地獄のゲリラ漫才
「どーもー」
そう言って舞台に出てきた洋一を見て、何が始まったかといった雰囲気の宴会場。
ここは社員旅行の宴会の席で、社長から役員、他部署も含めた五十人程がいた。
洋一はクマの人形を手に続けた。それは地獄の空気であった。
「いやぁ、罰ゲームで漫才することになりましてね。相方が前日に風邪で欠席したので、相方はこのクマでして」
相方は若手男子で部下の芹澤であったが、まさか風邪での欠席であった。
浴衣の社員たちは完全に引いていた。
前村洋一、課長職の四十八歳。部の飲み会で泥酔し、自分から社員旅行でゲリラ漫才の罰ゲームを提案して、部下と共にカラオケの採点で負けたのである。ただでも音痴なのに、泥酔してて勝てるわけもなく、罰ゲーム決定となった。
洋一は若い時にお笑い芸人を目指して、漫才師をしていたことがあった。しかし、二十年経った今、漫才などできる自信がなかった。それも一人となってしまっていた。
前日。芹澤から電話で欠席の連絡が入った。
「課長、すみません。熱がありまして。コンコン。あ、これ。ボケじゃないですよ」
「お前、嘘だろ」
「あ、疑うんですか。パワハラですよ」
「何だそれは!漫才どうすんだよ!」
「あ、強要ですか。つうかマジでやるんすか」
「や、やるよ…」
洋一はそう言って、「お大事に」と加えた。
「ありがとうございます、課長!コンコン」
電話を切った洋一は、どうしようかと狼狽えた。そこで目に入ったのが、間抜けな顔を向けてる赤いクマであった。
クマは思った。
「俺に何させるんだよ」
洋一は赤いクマをかざして、クマの言葉のように声色を変えて喋っては、洋一はその言葉にツッコんだ。クマを使ってのノリツッコミで漫才を展開した。
『みんな赤い顔して、照れてるんですか』
「酒飲んでんだよ。お前が一番赤いだろ」
『あちらの部長は、斜め前の女子にデレデレ…』
「よしなさい!部長がセクハラになっちゃうじゃないか」
上司の部長をイジるとそこで話を切り替えた。
「しかし、最近は何かとハラスメントとうるさいですからね。お酒を飲めない人に勧めただけでマズいですからね」
『口移しなんてもってのほかです』
「当たり前だろ!」
『風邪が染りますからね』
「そうじゃねぇよ!セクハラだよ」
『三階級上なら許されるとかないんですかね』
「そんなのねぇよ!」
『許されたらみんな昇進のために頑張りますよ』
「そういうのが一番いけないんだよ」
『でもブスと不細工ばかりの会社だったら、誰も頑張りませんよね』
「社員旅行でバカヤローか。よしなさい!」
まだ真顔の社員がほとんどだが、洋一のボケとツッコミの連発は少しずつ笑いを掴んだ。
『しかし、あんたも四十後半で部下に裏切られて、地獄のような漫才を…コンコン』
「芹澤みたいな咳すんなよ。皆さんそうなんですよ。芹澤は前の日に電話してきて、『風邪引きました、コンコン』って」
『嘘臭い咳をしたんですね』
「そんな事はない。私は部下を信じるよ」
『可愛いですからね』
「可愛くないよ、あんなの」
『今のはハラスメントですよ』
「それが何ハラになんだよ。ちゃんと可愛いよ」
『おっさんから可愛いって、キモいですよね』
「何だそれは!」
笑う人間が増えていた。洋一は変な課長から面白い人になっていた。
『しかし、上の人も大変ですよね。小言一つでパワハラですからね』
「そうなんだよ。口答え一つにも強く言えないから、『口答えするその口にキスすんぞ!』なんて。笑」
ここはスベったように見せた。
『それ、セクハラじゃないですか』
「口答えに対してのアヤだよ。こんな漫才だけで変な課長になってるんだから、頼むよ!」
『この前、キスしたから、芹澤くんに風邪が染ったんですね』
「してねぇよ、バカヤロ」
『上司の…おっさんのキスで風邪なんてキモいですよね』
「バカなこと言ってんじゃないよ!目の前のみんなはご飯食べてんだよ」
『どうせ酔っ払ってわかってないですよ』
「そんな事あるか!気持ち悪い話すんな。だいたいこの時間は茶碗蒸し食べてんだからヤメろ」
『そんな言い方したら、茶碗蒸し見たら想像しちゃうじゃないですか』
「何をだよ!」
『そういうのをムシハラって言うんですよ!』
「何だそれは!言うならモラハラだろ」
『モラ?貰う…貰い?』
「そっちじゃねぇよ!今ギリギリいってっからな」
『金色に光る…銀杏』
「何の連想だ、おい!やめろよ、そういうの」
『松茸ですね!女子は大きいほど嬉しいですよね!』
「堂々のセクハラじゃねぇか!もういい。ありがとうございました!」
洋一は赤いクマと一緒に頭を下げて、宴会場の舞台を下りた。
最後は下ネタであったが、宴会場は思った以上にウケていた。
こうしてゲリラ漫才の地獄の時間が終わった。というか、年甲斐もなく本当にやってしまったと洋一は、回りの目を気にしていた。洋一は元漫才師として引き下がれなかった。
しかし、洋一はこの後の会社生活が地獄とならないことを祈ったのであった。




