第2話 そうなんですね地獄
☆フロイト曰く
「聞く者にとって、沈黙は最も難しい技術である」
……つまり、私は沈黙が怖かったのだ。
だから、沈黙のかわりに「そうなんですね」を置いた。
それが“地獄”のはじまりだった。
「“そうなんですね”をちゃんと言ってる?」
スーパーバイザーにそう言われた はなえは、
心に誓った。目指せ10回。
はなえは今日も頑張っている。
クライアント:「……だから、家に帰っても、誰もいなくて……」
はなえ:「そうなんですね。」
(①)
クライアント:「3日間、誰とも話してなくて……」
はなえ:「そうなんですね。」
(②)
クライアント:「冷蔵庫のなか、空っぽになってしまって……」
はなえ:「そうなんですね。」
(③)
クライアント:「夜中になると、スマホに話しかけたりして……」
はなえ:「そうなんですねっ♡」
(④)
クライアント:「ペットショップの前で泣いてたら、犬に吠えられて……」
はなえ:「そうなんですね。」
(⑤)
クライアント:「公園のベンチで知らない人に話しかけられて……」
はなえ:「そうなんですね。」
(⑥)
クライアント:「友だちにLINEしても既読スルーで……」
はなえ:「そうなんですね。」
(⑦)
クライアント:「気づいたら独り言が止まらなくなってて……」
はなえ:「そうなんですね。」
(⑧)
クライアント:「ちょっと、自分でも怖くなることがあるんです……」
はなえ:「そうなんですね。」
(⑨)
──そして、
クライアント:「……もう誰にも頼れないって、思ってたんです」
はなえ:「そうなんですねっ!(満面の笑顔)」
(⑩)
その瞬間、クライアントの口元が微かに動いた。
笑ったのか、呆れたのか、怒ったのかは分からない。
ただ、彼女は静かに立ち上がり、会釈だけして去っていった。
(その後、次回予約はキャンセルされた)
ーーセッション終了ーー
沈黙を恐れて発した“そうなんですね”は、
たぶん、相手の沈黙を奪っていた。
私は共感していたのではなく、
“間”を埋めていただけだったのかもしれない。
(一言メモ)
「そうなんですね」を10回言って、
クライアントが黙ったら、
それは地獄のカウントダウンです。