは違い、黄色い質素な服。身分が低いエルフに見えた。
二人のエルフは何かを話しながら色んな場所を指差してる。でも私には理解できないエルフの言葉で喋っていた。そして私の服の切れ端を見つけ、それを手に取る。
早口でエルフの言葉で何かを喋りながら、急に顔を歪めてその布切れを放り投げた。
そして二人のエルフは深刻な表情で話し合いをして、茂みの奥へとまた去っていった。
その足音が消えるまで紫の人は一切動かなかった。そして完全に消えてからも20秒ほど、ジッと待ち続けていた。
「............はぁ〜〜〜〜」
手が離れ、その人は堰を切ったように大きく息を吐く。
「$££€$€€$$€£€%#{<<€^~」
その人はこっちに向かって何かを言った。だけどエルフの言葉だったから何もわからない。
そんな私を見てその人はちょっと怒ったような表情をしたけど、急に納得したようで、
「ああそういやそうだな。ここは人間の領地だから人間の言葉に決まってっか」
その人は、ちょっと高慢な気もするけど、人当たりのいい口調でそういった。
「悪いな.........えーと?.........沐浴中じゃねーのか?」
「.....................」
その言葉で無理矢理思い起こさせられる。
そしてこの人.........まだ触ってる......。
「ちょ、待てって!」
再び口を塞がれる。
「いいか?俺は今追われてるんだ。お前が沐浴中だろうとただの痴女だろうとここで捕まるわけにはいかねーんだよ!わかるだろ!」
その人は必死な口調で.........って.........ちじょ?
.........いや!待って違う違う違う!!私はそんなこと無い......!
「いいか?わかったんならさっさと俺を街まで案内しろ。あいつらに見つからないようなルートでな」
わかってないしわかりたくも無い!私は別に何も............え?案内?
「わかったら服を.........」
そう言ってその人はキョロキョロと辺りを見渡し、ボロ切れ同然となった服の残骸を見つける。
「............何をしたらコボルトにここまでされんだ?」
水から上がって1枚の切れ端を手に持った。
ちょ、ちょっとストップ!待ってまだ......。
「............クセェ!!んだこれ?!牛乳が腐ったみたいな臭いしてるじゃねえか!」
.........あああああああああああ。
お願いその汚いものを見るような目で私を見ないで!これには事情が............殆ど自業自得だけど言い訳できるくらいの事情はあるのよだからお願い.。
「.........服ねえんだろう?ほら、貸してやるから案内しろ」
哀れな目をされて呟かれた。私だって別に......好きで破られたわけでも臭いわけでもない。
その人は自分の紫色の上着を脱いで地面に置く。そして私に背中を向けてご丁寧に自分の手で目隠しする。
......いいのかな。もっと.........疑いを持った方が......。ちじょとかあの哀れな目つきとか、それに第一この人、私の身体をとっても見つめてたし.........。でも追われてるっていうのは本当みたいだった。さっきだって、襲ってくる気配は無かったし。
「さっさとしろ!!」
大声で言われた。さっきから1番声を出してるのはあなたじゃない。という言葉は飲み込んだ。
私は警戒しながら水から上がる。......まだ安心できない。ゆっくりとその人が脱ぎ捨てた服をつかんで、すぐさま距離をとる。
「さっさとしろ。あいつらに見つかるわけにはいかねぇんだ」
その人はそう言って早足で歩き出した。
私は千切れた服の残骸からコボルトの歯を、丁寧に布に包んで、それを持ってその人についていった。
まだ信用したわけじゃ無かった。だから一定の距離をとって、声が届く範囲で街まで案内した。
「はっくしょい!!」
突然エルフの人が大きなくしゃみをした。そういえばこの人、あの水の中にずっと浸かってたんだった。風邪ぐらい引いて当たり前か。
「ちっ、魔力は温存したかったんだが、仕方がねぇ」
エルフの人は杖を取り出した。小さな蒼色と桜色のまだら模様の杖だった。ちょっとケバケバしい。
「我が魔力を喰ひて熱風を生み出さん。ファイア・ワーム」
その杖の桜色の部分が輝き出し、距離をとっていた私にもわかるくらいの暖かさがその杖から溢れていた。
そういえばエルフは自然の魔力に愛された一族だと聞いたことがある。魔法を使うのに長け魔導師になるエルフがたくさんいるそうだ。
この人も魔導師なんだろうか。
「何ジロジロ見てんだよ。お前にもかけてやろうか?」
そう言ったけど振り返ってはいない。気を使ってくれてるのかな。
でも私は別に水に濡れてても特に害は無かった。というより既に乾いてしまっている。
これもキリカと契約した結果なんだろうか。
「いいなら行くぞ。日も傾いてきた」
返事も聞かずに先先行ってしまう。一応案内しろと言われそうしているつもりだが、どうも道を知っているようだった。
あなたは誰ですか、という質問は喉元まで出てきているのに発することができなかった。
何か直感のようなものが私に深く関わるな、と告げているような気がする。或いはただ単に、今の状況でさらに厄介なことを背負うのはしんどいことだと思っているのかもしれないけれど。
ただ行動の端々にかなり礼儀正しい感じが出てくる気がする。それを無理矢理押し隠すような乱暴な動きな気がする。
そんなことを思いながら、今思えばエルフだということでジロジロと失礼に見つめ続けたかもしれないけど、私達はできるだけ人の目を避けながら、森の中を歩いて行った。
そうして私達は始まりの街についた。
「へえ。案外でかい街だな。囲んでる城壁も30メートルくらい......。警備も.........まぁまぁ」
外側から始まりの街を見ながら彼は呟いた。
始まりの街はその領域を城壁でグルリと囲っている。高さは低いところでも30メートルはあり、壁上には大砲や、対大型魔物の兵器が並んでいる。とは言ったものの、この壁が最も役に立っていたのは、魔物が今よりもずっと強く多かった遥か昔の話らしい。今ではもっぱら外部からこの街へ不法侵入するものを追い払うための見張り代として使われている。何十年と使われたことのない大法は錆び付いて動くかどうかもわからない。
「で?どうやって入るんだ?」
彼は初めてこっちを振り向いて尋ねた。私は思わず彼にもらった服を身体に強く寄せる。
「.........東側に門があるの。でも門番が......」
私は改めてその問題を思い出した。
エルフでこの街にきたことのない、しかも追われてるなら正式な手続きなんて踏んでるわけがない、そんな人が安安と通れるほどここの門番は甘くない。賄賂を渡すっていう手もあるらしいけど............使いたくなかった。
加えて私の今の状況。もちろん剣士ギルド員だという証明書は持ってるけど、裸で見知らぬエルフの男と森から、しかも一方は風邪をひいていて、一方は水に濡れてる、なんて状況を良い方向にとってくれる事は絶対にありえない。
「......まぁ見てろって」
エルフの人は、私が不安を口に漏らしても表情を特に変えなかった。意気揚々と私が言った方向に歩いて行った。
東の門まで行くと、扉は開いていたけど、そこには大きな槍を持った人が二人立っていた。
「あそこで入街手続きを行うの。門番が立っているところで。簡単なものなんだけど.........私達は」
「いいから黙って付いて来い」
そう言って彼は門番のところに歩いて行った。
「止まれ。身分を証明するもの、もしくは通行許可証を見せろ」
門番が槍を下げたまま尋ねてくる。
「わかりました」
すると彼は今までとは全く別人だと錯覚してしまうほど丁寧な口調に変わる。
「これが通行許可証です。わかりますか」
そう言って彼が見せたのは、遠目からでもわかる、ただの白い紙だった。
私は思わず彼の手を掴んでしまう。
ていうか槍で突き殺される前に早く逃げないと!
「.........はい.........どうぞ、お通り下さい」
......え?
「おら、行くぞ。牛乳女」
彼はもう1人にもその紙切れを見せる。
するとその門番も道を開けた。
そして彼は私が掴んでいた手を掴み直して足早に門をくぐった。