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第一話

そのおじさんに気づいたのは、月曜日だった。


昼休憩から戻ってきたとき、店の前のベンチに座って、リンゴを丸かじりしている男がいた。


赤いリンゴだった。


別に珍しいことではない。


ここは駅前だし、ベンチでパンを食べる人もいれば、コーヒーを飲む人もいる。


ただ、少しだけ引っかかった。


僕が働いている店の、真正面だったからだ。


ガラス張りの店舗。


その中央に、大きな白いリンゴのマーク。


その下で、おじさんは赤いリンゴをしゃくしゃくとかじっていた。


妙に絵になっていた。


狙っているのだろうか。


一瞬そう思ったが、僕はそのまま店に入った。


翌日。


またいた。


同じベンチ。


同じような時間。


同じようにリンゴを食べている。


昨日とは違うおじさんかと思ったが、同じだった。


白髪交じりの短い髪。少しくたびれた紺色のシャツ。茶色い紙袋。


そして赤いリンゴ。


水曜日もいた。


木曜日もいた。


さすがに木曜日になると、偶然とは思えなくなった。


店の前で四日連続、リンゴを食べている。


何かの抗議活動だろうか。


そう考えると、急に気になってきた。


うちの会社に恨みでもあるのかもしれない。


昔買ったパソコンがすぐ壊れたとか。


修理代が高かったとか。


あるいは、巨大企業への何らかのメッセージなのかもしれない。


本物のリンゴを食べることで、消費社会への抵抗を表現しているとか。


いや。


さすがに考えすぎか。


金曜日。


休憩に入る前、僕はガラス越しにベンチを確認した。


いた。


今日のリンゴは青かった。


「またいる」


僕が呟くと、隣にいた後輩の佐藤が反応した。


「誰ですか?」


「あの人」


僕がベンチを指さす。


「ああ」


佐藤はすぐにわかった。


「リンゴのおじさん」


「知ってるの?」


「スタッフの間では有名ですよ」


知らなかった。


どうやら僕より先に、みんな気づいていたらしい。


「何してるんだろうな」


「リンゴ食ってるんじゃないですか」


「それは見ればわかる」


「じゃあ、それ以上なんかあります?」


「だから、それを考えてるんだよ」


佐藤はしばらくおじさんを眺めた。


しゃく。


しゃく。


おじさんは普通にリンゴを食べている。


「ないんじゃないですか」


「何が」


「それ以上」


そう言って佐藤は接客に戻った。


僕だけが残された。


ガラスの向こうでは、おじさんが最後の一口を食べ終えたところだった。


土曜日。


おじさんは二個食べた。


これはもう、かなり気になった。


一個食べ終えたあと、紙袋からもう一個取り出したのだ。


僕は接客をしながら何度も外を見た。


二個目も赤だった。


そして日曜日。


一週間目。


午後三時十二分。


おじさんは今日もいた。


僕はとうとう休憩時間に店を出た。


自分でも、なぜそこまで気になっているのかわからなかった。


一週間、毎日リンゴを食べている。


ただそれだけだ。


悪いことは何もしていない。


それでも僕は、おじさんのところへ歩いていった。


おじさんは僕に気づかない。


しゃく。


また一口。


「あの」


おじさんが顔を上げた。


「はい?」


「あの……ここ、よくいらっしゃいますよね」


「ああ」


「毎日ですよね」


「そうだね」


あっさり認めた。


僕は少し困った。


そこから先を考えていなかった。


「何か、うちの店にご用ですか?」


「いや」


「そうですか」


会話が終わってしまった。


おじさんは再びリンゴをかじった。


しゃく。


僕は店を振り返った。


巨大な白いリンゴが見える。


「あの」


「うん?」


「どうして、いつもここでリンゴを食べてるんですか」


聞いてしまった。


おじさんは口を動かしながら、僕を見た。


それから僕の制服を見た。


その後ろにある店を見た。


「ああ」


ようやく質問の意味がわかったらしい。


おじさんはリンゴを持った手で、店の上を指した。


「あれだよ」


「あれ?」


振り返る。


白いリンゴのマーク。


「君たちの店の前を通ると、リンゴが食べたくなってね」


「……はい?」


「毎日ここを通るんだよ」


おじさんは言った。


「仕事の帰りに」


「はい」


「で、あれを見るだろ」


白いリンゴを指す。


「そうすると、リンゴ食いたいなあって思うんだ」


僕はもう一度、店を見た。


「あれを見て、ですか」


「他に何があるんだ」


「いや……」


「だからそこのスーパーで買う」


おじさんは足元の紙袋を指した。


「それでここにベンチがあるから、ここで食う」


「……それだけですか」


「それだけって?」


「いや、何かこう……意味があるのかなと」


「意味?」


おじさんが眉を寄せた。


「何の?」


「例えば、その……メッセージとか」


「誰に?」


「僕たちに」


おじさんは僕を見た。


そして店を見た。


また僕を見た。


「ないよ」


「ですよね」


恥ずかしくなってきた。


僕は一週間、何を考えていたんだろう。


おじさんは最後の一口をかじった。


「でも、あれはうまそうだよな」


「え?」


「リンゴ」


白いロゴを見上げている。


「いい形してるよ」


僕も見上げた。


毎日見ているマークだった。


入社して五年になる。


朝、店に来れば見る。


仕事中も見る。


商品にもついている。


箱にもついている。


制服にもついている。


何千回、何万回と見てきた。


でも。


うまそうだと思ったことは、一度もなかった。


「じゃあ、また明日」


おじさんが立ち上がった。


「明日も来るんですか」


「通勤路だからね」


おじさんは紙袋を持って歩いていった。


僕はその背中を見送った。


それから店へ戻った。


自動ドアが開く。


店内では今日も、大勢の客がリンゴのマークがついた製品を手に取っている。


スマートフォン。


パソコン。


タブレット。


腕時計。


イヤホン。


全部に、リンゴがついている。


その日の帰り。


駅へ向かって歩いている途中で、スーパーの前を通った。


果物売り場が見えた。


赤いリンゴが山積みになっていた。


僕は少しだけ足を止めた。


そして思った。


――いや。


今日はいい。


そのまま駅へ向かった。


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