↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

【アップ✨】2026年10月18日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️

作者: 天川裕司
掲載日:2026/10/25

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(ユメノ記)

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪


【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/live/EZWR4pDoE5I?app=desktop


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12982646271.html

聖書と讃美歌も閲覧できます。お気軽にお立ち寄りください(^^♪



聖書


『イザヤ書』(第二八章一四〜二二節)

『ペテロの第一の手紙』(第二章一〜一〇節)


讃美歌〜♫


讃美歌142番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=suNQ0U3EqQA&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yR77yU77yS55Wq


讃美歌515番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=TQWALhbZ62I&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yR77yV55Wq



2026年10 月18 日 礼拝説教 聖書箇所   


聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これ を信じる者は、決して失望することはない。」


ペトロの手紙一2 章6 節


それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石 堅く据えられた礎の、尊い隅の石だ。信じる者は慌てることはない。」


イザヤ書 28章16 節


はじめに

キリストの教会の存在理由が問われる今日、真実に問われているのは、問う者の方では?


1

「選ばれた尊いかなめ石、イエス・キリスト」・・・《十字架の主こそ、生ける希望》

 生けるキリストの教会の土台は、キリストご自身。それは、自分の上ではなく、あくまでも、神の 約束のメシア(キリスト)。また、「使徒や預言者」すなわちキリストを証しする聖書の全体(エ フェソ 章 節)、また、復活と昇天の主とその御業を告白する「信仰の言葉」(ローマ 10章 8節)。 イザヤ書28 章における、「シオン」に据えられる「一つの石」は、「試みを経た石」であり、「固く 据えられた礎の」「尊い隅の石」。ここで「シオン」とは、キリストの教会を指す。つまり、キリス トがただ一つの土台であり、それ以外にはない。「試みを経た石」とは、キリストの教会自身が、一 つの試金石とされることを示す。どのように、真の教会は何の価値を判定する規準となるであろう か。偽キリスト、内外の様々なかたちで生じる不純な教えを明るみに出す。人の罪は真逆に教会の方 に何かの不足を追求する。しかし、試されているのは、実は人(罪人)の方。使徒ペトロは、「生け る」希望同様に、キリストの御名において、「選ばれた」「尊い」「かなめ石」キリストと言葉を重 ねる。このお方こそ、わたしたちが尊ぶべきお方であり、教会のただ一つの土台、救いの礎(いしず え)であることを明白に告白するもの。「これを信じる者は、決して失望することはない」。


2

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」・・・《世の指導者に捨てられたお方》

 「従って、この石は、信じているあながたがには掛けがえのないもの」。しかしながら、「信じな い者たちにとっては、『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』」。主イエスご自身、 「ぶどう園と農夫のたとえ」を話された後、「聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。 『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの 目には不思議に見える』」(マルコ12 章10,11 節)。また、使徒ペトロも、「この方(イエス・キリス トこそ)『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」』」と、イスラエルの民 が十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人イエスの「ほかのだれに よっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与 えられていない」と、聖霊に満たされて、議会で取り調べを受けたとき「議員、長老、律法学者た ち」に告げた(使徒4 章10 ~12 節)。


3

「つまずきの石、妨げの岩」・・・《主なる神の定めによる不信仰を「受け入れる」とき》

 さらに「また、(この石は)「つまずきの石、妨げの岩」」「彼らは御言葉を信じないのでつまず くのですが、実は、そうなるように以前から定められている」と証する。使徒パウロもローマ書 9章に おいて「義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得」た。「しかし、イスラエルは義 の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰に よってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたから」。「彼らはつまずきの石につま ずいた」と教え、同じ御言葉をもって確証する。人の不信仰の根源的理由は、神のご意志によるとこ ろのご計画とその実現がある。キリストの福音において神のご意志(定め)を受け入れるとき、わた したちは、「深い悲しみ」と「絶え間ない痛み」をもって背信と不信の中にある者を覚えて祈る。


おわりに

真の預言者イザヤは「偽りを隠れがとする」とうそぶく者たちに、「試みを経た石 堅く 据えられた礎の、貴い隅の石」の到来を告げた。今日、つまずくことなく、信じる者はさいわい。



(Mynote)

二〇二六年一〇月一八日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「悔い改めとは何ですか。」

「過ぎ去った日の罪を悲しみ、良い行いに励み、生活を改める事です。」

(※『スコットランド教会新カテキズム』(117)を参照の事)

(公同礼拝)

『イザヤ書』(第二八章一四〜二二節)

『ペテロの第一の手紙』(第二章一〜一〇節)

『ペテロの第一の手紙』のこの箇所は、先週からの学びの続きである。

イエス様は、ノンクリスチャン(異邦人)に福音を説いて聴かせる時、特に慎重になられ、大抵、例え話を以て語り聞かせた。

「ある所に、一人の家の主人が居たが、ぶどう園を造り、垣を巡らし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫達に貸して、旅に出掛けた。収穫の季節が来たので、その分け前を受け取ろうとして、僕(しもべ)達を農夫の所へ送った。すると、農夫達は、その僕(しもべ)達を捕まえて、一人を袋叩きにし、一人を殺し、もう一人を石で打ち殺した。また別に、前よりも多くの僕(しもべ)達を送ったが、彼等をも同じ様にあしらった。しかし、最後に、私の子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼等の所に遣わした。すると農夫達は、その子を見て互いに言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。そして彼を捕まえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。このぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫達をどうするだろうか」。彼等はイエスに言った、「悪人共を、皆殺しにして、季節毎に収穫を納める他の農夫達に、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。イエスは彼等に言われた、「あなた方は、聖書でまだ読んだ事が無いのか、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主(しゅ)がなされた事で、私達の目には不思議に見える』。それだから、あなた方に言うが、神の国はあなた方から取り上げられて、御国(みくに)に相応しい実(み)を結ぶ様な異邦人に与えられるであろう。又その石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それが誰かの上に落ち掛かるなら、その人は粉微塵にされるであろう」。祭司長達やパリサイ人達がこの例えを聞いた時、自分達の事を指して言って居られる事を悟ったので、イエスを捕まえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思って居たからである。」(『マタイによる福音書』第二一章三三〜四六節)

俗世(人の世)に於いて、譬え信仰厚く、立派と称される者達(クリスチャン)であっても、この様に、他の人々を信仰から遠ざけ、自分達の決まり事・戒律を作り上げ、それを人々に信じさせ、楽園・天国(神の御国)を独り占め、或いは自分達が決めた特定の者達とだけ受け取ろうと、考えを巡らす事がある。この事は人の世に於いて非常に多くあり、曲がった信仰の下(もと)、人の主観・感情・感覚だけが先走り、それ等を正しい信仰より先に見て信じ、そのまま頑なになるのである。この時(聖書に記されてある当時)、信仰に厚く、立派と称され認められた者達(祭司長達やパリサイ人達)は、唯一の救い主であるイエス様を、本当の救い主であるとさえ認められず、遂には捕まえて、殺そうとまでした。人は特に「信仰」を口にするが、どこまで正しく、本当に信仰に準ずる事が出来て居るか?クリスチャン・ノンクリスチャン問わず、神様から生まれた人として、常にこの事を問い続けねば成らない。正しい信仰が成らないのである。

また人の世の教会では、金や名誉を基準にし、そのステータスを先に見て取り、その上で教会運営を任せ、その奪い取った金(主に献金)で、自分達の懐を肥やす者達が居る。この事も、人の世には非常に多く見られる。金で信仰を買わせる振りをして、その実、信仰は一つも無く、ただ罪人の習わしに従い、神様とイエス様を冒涜する悪魔の仕業の事である。しかし、これ等の罪の事に、人は本当に気付かない事も多い。純粋に信仰に生き、純粋に福音を広める為にそれ等の罪の行為に自分を置き、知らぬ内に信仰から離れる事も多いのである。人の欲望は罪から生まれ、欲望は人の心と信仰を盲目にし、必ず悪魔の側に付かせようとする。人は自力では初めから最後まで弱い者で、その誘惑にマンネリ(常習)を以て、必ず陥らされる。だからこそ、人である以上、誰にとっても悔い改めが必要になる。それも、神様が本来人に与えた、正しい信仰が成る為である。その信仰に立ち返らされる為である。

『イザヤ書』のこの箇所は、神様が、これ等の迷いから罪を為す人々を初めから知って居られる事が記されてある。「あざける人々」の内容であるが、初めからこの「あざける人々」は聖書に在る通りに言動を為し、それから悔い改めを以て信仰に立ち返る者は立ち返る。即ち、この事も全ての人に与えられた、信仰に於ける試練となろう。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/


Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=46s


"DEDICATION" 「献身」(2024年09月06日収録/10月04日配信)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MxKFmcXqI4Y


ユメノ記

https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。