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私の母はラーメンが嫌いな人だった

作者: 山田めいこ

私の母はラーメンが嫌いな人だった。嫌いというか憎んでいるレベルでもあったし学校の給食でラーメンが出ることを知ったときは私と兄はグルテンアレルギーだと嘘をついて小学校を卒業するまでアレルギーの子専用の給食を食べるのが当たり前だった。イスラム教の人が豚肉を食べちゃいけない感覚でラーメンは食べちゃいけないものという認識でラーメンを食べられる子がうらやましいという感覚もなかったし私の人生にラーメンはいらないと母からの呪いじみた脅迫に恐怖を感じないようにラーメンには何も感じないようにしてたけど兄が中学に上がったのをきっかけに友人宅で食べたカップラーメンの美味しさに感動してしまい兄の部屋の片隅にカップラーメンの空の山が積み重なり母は兄の部屋を掃除するたびに癇癪を起こし「お兄ちゃんの部屋は私が掃除する」と私が兄の部屋を掃除するはめになった。兄の反抗期は幸いにも母に禁じられているカップラーメンを食べることだけだったけど兄の部屋から漏れ聞こえ感じるラーメンの脂っこい匂いと麺を啜る音が思春期に突入した私をイライラさせた。シングルマザーの看護師だった母が夜勤の隙に食べているカップラーメンの空の山をゴミ出しの日を無視してこっそりゴミ捨て場に捨て私は母の好きな甘い卵焼きと焼鮭にわかめと油揚げの味噌汁に炊きたてごはんを作って夜勤の度に母を喜ばせることに疲弊しながら全力を注いだ。兄は高校進学と同時に寮生活(とにかく母から離れたかったのだろう)、大学進学と同時に一人暮らしと私はそこで力尽きて遅ばせながら反抗期に突入し朝食を作らない母と口をきかないドアをドン!!と閉めるなどしたけど決してラーメンは食べなかった。母はラーメンを食べなければ普通の優しい母親だったから反抗期も兄に比べれば可愛いもんだと受け入れてた。私も高校卒業と同時に母と同じ看護師の道を何となく目指し寮生活に入り母と離れたのにグルテンアレルギーだと嘘をついて同級生達のラーメンの誘いを断る日々は続いていた。そんな私も就職をしたすぐの頃にコロナ禍に入り外食自粛の日々が続き死ぬほど大変な日々だったけど外食の誘いが無くなったのだけは楽だった。そんな母はコロナ禍が静まりつつあった2023年に失踪してしまった。きっかけは兄の結婚。しかも老舗のラーメン屋の跡継ぎ娘と母に黙って授かり婚していたことがテレビのニュース越しに明らかになったのだ。その日以来失踪し警察にも届け出たけど2024年の今も音沙汰は何もない。そんな私は2024年になって初めてコロナになった。味覚嗅覚は無くなるし隔離期間が終わっても味覚障害は残ってた。病で気が弱ってしまったのだろう。ある日の夜勤明けに私は自転車を走らせ兄が働くラーメン屋の前に来てしまった。「つらい。来てもいい?」の私のLINEに兄は「いつでも来い」と返事をしてくれていてもたってもいられなくなった。コロナ禍を乗り越え営業を続けた「米津ラーメン」は朝の仕込みに追われていた。店の前に佇む私を見つけた兄は私の肩を叩いて「入りな」と私を店のカウンター席に座らせた。兄は何も言わず店の名物のナルトとチャーシュー3枚に海苔が添えられた王道の中華そばと大盛りの白米に餃子を並べ私に「食べな」と促した。隣に兄も座り同じメニューをかっこみ始め夜勤明けの腹ペコで死にそうだった私は母のことなんか忘れて麺を箸で持ち上げ人生初のラーメンを一口啜ったらもう止まらなかった。味覚障害?なんだっけそれ?と私の味覚を殴ってくるスープの塩っぱくときに甘みとコクを感じる旨みにツルツルの麺を啜り肉肉しいチャーシューと肉汁溢れる餃子を白米に乗せてかっこむ私を見て兄は「こんな美味いもんを知らずに死にたくねえよな」と呟いた。ああそうか。母が失踪したときほっとした自分もいたのだ。本当に母が大嫌いだった。嘘をついて自分達を支配しようとした母が大嫌いだった。大嫌いだった。でも、そんな母でも愛されたくて頑張って頑張って母が望む理想の娘になって本当の自分がわからなくなって感情を殺して「クソババアふざけんな」とやっと中指を立てれた私は今ラーメンを食べることで母の呪縛から解かれて、やっと自分の生き方を自分で決められる本当の意味での自立の道を歩き始めたのかもしれない。気づいたら涙がスープにぽちゃりと落ちていた。私はそのスープを構うものかと飲み干した。兄は「おいおい!生きるために飯を食うんだから美味いのはわかるけど、なるべくスープ全飲みは控えな」とガハハと笑った。大嫌いだけど愛してる人より大好き愛してると愛する人に伝えながら生きる生き方を兄は選んだんだろう。母はもういない。私達はラーメンがあんなにも大嫌いな理由も知らないまま自分の人生を生きて母はどこかで生き孤独に死んでいくのだろう。母が学ばせてくれなかった分かち合うこと。もう嘘をつくのはやめよう。ちゃんと自分の目で見て食べたものを好きになりながら嫌いになりながら愛して生きていく。

私はやっと大人になった。

さようならお母さん。

兄は2歳児になった甥っ子の写真を見せながら「こいつグルテンアレルギーなんだ。けどなんでもあるこの時代に生まれて良かったな」とグルテンアレルギーの人が食べられるラーメンを作り出しここが誰かにとって人生で初めてのラーメンになる場になりつつあると自慢した。

お腹いっぱい食べたな美味しかった。私はちゃんと兄にラーメン代を払い店を出た。

寝て起きたら、また腹が減るだろう。次の日、私はコンビニのカップラーメンを買って食べた。その次の日も食べた。

私の人生だ。もう好きにさせてねお母さん。

後日、母から住所がない手紙が来た。ラーメンが大嫌いだった言い訳と兄の結婚と孫の誕生を素直に喜べなかったお詫びが綴られていた。

「あなた達のお父さんはラーメンを食べた直後に別の女の人と駆け落ちをしました。彼女は私の大親友で、そのラーメン屋の女房でした」

その言葉を読んで母は母になりきれない女のままで母でいようと頑張っていたのだろうとわかった。兄は父にそっくりな人だ。そして私も。

母は父に似た私達を殺さないようにラーメンを食べさせなかったのだ。手紙に愛という言葉は無かったけどラーメンが無ければ父が裏切らなければ私達のことをちゃんと愛せたのにと長々と書いてあり最後に「もうラーメンを食べていいからね優しい私の娘へ」と書いていた。

母は多分何処かでラーメンを食べているかもしれない。何故なら私が初めてラーメンを食べた1年後に父が駆け落ちをした女性が父が亡くなり喪主を務めたとハガキが来た。

母は今どうしたらいいか分からずに彷徨っているのだろう。それでいい。

母は今、母親ではなくひとりの女に戻って生き直してるのだから。母親になりきれなかった母を私は赦そう。

だから、もし帰ってきたらそのときは家族で兄の作ったラーメンを食べよう。

兄も母が赦せたら、その時にあの人はやっと私達の母親になれるのだから。

交わらないかもしれない、もう一つの世界が脳裏に浮かべながら私は大好物になった職場近くのラーメン屋に同僚と入った



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