勇者
「あちゃー」
「リージェ、だから細胞分裂促進剤を入れすぎだって言ったんだよ」
「うー、どうしようこれ。怒られちゃうよ」
「埋めちゃおうよ。どうせ廃棄するつもりだったんだし。ついでに良い対象もいるからデータも取れるよ」
「そっかー。......サージェ!後ろ!」
いつの間にか、接近していたエンジくん。双子の一人に勢いのまま斬りつける。だけど、
「お兄さん、不意打ちはもっと早くしないと」
小さなナイフによって最も簡単に防がれる。しかもエンジくんでもビクともしない。もしかしたら強化魔法を使ってるのかもしれない......けど単純な膂力ですら勝てない。
「死んでよ。お兄さん」
もう一人の男の子がナイフを持ってエンジくんの喉元を書ききらんとする。
「我が魔力を喰らひて、光を遮る闇となれ」
横でコトネさんが詠唱していた。
「ダーク・ダスト」
魔法陣から真っ黒な煙が、一直線にほとばしる。
それは双子とエンジくんをすっかり隠してしまった。
「ホノカさん!追撃の準備を!急いで!」
コトネさんから叫ばれる。
「は、はい!我が魔力を喰らいて暗闇を照らす一筋の迅光と成れ」
暗闇からエンジくんが離脱する。その瞬間を見て、
「ライトニング・ボルト!」
「我が魔力を喰らいて眷属の力をなさん。グロース・ファースト」
雷撃が増幅され、一直線に闇の煙の中へ向かう。
「無駄、無駄」
楽しそうな声。また黒い球体が出てきて、雷撃を吸収してしまう。
その球体はまるでブラックホールだった。どこまでも黒く、暗く。宇宙空間の闇をそのまま持ってきたような色をしている。
それが、攻撃を吸収し、さらに物体さえも動かせる空間移動のような役目もしている......
「ゔぉぉぉぉぉぉぉ!!」
俺を忘れるな、と言わんばかりに咆哮する灰色の怪物。
「全員動け!ドロドロの攻撃が来る!」
ジンくんが叫んだ。見れば怪物は自らの灰色の液体を弾丸のように飛ばしている。それが当たった場所は大きく地面がえぐれている。
威力もそうだけど、あの灰色の液体に当たって良いことなんてあるはずがない。
「ゔぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!」
怪物は一気に、全方位に向かって、全身から液体を放った。
だけど、躱せない速さじゃない。着弾地点から飛散する液体にさえ警戒すれば、かなり余裕がある。密度もそこまで大きくないし、人の姿の時とは雲泥の差だ。その上、目がないからか、狙って打っている様子はない。
エンジくんもカズユキくんも簡単に躱せている。
コトネさんは多分結界を張っている。液体が当たる寸前でコトネさんの周りに分散してるからだ。
ジンくんも同様に結界を張ってる。その上躱せるものは躱していた。
だけどその時、ジンくんの背後に黒い球体が発生する。そこから現れる男の子。ジンくんは怪物を見ていて、それに気づいていない。
私はジンくんの方に走り出しながら叫んだ。
「ジンくん後ろ!」
その声が届くよりも多分速かった。ナイフの切っ先がジンくんの喉元に向かう。
一瞬、目を逸らしそうになった。
だけど、ナイフはすんでのところで止まる。ジンくんの結界は物理攻撃に対しても有効だったみたいだ。
「へぇ。便利な結界だね」
だが、結界がナイフの切っ先が当たっている場所から、ビキビキと音を立てて、割れ始める。
それを見て私は加勢に走った。
「レイ・アブソリュート」
男の子が硬直している間にカウンターをしようとするジンくん。だけど男の子の背後にまた黒い球体が現れて男の子は離脱する。
瞬間、灰色の液体が飛んでくる。偶然とは思えないタイミングで、ピンポイントにジンくんを狙って。
間に合わない。結界も殆ど壊れてるし、躱すのももう手遅れ。
「ジンくんごめん!」
ジンくんの体を思いっきり突き飛ばす。ジンくんの驚きに満ちた表情が視界の端に見えた。
迫り来る灰色の弾丸。
ごめんなさい。でも私よりジンくんの方が強いから。私にできることを......。
「ライトニング・ボルト!」
悪あがきに魔法を放つ。今まで詠唱破棄はできなかったのに、今だけ出来た。火事場の馬鹿力って奴だろうか。
だけどそれだけじゃ雀の涙ほどしか気化させることができない。
そしてまるで大岩をぶつけられたような感覚が身体に走る。
宙を浮くのを感じた。何故かスローモーションに見える。
ジンくんは私がいきなり突き飛ばしたせいで地面に転んでいた。
エンジくんとカズユキくんは、灰色の弾丸を掻い潜りながら、なんとかもう一人の双子に近づこうとしている。
コトネさんは結界で灰色の弾丸を防いでるところ。
それで......ルリちゃんは。
見回すとすぐに見つかった。
ああ、良かった。無事だった。灰色の液体もかかっていないし、怪我してる様子もない。
ごめんルリちゃん。なんでも言うこと聞くって言ったのに。ごめんなさい。
私はそのまま、受身も取れず、多分身体中骨折していて、意識を失う。
「エンジ!カズユキ!今はそれどころじゃない!」
ジンくんの声が聞こえる。私、幽霊になっちゃったのかな。
「少々強引でもいい!コトネを1分......いや、30秒だけ敵の攻撃から防御してくれ」
みんな強いからきっと生き残ってくれる。みんななら絶対に。
.........『ホノカ!ホノカ!ねえホノカってば!』
冷たい。とっても冷たくて寒かった。雪の中で裸になったみたい。凍えそうで、痛くて、寂しくて。
『ホノカ......雪の中で裸になった事あるの?』
「 ..........................................」
『ま、まあ誰にでもあるよねそういうの。うん。多分』
顔が一気に熱くなった。え、だだって誰だって一度くらい......。だって誰も見てなかったからつい......。
くすぐったい何かが頰を撫でる。目の横をかすめる小さな透明の球体。
身体が動く感覚。思考が、脳が働いてる感覚。
この時私は二つのことに気づいた。
一つは潰れていないし血が出ているわけでもないということ。指は動くし口も動く。
二つ目は、沈んでいるということ。目を開ければ光が見える。それがだんだんと遠ざかっていて。そして身体が落ちていく感じがする。そして透明の球体。あれは気泡だ。つまりここは水の中。
『ホノカ。しっかりして。まだ生きてる!』
そうだ。これはキリカの声。
『私、どうして息ができてるの?』
今更だけどそんなことに気づいた。空気を吸うわけでも吐くわけでもなく、呼吸をしていることに。
『だって私は水と静寂の四大精霊の一角。ウンディーネよ』
そんなの当たり前じゃない?という口調で言った。
『じゃあ憑依ができてるの?』
『ううん。今は私が直接水を擬似的な酸素に変換してるだけ。本当の意味の憑依じゃない』
その時、目の横に何か赤いものが見えた。そこに目を向けると、陸からは見えなかった翠花が群生していた。紅色の枝のような物を伸ばし、不気味に、水の流れに乗って、全ての個体がゆらゆらと蠢いている。
でも私は他のことに目が移った。翠花が生えている場所。その根本には、骨があった。
大小様々な、その中には当然頭蓋骨もあった。
きっとそれはここであの男が殺していった人達。
彼らに一体なんの罪があるんだろうか。翠花をとってきてくれと頼まれて、あの爪で引き裂かれてここに捨てられる。
そこに意味はあったんだろうか。
私達だって、一体どうしてこんな目に遭わなければならない。こんな理不尽な事をされて、殺されて。
そんなの嫌だ。まだ......生きたいのに。
『生きようよ、ホノカ。そのために行こう。戦わなくちゃ』
『うん』
私は浮上していった。泳がなくても良かった。勝手に水が私を連れて行ってくれた。
水面から顔を出した瞬間、水の中で遮断されていた音が一気に溢れかえる。
まだ、戦いは終わってない。
灰色の怪物は叫び声をあげて、未だ灰色の液体を飛ばし続けてるし、あの双子もいる。
「ホノカ?!」
エンジくんが叫んだ。驚きと嬉しさに満ちたように聞こえる声だ。
でも、エンジくんの片腕は血がでていた。ダラリと力なく垂れて、指先から地面へ赤い液体を一雫ずつ落としている。
カズユキくんはお腹から出血していて蹲ってるし、ジンくんも頬から出血してる。
『冷静になって!私が水を変換して作った擬似魔力は人間には有毒。だから憑依してない状態だとホノカがどうなるかわからないの!使い所を考えて!』
.........!
辛かった。私には治す力があるのにそれができないのは。だけどあの怪我を治せるほど上手くないし攻撃に使う方が有効だと思える。だから、ごめん!
「我が魔力を喰らいて暗闇を照らす一筋の迅光となれ。ライトニング・ボルト!」
それで撃った魔法は今までのよりも数倍の強さがあった。当たったところから、大量の蒸気が溢れ出す。
「ホノカさん!」
コトネさんが叫んだ。
「敵の地面から3メートル。右から4メートルの所にその攻撃を集中させなさい!」
え、下から3メートル、右から4メートルって......え?ど、どこ......。
「大体でいいに決まってる!」
ジンくんがイライラと叫んだ。
私はさらに数発のライトニング・ボルトを放つ。立て続けにジンくんも光魔法をほぼ同じ箇所に何十発と打ち込んだ。
「あいつらまさか......」
男の子の1人がジンくんの背後に現れる。ナイフを持って彼ののどを掻き切らんとする。
「クソっ。またかよ!」
エンジくんも、水の中に半分身体をつけている私も今度は間に合わない。
「お前らは後ろに回り込むことしかできんのか」
だけどそれを受け止める短剣。
「ルリちゃん!」
ルリちゃんが、ジンくんを助けていた。
「へぇ。ちっこいのに腕っ節はものすんごいな」
ルリちゃんは辛そうに呟く。剣を持つ手は震えてて、額からは汗が噴き出していた。
「邪魔するなよ!」
「悪いなぁ。ウチはホノカに手ェ出すやつが一番キライやねん」
ルリちゃんは短剣をクルリと回し、力を受け流す。
「確かにウチがお前と戦うんは、ブ◯にヤムチ◯が挑むようなもんや。やけど、それかて一瞬の足止めくらいできる」
無理矢理力で押そうとしていた男の子は前のめりに地面に突っ込む。
「......!サージェ、ロイドが」
双子の1人が呼びかけた。黒い球体が横に発生する。
でももうこっちの詠唱はできてる。
「ライトニング・ボルト!」
「レイ・アブソリュート!」
「グロース・ファースト」
1本の雷撃とその周りに光の軌跡が寄り添うようにして放たれる。正真正銘、これが最後の魔力。
私も、そしてジンくんも残る魔力を全部使い果たしてしまった。
ジンくんは膝から崩れ落ちる。
それが着弾した後、大量の白い蒸気の中に見えたのは、ポッカリと空いた穴。何十発もの魔法でなんとかこじ開けた穴だ。
「エンジ!今だ!」
ジンくんが力を振り絞って叫んだ。エンジくんは言われる前から分かっているようで、剣を抜いて信じられない速度で怪物に迫る。
「ペイント・シュート」
コトネさんがさらに魔法を放つ。それはエンジくんよりも早く怪物に向かい、穴の中に入る。
「エンジさん!ピンク色の部分を破壊しなさい!」
「おう!」
エンジくんは勢いよくジャンプする。およそ人では無理だと思えるぐらいの跳躍。
そしてそのまま、穴の中に飛び込み、
「フリクエント・ブースト!」
そう叫ぶ声が聞こえた。その瞬間、怪物はけたたましい咆哮を挙げる。それは今までにないくらい、もしかしたら人間だった頃よりも人間に近い声だったかもしれない。
怪物は身体中を一瞬縮めたかと思うと、ものスゴイ勢いで暴発し、その大量の質量を一気に拡散させた。
断末魔の叫び声と共に。
「大丈夫ホノカ?」
ルリちゃんが手を伸ばして私の手を取る。
「うん。ちょっと辛いけど、平気」
私は無理に笑みを作りながら、水から引き揚げられた。途端に身体から力が抜け、そのままルリちゃんの方に倒れこむ。
「ホノカ......足」
ルリちゃんが息を呑みながら呟いた。多少なりとは予想していたことだ。足を見れば、右足が不自然な方向に折れまがってる。皮膚は赤紫色に変色し、燃えるような熱を持ってる。
「待ってな、応急処置するさかい」
ルリちゃんは松明用にとっておいた木の棒とロープを使って手際よく足を固定してくれた。
「ありがとうルリちゃん」
「ううん。ウチはホノカが無事でほんま良かった」
そう言って優しく抱きしめてくれる。優しい匂いと響く心音が心地よくてあったかかった。
「さっきってどうやったの?」
少しの間、ルリちゃんの心臓の音を聞いた後、私は尋ねた。
「ん?あ〜あれはな。なんかどんな化け物でも、魔力の制御器官があるってジンが言うて、それをコトネが探してエンジが斬ったらしいで」
ルリちゃんは言ってる間も首を傾げていた。よく理解していないようだった。
「サージェ!サージェ!」
1人の男の子が全く同じ顔をしたもう1人の少年に必死で話しかけている。
男の子、サージェは身体中を灰色の液体に覆われ、地面に倒れている。
「お願いサージェ!お願い......!」
男の子はサージェの袖をつかんで涙を垂らしている。
その姿を見て、これが自分達を殺そうとしていた人物なのか、と疑問にさえ思えてくる。
「さっき一瞬見えたんやけど......」
ルリちゃんが呟いた。
「この子、倒れてる方の子。なんか黒い魔法使ってもう一方の子を逃してたからな。多分その時被弾したんやろうな」
ルリちゃんもなんだか、やるせない顔だ。
「......連行したいところだが、殺すしかないか」
エンジくんが、エンジくんがそういった。今までにないくらいに冷たくて侮蔑のこもった、残酷な声だった。
殺......す?
その言葉があまりにもピンとこなかった。確かにこの子たちは私達を殺そうとした。だけど......こんな彼らの姿......ただの子供にしか......。
「......辛いなら目を背けておいてくれ」
エンジくんが言った。優しい声に変わっていた。でも寧ろ、それが決定事項だと私に告げているようで逆に心をえぐる。
「サージェに近づくな!!」
男の子が、まるでいじめっこから弟を守る時のような声を出す。
「お前らなんか僕だけで......!」
「無駄ですわ」
そう言ったのはコトネさんだった。
「確かにこちらでまともに動けるのはわたくしとエンジさんとルリさんだけですが、あなた、空間魔法は使えないのでしょう?大方、一度に吸い込める魔力量に限界があって、ジンさんの最初の最上級魔法でそれがいっぱいになったと、そういうことでしょう?」
コトネさんが説明していく。まるで事実を突きつけて、何も反論できないように、無駄な抵抗はやめろと言わんばかりに。
その間も少しずつエンジくんは近づいていく。
「膂力があると言っても所詮子供。空間魔法が無くなれば、あのような単調な動き、当たる方が難しいと思いますわ」
「うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!サージェは僕が守る!絶対に僕が!」
「.........悪い」
エンジくんは剣を掲げた。男の子もナイフを取り出してる。ナイフは震えていた。動揺してるからか、それとも単純に、怖いのか。
涙をにじませて、果敢に立ち上がる。まるで勇者のように。
私は咄嗟に目を背けた。
でもいつまで経っても、斬る音も、血が飛び散る音も聞こえない。エンジくんがいくら強くても、血を出さずに切ることなんてできないはずだ。
私は恐る恐る、エンジくんの方を向く。
エンジくんは、固まっていた。剣を掲げたまま、微動だにせず。
「エンジくん?」
そう呼びかけた瞬間だった。
身体中の細胞が悲鳴をあげた。まるで重力が数倍にましたかと思うような力が、全身に降り注ぐ。上から大岩を載せられたように身体が動かない。
「ルリちゃん.........」
隣を見れば、ルリちゃんも苦しそうに下を向いてる。汗を何滴もたらして、何度も息をむせ返るように吐き出している。
「みんな......」
だけど、見るとみんな気絶していた。ジンくんもエンジくんも、コトネさんもカズユキくんも、みんな。
「......何なのこれ」
双子の男の子の方を見ると、倒れていない方が、救世主が現れたような希望に満ちた顔をしていた。
途端に視界が歪んでいく。とてつもなく頭が痛くて、気持ちわるい。耳鳴りが響き渡って口の中は少しずつ酸っぱさで満たされていった。
「まだ、意識を持ってるのがいる」
目の前が黒くなった。いや、突然目の前に人が現れたのだ。文字通り、高速移動とかそんなものじゃない。突然、その空間にまるで最初からいたように、そこにいた。
「......ルークさん?」
朦朧とする意識の中で、ぼやける視界の中で私はその人がいるんじゃないかと思った。
だって真っ黒な服に真っ黒なローブを目が覆いかぶさるくらいに被ってる人なんて私は彼しか知らないから。
するとフードの人はこっちをじっと見つめて、不思議そうに、あるいは懐かしむように。
「ルーク.........。ああ、あいつのことか。どうりで.........そうか......まさかルークと出逢うとは」
そう言われた瞬間、身体が無理矢理持ち上がっていく。上から強い力で押さえつけられ、下からさらに強い力で持ち上げられている。肺が潰れて、息ができない。
「ルークっていうのは、こういう顔をした人のことかい?」
フードが取られた。
その瞬間、息ができなかった。さっきまで物理的にできなかったけど、今度は本当に、できない。
銀色の、私と同じ髪色。背が高くて、目がキリッとしてて。記憶にある、命を救ってくれた人。私の一番憧れる人。
「どうして......」
私の思考はそこでグチャグチャになっていった。ルークさんの服を着た人が、私の命の恩人で、私達を苦しめている人?
もう何が何だかわからなくなっていった。
「記憶を見ればいいか」
手が伸ばされる。白くて長い指。ルークさんの指そのものだ。でも、身体が、生理的にそれを受け付けようとしなかった。
嫌だ。触れたくない。嫌、いや!
でも身体が言うことを聞いてくれない。身体がガチガチに鎖でがんじがらめにされたみたいに動かない。
「嫌ぁ!」
私は目を瞑った。
だけど一向に手は触れてこない。
目を開ければ、誰かが、ルークさんみたいな人の手をつかんでいる。一瞬それが誰かがわからなかった。誰も動けていないのに、一体誰が他にここにいるというのか。
そう、誰もいなかった。その手は私自身の腕だったから。
「これは......」
左腕が、私の意思と関係なく動いている。そして信じられないほどの力を持って、普通の人間なら確実に骨が粉砕骨折するほどの、ありえないほどの力。
「......なるほど。あれが仕組んだのか」
その男は、まるで腕がすり抜けたかと思うように、私の腕を解く。
でも、私の左腕はまだ、意思を持っているように勝手に動いた。
「我が魔力を喰ひて、暗闇を引き裂く万雷の力となれ」
え?!......な、何で......口が勝手に!
左手に見たこともない魔法陣が浮かび上がる。雷撃魔法だとはわかる。だけどもっともっと複雑で細かい。青白い光を放ち、ジンくんの魔法のように、バチバチと閃光が輝く。それはまるで最上級魔法のよう。
「イクスチェンジ・ライトニング・フリクエント」
魔法が出る、と思ったけど魔法陣の色が変わった。青白い光が銀色へと変貌する。
や、やめて!な......一体何を......!
「我が魔力を喰ひて、万物を穿つ破壊の鋼槌となれ。フリクエント・バースト」
何も起こっていないように見えた。魔法陣が一瞬光り掻き消えたからだ。だけどそんなものただの一瞬の楽観的考えでしかなかった。
「......おっと」
男は大きく動いて私の腕の直線上から身を動かす。
瞬間、とんでもない破壊音と共に、岩壁にぽっかりと大穴が開く。
しかもそれだけで終わらない。地の奥底を何かが這いずり回っているような音。そしてそれが止まず、一層大きくなっていく。
「これはまた、凄いものを......」
男はグルリと全体を見回してから言った。ジンくんをエンジくんをカズユキくんをルリちゃんを、そして最後にもう一度私を見て、そしてこう言った。
「勢揃いしてくれているのに碌なもてなしができなくてすまない。だがまた逢う事になるよ。この物語の主人公たちよ」
男は離れていった。そして倒れた双子の近くに行くと、暗闇の中に一緒に消えていった。
突如、体にかかっていた力が消える。一気に息を吐き、再び深呼吸する。肺を新鮮な空気が満たしていった。
そして地響きがより一層リアルに伝わる。この硬質な白い岩盤が壊れていく。天井からは落盤が起きて、岩が降ってきてる。地底湖に落ち、水飛沫を高々とあげる。
ここが崩落するのも時間の問題だった。
......でももう限界だった。何も考えられないし考えたくない。このままだと岩に押しつぶされて死ぬかもしれない。だけどもう意識を保つことができなかった。
私は暗闇の中に落ちていった。フードの男と銀色の髪の男が瞼の裏で何度も繰り返し見えていた。
ゴブリンがいた。1匹のゴブリンだ。ゴブリンは歩きながらクッキーを落としていった。私はそれを辿っって追いかけた。
そこには1人の青年がいた。青年は優しく微笑んで私の手を取ってくれた。目の前が綺麗に、鮮明になった。
青年についていった。その手を取ってどこまでもどこまでも。
青年は私に好きだと言ってくれた。私も好きだと言った。唇を重ねた。私はボンヤリした目で青年を見つめた。
青年の周りにたくさんのオークがいた。
私は後ずさりした。
だけど唇からオークが出てきた。
お前は俺のものだ。どこにも行けない。
オークは私の唇を奪ってそういった。そして私はオークの腕の中に消えていった。
私はオークに中にいた。昼も夜も朝も、食事の時も、寝ている時もいつもいつも。
時折ゴブリンがやってきた。本当に時折、オーガもやってきた。
オークは私の唇から、いつも何かを入れていた。拒否したいくらいに気持ち悪いけど、夢中になるほどに甘美なものを。
オークは私に言った。
私はオークの中で認められた。
それが、オークの中に埋もれ、人ではなくなった証拠ではない、ということは決してなかった。
そっと額に冷たいものが触れる。ヒンヤリとしてて、心地いい。
タオル......かな。濡れタオル。きちんと絞ってあって、それで優しく拭われる。
額の次は頰、そして首筋。それから肩とか腕とか。ちょっぴりくすぐったくて、気持ちいい。
それからふんわりと肌を撫でる吐息。あったかくて、これもくすぐったかった。
まだもう少し寝てたいな、と思った。もうちょっとこの心地いい中に浸っていたかった。
「ホノカ......」
だけどその声を聞いた瞬間、頭から水をかぶったみたいに脳が冴える。
それが私の名前を呼んだからとかじゃ決してなくて。低かった。男性の声だった。
「......え...............えっ、えっ、えっ、えっ」
目を開ければ、そこには私服姿のエンジくん。それが......それが............私の体を拭いてた................................................!!!!!!
エンジくんが口を開きかけた。でも私はそんな声なんて簡単に塗りつぶされるような、物凄い声を出したに違いない。
後からだけど、ごめんなさいエンジくん。
「ホノカ?!なんかあったんか?!!!」
ルリちゃんが血相変えて飛び込んでくる。その時の状況は、私が布団を引いて身体を隠していて、そこにエンジくんが落ち着いてもらおうと身体を寄せている。
一応薄いパジャマを着ているので、別に裸ってわけじゃなかったんだけど、ルリちゃんからのアングル的に多分私の首筋と露出した肩が見えてるだけだったから。
多分、その、えーと。エンジくんに襲われてるように見えたんだと思う。
その時のルリちゃんは信じられないような表情をしてエンジくんを、ボロボロになるまで半殺しにした。もう本当にボロ雑巾みたいだった。
私が誤解だって気付いた時には、もうエンジくんは虫の息。
......本当にごめんエンジくん。
どうやら私は三日三晩眠り続けていたらしい。
その間も何度か吐血や嘔吐を繰り返していてみんな気が気でなかったようだ。
「ホノカ、この屑を廊下に放り投げていい?」
ルリちゃんはベッドの横に座って、地面に転がったエンジくんを睨んでいる。
「ダメだよ」
多分冗談だと思って笑いながら、.........冗談だよね。少しまだ苦しかった。
「風邪引いちゃうから、それにエンジくんだって好意でしてくれてたんだし」
「好意かて誠意かてやってることは一緒や。(ウチの)ホノカに(ウチがやるつもりやった)あんなことするなんて。ほんま屑の極みやわ(羨ましい)」
「所々間が気になるけど、ルリちゃんが着替えとかしてくれたんじゃなかったの?」
さっきの口調だと私にルリちゃんが触れてないみたいだったんだけど。まさかカズユキくんとかじゃないよね。
「そりゃぁウチやけど〜。ウチも薄い服を少し持ち上げながら冷たいタオル越しの柔らかいホノカの感触を堪能したかってん。ほらチラリズムってあるやろ。あれやねんほんま」
ルリちゃんは熱意のこもった目で熱弁する。なんか、私のかなりプライベートな部分を、もの凄い恥ずかしいことまで言ってる。
......エンジくんが寝てて本当に良かった。本当に.........。
「あっ、そうやホノカ。剣士ギルドの人から聞いたんやけど、ホノカって精霊と契約してるってほんまなん?」
「ふぇ?ど、な、なんでそんなこと聞くの?!」
慌てて不自然に高い声で、しかもあまりにも早く反応してしまった。
「そっか〜。それだとウチよりもずっと高位のなんやろうな〜」
ルリちゃんは確信したようにうんうん、と頷く。
「ルリちゃんも?契約してるの?」
「まあな。ほら挨拶しいや」
そうやってポケットから何かを握って取り出す。なんか、フワフワした羽が見えてる。乱暴だなぁ。
「こいつはな、アウルって言うんやで。アイスフクロウのアウル。ほら、ちゃんと前見て挨拶し」
ルリちゃんが手を開くとそこには小さな、キリカと同じ大きさぐらいの、雪色のフクロウがいた。
「ふわぁ、可愛い!」
思わず手を伸ばしてしまったけど、途端に飛び立ってルリちゃんの首の後ろに隠れてしまう。
「コラ。ほんまにシャイなやっちゃなぁ。ごめんなホノカ。碌な紹介もできへんで」
「いいよそんなこと。それで......キリカ?ちょっと出てきてくれない?」
そう言ったら、すぐに出てきてくれるのかな、と思ったけどなかなか出てきてくれなかった。もう一度呼んでみる。そしたら私の肩からぴょこっと顔を出して、腕を伝って降りてくる。
「この子がキリカ。水と静寂の精霊、ウンディーネのキリカ」
そう言ったけど、ルリちゃんは何故かなんのリアクションも示さない。
「よろしく......」
キリカは小さく早く頭を下げた。
あれ?機嫌が悪いのかな......なんでだろ。
「もういいホノカ?」
キリカは早々に切り出してきた。
「う、うん良いけど......どうかした?」
「別に......なんでもない」
そう言い残して私の首の襟に入って消えてしまう。
何かあったのかな。後で好きなお菓子でも作ってみようかな、と思った。
「ルリちゃん?ねえルリちゃん?」
ルリちゃんは何故か固まってた。呼びかけても微動だにしない。
試しに手を目の前で振ってみる。反応はない。
もう一度呼びかけてみようと思った時だった。ボソッとルリちゃんが呟いた。
「超ちっさいロリロリ美少女......。ホノカとツーショット。やばい。2人合わせて抱きたい食べたい。ジュルリ」
......無事で良かった。ついでにそういう考えを改めてくれるならばなお良かった。
エンジくんも復活して、何度か話をした。あの後、崩れ落ちる洞窟の中で、コトネさんが転送魔法を使ったらしい。相当の体力と魔力を消費するらしく、全員から残りの魔力を搾り取って使ってもなお、1日中寝込んでたらしい。
でも私は嬉しかった。コトネさんがそれだけ、自惚れかもしれないけど、私達のために行動してくれたことがとても。
ジンくんは私が眠っている時に一度だけお見舞いに来たらしい。
私に謝っておいてほしいと伝言を残して、ほんの礼だ。と言って、巨大な果物、ベヒーモスフルーツを持ってきてくれていた。
それから私たちに依頼してきたロッドという人は死んだ。けどジンくんたちに依頼したという双子の子は、翠花を受け取り無事に助かったそうだ。
それの報酬の半分を律儀に送ってきたらしいジンくんだったが、エンジくんが送り返した。
やっぱりエンジくんも律儀だった。
そして、洞窟にいた双子の子供とフードの青年。あの三人の正体はまるでわからない。一応警備隊に通報したけど、双子の子供というところが全然信じてもらえなかった。
ロッドの件は大規模に捜査されてたみたいだった。やはりかなりの被害があったらしく、一応聴取はしてもらえた。もっともあまり真剣に受け取ってもらえなかったけど。
一件落着とは言えなかった。警察隊が現在剣士ギルドの統括下にあって、やはり副業感覚の仕事みたいで、捜査も真剣にしてくれるとは思えなかった。
フードの青年は私とルリちゃん以外は気絶していたから知らなかった。
私はルリちゃんに必死に頼んでその人のことを伏せてもらった。ルリちゃんは疑わしい眼をしていたが、すぐに了承してくれた。
フードの人、と言って真っ先に疑われるのはあの人だろうし、何より、身勝手だけど、私自身があの人が誰なのかを解決したかったから。
憧れ......と思っていたのがだんだん違うものだと思い始めるようになった。前はあの人のようになりたい、と思っていた。あの人のような力が欲しいって。けどそれが、あの時ルリちゃんが苦しんでたのを見て、誰かを守る力が欲しいって思うようになった。
ルークさんが私を守ってくれたように、私も、みんなを守りたい。そして知りたい。ルークさんのことを、私の恩人の事を。
「ほら、これとこれは飲まないと」
1週間ぐらい経った日。私は未だベッドの上だった。
エンジくんが忙しい中を縫ってお見舞いにやってきてくれる。
「うん......わかってる」
わかってるんだけど飲めない。目の前にあるのは全部で23種類の薬。これを1日3回。必ず飲まないといけない。
何粒か口に含んで水で流し込む。その作業がとてつもなくしんどいのだ。
「しっかしなんでここまで多くの薬を飲まないといけないんだ?」
エンジくんが尋ねてきた。多分彼は風邪をひいても自力で治すタイプの人なんだろう。
私はそれを曖昧に誤魔化した。
エンジくんが帰っていく。また来るからなと言い残して。
本当は知っていた。どうしてここまで回復が遅れて尚且つこれだけ薬を飲まないといけない理由を。
ベルデギウスさんには起こったことをきちんと話した。ベルデギウスさんは私の話を顔色1つ変えずに聞いていた。最後に、フードの人に雰囲気がそっくりな人がいたと伝えた時は、ちょっとうろたえてたきもするけど、でも気にせいだと思った。
そして私がキリカ行った擬似魔力を利用して魔法を放つという方法。これはできれば二度と使うなと言われた。
憑依は魔物と人間の意識と肉体をリンクさせ一致させ調和させることによって発動させる。つまりは人の身体を魔物に近づける、ということだ。
でも私が、というかキリカがやったのは、人間の状態である私に無理矢理魔物の魔力を押し込むという方法だった。
それによって体細胞、特に脳細胞の破壊がかなり進んでしまうらしい。嘗てこの方法で、正気を失った人間もいるそうだ。
とは言ったもののアレのおかげで私は助かったわけで、キリカにはなんの非もない。それに体の不調も、今の所は弱い風邪を引いたくらいだから、キリカ本人には黙っておいた。
また、戦えるように。
「ルリちゃん。これとこれ運んで」
「オッケー。任せとけ」
「つまみ食いもいいけど、ほどほどにね」
「大丈夫!ウチはホノカの料理やったら永久に食べ続けられるから!」
そう言ってルリちゃんは走り去っていく。
なんでそんなこと言えるんだろう。いや、多分それは事実なのかもしれない。私が作ってる料理はみんな疲れてるから、思いっきり塩分と糖分をきかせている。それをつまみ食いしまくって普通に食べておかわりまでしてるルリちゃんだけど、ダイエットしてるとかそんな話聞いたこともない。
......羨ましいなぁ。本当に。いいなぁ。
私の眼の前にあるのはベヒーモスフルーツのパイ。砂糖を一切入れていないのに、匂いで感じられるその甘さ。そして滲み出た油分がパイ生地に光沢を与えている。
ああああああ......。切り分けたくない。このまま、丸いままで貪り食べたい。いやそれよりも、まだ大量の残ってるベヒーモスフルーツを生のままかぶりつきたい。一度でいいから林檎を齧る青虫の気持ちになってみたい!
.........運ぼう。虚しいだけだ。
聞くところによると、このパイに入ってるベヒーモスフルーツだけで、成人の1日の平均摂取カロリーの3倍はいってるらしい。
まあガセだろうけど、要はそれぐらい太るということだ。美味しいものはどうしてこうも身体に悪いのだろうか。
「お、きたきた。やっぱ主役が来ないと始まらないよな」
大きなコップ......ジョッキを持ったエンジくんは言った。
ちょっと頬が赤くてほろ酔いって感じだ。
「ホノカ〜〜〜〜。聞いてーな〜〜。ウチなぁ〜また同僚のやつにブスって言われてん〜。事実やけど〜〜悔しいーーーー!」
ルリちゃんは......盛大によってるね。まださっきの会話から3分も経ってないんだけど.........。
というかルリちゃんは綺麗だよ。大人の色気っていうか、美しさがある。
カズユキくんがそっと水を渡すとルリちゃんは奪い取るようにしてそれを一気飲みする。
カズユキくんは私と同じでお酒が飲めない。
私はルリちゃんの隣の席に座って、ジュースの入ったジョッキを手に持つ。
「じゃあホノカの全快を祝って!乾杯!」
エンジくんが言うと、カズユキくんがタイミングよく合わせて、「乾杯」という。
それから慌てて私も「乾杯」と言って、最後にルリちゃんがもう何も入っていないジョッキを高々と掲げて乾杯!と言った。
「お前ら、音頭ってもんが全然ないじゃねーか」
エンジくんが笑いながらジョッキを傾ける。
私もコップを傾けると、今まで飲んだことのない不思議な味がした。とっても美味しい。
みんな笑ってる。そんなみんなと同じ空間に居られるのが本当に嬉しくて、幸せで。この時は、この後くるであろう困難を一切考えられなくて、ただただあったかいお風呂に浸かってるみたいに、ずっとこの中で生きていたいと思うことができた。
起きるともう朝だった。そして私は手がネバネバしてることに気づく。ペロッと舐めるととっても甘い。その甘さが私を絶望の淵に叩き落とした。
蘇る記憶。確か昨夜、何故かテンションが上がって............みんなのベヒーモスパイを全部奪って食べて............
呆然としてる私にカズユキくんが一人言った。
「おはようホノカさん。昨日すごかったね。パイを全部食べちゃって、しかもベヒーモスフルーツジュースを1.5リットル飲み干すなんて。あれ100パーセントで濃縮してあるからものスゴイ味してたのに」
とどめの一撃だった。
私はそのまま机に再び倒れこんで眠った。不自然な笑みと、次に体重計に乗るという恐怖に苛まれながら。