前世持ちに憧れる令嬢の想定外な事態
この世界では前世の記憶持ちが少なからず存在している。いわゆる転生だ。
遥か昔に大変仲の良い男女がおり将来の約束までしていたが、身分差と戦争による混乱で離れ離れとなり、お互いを想ったまま亡くなったらしい。それを不憫に思った創世神様が、来世は結ばれるようにと慈悲を施し、転生した男女は再びめぐり逢い幸せな一生を送ったとか。
「おやお嬢様。そちらの本をまたお読みになっていらっしゃる」
「だってばあや、みな前世の記憶を持っているのよ。私はなにもないのに」
「私だってございませんよ。きっとまっさらでお生まれになるよう、神様の思し召しでございましょう」
「…そうかしら」
一人娘であるリリーメルは、乳母の言葉に納得しないまま手元の本を撫でた。母はリリーメルを産んだ直後肥立ちが悪く儚くなったため、肖像画でしか姿を知らない。男手のみで育てるわけにもいかず、困り果てた辺境伯が母方の親戚女性を乳母として働いてもらうよう、説得して連れてこさせた。王都から離れた土地は流行や話題が遅く届けられるが、この女性自身貴族の出身でそういった話は得意だった。不在しがちな辺境伯はかつて淑女の鑑と言われた女性を師として仰ぐよう娘へ告げた。リリーメルも素直に頷いた。国を守る父を誇りに思っていたし、愛情はたくさん注がれたと思う。
擦り切れた表紙の本は、リリーメルが初めて父から買ってもらったものだ。創世神話の原書は大人向けであったが、絵本よりもずっと長く持ち続けるものが欲しかった。冒頭ではだいぶ省略しているが、創世神話とはおおむね同じような内容が書かれている。
前世の記憶を持つ者は、今世で結ばれようと片割れを探している。再度めぐり逢えたら、幸せと繁栄が約束されているのだ。虚言にて陥れようとしても、必ず聖教会の調べが入る。貴賎問わずその調べは正確で、聖教会そのものが不正を働くことはできず、王家も介入する。
転生せずともそれなりに幸せは築けるだろう。これがフィクションで子供向けの絵物語なら、幼い頃の憧れとして思い出になるだけだ。だが実際に近しい友人知人が前世の記憶持ちとなれば話は違う。羨望から、もしかして自分にも、と考える人間だって現れる。そしてリリーメルは諦め切れず運命の相手を探している最中なのだが、悲しいかな前世は覚えておらず、転生していないごく普通の友人から結婚式の招待状を受け取れば、祝う気持ちと投げやりな気持ちとで持て余していた。
そんな娘とも生徒とも可愛がっている子の心情を察して、ばあやは目線を合わせるようしゃがみこんだ。
「ほら、そんな悲しいお顔は似合いませんよ。こんなばあやでも、お友達も、前世の記憶がなくたって過ごせてるではないですか」
「そうね。そうしてる人達に失礼よね」
「夢見ることは自由ですからね。気分転換に刺繍でもなさいますか」
「…裏手の湖に行ってはダメかしら」
これから叱られる子供のように、おずおずと尋ねるリリーメルを見てばあやは困ったように微笑んだ。教育中、癇癪を起こして逃げ回った先はいつも屋敷の裏にある湖で、あろうことか服を着たまま泳いで泣きわめいていた少女は、こんなにも立派な淑女となった。本来ならはしたないと叱るのだが、今回だけは頷いてやった。
「えぇ、えぇ。ようございますよ。お着替えも準備しておきますから」
「ありがとう、マム!」
久しく呼ばれていなかったあだ名で呼ばれ、駆け出したリリーメルに注意することなくばあやも立ち上がった。創世神話に夢見る気持ちはばあやにだって理解できる。少年少女はみな通る道だ。
きっと着の身着のまま湖へ入ってしまうだろう。このところ気分が沈んでいたようだし、将来嫁いでしまえばそのような行いもできなくなる。替えのドレスを用意しようと考えて、ばあやは首を傾げた。
「…なにか忘れていたかしらね」
このばあや、貴族出身で王立学園でも好成績を残し、あちこちの家庭教師を担うほど優秀ではあるのだが、年に一度致命的なうっかりミスをすることでも知られていた。
「この辺りのはずだが…」
愛馬と共に辺境伯領へやってきたのは、この国の王太子であるレオンハルトだった。国を回って見識を深めろと国王に放り出され、あちこち視察に回り、最終点の辺境伯領を終えれば王都に戻る予定だった。
レオンハルトは前世持ちだった。前の人生で結婚の約束までした女性とは結ばれず、その相手探しもあって視察を行っていた。通常なら高位貴族から婚約者を決めて幼少期より妃教育を施すはずが、レオンハルトが前世の記憶を持つことで予定は大幅な変更となった。王族の前世持ちは伴侶探しが第一優先であり、仮に相手が平民でも超法規的措置が取られる。過去、階級を重要視したために前世持ち同士を結ばせず阻害した結果、国が大きく傾いたのだから慎重にならざるを得ない。
視察中に魔物の襲撃があり、大事があれば旗頭とならなければならないため、図らずも実地訓練ができたことはレオンハルトにとって大きな意味があった。もちろん辺境伯が舵をとり腕の経つ部下たちがお膳立てしてくれたのも理解している。返り血を浴びたレオンハルトを豪快に笑い、湖で水浴びでもなさればよろしい、と辺境伯は場所を教えてくれた。
そうして教えてもらった湖は場所柄にもかかわらず緑が多く、ところどころに細い木が生えていた。その枝に着替えを置いておけば良いかとレオンハルトは考えて、さすがに湖を魔物の血で汚すのはしのびなく、ひどい臭いに顔を顰めながら手早く脱いでいく。
湖に入りある程度進んだ先で、ぱしゃりと水音が響いた。時々野生動物が水飲みに来るとも聞いていたため、それほど大きな動物でなければやり過ごしたいところである。
できる限り水音を立てないように進んで木の陰から伺い見れば、女性が水浴びしている姿を目撃してしまった。急いで逃げようものなら存在が明るみになってしまうし責任を取らされかねない。自分の失態を棚に上げかけて、レオンハルトは不意に女性の腰当たりに気付いて凝視した。赤い花びらのような痣は、見覚えがある。
だがしかし、と思い直しもっと近くで見ようとして、レオンハルトは急に我に返った。女性が顔を真っ赤に染めあげて、震える口が大きく息を吸い込んで、そして。
「キャーーーーーーーーッ!!!!」
「すまない、ちょっ、待ってくれレディどうしても聞きたいことがっ」
どこからそんな声量が、と思うほどの悲鳴が響き渡る。確認したいことがあるのに、この状態を見られたらお互い傷が残る。解決策が見つからないまま、レオンハルトは周囲を見渡してから女性へ近付いた。
「ひぃっ」
「レディすまない、こちらの痣だが」
「あ、あああ痣?!」
「これは生まれた時からあったものだろうか?」
「…ッ!!」
涙を浮かべながら必死に頷く女性だが、レオンハルトもいっぱいいっぱいである。そのため事前の了承を得ず、女性の腰へと触れた。花びらの痣がある、その柔肌に。触れた瞬間レオンハルトは確信を得たのだが、とうとう女性は意識を手放して倒れてしまった。危うげなく抱きとめて、レオンハルトは人生で初めて泣きそうな情けない声を上げた。
「……絶対殴られる」
リリーメルが目を覚ました時、いつもの自室ではなくやたら豪奢なベッドに寝ていて、夢か現実かが分からなかった。衣擦れの音で誰かが気付き、バタバタと忙しない音が近付いてくる。
「お嬢様!」
「…マム? 私…どうしたのかしら」
「あぁお嬢様、このばあやのミスでございます…!大事な日程をお伝え忘れていたなんて…!」
「ふふ、変なばあや。あなたのうっかりミスなんて、初めてのことではないでしょ」
さめざめと泣くばあやに、リリーメルはころころと笑う。その様子を見てからか、控えていたメイドが遠慮がちに声を掛けた。
「恐れながら、陛下と王妃様がお待ちです」
「え…? 私がなにか粗相を…?」
「いえ、誓ってそのようなことは。ですが急を要するため、大変申し訳ございませんがこのままご案内させていただきます」
リリーメルが青ざめて聞けば、メイドは首を振って否定した。だが心底申し訳なさそうにしながらも、すでにドア付近にて待機している。
このまま、と繰り返してリリーメルは自分の服を見下ろした。ネグリジェではないがギリギリ部屋着と言える程度だろう。少なくとも王族に会うような格好でないことは確かだ。
不安げに動こうとしないリリーメルに、メイドも強いことは言えない。そんな中ばあやがリリーメルの手を握って跪いた。
「お嬢様、私めもお供いたします。元々このばあやの不注意でございますから、お嬢様にはなんの咎もございません。それでよろしいですね」
「ご令嬢のご希望とありますれば」
最後の一言はメイドに問えば、メイドはすぐに頷いた。そこまでして急ぐ理由は分からないが、ばあやが居てくれれば心強い。リリーメルは不安を押し殺して、メイドの後に続いた。
そうして案内された謁見の間にて、玉座には国王と王妃が並び座っていた。近くに座っている青年は王太子レオンハルトであり、ほど近い椅子には父親が座っている。その表情はひどく険しい。疑問に思いながら、失礼にならない程度に急ぎ足で空いている椅子の前まで進み、リリーメルはスカートの裾を持ってお辞儀した。
「王国の太陽にご挨拶を申し上げます」
うむ、と頷いた王はリリーメルを座らせると早々に話を切り出した。
「支度もさせず急かしてすまなんだ。事が事ゆえにな」
「い、いえ…滅相もございません」
「何から話そうか…今回これが視察に回っている話は知っているだろう」
これ、と呼ばれたレオンハルトの顔色は悪い。そういえばお触れが出ていたなとリリーメルは思う。事情がまだ把握できてないリリーメルの様子を見てか、レオンハルトが口を開いた。
「私から話をさせてください、陛下」
「良いだろう」
深呼吸をしたレオンハルトは、リリーメルに経緯を説明し始めた。各地を視察して回っていること。最後に辺境伯領へと赴いたこと。魔物の襲撃にあったが討伐できたこと。辺境伯から湖の使用許可を得て向かったこと。
「各地を回ることはその土地の見識を深めることに意義があるのだが、私の場合は前世持ちのため伴侶を探すことも兼ねていた。湖で、その…リリーメル嬢を見かけて…」
「……!」
そこまで言われて、ようやくリリーメルは湖の一件を思い出し、両手で口元を抑えた。国王の目の前で悲鳴など上げられない。父親である辺境伯は眉間の皺を深くして今にも射殺さんばかりの眼差しをレオンハルトへ向けている。
「不躾であると思ったのだが、リリーメル嬢の…その、体に刻まれているアザと、私の首元にあるアザの形が似ていたんだ。それもあり早急に聖教会にて確かめてもらおうと…辺境伯の許可をもらい王城へと連れてきた。私の記憶と聖教会の確認から、リリーメル嬢、」
不敬であると分かっていてもリリーメルは思わず立ち上がってしまった。確かに前世持ちの繋がりに憧れを持っていた。だが結局は憧れだ。まさか相手が王太子など、その行く末など想像しなくても分かる。自分には荷が重すぎる。レオンハルトの声を聞きたくないが、逃げ腰になったリリーメルに対しレオンハルトは駆け寄ってその細い肩を掴んだ。
「あなたが私の運命なんだ!」
その告白に、リリーメルは現実逃避から再度意識を手放してしまった。こんなのってあんまりだわ。
この後、鬼の形相でレオンハルトに文句を言う辺境伯とリリーメルを抱き締める乳母、頭を抱える国王、平身低頭謝る王太子、リリーメルを休ませるよう手配する王妃、と大騒ぎがあったのだが、気絶した本人は知る由もなかった。




