第8話 研修は“黙って見て学べ”!?〜笑野はなえ、スパルタ研修を耐え抜けるか〜
こんにちは、笑野はなえです。
今回は、私がかつて受けた“忘れられない研修”の話です。
皆さんの中にも「この人、論文だけはすごいんだけど……」という先生に出会ったこと、ありませんか?
今回の研修は、まさにそのタイプ。
共感とは何か、人間らしさとは何か。
そういったものが根こそぎ論破されていく、超スパルタ研修でした。
さぁ、ご一緒に冷や汗をどうぞ!
涼しくなるかもです。
登場人物メモ
◆研修指導者:上代 壮馬大先生
・肩書:精神科医/博士(心理学)/某学会理事/〇〇大学非常勤講師
・年齢:50代半ば。白髪交じりで妙に姿勢がいい。
・特徴:極端な“論理至上主義”。論文は超技巧派、しかし臨床の共感スキルはゼロ。
・口癖:「それは根拠がありますか?」「私はこう思うでは、通用しません」
研修初日。笑野はなえ、公認心理師の卵。
期待と不安を胸に、研修会場のドアを開けた。
いつもは、笑顔の練習までしているが、今日はそんな余裕もない。
ドアを開けると、そこに待っていたのは、
凍てつく空気と、威圧感の塊みたいな指導者・上代壮馬大先生だった。
笑野が「おはようございます!」と元気に挨拶しても、返ってきたのは一言。
「椅子、そこ。」
しかも、声にかなりの威圧感がある。
……挨拶より座る位置が重要なのか。そうなのか。
研修が始まると、上代大先生はホワイトボードに矢印を引きまくりながら、
論理構造を語り始めた。いや、語りというより“撃ち出し”である。
「クライアントAの訴えに対し、Bという認知の歪みが確認できた場合、
Cという理論モデルを適用します。Dとは、“情動的共鳴”ではなく、構造的応答です」
言ってることは正しい。間違いなく正しい。
でも、人間らしさがどこにもない。
なんか、AIとの会話の方が暖かさを感じる。
はなえは、ホワイトボードの矢印が自分に向かって、突き刺さってくるような感覚に陥った。
休憩中、はなえは勇気を振り絞って
そっと質問をしてみた。
「先生は、共感ってどう考えますか?」
上代先生は、コーヒーを飲む手を止めずに答えた。
「共感? 定義が曖昧ですね。“それっぽい対応”で誤魔化すカウンセラーが多い」
……それ、私が目指してた“共感”ですけど!?
全力で否定された気分だ。メンタル破壊されたかも。
さらに午後のロールプレイでは、上代先生が模擬クライアント役。
笑野はどうやら、くじ運も悪い。
そして、
ロールプレイ中、笑野が相手の目を見て、そっと言葉をかけた。
「それは……お辛かったですね」
その言葉を発するや否や
「パンッ!」という大きな音が響いた。
上代の手が、白板マーカーを握ったまま、無造作に机を叩いたのだ。
笑野はびっくりして、涙が出そうになった。
メンタルがまた別角度で破壊された気がした。
「はい、ストップ。今の言葉、あなたの価値観の押しつけです」
「“それはお辛かったですね”という共感もどきは、感情投影にすぎません」
まさかの、共感すら査定対象。
えぇ~!じゃあ、どうすれば~
お手本お願いします~!!
研修が終わる頃には、笑野のメモはこうだった。
【今日の学び】
・共感は評価されるもの
・感情表現は慎重に
・正しさは、温かさに勝る(?)
そして、帰り際。
上代先生がボソリと。
「君のようなタイプは、書くより聴く方が向いてるかもしれないね」
と笑野に向かって呟いた。
その言葉が、褒め言葉なのか、警告なのかは、未だに分からない——。
ーー研修終了ーー
この研修を受けて学んだことは、
「正しさ」は必ずしも「優しさ」ではない、ということでした。
帰りに手渡されたのは、著者・上代先生による書籍。
タイトルは『構造的共感モデルによる脱情動的アプローチ』。
読んでみましたが、見事に……わかりませんでした。
Amazonレビュー(★1.8)には、私の心を代弁してくれる感想が並んでいて、少しだけ救われました。
※レビュー詳細は本文内にて(どこかに笑いの神がいます)
それでも今思うのです。
あの経験があったからこそ、「聴くこと」の意味を、より深く考えられるようになったと。
(いつか予告)
理想の指導者、いつか登場予定です。
あの人がいたから、私は救われました——そんな話も、必ず。
毎週月曜日 17時ごろ投稿中です。
読んで頂けると嬉しいです