勇者ローシェンの物語2 勇者に仲間あり
前のローシェンと二本立てにすれば長編一本分の長さになると思い小説賞に投稿しようと書いて結局、投稿しなかった小説です。
タイトルで分かるようにローシェンの続編ですが、以前ローシェンをアップしたのは去年の初夏だったような……
当然、これを完成させたのは前作を、ここにアップするだいぶ前です。
黙々と土煉瓦が載った大八車を牽く。もう外壁が完成するので、ローシェンの仕事は今日で終わりだ。
なかなか筋が良い。ウチで働かないか? と親方から誘いを受けたが、そういうわけにもいかない。
「土煉瓦、到着でーす」
造りかけの家の前で大八車を停めると、ローシェンは声をかける。
「おう、ご苦労さん。じゃあ昼飯にするかー」
親方が大声で周り達に声をかけと、職人達が家の中からわらわらと出てくる。
ローシェンは大きく息をついて家を見上げる。
「こうも早く、家って建つモノなんだ……」
更地だった頃から建築に関わってきたのだから感慨はひとしおだ。
「おい、にーちゃん。今日、打ち上げやるんだが、にーちゃんも来いや」
「いや、今日は別口の仕事の打ち合わせがありますから……申し訳ない」
職人の誘いを、ローシェンは頭を下げて断る。
この仕事を受けてしまったために本業に差し障りが出てる、そうシェルティは文句を言うが、冒険者の仕事を本業とはローシェンには思えないのだ。
元々、日雇いで仕事を受けたのだが、真面目で丈夫だったのが気に入られて外壁が完成するまでと優先的に使って貰えるようになった。先日、シェルティが冒険者としての仕事を見つけてこなければ、ローシェンはこのまま職人になってたかも知れない。
実のところ、雇用期間のさらなる延長の話もあったのだ。
ローシェンは弁当を取ってくると包みを解く。
「わ、シェルティ今日は奮発してくれたな」
ゆで卵が入っていた。玉子は街では高価な食材だ。そう、おいそれと買える物ではない。農村から街に出て、物価の違いにローシェンは心底、驚いたものだった。
他はキュウリの酢漬けのサンドイッチ。余り物ではなく、ちゃんと今日焼いたパンで作った物。
普段、固くなったパンと乾きかけたチーズで昼食を済ませているローシェンにとって、今日の昼食は御馳走である。
作ってくれたシェルティに感謝して、まずは一口。
「汝は勇者なり!」
その声は、突然だった。だから咽せた。
間違っても吐き出したりしないよう歯を食いしばって耐える。そして目に涙を溜めて呑み込んだ。味なんか全然わからない。
顔を上げると、正面に一人の少女が居た。
シェルティよりも年上に見えるが、人間なのでシェルティより年下だろう。
綺麗な娘だった。
黒いまっすぐな髪に黒い瞳。ローシェンには、よく分からないが良い布を使った凝った服を着ているので、どこかのお嬢様かもしれない。
ただ、どこかのお嬢様が、なんで大荷物を背負った上に帯剣しているのかは理解に悩む。
「汝は勇者なり……」
少女は、ローシェンを指さして今度は自信なさげに言った。
「ええ、そうらしいです」
ローシェンは真顔でこたえる。
少女は無言。ひょっとしたら惚けてるのかも知れない。
沈黙に耐えかね、ローシェンは口を開いた。
「良かったら食べます?」
少女にサンドイッチの包みを差し出す。
サンドイッチを突きつけられ、少女はようやく正気に返ったようだ。包みを押し返し大きく息をつく。
「あなたは勇者なんです!」
「はい」
知ってるし一応、その自覚もある。
「その勇者が、何でこんな所で……」
「職業に貴賤はありません」
ローシェンは力強く断言し食事を再開した。仕事で人を差別する人間とは、仲良くなれそうにない。
「仰ることは最もですが、あなたは勇者なんです」
「はあ……あなたは?」
ゆで卵の殻を剥きながらローシェン。仕事で人を差別しているわけではなさそうなので話ぐらいはできそうだ。
「わたしはサバーカの大神殿に仕える神官でした」
「でした?」
ローシェンは問い返す。では今は何をやっているのだろうか?
「西のテリアに勇者が現れた。その勇者の力となれ……そう啓示を受けて、この地にやって来たのです。わたしは勇者付きの神官ですから、もう神殿には仕えていません」
「その勇者って、僕で間違いないの?」
はっきり言って嬉しくない。サバーカは東の大きな国だ。大神殿ともなれば、相当な規模だろう。そこの神官が自分付きとなると責任重大だ。
「あなたで間違いありません」
断言されてしまった。事もあろうに。
「僕もね、勇者だって啓示を受けて街に出てきたクチなんだけれど……」
勇者になりたくて街に出てきた。でも何をなすべきかわからない上、騒ぎは苦手だ。
「やはり勇者様なのですね。お名前を聞かせてください」
「ローシェン……」
嫌々こたえるが気づいている気配はない。唐突に畏まるとローシェンに向かって跪いた。
「エアデールです。偉大なる五柱、力ある十八柱、そして数多なる神々に誓う。我エアデールは勇者ローシェンの力となり、その使命を終えるまで粉骨砕身の覚悟で……」
「おい、にーちゃん。このねーちゃんダレ?」
遠巻きに様子を様子を眺めていた職人の一人が声をかける。
「勇者の付き人となる神官だそうです」
「そーいや、にーちゃんは最初、勇者だって名乗ったっけなぁ」
大笑いされた記憶が鮮明に残っている。まあ、逆の立場だったら、ローシェンだって大笑いするだろう。
横槍を入れられエアデールが露骨に嫌な顔をする。
「場所を変えましょう」
昼食がすんだら昼寝と相場が決まっているのだが、今日は昼寝は諦めた方が良さそうだ。
弁当の包みを抱え、ローシェンは立ち上がった。
「作業再開までには戻りますから」
声をかけて、ローシェンは現場を離れる。
「オレも勇者になってみるかねー」
一人の職人が大声で言い、どっと笑い声があがる。
エアデールが何か言いたそうにするが、ローシェンは、それを手で制して歩き出した。「勇者様、言わせておいていいのですか?」
「勇者様はやめて。ローシェンでいい」
言わせておくことに、なんの不都合があるのかもローシェンにはわからない。
一本の木を見つけるとローシェンは、その木の根本に腰を下ろした。
「では、ローシェン様。あなたの使命を教えてください。お手伝いいたします」
様はいらない。そう思いながら、ローシェンは自分の使命について考えてみる。
「とりあえず、あの家の外壁を今日中に完成させること。でも手伝いは無くても夕方までには終わると思う。そのあと次の仕事の打ち合わせに……」
「そうじゃなくて!」
いや、気づいてますって。
そう思いながら、ローシェンは溜め息を吐く。
「汝は勇者なり。そう啓示を受けたけど、具体的に何をしろとは言われてないからね。本音を言うと、村を守ったことで勇者としての役目は終わったと思ってたんだけど……」
勇者ローシェンの物語は、やはり続いていたようだ。正直、胃が痛い。
「終わってません。終わっていたら、わたしは啓示を受けることも無かったでしょう」
そう言い、エアデールは熱を帯びた目でローシェンを見つめる。
「村を守ったんですよね!? 詳しく、お話を聞かせていただけますか?」
詰め寄られ、ローシェンは思わず後ずさる。
「ちょっと待って。すぐ食事、済ませちゃうから」
そう言ってローシェンは弁当を慌てて詰め込む。今日は昼寝の時間は取れそうになさそうだ。ローシェンは暗澹たる気持ちで、そう思った。
疲れた。昼食後の昼寝の有無で、これほど疲れ方が変わってくるのかと思わず感心してしまう。
「次の仕事の打ち合わせって、また建築関連なんですか?」
「いや、違うと思う」
シェルティから打ち合わせをするから、そう聞かされているだけなので具体的にどんな仕事かは知らない。でも恐らくは冒険者としての仕事だろう。
給料も貰え懐も暖かいからシェルティに何か買っていこうかとも思う。が、エアデールが付いてくるので、それも気が咎める。
「エアデールって剣持ってるけど使えるの?」
「はい。神殿で剣術の指導も受けてます。でも特技は魔法です」
そう言いながらエアデールは手を翳す。掌に小さな光球が現れた。
「人前で魔法なんか使うモンじゃない」
人口の多い、この王都テリアですら魔法使いは決して多くない。一般の者たちにとって、魔法使いは未知の存在なのだ。ゆえに疎まれ嫌われる。よほど力のある術師か、その庇護下にない限り魔法使いであると公言することは危険なのだ。
「はい。やはり、あなたは勇者様ですね」
ローシェンの言葉にエアデールは、どこか嬉しそうに言う。そして手を握って光球を消した。
恐らく、誰も気が付かなかっただろう。ローシェンは胸をなで下ろす。或いはエアデールに試されたのかも知れない。
「ひょっとして、ずっと付いてくるの?」
「あなたが勇者としての使命を負える、その日まで」
ローシェンの知っている勇者はサモエドだが、最期は竜との壮絶な相討ちだったそうだ。ということは、下手すれば死ぬまでということになりかねない。
シェルティに、どう説明しようか?
ローシェンは思わず悩む。シェルティなら話せばわかってくれるだろう。浮気さえしなければ。正直ローシェンは自分に、そこまで甲斐性があるとは思っていない。
「なら大丈夫か……」
結論が出ると、思わず呟きが漏れた。
「あなたの使命には、ずいぶん長い時間がかかるようですね。この身果てるまで、お仕えいたします!」
大きな声で宣言されてしまうが、そういう意味で言ったわけではない。
ローシェンは説明するかわりに大きな溜め息をついた。
酒場の集中する繁華街に向かう。
ローシェンはエアデールを最初どこかのお嬢様かと思ったが、街にはローシェン以上に慣れているようだった。
まだ日は暮れていないというのに、既に出来上がった酔っぱらい達。そういった酔っぱらい達に絡まれても簡単にあしらっている。エアデールが絡まれる事を想定し、庇ってやらなければと思っていたローシェンとしては拍子抜けだ。
「こんな所で仕事の打ち合わせですか?」
眉を顰めるエアデール。
「うん、このお店」
ローシェンは、本日閉店の札が下がっている店の扉を開けた。
「遅いよ、ローシェン!」
中に入ると第一声が、それだった。
目の前にはシェルティ。奥のカウンターに立っているのは、この店の主人クバーズ。筋骨隆々とした中年男だ。
そして見知らぬ男が二人、店内中央のテーブルに座っている。
二人とも人間ではない。
一人は背は低く、立ち上がってもローシェンの胸ぐらいまでの身長だ。だが広い肩幅に厚い胸板、筋骨粒々の体に髭もじゃの顔。
ドワーフだ。
大地の妖精であり、鍛冶の技に長けた種族でもある。
そして、もう一人はエルフ。襟で切り揃えられた銀髪に金色の瞳。シェルティと同じ長い耳。シェルティの纏う雰囲気は人間のそれだが、彼が纏う雰囲気は明らかに人間の物ではない。
「「だれ?」」
シェルティとローシェンが同時に言った。
「エアデールです。勇者ローシェン直属の神官です」
店内に入ったエアデールが自己紹介する。
エアデールの言葉に、シェルティを除く全員の視線がローシェンに集まる。
「コレで証明は終わったな」
クバーズがカウンターから重々しく宣言する。
「ロットワイラー?」
ドワーフが、エルフに声をかける。
「衣装から察し、サバーカにある大神殿の神官で間違いないようです。そして、その神官が勇者と認めたわけですから……」
ロットワイラーは静かに言った。
「つまり間違いない。そういうことだな」
ドワーフの言葉にロットワイラーが頷く。
「エアデール。神官って事は魔法が使える?」
「はい」
シェルティの問いに、エアデールは笑顔で頷いた。
ローシェンの目の前でありながら、全然知らない話が進んでゆく。しかも、初対面であるはずのエアデールは事態をある程度、納得している様子。
「よし、全員席について。話に乗るならエアデールもね」
手を打ってシェルティは宣言する。そして他のテーブルから椅子を持ってくるとそこに座る。
シェルティの隣にローシェン。その隣にエアデール。
クバーズが各自の前に空の食器を並べてゆく。
「では各自、自己紹介から」
シェルティに促され、ローシェンが立ち上がる。
「勇者ローシェン。ライカ村にオーガが現れた際は真っ先に矢面に立って戦った。一対一ならボルゾイの方が強いと思うけど、それでも剣の腕はアタシが保証する」
ローシェンが口を開くより早く、シェルティが紹介を終えてしまう。
シェルティの言葉から察しドワーフの名がボルゾイ。
「じゃ、次はあたし。シェルティ。数年前まで、この街で冒険者やってたからロット、ボルゾイとは面識あるわね。罠を扱ったり鍵開けとかできるけど、特技はコレ」
シェルティがテーブル中央の油皿を指さすと、炎が有り得ないほど大きく燃え上がる。
「精霊魔法ですね。以前よりも、ずいぶん上達しましたね」
ロットワイラーの言葉に、シェルティは笑顔で頷く。
「ロットワイラーです。わたしも精霊魔法は使えますが専門は魔術です。武器を使っての戦いは期待しないでくださいね」
「ボルゾイだ。武器を扱う戦いは任せておけ。あと、ワシも罠や鍵開けの心得も多少はある」
最後にエアデールが立ち上がる。
「エアデールです。天より啓示を受け、勇者ローシェン直属の神官となりました。剣の心得もありますが専門は魔法です。癒しの術なら、お任せください」
クバーズがテーブルの中央に大鍋をどかんと置いた。中身は具だくさんのシチュー。そして、その隣に大量のパンが入ったバスケット。
「四人では心許ないと思っていたが一人増えてくれてよかったよ。しかも術師だ。勇者がいると人が集まるというが、本当のようだな」
笑顔で言うクバーズ。
「ちょっと待ったっ!」
ローシェンは慌てて立ち上がる。状況がわからないながらも、自分が数に数えられるのは構わない。が、エアデールはどうなのだろう? 今日会ったばかりの者を危険な冒険者稼業に引き込むのは気が咎める。
「エアデールは、それで良いの?」
「ローシェンが構わないのであれば、わたしは異存ありません」
断言されてしまった。そういえばエアデールは勇者直属の神官だと名乗ったのだ。忘れがちだがローシェンは勇者。自分が仕事を受ける以上、エアデールも付いてくる事になるのだ。
そしてシェルティが見つけてきてくれた仕事である手前、ローシェンには仕事を断れない。
ローシェンは大きく溜め息を吐いた。諦めた方が良さそうだ。
「どんな仕事なんです?」
「ゴブリン退治だ。が、甘く見るな。腕利き五人が挑んで、少なくとも二人殺られた。今回は、その時の仇討ちであり汚名返上でもある」
ローシェンの問いにクバーズは、真剣な顔でこたえた。
ゴブリンは邪悪な妖精の一種。醜い姿で子供のほど背丈、群を成すが強くはない。それがローシェンがシェルティから聞かされた知識だった。
だとすれば腕利きが後れを取る相手とは、正直思えない。
「死んだのは三人です。術で調べて生存が確認できたのが二人ですから」
ロットワイラーが言う。
「連中はワシも知っておるが、それなりに腕も立つし引き際も弁えておる。ゴブリンごときに後れを取るはずはないのだが」
鍋から皿に、山盛りにシチューを装いながらボルゾイ。
「相手の数は?」
「村の被害の規模から察して、多くて十匹程度のはずだった。が、後日、依頼の失敗を告げに来た村人の話によると少なくとも数十匹はいたらしい」
シェルティの問いにクバーズはこたえる。
「生き残った二人は、どちらに……?」
「この街には、しばらく帰って来れないよ。冒険者としての面目、丸潰れだもん」
エアデールの問いにシェルティ。
「この街の冒険者、全ての面子が潰されたと思って良い。だから信頼できる腕利きを集めた」
クバーズは言う。
「それが、僕たち……ですか」
その面子の中に、この街で冒険者としての実績がない自分かいることに、ローシェンは納得できない。
「ローシェン、あなたは勇者です。勇者という存在は別格なんです。自信を持ってくれていいですよ」
「ただし、自惚れない程度にね」
ロットワイラーとシェルティ。
街に来てローシェンは勇者について少しばかり調べてみたのだが、実在したらしい本物の勇者に関する話というのはサモエドぐらいしか聞くことができなかった。
勇者は別格、そうロットワイラーは言うが、ローシェンにはよくわからない。
「明日、明後日には出発してくれ。村の連中が痺れを切らせてるからな」
各自が自分の皿にシチューを盛りつけていく様子を眺めながら、クバーズは言葉を続ける。
「とりあえず前金として、一人四百ブロット出そう。完遂したら村から一万ブロットの報酬が出る。そこから前金を差し引いた上で頭割りしてくれ。しくじるなよ!」
一日、二十ブロットもあれば、その日の寝床と食事ぐらいは確保できる。そしてローシェンが建築現場で毎日日雇いを続けた場合、ひと月でおよそ千ブロット弱の収入になる。
実際受けてみないと何とも言えないが、今回の仕事なら一週間で勝負が付くだろう。一週間の仕事で二千ブロットは確かに大金だが、命がけの仕事になりそうだ。
「前の連中は、何故しくじったと思う?」
ボルゾイが全員に問う。
「ゴブリンの数を見誤ったまま戦ったのかも」
シェルティがこたえる。
「罠に嵌ったか待ち伏せされたか」
ローシェンもこたえる。
「その点は現場の状況を見て判断すれば良いと思いますが、二人の意見でだいたい合っているでしょう」
ロットワイラーが、そう締めくくってエアデールに視線を向ける。
「エアデール。問題なければ明日出発したいのですが、あなたは準備は必要ですか?」
「武器は持ってますし、上着の下に帷子も着込んでますので武具を揃える必要はありません。必要となるとすれば、野営装備ですが……」
エアデールは上着の袖をめくって帷子を見せる。黒く焼き入れされた鎖帷子の袖だ。
「朝出れば夕刻には村に着く。特に装備はいらんよ」
「なら、明日でも問題ありません」
ボルゾイにエアデール。
「よし、決まりだな。エアデールは宿はどうしてる?」
大きく手を打ってクバーズは宣言する。そしてエアデールにたずねる。
「今日の昼前に、この街に付いたところですので、どこか紹介していただけると……」
「シェルティ、ローシェンと相部屋で良ければ使ってくれ。元々、四人部屋だから場所は十分あるはずだ……あるよな?」
クバーズに問われ、シェルティは頷いてこたえる。
ローシェンもシェルティも大して荷物は多くない。シェルティの冒険者時代の縁で二人は、この酒場の二階に住まわせて貰っているのだ。
「良かった。今日この街に着いたばかりで、宿の当てなんて全然なかったんですよ!」
エアデールは、クバーズの提案に諸手を打って歓迎する。
今日会ったばかりの女性と相部屋いうのは如何な物かと思わずにはいられないが、シェルティは異存無いようなのでローシェンとしても言うことはない。
「ローシェン、お前も飲むか?」
「ダメ。普段飲まない人がドワーフなんかに付き合うと潰されて、明日、動け無くなっちゃうよ」
ボルゾイに酒を勧められるが、シェルティに止められてしまう。酒を飲んだ経験がほとんど無いので、ローシェンとしては飲んでみたかったのだが。
中央に浮かぶ光球が室内を照らす。
エアデールが魔法でつくりだした光球だ。
光に剣を翳してみる。
鋭い切っ先の小振りな直刀で、刀身の中央あたりから左右に三角の刃が張り出している。エアデールの剣だ。
「刺突に重点を置いた剣なのかな」
ローシェンの見立てでは、三角に張り出した刃は剣が深く刺さり過ぎないようにするための細工だ。刃物が深く刺さってしまうと、容易には引き抜けなくなるそうだ。そのための防止策だろう。
そして、ローシェンの剣には、こういった細工はない。シェルティの話によれば、巨大な怪物の急所に届かせるために、あえて剣が深く刺さるようにしてあるのだと。
つまりエアデールの剣は、対人もしくは人間サイズの敵を想定した剣なのだ。
「そうです。わたしの習った剣術は、体重を乗せた突きを主体とした剣術ですから」
「一対一では有効だけども……多数を相手にする場合は有効とは言い難いかな」
エアデールの言葉にシェルティは言う。
「多数を相手するような状況で戦うな。そう習いましたから」
ローシェンの長剣を手に取りながらエアデール。あの長剣は、エアデールには重すぎるようだ。
「そうなのよねぇ……」
呟くようにこたえると、シェルティは溜め息をついた。
シェルティが言いたいのは今回の仕事の事だろう。
少なく見積もってもゴブリンの数は数十匹。まともに戦えば数で押し切られてしまう。だから小分けにして相手をする必要があるが、一筋縄ではいかないだろう。
「長くかかりそうだね」
ローシェンは呟くと、剣を鞘に収めエアデールに返した。
「良い剣ですね」
エアデールも、そういって剣を返す。街に来て色々な剣を見る機会ができたが、この剣より良い剣は、まだ見たことがない。疑っていたわけではないが、シェルティの曾祖父が名のある冒険者だったというのは本当なのだろう。
「貰い物だけどね。手入れはマメにやってるから」
そうこたえてローシェンは鎧の傍らに剣を立て掛けるとベッドに潜り込む。今日、仕事で昼寝の時間が取れなかったので眠くて仕方ないのだ。
「あ、明かり消しましょうか?」
「いいよ、そのままで」
明かりの有無に関係なく寝られそうなので、ローシェンはそうこたえておく。
目を閉じると、意識が吸い込まれていくようだ。明日からの仕事について不安は多いにも関わらず、よく寝れるものだと我ながら感心してしまう。
エアデールとシェルティが小声で会話を始める。その声を聞きながら、ローシェンは眠りについた。
朝、目が醒めると誰も居なかった。
シェルティもエアデールもいない。寝過ごしたかと思い窓を開けるが、まだ早朝だった。
普段ならシェルティより先にローシェンが先に眼を覚ますのだが。
ローシェンは大欠伸をすると着替える。
一階の酒場に降りるとシェルティは料理、エアデールは酒場の掃除中だった。酒場の掃除は、いつもならローシェンがやっている仕事だ。
二人に挨拶をすると、とりあえず井戸で顔を洗う。
空を見上げると、今日も良い天気のようだ。
「手伝おうか?」
戻ると、まずエアデールに声をかける。酒場の掃除は普段ならローシェンの仕事だ。
「いえ、もう終わりますから」
確かに、もう終わるようだ。一体、いつから掃除を始めたんだろう。
「シェルティは?」
「鍋洗ってくれる?」
シェルティの方は仕事があるようでローシェンは、ほっとする。
料理自体は終わったようで、大きなバスケットの中に手際よくサンドイッチを詰めてゆく。普段のローシェンの弁当とは大違いの内容だ。
鍋を抱えて井戸まで行き、戻ってくると朝食の準備も終わっていた。
朝食の内容自体は、いつもと同じ。スープとパンと野菜の炒め物。それに今日は目玉焼きが付いている。シェルティは基本的に昼食を摂らないので朝食では手抜きはしない主義なのだ。
「わ、凄いですね……」
エアデールが感心したように言った。
「エアは普段、朝、何食べてるの?」
「神殿では朝はパンでしたね。たまに生野菜が付くこともありましたが……」
村にいた頃のローシェンは夕飯の残りで朝昼を済ませていた。今朝も、そうなるかと思いきや、昨日の夕食はボルゾイが全部食べてしまった。
ドワーフは大食い。噂通りだ。
「あたしは朝は。しっかり食べる。お昼は食べないし夜も手抜きしがちだから」
シェルティは、普段この酒場で給仕をやってる。その関係で、どうしても夕食は不規則になりがちなのだ。
ローシェンはパンを二つに割りスープにつけて食べる。古いパンは固いので、こうしないと食べられたモノじゃない。シェルティも同様の食べ方。
エアデールは二人の食べ方を見た後、パンにかじり付いた。固かったらしい。諦めてスープにパンを浸す。
「ごちそうさま!」
真っ先に食べ終わったローシェンは立ち上がる。
「後片付けはやっておくから、ローシェンは出発の準備をしてきて」
「うん、じゃ、お願い」
シェルティの申し出に甘えてローシェンは二階へ。
背負って行くより着ていった方が楽なので鎧を身につける。一人でも着ることができるように作られてはいるが結構、手間がかかる。
三人同時に準備を始めたら、ローシェンが一番最後になってしまうだろう。
そうしていると、シェルティとエアデールがあがってくる。
二人とも、すぐに鎧を身につけ始める。シェルティはなめし革の鎧、エアデールは鎖帷子。エアデールの鎖帷子は。厚手の鎧下の上にワンピース状の帷子を着るだけの簡単な物のようだ。
鎧を身につけると軽く体を動かしてみる。問題ない。
右手で剣を横に振ってみる。イメージ通りに体は動いてくれる。腕は鈍っていないようだ。
「ローシェン。少々、手合わせをお願いできますか?」
「ああ、うん。じゃあやろうか」
エアデールに言われ、ローシェンは木剣を用意する。普段、剣の練習に使っている長い木剣ではなく、エアデールの剣と同じくらいの長さの木剣を二本。
「その剣と比べると、ずいぶん短いけど大丈夫ですか?」
表に出て木剣を手渡すとエアデールに問われた。
「うん、今回はコレでやってみる」
こと一対一では、剣の長さは大きな優劣に繋がる。長ければ、それだけ間合いも広くなり有利に勝負が進められるのだ。だからこそ、あえてローシェンは短い木剣を選んだ。
エアデールと同じ条件で勝負したかったのだ。
「では、参ります!」
その言葉と同時に、エアデールは踏み込んできた。
体重を乗せた鋭い突きを一歩下がって捌く。確かに重いが捌けないほどではない。
再び突きが繰り出される。今度は軽い。そう思いながら捌くと、間髪入れず次の突きが繰り出される。
剣では間に合わない。そう思い、ローシェンは後ろに飛んで突きをかわした。
続いて、さらに突きが繰り出される。右手の剣で捌くが、空いている左手が反射的に動きそうになるのをグッと堪える。
全く知らない剣術が相手なのでやりにくいが、そろそろエアデールの手の内も読めてきた。
ローシェンは大きく息をついた。
「そろそろ打ってきてください」
なかなか攻めに転じないためか、エアデールもイライラしてきているようだ。
「じゃ、仕掛けるよ」
右手に持った剣を小さく振り上げる。次の瞬間、エアデールの突きが飛んできた。
予想通りだ。
ローシェンは振り上げかけた剣をエアデールの剣を狙って振り下ろす。
木剣が打ち合わさる乾いた音、そしてエアデールの剣が地面に打ち落とされる。
「お見事です……」
右手を押さえながらエアデール。
「ずいぶんローシェンは手加減をしていたようじゃの」
ボルゾイが言う。
いつの間にか、ロットワイラーとボルゾイも集まっていた。
ロットワイラーは手に身の丈ほどの杖、そして背中に荷物を背負っている他は、昨日と同じ格好。ボルゾイは鉄の甲冑に身を包み、肩には巨大な戦斧を担いでいる。
「手加減……していたんですか?」
エアデールが呆然としたように呟く。
体格による力の差は歴然としているので手加減しないと危ないのだ。
それにローシェンは鉄の鎧に身を包んでいるので、木剣程度の打撃は大したこと無い。対し、エアデールの鎖帷子は打撃にはさして防御効果は期待できない。
「ローシェン、左手使いたくてウズウズしてたでしょ」
シェルティは楽しそうに、そう言った。
実戦だったら、剣を捌いて隙ができたところを空いた左手で殴っていた。もしくは鎧で打撃を受け止め、剣を防御に使わず斬りかかるか。
「まあ……ね」
ローシェンは、曖昧な言葉でこたえを濁す。
「ワシならば、そもそも防御は考えず一撃で勝負を決める。ローシェンも、同じ事ができるはずじゃな」
ボルゾイの言葉に、エアデールはローシェン、ボルゾイと視線を巡らせ、最後にローシェンの長剣を見て溜め息をついた。
「鎧を抜く以前に、間合いを詰められるか怪しいところですね」
そう言ってエアデールは俯いた。
二人とも、長く間合いの広い武器を使っている。それに対しエアデールの剣は短く、圧倒的に間合いが狭い。技術の差も考えれば、エアデールには勝ち目はない。
だが、そこまで自分で判断できるだけでも、エアデールの腕は悪くない。
「さて、そろそろ出発しましょうか」
ロットワイラーに声をかけられ。一行は出発した。
夕方近くに村に着いた。
戸数は七十戸ほどなので人口は少なく見積もっても三百人はいるだろう。ローシェンの故郷と同様に農村のようだ。遠目から見た限り、ゴブリンの被害らしい物は見えない。
「見た範囲では、被害は出てないようだけど……」
冒険者が返り討ちに遭っているのだから、相当、深刻な被害が出ているのかと思ったが、そうではないようだ。
畑の中に家々が点在している。畑の大半は収穫が終わっているようだ。そして村の北側には、広大な森が広がっている。
「とりあえずは、村長に話を伺う事にしましょう」
ロットワイラーの言葉に従い、一行は村の中へと入る。
道中、色々と話を聞いたがロットワイラーとボルゾイは、特定の一行とは組まない冒険者なのだそうだ。
二人とも以前は同じ面子で一行を組んでいたが、仲間が死んだり引退したりと一行が解散して以来、他の一行に手を貸す程度の仕事しかしていないそうだ。
ただし二人とも冒険者としての年季は長く、実力も折り紙付き。シェルティによれば、今回のような安い仕事では、本来動くはずもない腕利きなのだとか。
その腕利きを使わなければならないほど、今回の仕事は厄介だそうだ。そして二人が安い報酬で動いた理由が、本物の勇者であるローシェンの存在だとか。
有り難くはあるが、ローシェンとしては胃が痛くなるような理由である。
農作業から帰る途中の村人に、村長の家を尋ねると案内された。
「前の連中の方が、強そうに見えたんだがね……」
「ええ、単純な殴り合いでは前の方々の方が強いでしょう。でも今回は、術師を三人そろえて来ましたから安心してください」
明らかに信用していない素振りの村人に、ロットワイラーは笑顔を向ける。
術師、その言葉に村人の表情が凍り付いた。
「アンタら、魔法が使えるのか」
「はい、この通り」
そう言って、ロットワイラーは掌の中に拳ほどの火の玉を造りだした。そして、無造作に放り投げる。
数メートル先で小さな爆発が起こった。
「ちょっと、ロット。何やってんのよっ!」
シェルティは怒るが、ロットワイラーは気にしていない様子。
「だいぶ手加減しましたが、本気を出せば納屋ぐらい吹き飛ばせますよ?」
「ロットワイラー。魔法使いに言う言葉じゃないけど、人前で魔法を使う物じゃない」
蒼白になっている村人を見て、ローシェンは堪りかねてたしなめる。
「村長ン家は、そこだ」
村人は途中で足を止めて一軒の家を指さすと、踵を返し逃げるように去っていった。
「おやおや、嫌われてしまいましたね……」
反省の欠片もないロットワイラーの言葉に、ローシェンは溜め息をついた。
村長の話によると、前回、冒険者達が撃退されて以来、村には被害は出ていないそうだ。「元々、ゴブリンは臆病な所もありますから、あえて人里まで降りてこようとは思わないのでしょう」
「だからといって、放っておくワケにもいかん」
ロットワイラーの言葉に村長は、そう切り返す。
そもそも、最初の被害自体も大きくは無かったのだ。畑が荒らされ、鶏小屋から鶏が攫われる程度。猪や熊が村に降りてきた時のほうが、いくらか被害は大きい。
「どのあたりに巣を構えているとか、そういうことは、わかってるんですか?」
「森のどこかだ。それ以上はわからん。怖がって誰も森に入らなくなったからな……」
詰まるところ何もわからないのだ。
「前の連中は、どのようにゴブリンたちに挑んだのだ?」
「森に入ったきり戻ってこなかった。数日後、村の近くの森に死体が転がっていた。返り討ちに遭ったのだろう。大口を叩いた割りに情けない」
ボルゾイに村長。
ローシェンは考える。恐らく村の被害状況から、ゴブリンの数を誤解したまま戦いに挑んだのだろう。
「ゴブリンは少なくとも数十匹居たらしいですが、その数は、どうやって判断したんですか?」
「死体が見つかった当日、十人ほどで森を調べたら数十匹ほどの群を見かけたそうだ。以後、森には誰も入ってはいない」
ローシェンの問いに村長はこたえる。
「明日、一日かけて状況を調べましょう。現状じゃ作戦の立てようもありません」
「あまり村に長居されても困る。できる限り早く片づけてくれ」
ロットワイラーの言葉に村長は、そうこたえて出ていった。
ここは村長宅の離れ。
当面、ここに寝泊まりしてゴブリンたちの相手をすることになる。
「村に降りてこないなら、放っておいても良さそうな気もするけど」
ローシェンとしては、そう思う。熊にしろ猪にしろ、村に降りて畑を荒らしたりしないのであれば別段、気にしない。
「そうは言うけど、冬になったら間違いなく村を荒らすようになるよ」
「確かに。ゴブリンの習性を考えれば、間違いなく村を荒らすだろうな……」
ボルゾイも、シェルティの言葉に同意する。
ローシェンは、まだゴブリンは見たこともないのだ。連中が、どういった判断基準で行動するのかもわからない。
「エアデールは、どう思う?」
突然、ローシェンに話を振られて、エアデールが目をしばたかせる。
「わ、わたしはゴブリンの名前ぐらいしか聞いたこと無いもので……申し訳ありません」
たぶん、エアデールには冒険者としての経験も、ほとんど無いだろう。詰まるところ、ローシェンと大差ない。
「明日中に、巣の位置は特定したいと思いますが見つけたら、どうしましょう? ローシェン、ボルゾイあたりなら数十匹の群の真ん中に放り込んでも生還できると思いますが」
要するに、二人で突っ込めと言いたいのだろうか。
「他人事と思って、気安く言ってくれるな!」
ボルゾイが露骨に嫌そうな顔をする。ローシェンとしても、正直、ゾッとしない。
「二人の鎧なら普通のゴブリンには、そうそう抜かれたりしないだろうけど、罠とか使われたら危ないよ。それに群の規模を考えると大型種が混じってると思う」
「大型種?」
知らない言葉だ。ローシェンは問う。
「普通のゴブリンは人間の子供並の背丈しかないけど、大型種は大人並の背丈があって力も強いの。大きな群なら、大抵、大型種が混じってると考えていいかな。あと、まれに魔法を使うゴブリンもいるから」
「全部、戦ったことあるの?」
ローシェンに問われシェルティは笑った。
「魔法使うゴブリンは遠目に見ただけだし、大型種とは刃を交えたのは一回だけ。手強いけど、ローシェンなら負けないわよ」
だとすれば、いかに数が多いとはいえ、腕利きの冒険者達が返り討ちに遭う理由がわからない。例え後手に回ったとしても、いったん引いて体勢を立て直すことだってできたはずだ。
考えても埒があかない。
「明日、調べてみて、それで集まった情報次第か……」
ローシェンは天井を仰いで呟いた。
なんにせよ情報が少なすぎるのだ。
翌朝、出発の準備を終え、空を見上げると曇天だった。
「雨、大丈夫かな?」
「このカンジなら、たぶん日が暮れるまでは大丈夫」
不安そうに空を見上げるシェルティにローシェンは告げる。幼い頃から天気を見ながら畑を耕してきたのだ。ある程度なら、天気の予想は付く。
「ワシらは、あまり期待されておらんようじゃの……」
髭を撫でながらボルゾイは呟く。
これから出発するというのに見送りの村人はいない。それに昨日の夕食や昼食も、はるばるゴブリン退治にやって来た者に出すにしては、お粗末な料理だった。村の規模を考えれば、もっと良い物が出せたはずだ。
「前任者の失敗が、響いているんでしょうね」
エアデールが小さな声で言う。
「とりあえず、戦いがあったらしい場所まで行きましょう」
ロットワイラーの言葉で、一行は森へと向かう。
村を抜け、森に向かう途中でも、村人達は遠目に見ているだけ。村には被害が、ほとんど出てはいないためか、ゴブリンを退治する必要性というのを感じていないのかも知れない。
「やっぱり、ゴブリン退治の必要性を感じてないんじゃないかな……」
村人の様子を見て、ローシェンは呟く。
「年輩の方は、そうは思ってませんよ。二十年前、近隣の村であった惨劇を忘れていないでしょうから」
「ああ、あたしも憶えてる。村でも噂になったから」
ロットワイラーの言葉にシェルティも頷く。
当時、シェルティは九歳だったはずだ。ローシェンは、まだ生まれていない。
「惨劇とはなんです?」
剣呑な言葉にエアデールが反応する。
「今回と同じような状況で、ゴブリンの群を放置したんですよ。大きな群でしたし、村に被害が出ないなら、わざわざ危険を冒してまで駆除する必要はない、と」
小さく笑って、ロットワイラーは、ローシェンとエアデールに視線を向けて言葉を続ける。
「数年間は何もなかったんですが、天候不順で不作になった年がありました。村自体は、多少なりと蓄えがあったので年を越すぐらいはできるはずでした。ですが森に住むゴブリンたちには蓄えはなかった」
どうなったと思いますか? そう言いたげにロットワイラーは視線を向ける。
間違いなく村に降りてきただろう。
ゴブリンは獣とは違う。人間同様に知恵を持っている。それまで村に降りてこなかったのは、そこまで危険を冒すメリットが無かったからだ。
だが、森から食べ物が消え切羽詰まってこれば話は別だ。危険を冒す以上、最も確実な方法を選ぶはずだ。大きな群なら数に任せて村を襲うのが一番、確実だろう。
「村は、どうなりました?」
対策など取っていなかっただろう。農村なら戦える者たちも限られる。まず勝ち目はない。それがローシェンには、わかっていた。だが、聞かずにはおれなかった。
「最終的に王都から軍隊が派遣されてゴブリンの掃討を行ったようです。が、それまでに百人以上もの死人が出ました。村は結局、放棄されたようです」
「今は良くても遠からず害をなす。その前に芽を摘もうって考えで、あたし達は雇われてるの」
シェルティが、ローシェンに言い聞かせる。
「責任、重大ですね」
エアデールも呟く。
「さて、そろそろ森に入りますから、気を引き締めてください」
ロットワイラーが皆に言い聞かせる。
「ワシとシェルティが前に立つ。ローシェンとエアデールはロットの左右を」
ボルゾイが指示を出し隊列を決める。
「足跡、ですか?」
地面と先を交互に見ながら進むボルゾイにたずねる。
「足跡は、落ち葉のせいでわからん。が、ドングリの林だというのに、笠ばかりで実が、ほとんど見あたらんのはおかしいだろう」
確かに枯れ葉が積もって、足跡など良くわからない状態になっている。それに、時折、枯れ葉の上にドングリが落ちる音はするが、地面に落ちているドングリは意外なほど少ない。
リスや鼠もドングリを集めるが、まだ秋も中盤。どう考えても少なすぎる。
「連中の縄張りに入ったよ」
シェルティが一本の木を指さす。
そこには短い矢が一本、刺さっていた。
弩の矢なら、もっと太いはず。通常の弓で扱うなら、もっと長い矢が必要となるはず。少なくとも、人間の狩人が使う矢ではない。
「風切り羽根も傷んでないし、最近のモノみたいだね」
シェルティは、そう断言する。
「連中は気づいてるかな? もし気づいたとしたら、どういった策を取ると思う?」
ローシェンは皆に尋ねる。
「こちらの動きの先を読み、待ち伏せかな。四方を囲んで数で押せば、前回同様に五人ぐらい始末できると思ってる」
前回は恐らく、そうやって始末したのだろう。シェルティの言葉には説得力があった。
「前の方々は、比較的、軽装でしたからね。わたしやシェルティも、結構な軽装ですけど」
恐らく、ロットワイラーは言外に守ってくれと言っているのだろう。
「で、待ち伏せを予想した上で、どう攻める?」
「囲ませないこと。後ろを取られたら、ロットワイラーやシェルティを守りきれない」
ボルゾイの言葉に、ローシェンはこたえる。
「じゃあ、そういう方針で。あと、あたしは、いざとなったら自分の面倒ぐらい見れるからね」
シェルティが弩を引き絞る乾いた音が響く。それと同時に、物陰から姿を現すゴブリンたち。
森はゴブリンたちの領域。気づかれ待ち伏せされていたようだ。
茶色い肌に猫背気味で子供ほどの背丈、丸く潰れた鼻に乱杭歯。そして体のわりに大きな目玉。皆、獣の皮を纏っている。
「コレがゴブリン? ……初めて見ました」
エアデールが半ば放心したように呟く。
ゴブリンを見るのは、ローシェンも初めてだ。
「わたしも、自分だけなら逃げ出す手段は確保してます」
ロットワイラーも言う。
エアデールも、自分の面倒ぐらい見れる腕はあるはず。つまり、いざとなったら逃げ出せるというワケだ。
ローシェンも覚悟を決めて背負った長剣を抜く。ボルゾイも両手で戦斧を構える。
「罠が仕掛けてあるかもしれん。深追いはするな」
「個人的には、退ける状況なら退きたいところだけど」
とはいえ、まずは一戦交えて、相手の手の内を知る必要がある。
ゴブリンの数は、ざっと数十匹。皆、武器を持っているので、部族の中でも戦える者たちなのだろう。ということは戦えない者たちが、少なく見積もっても同数近くいるはずだ。
ゴブリンたちの武器は、石の斧やナイフ。中には弓矢を持つ者たちもいる。そして、その中に、ひときわ大きなゴブリンが三匹。
あれがシェルティの言っていた大型種なのだろう。
うち二匹はシェルティやエアデールと同じくらいの背丈だ。そして一番奥に控えている、もう一匹は恐らくローシェンより背が高い。いずれも、遠目からわかるほど、筋肉が発達している。
人間から奪ったのだろう。三匹とも鉄の武器を持っていた。
「仕掛ける? 逃げる?」
シェルティが問う。
「術の仕込み、終えちゃいましたよ?」
ロットワイラーが苦笑混じりに言う。
「いま立ってる場所より前には出ない。それで行こうか」
「承知」
少なくとも、ここより後ろには罠はない。そう判断してローシェン。ボルゾイは、一歩下がりつつ同意した。
シェルティの横に立ち、ローシェンは目配せする。
矢が放たれた。
シェルティの放った矢は、弓を構えたゴブリンの眉間を射抜いた。眉間を射抜かれたゴブリンの手から、あらぬ方向へと矢が放たれる。
それが合図となった。
武器を手にしたゴブリンたちが一斉に飛びかかり、その後ろから散発的に矢が放たれる。
ローシェンとボルゾイの間を光球が三つ駆け抜け、飛びかかろうとした三匹のゴブリンの腹に風穴を開ける。
恐らくはロットワイラーの魔法。大した威力だ。
ボルゾイとの距離を取りつつ剣を上段に構える。ゴブリンとの間合いを計りながら、斜めに薙ぎ払った。
ローシェンの剣は、切り裂くための刃物ではない。重さと速さで叩き斬るための物だ。切れ味は鈍いが、その分、丈夫で刃こぼれもし難い。
肉と骨を立て続けに断ち切る嫌な感触。ローシェンにとって生き物を両断するのは、これが初めての経験だ。
体を断ち切られたゴブリンが二匹、血と臓物を撒き散らしながら崩れ落ちる。
しかし、ゴブリンたちは怯まない。ローシェンが剣を構え直す隙を与えず間合いを詰める。
腹に衝撃。
鎧の表面を、ゴブリンの振るったナイフが滑る。
近すぎる!
ローシェンは舌打ちしながら半歩下がった。そして剣の柄でゴブリンを殴り倒す。数が多すぎる。なりふり構っている余裕なんか無い。ローシェンは、地面に転がったゴブリンの頭を踏み砕いた。
剣が長すぎて懐に踏み込まれると、思うように振るうことができない。
ボルゾイは? そう思い視界の隅にボルゾイを捉える。
柄を短く持ち、上手く近い間合いに対応していた。が、同じ事はローシェンにはできない。柄に対し刃があまりにも長すぎるのだ。
ローシェンに向かって矢が放たれるが気にしない。剥き身の所に当たらなければ、まず鎧で弾ける。
一本が鎧を貫き腹に刺さった。が、傷は浅い。手早く矢を折り取ると、ゴブリンたちへと向かった。
懐まで踏み込んだゴブリンたちを殴り蹴る。そして懐から引き離したところで剣で両断。
「なかなかやるな」
ボルゾイが楽しげに言う。
「いっぱい、いっぱいですよ」
大きく息をつきながらローシェン。
シェルティが優先的に弓を持つゴブリンを始末してくれたので、もう矢は飛んでこない。そして、ローシェンとボルゾイの前には十数匹のゴブリンの死骸。その死骸を挟んで、ゴブリンの群との睨み合いになる。
「仕掛けて、きませんね……」
どこか震える声でエアデールは言った。
「並のゴブリンなら、先陣切れば確実に死ぬ。そりゃ躊躇うなというのは無理があるわな」
大きく息をついてボルゾイは言う。
「後ろは取られてないね」
ローシェンは振り返った。後ろには回り込まれた気配はない。が、エアデールの服が真っ赤に染まり、左手の袖はズタズタに裂け下に着ている帷子が見えている。
「エアデール、怪我したの!?」
「返り血です。一匹、仕留めました」
ローシェンとボルゾイの討ち漏らしを仕留めたようだ。それに袖は裂けているが、左手は血で汚れてはいない。怪我もしていないだろう。
よく見ると、剣を持つエアデールの手が震えていた。恐らく実戦は初めてなのだろう。
「並、じゃないゴブリンは、まだ仕掛けてこないね……一端、退こうか?」
溜め息をつくと、ローシェンは視線を前に戻す。
このまま戦っても、有利に進められるとローシェンは思う。ロットワイラーは最初に魔法を使っただけで、まだ力は温存しているはず。シェルティも弩での射撃に専念しているため、まだ魔法は使っていない。
でも、何かが引っかかる。だから退却を提案したのだ。
「退く前に、一発いきますよ」
ロットワイラーの言葉と同時に、ゴブリンたちが後ずさる。
背中に熱を感じローシェンは振り返った。
ロットワイラーが掲げた杖、その上に直径数十センチほどの火の玉が浮かんでいた。
「我々に対する恐怖を植え付けておきましょう」
蜘蛛の子を散らすようにゴブリンたちは逃げ出した。唯一逃げないのは、ひときわ大きなゴブリンだ。恐らくはゴブリンたちの王なのだろう。
火の玉が、王に向かって放たれた。
王は冷静だった。冷静に火球が放たれる瞬間を見計らい横っ飛びに跳んだ。
火球は地面に触れると同時に爆炎に変わった。王も炎に飲まれたが、それだけだった。
炎が消えたあと、体の表面を僅かに焦がしただけの王の姿があった。
「直撃しなければ、威力半減ですよ……」
息を切らしながらロットワイラー。
「ともかく退こう」
ローシェンが、そう言うと同時に、ゴブリンたちの王が吼えた。
森が震えるほどの大きな声で。
それに呼応する吼え声。しかも後ろからだ。
「挟み撃ちか……」
ボルゾイが呟く。
「ロットっ、火!」
シェルティが、どこからともなく松明を取り出してロットワイラーに突きつける。
「もう、術は使いたくないんですが……」
力無くロットワイラーは言うと、松明に手を翳して火を着けた。
「ボルゾイとロットで前の連中の牽制を。あんな魔法を見せつけられたら、ロットを怖がるはず。ローシェンとエアは、後ろの連中の牽制を!」
シェルティが皆に指示を飛ばす。
ロットワイラーが前に出ただけで、ゴブリンたちが怯えて後ずさる。確かにシェルティの見立ては正しいようだ。
「いつかの炎の魔法?」
「ううん、別の魔法。たぶん自分の面倒も見れなくなると思うから、担いで逃げてね」
シェルティは笑って言うと、後ろから迫るゴブリンたちを見据える。
エアデールは、蒼白な顔でゴブリンたちを見つめていた。正直、戦力としては心許ない。
後ろから迫るゴブリンたちは、およそ十数匹。大型種はいないようなので、恐らくローシェン一人で何とかできる。問題は討ち漏らしだ。
「エアデールはシェルティを頼む。僕が連中を……」
できる限り引き付ける。そう言おうとしたところ、シェルティに遮られる。
「必要ないよ。あと逃げ出すタイミングは任せるから」
そう言ってローシェンの隣に並ぶと、無造作に松明を放り投げる。
ゴブリンたちは松明には目もくれない。そのまま松明を飛び越え、ローシェン達に迫ろうとする。
「炎よ」
シェルティの凛とした声が響く。
「暴れろ!」
その声と同時に、松明から炎が渦を巻いてゴブリンたちを呑み込む。
先ほどロットワイラーが放った魔法、それ以上に激しい炎だった。
真っ青な顔で、シェルティが膝を着く。慌てて抱き留めるが息も荒い。
「逃げるよ!」
ローシェンはシェルティを担ぎ上げると、そう叫んで駆けだした。
「一足先に、退散します!」
ロットワイラーが叫ぶ。
一瞬遅れて強烈な風がローシェンの頬を叩いた。見上げると、ロットワイラーの杖を掴んだ大鷲が、空へと飛び立ってゆくところだ。
「ロットめ! あやつ毎度毎度……」
ボルゾイも、ぼやきながらローシェンに並ぶ。
シェルティの炎に焼かれたゴブリンたちは、数匹が真っ黒に焼けこげ絶命。残りも酷い火傷で、もう戦えそうには見えない。
「こんな凄い魔法が使えたんだ……」
以前、村でオーガと戦ったときは、こんな魔法は使えなかったはずだ。もし、この魔法があれば、もっと有利に戦えたはずだから。では、いつの間に、こんな魔法を身につけたのだろうか?
「術師として、ロットと肩を並べるほどになりよったな……」
走りながらボルゾイは言う。
「もう、追ってこないみたいですよ?」
後ろを振り返りエアデール。
ローシェンも後ろを確認して足を止めた。
「ローシェン……」
シェルティが力無く呼びかける。
「なに?」
肩に担いだシェルティを、そっと降ろしながらローシェンはたずねる。
シェルティはローシェンの首に手を回し、その目を真っ直ぐに見つめる。
「お姫様抱っこの方がいい」
その言葉に、ローシェンは脱力した。
森を出ると、疲れた顔のロットワイラーが待っていた。
「どうにか、全員無事に逃げられたようですね」
杖を抱え込むようにして石の上に腰を下ろしている。
「さっきの鷲って、ロットワイラーだったの?」
「ええ、大鷲に姿を変える術を使いました」
まだ、ロットワイラーの手の内が読み切れない。
「無事……というわけでは、無さそうだが」
ローシェンの脇腹を指してボルゾイ。
「弩を使ってたゴブリンもいたからね」
力のない声でシェルティ。
弩はシェルティも使う。器械式で小さく強力な弓を用いるため威力は高い。鎧を貫かれたのも頷ける。
「もし、村まで攻め込んできたら?」
「その余力は、今の連中にはないと思うが、とりあえずワシが、いつでも出られるよう構えておこう。とりあえずは、ローシェンの治療とシェルティとロットの回復を待たねば」
ゴブリンたちに対し決定打を撃てる二人の魔法使いが、今は使い物にならない。いったん体勢を立て直す必要があるのはわかる。
「怪我自体は、大したこと無いと思うけど……」
矢が深く刺さっている気配はない。確かに痛みはあるが、動きに支障が出るほどの傷ではないはずだ。
「ゴブリンは、普通に毒を使いますよ」
杖にすがって立ち上がりながら、ロットワイラーが物騒なことを言う。
「え?」
ローシェンの表情が凍り付いた。
とりあえず矢が刺さった痛みだけで、毒が体に回っていくような感覚はない。が、毒の知識のないローシェンは慌ててしまう。
「即効性の毒では無いようだから、村長の元へ戻ってからで良かろう」
「村人達が気づいたようですが……彼らに我々は、どう映るでしょうね?」
ロットワイラーの視線の先には、こちらへ向かって駆けてくる数人の村人。
少なくとも、勝って帰ってきたようには見えてはいないだろう。
「アンタら……ゴブリンたちは、どうしたんだ?」
「五十匹近いゴブリンたちに挟み撃ちにされた。その場を切り抜けたあと体勢を立て直すために、いったん引き上げてきたところだ」
村人の言葉にボルゾイがこたえる。
「そりゃ、逃げ帰ってきたって事か!?」
そう取られても、おかしくはない。
「ローシェンは何匹殺った?」
「三匹目までは数えてましたが……でも最低五匹は」
ボルゾイに問われ、ローシェンはこたえる。
「ワシは五匹目までは数えておったのだが、はて何匹殺ったやら」
「我々全員で、最低でも二十匹は片づけました。それに、かなりの数の負傷者も出しましたから、連中も当面、動けないと思います」
ロットワイラーの言葉に、村人達は沈黙する。
血と臓物で汚れたローシェンの剣やボルゾイの戦斧が、その言葉を裏付けていた。
「村長に、お湯と包帯を用意してくれるよう伝えてくれますか? 僕たちも一度、体勢を立て直す必要があります」
皆、返り血と汗で汚れている。剣も、すぐに研がなければ錆が出てしまう。なにより消耗しきったシェルティとロットワイラーを休ませたい。
「ああ、とりあえず村長に伝えておく」
そう言って、村人達は駆けていった。
「村長への説明は、骨が折れそうですね」
村人を見送りながら、ロットワイラーは呟いた。
切り株に座って鎧を脱ぐと、脇腹に突き刺さった矢が剥き出しになる。矢尻は完全に筋肉の中に埋没していた。
村長の家の前。
今、中でロットワイラーが、村長に状況を説明しているところだ。
「なるほど。これなら簡単に抜ける」
ボルゾイは、そう言いながら荷物を漁り始める。
「え……でっでも」
「ボルゾイが言ってるし、大丈夫だよ」
どこかオロオロしているエアデールを、シェルティは地面の上にへたり込んだまま窘める。
ボルゾイとシェルティが、そう言ってるなら大丈夫。ローシェンも、たかをくくる。
「食え」
突然、ボルゾイがローシェンに乾し肉を突きつけた。
「え? でも……」
ローシェンには、乾し肉を突きつけられた意味がわからない。確かに、そろそろ昼食時ではあるが、何故自分だけなのか腑に落ちない。何より、乾し肉という食べ物は、そう好きではないのだ。
「いいから食え!」
強い口調で言われ、ローシェンは嫌々、乾し肉を口にした。
結構大きいので食いでがありそうだ。
ローシェンが、乾し肉を奥歯で噛みしめた瞬間、脇腹に激痛が走った。
「……っ!」
何が起こったか理解するのに、しばらく時間が必要だった。
脇腹から流れ出す真っ赤な血。焼けるような痛み。そして血まみれになったボルゾイの手と握られている折れた矢。
ボルゾイが、力任せに矢を引き抜いたのだ。
「エア! 急いで直してあげて!」
シェルティに言われ、エアデールが我に返ったようにローシェンに駆け寄る。
脇腹から痛みが引いてゆく。傷を治す魔法はシェルティも使えたが、その効果は段違いだった。シェルティが怪我を治すには相応に時間がかかるが、エアデールは、ほとんど時間をかけずに傷を塞いでしまった。
傷口を見るが、痕すら残っていない。ただ流れた血が、そこに傷があったことを教えてくれるだけだ。
「すごいな……」
ローシェンが驚いたように呟く。その拍子に、口から乾し肉がポロリと落ちた。慌てて受け止めると、見事な歯形が刻まれていた。
「いえ、今の今まで全く役立たずで……」
確かにゴブリンとの戦いでは、エアデールは目立った働きはしていない。それを気にしているのだろう。
「ゴブリンも仕留めたし、こうやって怪我も治してくれてる。すごく助かってるよ」
討ち漏らしのゴブリンを仕留めてくれたのは、本当に助かったと思っている。
ロットワイラーは武器を使っての戦いは出来ないと宣言していたし、シェルティも弩を使った援護に徹していたので、ゴブリンに襲われたら対応できなかったかも知れない。
「この矢尻、糞が塗られておるな」
引き抜いた矢を手にしたボルゾイが、そう呟いた。
「え゛?」
どういう効果があるかは見当もつかないが、そんな物が体に刺さるというのは、いい気がしない。
「毒も抜きましたから、大丈夫ですよ」
「毒……なの?」
どういう毒なのか、ローシェンには見当もつかない。
「まず舌がもつれ上手くしゃべれなくなり、手足の自由が利かなくなる。悪化すれば、動けなくなり死に至る。とはいえ、確実に相手を殺せる毒ではないがな」
全然知らなかった。
ボルゾイの言葉に、ローシェンは背筋が寒くなるのを感じた。
エアデールは、立ち上がってシェルティの所へ行く。そして、しゃがみ込むとシェルティにも手を翳した。
「ありがとう。だいぶ楽になった」
シェルティは言う。
見ると、顔色がだいぶ良くなっていた。その代わり、エアデールには若干の疲労の色が見える。
「いや、参りましたよ」
村長の家から出てきたロットワイラーは、開口一番にそう言った。
「まさか、今から森へ行ってゴブリンを仕留めてこいと?」
「言われましたけど突っぱねました。その代わり森の近くの家で、夜はゴブリンの襲撃に備えろ。そういう条件を付けられましたよ」
ボルゾイの言葉に、ロットワイラーは笑ってこたえる。
その程度の条件なら仕方ないだろう。
「とりあえず風呂と洗濯を済ませましょう。風呂の用意をして貰ってますから」
その言葉に、返り血で服を真っ赤に染めたエアデールが顔を輝かせた。
洗濯は村人に丸投げしてしまった。鎧の掃除は適当である、どうせまた汚れるのだ。
ローシェンは剣を太陽に翳す。
研ぎ直して汚れも落ちた。
大きく息をついて、村長から譲って貰った革紐を刀身に巻き付け始める。
刀身の下、三分の一まで革紐を巻き付けるつもりだ。こうして、鍔の先に更に柄を作り出す。新しく作った柄を握ることで、近い間合いにも対応しやすくなるはずだ。
「リカッソを作るのか」
感心したようにボルゾイが言う。
「リカッソ?」
ローシェンの知らない言葉だ。
「その、延長した柄の部分だ。本来は刀身の刃付けをしていない部分を指す言葉だが、使い方自体は、それとかわらん」
自分の考えかと思ったが、似たようなことを考えた者が以前からいたようだ。
革紐を巻終えたのでローシェンは剣を振るってみる。普通に振るう分には、何の違和感もない。今度は革紐を巻いた部分、リカッソに片手を添えて振るう。
「よし!」
革紐が切れ刃が手に食い込む心配も無さそうだ。そして、より近い間合いに対応しやすくなった。その代わり、鞘に収められなくなったが仕方ないだろう。
「そうやって、近い間合いに対応させるんですか」
大工道具を借りてきたエアデールが感心したように言う。
「エアデールは何をする気なの?」
釘と金槌、小さな分厚い板切れと、壊れた蝶番や補強用の金具が沢山。
「間に合わせの盾を作ろうかと思いまして」
そう言って、痣だらけになった左腕を見せる。
左手でゴブリンの武器を払ったのだろう。鎖帷子は刃物は通さなくても、ある程度の衝撃は通す。
「よく手が無事だったね……」
エアデールの鎖帷子に篭手は無かった。袖は長いが、手首から先は守られてはいない。
「袖を掴んで、体を庇ってましたから」
素人が咄嗟に思いつくことではない。
「それ、道場で習ったの?」
「はい。本来は盾を使うんですが、盾を持っていなかったもので間に合わせに……街を出る前に調達しておくべきでした」
恐らく邪魔になるからと盾を持ってこなかったのだろう。普通に旅をする分には、盾が必要となること自体、滅多にないのだ。
切り株の上に板を置くと、エアデールは金具を釘で打ち付け板の補強を始める。
見ていて怖くなるような、危なっかしい手つきだ。
「ちょっと貸してみて」
そう言って、エアデールから金槌を取り上げる。
エアデールとロットワイラーが休んでいる小屋を一瞥する。
森のゴブリンたちに睨みを効かせるため、拠点を移動させられたのだ。
この距離なら、そうはうるさく無いはずだ。そう判断して、ローシェンは金槌を振るい始めた。
金具の形と数を把握し、出来るだけ対称になるよう打ち込んでゆく。
「こんなトコロかな?」
板を立ててエアデールに見せる。ほぼ点対称に金具を配置、打撃に対しても板の強度は上がっているはずだ。
「こんな事も、出来るんですね」
「上手いモンだな」
感心したように言うエアデールとボルゾイ。
「魔法を使うことを考えれば、こんなのは簡単だよ。握りと腕の固定の革紐は、ここでいいかな?」
板を裏返して取り付ける位置を指して見せる。エアデールが頷くのを確認すると、手際よく取っ手と革紐を取り付ける。
「はい完成」
加工の必要もないので、時間など掛かるはずもない。
「少し紐が緩いような……」
革紐に手を通しながらエアデールは言う。
そのまま腕を通せば、かなり緩いはずだ。そのようにローシェンが作ったのだから。
「鎖帷子を着てる状態なら、それでちょうど良いと思うけど、一度試してみて」
「あっ、そうですね」
鎧を着て使う事まで考えていなかったようだ。エアデール一人では、完成させられたかどうか怪しい。
「ごはんだって~」
小屋から出てきたシェルティが三人に声をかける。
空を上げ見ると、そろそろ日が沈みつつあった。鎧の掃除と工作で、時間が経つのを忘れていたようだ。
「ようやく晩飯か」
ボルゾイが億劫そうに立ち上がった。
昼食は、持ってきた乾し肉などの携帯食で簡単に済ませたから、大食漢のボルゾイには足りなかったはずだ。
「あ、ローシェンは、ここで見張りに残って」
小屋で炊事をしていた気配はないので村長の家だろう。そう思って歩き出そうとしたところ、シェルティに呼び止められる。
「ああ、そうか」
ボルゾイとローシェン、二人とも、ここからいなくなれば、いざゴブリンが攻めてきた場合、対応できない。
正直な話、本気で攻めてこられたら、五人全員でも対応は出来ないのだが、それは村人達には黙ってあった。あるいは薄々、気付いてるかも知れない。
ただ、その可能性は低い。そうロットワイラーは考えていた。ローシェンとしても同感だ。危険を冒して村を攻めるぐらいなら逃げる。ローシェンがゴブリンたちの王だったら迷わずそちらを選ぶだろう。
「あ、じゃあ、わたしも付き合います」
「ゴメン。二人分しか、お弁当用意して貰ってない」
エアデールの申し出に、シェルティは気まずそうにバスケットを見せる。
「あと、日が落ちちゃう前に、簡単な罠を仕掛けておきたいし」
「罠?」
気付かずに引っかかったら大事だ。思わずローシェンは問い返す。
「鳴子」
釘や金物を糸で釣り下げただけの簡単な鳴子を取り出して鳴らせてみせる。
罠というには大げさだが、何もしないよりはマシだろう。
「ちゃちゃっと仕掛けてくるから、待っててね」
そう言うと、シェルティは行ってしまう。
「出来るだけ早く食べて戻りますから!」
「いや、ロットワイラーの言うとおりゴブリンの方から攻めてくることはないと思うよ。だから、ゆっくりしてきても大丈夫だから」
もし攻めて来たら、確かに村には大きな被害は出る。でも、それ以上の被害をゴブリンたちは覚悟しなければいけないのだ。ゴブリンたちが村を攻めるなら戦力を分散しなければならないが、そうすればローシェン達に各個撃破されてしまう。
少なくとも、罠にさえ掛からなければ、二十匹程度のゴブリンならば負けることはないのだ。
「そうか……」
エアデール達を見送りながら、ローシェンは呟く。
ゴブリンたちは、まともに戦ったら勝てない相手に、いかに勝利するかを考えているのだ。村でオーガと戦った時と条件は逆だ。
「なら、そろそろ逃げることを考えてるかな……」
既に二十匹以上、仲間が殺されているのだ。別の場所への移動を考えていもおかしくはない。そして、そうなってくれるのが、ローシェンとしても一番有り難い。
負けない自信はあるが、このまま戦い続けた場合、一体何匹のゴブリンを殺さなければならないだろうか? 正直、ローシェンは考えたくなかった。
「ローシェン。何、考えてるの?」
後ろからシェルティに抱きつかれる。村の方を向いたまま、考え事をしてしまっていた。
「この仕事の、落としどころを考えてたんだけど」
「落としどころ?」
聞き返しながらシェルティは離れ、そしてバスケットを開けた。
「自主的にゴブリンたちに出てってはもらえないかってね」
「だいぶ痛い目を見ただろうし、その気があるなら、もう行動おこしてるかも」
シェルティの言うとおりだと思う。逃げるなら、明日の朝にはゴブリンたちはいなくなっているだろう。でも、まだ残っていた場合は、徹底的に戦うことになるかもしれない。
「ローシェンって、そんな事、考えてたんだ」
「は?」
何を考えていたと思われたんだろう?
「昨日といい、今日といい、ずーっとエアと一緒にいたし、エアのこと考えてるのかと。いい子なのはわかるけどさ……」
「知り合って三日だよ。それなのに勇者だからって、こんな危ないトコロまで着いてきて……」
ローシェンもエアデールを計りかねているのだ。本音を言えば、ロットワイラーもボルゾイの本音も計りかねている。
特に、あの二人は腕利きの冒険者だ。その腕利きが、何故、冒険者としての実績を持たない自分と仕事をする気になったのだろうか? シェルティの推薦だけでは、腑に落ちない。
「ローシェンが勇者だからだよ。勇者ってのは冒険者と違って、自称でなれるモノじゃないの。直接なり間接なりで神様から勇者として認められるか、もしくは王様から勇者の称号を貰うかしないと勇者は名乗れない」
ローシェンの場合、啓示を受けた上で神官からもお墨付きを貰ってしまった。
「でも、勇者って、そんなに特別なモノなのかなぁ……」
自分では、そんなご大層なモノだとは思えない。ローシェンは、手渡されたサンドイッチにかぶりついた。
「勇者は物語に守られてる。あたしも、ローシェンの物語に乗れたみたい。何年も努力して身につけられなかった魔法を、ローシェンと一緒に村を出ただけで使えるようになったし」
咽せた。
あの激しい炎の魔法をローシェンのおかげで使えるようになった、そうシェルティは言っているのだ。考えてみれば、酒場で炊事や給仕の手伝いをやっていたシェルティに、魔法の訓練をやっている余裕があったとは考えにくい。
「本当に?」
信じられなかった。だから、たずねた。
「勇者は別格。物語に導かれ与えられし使命を果たす者。ロットはね、もう何十年も冒険者やってるらしいけど、そのロットですら本物の勇者はローシェンが初めてだって」
ロットワイラーは長命なエルフだ。
エアデールも使命に関しては何か言っていた。
「でも、使命って何?」
「わかんない。あたしはオーガ退治してお終いかと思ってたけど、違ったみたいだし」
そう言ってシェルティはローシェンの顔を見つめる。
「実はね、ロットとボルゾイは勇者を餌に今回の仕事に釣ったんだ。ローシェンは仕事探しに行くとかいって大工の仕事始めちゃうし……。冒険者としての仕事をすること前提で住まわせて貰ってた手前、クバーズに対して肩身が狭くって」
クバーズは、今でこそ普通の酒場をやっているが、数年前までは冒険者の仕事の斡旋もやっていたらしい。が、なじみだった冒険者たちが相次いで引退し、頼りになる者たちがいなくなってしまったため斡旋を止めたとか。
新米冒険者たちだけでは、危なくて仕事を回せないのだ。何より冒険者にはゴロツキが多い。派遣された村で悪事を働く者たちもいる。そういった事態を避けるためにも、人は選ばなければいけない。選んだ結果、使える冒険者がいなくなってしまったのだ。
「そんな取り決めで部屋借りてたんだ……」
全然、知らなかった。
クバーズも冒険者への仕事の斡旋を再開するために、ローシェンに期待していたはずだ。にもかかわらず、日雇いで大工の真似事。
「とはいえ、冒険者らしい冒険者の仕事って、あんまりないのよ? あたしとクバーズで探して、ようやく見つかったのが、この仕事なんだし」
落ち込んでいるのがわかったのか、シェルティは明るい声で言う。
「それにねローシェン。勇者は物語に守られている。って事はローシェンが大工仕事すること事態、物語に組み込まれてるのかも」
シェルティの言葉に、ローシェンは思わず笑ってしまう。
「日雇いで大工の真似事やってるだけの物語なんて、誰も喜ばないよ」
自分は物語に守られているのではなく、物語のなかで動く駒なのだと思う。駒を動かすのはもちろん自分自身。突然、物語の中に投げ落とされ、その中で最良の結末を模索する。助力はあるかもしれない、でも最終的にはローシェン自身の判断にかかってくる。
とりあえずはシェルティの顔を立てられただけでも良しとしよう。あとは、この仕事を何とか上手く終わらせること。
「まあ、そうかも」
シェルティも笑う。
しばらく二人で、黙々と食事を続ける。
「ありがとう」
唐突にローシェンは言った。
「村でも、そうだったし、街に出てからは、ずっと世話になりっぱなしだったんだ。本当に、ありがとう」
もう一度、ローシェンは繰り返した。
「馬鹿……」
俯いたかと思うと、シェルティは立ち上がってローシェンと向かい合う。そして気抜けしたように笑った。
「あらら、ここまでか」
振り返ってシェルティの視線の先を追うと、小走りで戻ってくるエアデールが見えた。
シェルティは鳴子の他に簡単な警報器を設置したらしいので、その説明を受けた。
ゴブリンが攻めてくるなら通りそうな道に糸を張り、ゴブリンが通って糸が切れたら鉄鍋の上に石が落ちるという仕掛けという単純な物だ。
「交代で見張りをするんですか?」
「いえ、寝ます」
エアデールの言葉に、ロットワイラーはきっぱりとこたえた。
「警報の類は気休めと、仕事してますよって宣言する意味が大きいんだけど……」
シェルティは言う。警報は当てにするなと言いたいのだろう。
「万一に備えて武器は手元に置いておくが、ゴブリンたちは、まず仕掛けてこないじゃろう」
ボルゾイにも言われて、エアデールは救いを求めるようにローシェンに視線を向ける。きっと、不用心すぎると思っているのだろう。ローシェンだって、そう思う。
「警報の音に気付きやすいよう、僕は表で寝るから」
「風邪を引きますから止めてください」
ローシェンの提案を、ロットワイラーは否定し言葉を続ける。
「いっそ、攻め込まれたら、それでも良いと思ってるんですよ。戸締まりの徹底も呼びかけてあるようですし、簡単に家の中には入られないでしょう。そして村に攻め込めばゴブリンたちは分散する。容易に各個撃破できますよ」
言っていることは正しいが、村の被害を容認している点が納得できない。
「攻めれば、連中だってどうなるかわかってるハズだ。ワシらを挟み撃ちした事を思い出せ。連中は馬鹿ではない」
それは、ローシェンだって考えたことだ。でも、万一があるかも知れない。
「攻め込むならゴブリンたちの王が動くでしょうが、今のところ動いている気配はありません」
自信を持ってロットワイラーは宣言した。
「魔法で調べたんですか?」
前回、失敗した冒険者たちの生死も、ロットワイラーは魔法で確認したらしい。居場所の確認が出来てもおかしくはない。
「ええ。群全体の動きまでは無理ですが、王の居場所は把握してますよ。昼、戦った場所より少しばかり奥へ進んだ場所です。恐らく、そこに巣があるのでしょう」
ロットワイラーが、楽観している理由がわかった。
「それって、寝ていても大丈夫なんですか?」
「無論、大丈夫ですよ」
不安そうに聞くエアデールに、ロットワイラーはこたえる。
ローシェンはボルゾイに視線を向けた。
「大丈夫じゃ。今のところ、この手のヘマはやっとらん」
なら信用できそうだ。
「ロットワイラーは、魔法で、どんなことまで出来るんですか?」
昨日から、聞こうと思っていたことだ。
ローシェンの問いに、ロットワイラーは静かに笑う。
「手の内は、必要となるまで明かしません。とはいえ、七分目までは見せてますよ」
残りの三分は、恐らく戦い以外の魔法なのだろう。
「なら、大丈夫かな」
シェルティよりも経験を積んでいる冒険者の言葉だ。きっと大丈夫なのだろう。
間もなく日が落ちて真っ暗になる。
森の近くにある家で明かりが漏れているのは、寝床として用意された小屋だけ。ゴブリンが確認されて以来、森の近くの住人たちは避難しておりいない。
森へ視線を向けるが、木の影が見えるだけで虫の鳴き声しか聞こえてこない。とりあえず、ゴブリンたちが攻めてくる気配は無さそうだ。
「じゃあ、早いトコ、寝ちゃおうか」
起きていても、する事はないのだ。なら早く寝てしまいたい。
小屋にはいると壁側に寝床を確保する。剣が鞘に収められなくなってしまったため、剥き身。剣は手元に置いておきたいので壁側しか場所はない。
ボルゾイは、部屋の角に戦斧を立て掛けていた。流石に枕元においておける物ではない。
小屋の広さを考えると雑魚寝しかない。
「あたしは、ココにするね」
シェルティはローシェンの隣を陣取った。その隣にエアデール。
「正直に言うと、今日は眠れそうにないです」
「実戦は今日が初めて?」
エアデールの言葉にローシェンは問う。
あの頼りない雰囲気から初めてだろうと見当はついていたが、あえてたずねた。
「はい」
それでもゴブリンを一匹倒している。大した物だとローシェンは思う。
「でも寝ないと、明日に響くよ。明かりを消して」
シェルティが言う。
その言葉にエアデールは天井に手を伸ばした。その手の中に、エアデールが作りだした光球が収まる。そっと手を握ると明かりが消えた。
唐突に目が醒める。
まだ真っ暗だ。
ボルゾイの鼾だけが室内に大きく響いている。
まだ、皆、眠っているようだ。眠れそうにないといったエアデールからも寝息は聞こえてくる。
もう一眠りしようとローシェンが目を閉じて間もなく、鈴の音のような金属音が小さく響いた。
風かも知れない。
そう思いつつも、剣をとって表へ出た。
今度は大きな金属音が響く。鉄鍋に石が落ちる音。シェルティの仕掛けた警報の音だ。
獣が引っかかったのかも知れない。群単位で動くのなら、ロットワイラーが気が付くはずだ。
しかし、獣ではなかった。
子供ほどの背丈の人影が二つ、大人ほどの背丈の人影が一つ。そして、その後ろに、手に松明を持ったゴブリンが一匹。
人間がゴブリンと行動を共にするとは考えにくい。とすれば、あの人影もゴブリンだ。
ただ、村を攻めるにしては、数が少なすぎる。分散して村に侵入したのだろうか?
「ゴブリン?」
小屋から顔を出したシェルティがたずねる。警報の音で起きたのだろう。
「とりあえず四匹。ボルゾイとロットワイラーを……」
「エアが起こしてる」
言葉を遮ってシェルティがこたえた。
「鎧を着て寝るんだった」
ぼやくが仕方ない。あんな物を着ていたら、まともに眠れない上、朝には体の端々が痛くなってしまうだろう。当然、疲れも取れない。
長剣を見よがしに肩に担ぐ。そしてゴブリンたちの正面に立ちはだかった。
声も立てずに、三つの影が動いた。
先頭は大きな影、大型種。その後ろに普通のゴブリンたちが続く。
長剣に両手を添えて間合いを計る。
ローシェンの間合いに大型種が踏み込んだと同時に、その喉を斜めに叩き斬る。そして振り下ろした剣を持ち直した。右手でリカッソを握り突っ込んできたゴブリンの胸に突き立てる。
力任せに引き抜くと、もう一匹のゴブリンに剣を突き立てた。
とりあえず、残りは一匹だけ。
松明をかかげ、ゴブリンが何事か叫んだ。
一条の炎が、ローシェンに向かって伸びる。シェルティも使う、あの炎の魔法だ。
魔法を使ってくることは、完全に予想外だった。
ローシェンが炎に焼かれようとする瞬間――
「曲がれっ!」
シェルティの声と同時に炎が逸れた。
大きく息をつくと、シェルティは松明を指さした。
「炎よ」
その言葉と同時に、ゴブリンの持つ松明の炎が大きくなった。
慌てたようにゴブリンは松明を投げ捨てる。そしてシェルティを指して何事か叫んだ。
シェルティを真ん中に捉えた、ごく狭い範囲に突風が吹いた。
「ふひゃっ!」
飛ばされ転がるシェルティ。
次にローシェンを突風が襲う。シェルティが飛ばされたのは、単に不意を討たれたからだ。相手が風を扱う事さえ知っていれば、身構える事も出来、飛ばされる事はない。
ローシェンは腰を低くして顔を庇う。目に砂が入ったら事だ。
視界の隅でシェルティが身を起こす。
「シェルティ、この風は何とか出来ない?」
飛ばされることはないが、かといって動くことも出来ない。が、シェルティなら、先ほどの炎を逸らしたように、この風も逸らす事が出来るかも知れない。
「あたし、風は扱えない!」
シェルティは叫ぶ。
風を何とか出来なければ、ローシェンとしても動くに動けない。
とはいえ、相手は一匹のみ。ロットワイラーにボルゾイ、それにエアデールだっている。現状ならば負けはない。
「シェルティ。ヤツの足を封じてください。生け捕りにして話を聞きたいです」
遅れて小屋から出てきたロットワイラーが言う。
ロットワイラーの姿を見て、ゴブリンの顔が恐怖に引きつる。
「風よ静まれ」
ロットワイラーの言葉と同時に風が止んだ。
「足を封じろ!」
シェルティが叫ぶと同時に、ゴブリンが膝を付いたように見えた。
が、膝を付いたわけではなかった。脛の半ばまで、足が土に埋もれたのだ。
「もう三匹も片づけたのか……しかも返り血も浴びずに」
ローシェンを見て、ボルゾイが感心したように呟く。
「はぁ……」
ローシェンは納得いかないかのような返事を返す。
オーガと比べれば、ゴブリンの相手など楽なものだ。感心されるような事では無いと思うのだが。
「本人に自覚がないのが、恐ろしいところです」
ロットワイラーは、そう言いながらゴブリンに近づく。
その手の中には光球が浮かんでいる。エアデールの作り出す明かりではなく、ゴブリンの体に風穴を穿つ魔法の弾丸だ。
ロットワイラーが、ゴブリンに対して何事か言った。ローシェンの知らない言葉だ。
ゴブリンが何事か言い返す。
「四匹だけのようです。私たちの首を狙ったらしいですが、お粗末すぎますねぇ……」
呆れたようにロットは言う。ゴブリンの言葉がわかるのだろう。
そして、再びゴブリンと会話を始めた。ゴブリンは、なにやら熱心にロットワイラーに話しかけている。
溜め息をつくと、ロットワイラーの手の中から光球が飛んだ。体を貫かれゴブリンは絶命する。
「何も殺さなくても……」
エアデールが抗議の声をあげるが、ロットワイラーは意に介した様子はない。
「このゴブリンは、どうやら王の座を狙っていたようです。臆病者である今の王を失脚させるために我らの首を狙ったと……王を倒してくれたら、自分が王になれるから手伝ってくれとも言われました」
命を狙った相手に頼み事をしようなどという感性が理解できない。
「ゴブリンってのは、だいたい、こんな連中ばっかりだよ」
シェルティは言う。
「魔法使いも片づけられましたし、今日中に決着はつけられるでしょう」
ロットワイラーの言葉を聞きながら、ローシェンは考える。どのような形で決着がつけられるかと。
鎧を身につけたあと、脇腹に空いた穴を触る。
弩で穿たれた穴。もし鎧を着ていなければ命に関わっただろう。
「この穴を明けた弩。使い手は始末したけど、弩自体は回収されたと思うから気をつけないと」
シェルティの言葉に頷く。
いわゆる弓矢は、それほど脅威ではない。ゴブリンたちの小さな体躯で扱える弓の威力は知れている。鎧を着ていれば、さして怖くはない。が、弩は別だ。板金鎧だって貫かれかねない威力があるのだ。
それにゴブリンたちは、仲間が近くにいても平気で弓を射掛けてくる。腕に自信があるわけではなく、単純に同士討ちを気にしないようなのだ。
乱戦になれば弓は封じられると考えはゴブリンには通用しない。
襲撃後、一応、村の中を見回ってみたが、ゴブリンが村に入ったような形跡はなかった。襲撃を掛けたゴブリンたちの無計画っぷりには眩暈を感じる。
だた、シェルティが言うには、あれが普通のゴブリンの思考らしい。だとすればゴブリンたちが攻めも逃げもしないのが気になる。あの魔法使いは、王の座を狙っていたそうなので、王を臆病者と誹り、仲間を唆して移動できないよう仕向けたのだろうか。
そう思ったが、ローシェンは、その考えを否定する。
いや、あの王の風格から察し、その程度の煽動では王の意見を曲げる事はできないだろう。
「切れ者、なのかな」
ローシェンは呟く。
昨日の戦いも、挟み撃ちにする作戦は見事だった。それに確信はないが、罠も仕掛けていただろう。シェルティが魔法で退路を作らなければ、数で押し切らていたかもしれない。それに、あの王は、魔法を使う相手にも戦い慣れているようだった。
だが負けない自信はある。
ある程度、ゴブリンたちの手の内も読めたし、戦える者たちの数も相当、減っているはず。だから、負けない自信はあるのだ。
でも納得がいかない。
ローシェンは大きく溜め息をついた。
「上手く行くかわからないし、ロットさんが手伝ってくれなきゃお手上げだけど……」
考えはある。
ローシェンが自分で納得できる、この仕事の落としどころについて。
「ローシェン、そろそろ出かけるよ?」
小屋の出入り口からシェルティに声を掛けられ、ローシェンは立ち上がった。
表に出ると、村人たちが集まっていた。
夜の内に仕留めたゴブリンたちを見に来たようだった。
「コレ、アンタが仕留めたのか?」
「全部じゃないですけど……」
村人に詰め寄られ、ローシェンは戸惑いながらこたえる。
「このまま、上手いこと連中を追っ払ってくれよ!」
笑いながらローシェンの背中を叩く。
「はぁ……」
昨日との対応の違いに、驚いてしまう。
「じゃあ、行ってきますので」
ロットワイラーの言葉で、一行は村人たちに見送られながら出発した。
「追っ払うか……」
ローシェンは呟く。
「難しいですよ。まず散り散りになって逃げますから、一部が村の近くに残って悪さをするでしょう」
当然するだろう。そうしなければ生きてゆけないのだから。
住処を追われ、群が散り散りになれば、もう、そうするしかない。
それを避けるには、一網打尽にするしかない。ロットワイラーは、そう考えているのだろう。
「なんで、ローシェンにだけ、話しかけたんでしょう?」
エアデールが首を傾げながら呟く。
「一番、話しやすいからじゃないですか? わたしは魔術師でエルフ。シェルティもエルフの血が入ってますし、ボルゾイはドワーフ。人間じゃない相手には、話しかけにくいでしょう」
「エアは、神官様だからね。神様に仕える人は、こういう村じゃ怖がられるよ」
エアデールは村では神官だと名乗ってはいないはずだ。ということは、どうやって神官だと判断したのだろう?
そう思い、ローシェンは疑問を口にする。
「神官って、どうやって見分けるの?」
「服と聖印」
ローシェンの言葉に、シェルティが呆れたように言う。
「知らなかったんですかっ!?」
エアデールが驚いたように言うが、知らなかったのだから仕方ない。そもそも、神殿に足を運んだ事なんて一回も無いのだ。
「村長とか、偉い人なら普通に知ってるだろうけど、それ以外の人は知らなくてもおかしくはないかな。でも力のある神官は怖いってお伽噺は聞いたことあるでしょ?」
旅の神官に無礼を働いた者が、それ以降、数多くの不幸につきまとわれたり、などといった話は聞かされたことがある。
「エアデールって、呪いとかかけられるの?」
「無理です」
即答された。
「そもそも、お伽噺に出てくるほど力のある神官なんて、滅多にいません!」
滅多に、ということは、出来る者はいるらしい。
「神聖魔法は、数ある魔法体系のなかでも、最も高度な物です。高度すぎて使い手自身も術理を理解できない程なのですから」
よくわからない説明をロットワイラーがする。
「だから、使い方を神から授かるしか無いわけです。術理を理解していないので応用力に欠けますが、魔術や精霊魔法では不可能なことも実現できます」
そもそも魔法の心得が全くないローシェンには、ロットワイラーの説明が理解できない。
「さて、お喋りは、そこまでだ。連中の縄張りに入るぞ」
ボルゾイの言葉に、ロットワイラーが言う。
「ゴブリンの王は、夜から、ほとんど動いてませんね」
ということは、待ち伏せだろうか。
森は、不自然なほど静かだった。
焼けた地面。
昨日、ロットワイラーとシェルティが使った魔法によるものだ。
「死体は、全部、片づけられてますね」
血の跡は残されている。でもゴブリンたちの死体は転がっていなかった。
「ローシェン。昨日は踏み込まなくて正解だったよ」
拾った木の枝で地面を突くと、枝が有り得ないほど深く刺さった。シェルティは両手で何かを掬い上げるように枝を持ち上げる。すると大きな深い穴が露わになった。
落とし穴だ。穴の底には先端を鋭く尖らせた木の棒が無数に突き立てられている。
枯れ葉に埋もれたロープもあった。何も気付かずに踏み込んできたら、このロープを張って転ばせるつもりだったのだろう。
「よく見つけられますね……」
特に地面を調べる様子も無いのに、シェルティは簡単に罠を見つけている。エアデールが感心するのも無理はない。
「土の精霊とは相性が良いから、地面に仕掛けられた罠なら近くにあれば精霊が教えてくれるし」
「風が使えないのも、相性の問題?」
シェルティの傍らで、周囲を警戒しながらローシェンはたずねる。
「あたしは風の精霊とは相性、良くないから。風はロットが相性が良かったはず」
「精霊は風しか扱えませんけどね」
森の先を見つめながら、ロットワイラーは言う。
「いるんですか?」
ローシェンも、ロットワイラーの視線を追うがゴブリンの姿は見えない。
「我々に気付いていて然るべきなんですが、ゴブリンの王が、ほとんど動いてないんですよ」
腑に落ちないとでも言いたげにロットワイラーは呟く。
「近いのか?」
「いえ、まだ多少、距離はあります」
そう言いながら、ロットワイラーは地面に簡単な地図を書いた。村の場所、現在の位置、そしてゴブリンたちの居場所。
村と、この場所の位置関係からも、まだ距離はあるようだ。
シェルティを先頭に、一行は進む。
罠は、昨日、戦場となった場所付近にしか仕掛けられてはいないようだ。少なくとも、罠が見つかることは無かった。
「そろそろですよ」
ロットワイラーは、皆に声をかける。
その言葉と同時に、前方からゴブリンの声が響いた。
木の上に簡単な櫓を組み、その上から見張っていたようだ。
「これは……巣と言うより村ですね」
エアデールは呟いた。
ローシェンも、ゴブリンたちは、洞穴にでも住んでいるのだろうと思っていた。でも違っていた。ゴブリンたちは、粗末ながらも小屋を建てていたのだ。戸数は、ざっと二十ほど。
「驚きました。こんな人里近くに村を作るなんて。でも好都合です。穴に篭もられるよりも容易に駆除できますから」
村の前にゴブリンたちが集まってくる。皆、何らかの武器を持っていた。その後ろから怯えたような目をした、女子供のゴブリンたち。全部で百匹近くいる。
「ロットワイラー。余所へ行って貰えるよう頼めないかな?」
「その気があるなら、もう余所へ行ってると思いますが……一応、やってみましょう」
気乗りしない様子で、ロットワイラーは前に出る。
ロットワイラーの隣に立ち、ローシェンはゴブリンたちの様子を伺う。
まだ多少、距離があるためか、ゴブリンたちが仕掛けてくる気配はない。
ロットワイラーが、ゴブリンたちに大きな声で話しかける。ロットワイラーが話し終わると、ゴブリンたちにざわめきが起こる。
「何と言ったんです?」
「人間の村から遠くへ離れろ。そうすれば戦いにはならない。時間は与える。……ゴブリンの言葉は語彙が乏しいから、意図の通り意味が通じているか自信はありませんがね」
ゴブリンの王が前に出る。そして何事かを大声で叫んだ。
「我ら、襲っていない。お前たち、襲った。信用できない」
ロットワイラーは、そう翻訳して溜め息をつく。
「そちらが先に村を荒らした。また荒らす。そうなる前に去れ。それで構いませんね?」
ローシェンは頷く。
複雑な会話が成立するとは思えない。そもそも、互いに納得のいく結果を求めること自体、間違っているのかも知れない。
ロットワイラーが、再びゴブリンたちに話しかける。
突然、ゴブリンたちが騒ぎ出した。
牙をむき武器を構える。
「奴らは戦いを避けようとしている。戦いを恐れている。負けるのが怖いのだ。……まあ、そんな事を言ってます」
ローシェンは、気が重くなった。
昨日の戦いの件があるにも関わらず、何故、そんな発想が出てくるのか理解に悩むが、交渉の流れが怪しくなったのは確かなようだ。
「簡潔に行きましょう。服従か死か」
「それで行きましょう」
ローシェンの同意を確認すると、ロットワイラーは大声で叫ぶ。
次の瞬間、ロットワイラーに向かって無数の矢が放たれた。
ローシェンはロットワイラーの前に立って矢を受ける。ローシェンの鎧は丈夫な板金鎧だ。弩でも使われない限り貫かれる事はない。
ゴブリンの体躯で使える弓の威力など知れているので、顔や間接の付き間にでも当たらない限り問題はない。そして、警戒して守りに徹すれば、そう言った場所に矢を受ける事は防げるのだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ。交渉決裂ですか……」
そう言いながら、ロットワイラーはボルゾイと入れ替わって後ろへ下がった。
堰を切ったように、ゴブリンたちが押し寄せてくる。
ローシェンの長剣が、ボルゾイの戦斧がゴブリンたちを切り倒す。懐に踏み込まれても、リカッソを握ることで剣を小さく振るうこともできる。昨日よりも、ゴブリンたちの相手はしやすい。
二人で大型種を含め七匹ほど切り倒したところで、ゴブリンたちがいったん引いた。
「下がってください。わたしとシェルティの魔法で、連中を一網打尽にします!」
ロットワイラーが叫んだ。
が、ローシェンは、それを無視して、ひとり前に出る。
「いや、待ってください」
そう言いながら、長剣の切っ先をゴブリンの王に向けた。
「一騎打ちを、する気か?」
ボルゾイの問いに、ローシェンは頷く。
ゴブリンたちの考えは単純なようだ。単純に強いか弱いか。勝てるか負けるか。そして、その場で決定的な証拠を突きつけなければ、それが理解できない。
ならば、突きつけてやればいい。
「ローシェン。一騎打ちは無謀です。必ず横槍が入りますよ」
ロットワイラーの忠告。
当然、覚悟の上だ。
ロットワイラーは一網打尽と言ったが、完全に殺し尽くすのは、まず無理だろう。それに、ローシェンとしても、そんな事はやりたくない。
それに大きな群ならば、森の中でも生きてゆけるが少数では、そうもいかないはずだ。そうなれば、危険を冒してでも確実に食べ物がある村を襲うはず。
この群の統制が取れているのは指導力のある王がいるからだ。王を殺せば統制は無くなる。が、そうすると群は散り散りになる。それはそれで拙い。
「王は殺さず倒します。その上で、再度、移動を呼びかけます」
目の前で王を倒し、ゴブリンたちに勝てない相手だと悟らせるのだ。そうしなければ、要求を飲ませることなど出来ないだろう。
「交渉は、既に失敗してます。下がってください。まとめて吹き飛ばします」
「申し訳ありませんが、わたしがさせません」
ロットワイラーにエアデールの言葉。
「わたしは、勇者を信じます。ロットワイラーさん、勇者の援護を」
エアデールが、強い口調でロットワイラーに言う。
「あたしは、最初からローシェンを信じてるから」
当たり前の事のようにシェルティ。
「ボルゾイは?」
「ローシェンに賛同者が出た時点で、ロットの作戦通りには行くまい。勇者のお手並み、拝見させていただくとしよう」
ロットワイラーの問いに、ボルゾイは、そうこたえる。
諦めたように、ロットワイラーは溜め息をついた。
「横槍は、わたしが牽制して防ぎましょう」
「無理言って、すいません」
「失敗した場合、後始末が大変ですよ?」
ロットワイラーの言い分もわかるが、皆殺しにしなければならないほどの悪とも思えない。
ローシェンの挑発に、ゴブリンの王は乗った。いや、群れの被害を抑えるためにも、乗らざるを得ないのだ。
ゆっくりとローシェンの前へと出てくる。
湾曲した片刃の剣に、錆の浮いた鉄の盾。体には熊の毛皮を纏っている。剣は短いが、その分、取り回しは良さそうだ。
「俺ガ勝ッタラ手ヲ引イテモラウ」
ぎこちない発音だったが、ゴブリンの王は、そう言った。
出来ない相談だ。例えローシェンが負けても、引くわけにはいかない。
だから、こたえない。
ローシェンは、ゆっくりと剣を振りかぶった。
王が先に仕掛けてきた。
両手で長剣を扱うローシェンの方が間合いは広い。王がローシェンを間合いに捉えるより早く長剣が王に迫る。
盾で捌かれた。
ローシェンの長剣は、火花を散らしながら盾の表面を滑る。が、牽制が目的で必殺を狙った斬撃ではない。防御されることを前提としていたため、踏み込みも浅く、すぐ構え直せるように力も込めてはいない。だから、王の斬撃にも対応できるはずだった。
でも、それが出来なかった。
王は斬撃を捌く際、盾で殴りつけるようにして、ローシェンの太刀筋をねじ曲げたのだ。左手が離れ危うく剣を飛ばされそうになる。
完全に構えを崩された。剣では防御が間に合わない。
だから、ローシェンは踏み込んだ。体が触れ合うほど近づけば剣は当てられない。
踏み込むと同時に、王の腹に膝蹴りを入れる。
王も姿勢を崩した。
互いに後ずさって距離を取る。
強い。
ローシェンは思う。
殺さず倒す。そうしたいところだが、正直に言って難しい。
後ろに控えるゴブリンたちの中から、一本の矢が放たれた。普通の弓で放たれた矢ではなく、それは弩で放たれた物。
どう避けたのかはわからないが、自然と体が動いて矢をかわす。と、同時に、光球が弩もろともゴブリンを貫く。ロットワイラーの魔法だ。
ロットワイラーが何事か叫ぶと、ゴブリンたちが静かになる。
「ローシェン。まだ行けますか?」
「大丈夫です」
ロットワイラーの言葉にローシェンはこたえる。
王は強いが、勝てない相手だとは思えない。村でオーガと戦った時のような圧倒的とも呼べるほどの力の差は感じられない。
どう攻めるか?
盾が厄介だった。盾でローシェンの斬撃を凌いで間合いを詰める。そして長剣の間合いの内側で剣を振るう。
さっきは、相手の間合いの中に踏み込んで何とか凌いだ。だが何度も使える手ではない。
剣を握り直す。リカッソを右手で握り、近い間合いに対応させる。
今度はローシェンから仕掛けた。
突きを連続して繰り出すが、ことごとく盾で止められる。盾に切っ先が突き刺さるような手応えを感じた。。
王の持つ盾に穴が空き下地の木が見えていた。金属製の盾ではなく、表面を鉄板で覆った盾なのだろう。
距離を取りつつ、ローシェンは剣を長く握り直す。そして大きく振りかぶった。
王が動いた。正しくは、がら空きの胴を見せる事で、王が動くようローシェンが誘ったのだ。
今度は深い踏み込み、全力で剣を振るう。
王は、先程のように盾で斬撃を弾こうとする。が、ローシェンの狙いは、その盾なのだ。
太刀筋が弧を描き、盾に垂直に剣が食い込む。
盾が割れ、剣が王の腕を抉った。
しかし王の振るう剣は止まらない。その剣をローシェンは長剣で何とか受け止める。
片腕を抉られたために太刀筋が鈍ったのが幸いしたのだ。だがリカッソ代わりに巻き付けた革紐が全部飛んでしまった。長剣の表面を、王の剣が鍔元まで滑ったのだ。
そのまま鍔迫り合いになる。
力だけなら王の方が強いようだ。しかし王は片腕、ローシェンは両手で剣を扱っている。この条件なら、ローシェンが負けるわけがない。
押し返されるよりも早く、王はローシェンから離れた。
分はローシェンにある。王は盾を失い手傷を負ったが、ローシェンはリカッソを失っただけ。しかし勝負が付いたわけではない。
再び王が動いた。
王の斬撃を剣で受けつつ、あえて間合いを詰める。そしてローシェンは長剣を捨て、王の剣を持つ手を掴み、空いた片手で、その顔を殴りつけた。
怯んだのか、剣を握る王の腕から力が抜けた。その隙を逃さずローシェンは王から剣を奪い取った。
奪った剣を握り直すと、ローシェンは王の眉間を狙って剣を振り下ろした。
……寸止めする。
「服従か死か。あなたの死は、部族全体の死に繋がる。よく考えて欲しい」
「……何ヲ望ム?」
「人里離れた森の奥へ。金輪際、人間には近づかないこと」
王は剣に臆することなく、ローシェンを睨み付ける。
「承知シタ……」
その言葉を聞いて、ローシェンは肩の力を抜いて剣を降ろした。
後ろに控えたゴブリンたちが騒ぎ始める。が、王が群れに向かって大声で吼えると静かになった。
長剣を拾うと、ローシェンは王の剣を地面に突き刺した。
「剣は、ここに置いておく」
王は振り返ってローシェンに言う。
「ソノ剣ハ、モウ、オ前ノ物ダ。持ッテ行ケ」
そして王は、後ろに控えたゴブリンたちに何事か叫んだ。
「どうやら、上手く行ったようですね」
ローシェンの隣にやって来て、ロットワイラーは言う。
「今回は、お見事と言っておきましょうか」
「王は何と言ったんです?」
ローシェンは問う。
「村を捨て森の奥へ行く。用意しろ。そう言いましたよ」
あの王ならば、信用できそうな気がする。
ローシェンは、大きく息をついて王の剣を引き抜いた。
「いったん退散しましょうか?」
武器を持った者たちに見張られていては、ゴブリンたちも落ち着かないだろう。
ゴブリンたちは、もう仕掛けてくる気配はない。
一行は、いったん引き上げることにした。
長剣を研ぎ直し鞘に収める。そして、王の剣を研ぎ始めた。
「その剣、持ってきたんだ」
「持って行けって言われたから」
シェルティの言葉に、そうこたえて剣を眺める。
刃こぼれが目立つが良い剣のようだ。持っている砥石では手に負えないので、一度、修理に出した方が良さそうだ。
短い分、取り回しもしやすい。長剣と使い分けると良さそうだ。
「王が動きましたね。おそらく群も一緒でしょう」
ロットワイラーは言った。
「日が落ちる前に、一度、確認に行ってきます」
「厄介な置きみやげがあるかも知れませんし、全員で行きましょう」
勝手なことをやってロットワイラーを怒らせたかと思ったが、見た限り怒っているようには見えない。つまり、そうは見えないだけで、怒っている可能性もあるということだ。
その可能性を考え、ローシェンは溜め息を吐いた。
こういう人が一番、怖い。
「色々、あのゴブリンたちには腑に落ちない所があるんですよ」
ローシェンの隣に座るとロットワイラーは、ぼそりと言う。
「ひょっとして、怒ってます?」
「何故です?」
恐る恐る聞くローシェンに、キョトンとした顔のロットワイラー。
「いや、一騎打ちを強行した件で、ですが」
「怒りませんよ。状況を考えれば上手く行く要素もあったわけですし」
そう言って、ロットワイラーは笑って言葉を続ける。
「だた、わたしが力業で挑もうとしたのは、人里近くまで出てくるゴブリンには、まず話し合いなど通用しないからなんですよ。人里まで出てくるゴブリンは、群を追われたはぐれ者の場合がほとんどです。ゴブリンたちの中でも爪弾きにされるほど始末に負えない者たちですから」
「でも、今回は違ったみたいですね」
「それが腑に落ちないんです。今回の群は統制が取れ、腕利きの冒険者たちを返り討ちにするほど強い部族でした。そんな群が、何故、人里近くに村を構えたのか。その理由がわかりません」
ロットワイラーは問いかけるようにローシェンを見つめる。
「逃げてきたんでしょうか?」
「そうでしょうね。それしか考えられませんが……」
何に追われて、あの群が逃げてきたのか。もう今となってはわからない。
「さて、皆で確認に行きますか」
そう言うと、ロットワイラーは立ち上がった。
二日後、日が暮れるまでに王都に帰り着いた。
ゴブリンたちを追い払えたので、依頼を完遂したと認められたのだ。
ゴブリンたちの小屋は全て焼き払われた。村を焼かれたので、もう舞い戻ってくるということはないだろう。
「まあ、ご苦労だった。街の冒険者の名誉は守られたか」
テーブルの中央に、どかんと料理を置きながらクバーズは言った。
「正直言って、今回は数が多すぎました。最初から正確な数がわかっていれば、わたしは降りましたよ」
「でも上手く行ったんだろう?」
クバーズの言葉に、ロットワイラーは苦笑いする。
「ちなみにローシェン。初戦で何故、攻めなかったんですか?」
ロットワイラーに問われてローシェンは考える。
ゴブリンと最初に戦いになったとき、ローシェンは、あえて前に出ないで迎え撃った。結果から言えば正解だったが、何故そうしたかと問われると……
「何か嫌な予感がしたからです。腕利きを返り討ち、十匹のはずが数十匹。冒険者を返り討ちにしたあとは村を荒らしていない点から統制は取れていると考えられましたし」
あとは、単純に敵地の中に飛び込むのが嫌だったからだ。
「あそこまで大がかりな罠は、わたしは考えてませんでした。だからローシェンとボルゾイは突っ込むだろうと思ったのですが、そうしていたら一体どうなった事やら」
呟き、ロットワイラーは溜め息をつく。
「ちなみに、啓示を受けたわけではないと?」
ボルゾイの問いに、ローシェンは黙って頷いた。
「でも、ローシェンは勇者です!」
エアデールは強い口調で言う。
「疑ってなんかいませんよ。コレが勇者かと、感心しているところです」
「確かに。剣を持ってまだ間もない若造とは思えん。しかも勘も鋭い」
「はあ、……そうなんですか?」
ロットワイラーとボルゾイは言うが、ローシェンとしては今ひとつピンとこない。
「そして、本人に自覚がないのが、恐ろしいところです」
ローシェンに視線を向け、ロットワイラーは楽しげに笑う。
「ローシェンを、いい気にさせないように。あと、厄介事の元になるから、あんまり勇者だって名乗らないようにね」
シェルティに釘を刺された。ローシェンとしても、大笑いされて以降は、勇者だとは名乗らないようにしているのだ。
「まあ、必要ならば、名乗るまでもなく仲間は集まるでしょう。勇者とは、そういう者のようですから」
そう言って、ロットワイラーは言葉を句切りローシェンを見る。
「ですが、もし術師が必要になる事があったら、わたしに声をかけてください。本物の勇者が一体、何をするのか。見届けてみたいものです」
「手伝おう。どこまで化けるかワシも見届けたい」
ボルゾイもニヤリと笑う。
「じゃあじゃあ、この五人は、これからも仲間って事でいいかな?」
シェルティは勢いよく立ち上がって言った。
本当に信頼できる仲間を集めるのは難しい。シェルティは、そう言っていた。
冒険者なんてゴロツキばかり。犯罪者同然の者たちだって珍しくないと。だから、本当に信頼できる仲間は簡単に見つからないのだと。
でも、今回の仕事で、皆が信頼できる仲間だと言うことはわかった。
「では、乾杯と行こうかの」
何人もの勇者の物語がある。
ボルゾイの言葉を聞きながら、ローシェンは、そんな事を考える。
自分のことも、いずれは物語として語り継がれる事になるのだろうかと。
そんな事は、全く望んではいないのだけども。
「ホラ、ローシェン。アナタが乾杯の声をあげないと!」
シェルティに言われ、エアデールに杯を押しつけられる。
いつの間にか、全員ぶんの杯がクバーズによって配られていた。
「では、よろしくお願いします」
エアデールに促され、ローシェンは戸惑いながら立ち上がった。そして、緊張しながら杯を掲げ――
勇者ローシェンの物語は、実は、まだ始まったばかりなのかも知れない。
生存表明も兼ねてのアップです。前作のローシェン、最近書き直しを再開しました。完成したら何かの賞に応募したいと思ってますが、ホントに完成するんだろうか?
ちなみに登場人物は今回も犬種から持ってきてます。
犬種のイメージ的にはボルゾイはエルフなんですが名前の響きからドワーフに使いました。
ロットワイラーは犬種のイメージ的にドワーフっぽいですね。
犬種のイメージより名前の響きを優先して人物の名前は決めてます。
ちなみに書き直し版は竜退治の勇者の名前がサモエドからケリーブルーに変更されました……だってこっちの方が響きが格好いいし。
この話は前半部分だけ数パターン書きましたが、データ発掘したらエアデールがローシェンに金的かましてたのがありました。
読み返すまで、こんなの書いた事を忘れてましたよ。