初代ギルド長の物語
エマ・ブラッドストーンは、ギルドの薄暗い記録室で山積みの古文書に囲まれていた。彼女の青い瞳は疲れを感じさせながらも、決意に満ちていた。ルーク・ヘイブンから託された遺産を使って、無名の英雄たちの物語を集めるという彼女の新しいプロジェクトは、思いがけない方向に進んでいた。
「これは...」エマは息を呑んだ。薄れかけたインクで書かれた一枚の文書に、彼女の目が釘付けになった。「アーサー・ヴァレンタイン...初代ギルド長?」
エマは興奮を抑えきれず、思わず声に出して読み始めた。
「アーサー・ヴァレンタイン、ギルド設立の功績により...」しかし、そこで文章は途切れていた。残りの部分は、時の流れとともに判読不能になっていた。
「なぜ今まで誰も彼のことを話さなかったんだろう?」エマは眉をひそめた。彼女は立ち上がり、記録室の片隅にある古い鏡に自分の姿を映した。長い金髪は乱れ、顔には疲労の色が見えた。しかし、その目は好奇心に輝いていた。
「よし、これは調べる価値がありそうだわ」エマは自分に言い聞かせるように呟いた。
翌日、エマはギルドの共有スペースで、ベテラン冒険者のトム・ハーディに声をかけた。トムは60代半ばの、風格のある男性だった。
「トムさん、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」エマは丁寧に尋ねた。
トムは温かい笑顔を向けた。「おや、エマか。どうした?」
「初代ギルド長のアーサー・ヴァレンタインについて、何か知っていますか?」
トムは眉をひそめ、しばらく考え込んだ。「アーサー・ヴァレンタイン...そうだな、昔、偉大な指導者がいたという噂を聞いたことはあるな。でも、詳しいことは知らんよ」
エマは少し落胆しつつも、諦めなかった。「他に何か覚えていることはありませんか?些細なことでも構いません」
トムは申し訳なさそうに首を振った。「すまんな、エマ。年をとると記憶も曖昧になるもんでね」
エマは微笑んで答えた。「いえ、ありがとうございます。少しでも情報が得られて嬉しいです」
その後、エマは他の冒険者たちにも聞いて回ったが、結果は同じだった。誰もアーサー・ヴァレンタインについて詳しいことを知らなかった。
「なぜみんな彼のことを忘れてしまったんだろう?」エマは苛立ちを感じながら、自分の部屋に戻った。しかし、彼女の探求心は衰えるどころか、さらに強くなっていた。
次の日、エマは地元の図書館に足を運んだ。彼女は古い新聞記事を探し始めた。何時間もの苦労の末、ついに一つの記事を見つけ出した。
「ギルド設立!新時代の幕開けか」という見出しの下に、小さな記事があった。
「新設されたギルドの長、アーサー・ヴァレンタイン氏は次のように語った。『我々は、全ての冒険者が安全に、そして誇りを持って活動できる場所を作りたいのです。このギルドが、彼らの拠り所となることを願っています』」
エマは興奮を抑えきれなかった。「これだわ!でも...なぜこんなに情報が少ないの?」
彼女は図書館員のマーサに声をかけた。「すみません、アーサー・ヴァレンタインに関する他の記事はありませんか?」
マーサは親切そうに微笑んだ。「申し訳ありません、お嬢さん。古い記録の多くは大火事で失われてしまったんです。これ以上の情報は見つからないと思います」
エマは肩を落とした。「そうですか...ありがとうございます」
図書館を出たエマは、夕暮れの街を歩きながら考え込んだ。「これだけじゃ足りない。もっと詳しく知りたい」
その夜、エマは眠れずにいた。彼女は窓際に立ち、満月を見上げた。「アーサーさん、あなたの物語を知りたいんです。どうすれば...」
突然、彼女はハッとした。「そうだわ!退役した冒険者たち!」
翌朝早く、エマはギルドの古い名簿を調べ始めた。そこから、退役した冒険者たちの名前と最後の所在地を書き出した。
「よし、これで手がかりが見つかるはず」エマは希望に胸を膨らませた。
最初の数日間、エマの調査は難航した。彼女が訪ねた多くの元冒険者たちは、アーサーについてほとんど何も覚えていなかった。
「申し訳ないね、お嬢さん。私の記憶も曖昧でね」とあるお年寄りは言った。
「もう50年以上も前のことだよ。詳しいことは覚えていないな」と別の人は首を振った。
エマは落胆しつつも、諦めなかった。「きっと誰か知っている人がいるはず」彼女は自分に言い聞かせた。
5日目、エマは小さな村を訪れていた。彼女は古びた家の前に立ち、深呼吸をして扉をノックした。
扉が開き、白髪の老人が現れた。「はい?」
「こんにちは。私はエマ・ブラッドストーンと申します。以前ギルドで活動されていたジョージ・ウィルソンさんでしょうか?」
老人は驚いた様子で答えた。「ああ、そうだよ。何の用かね?」
エマは丁寧に説明した。「実は、初代ギルド長のアーサー・ヴァレンタインについて調べているんです。何か情報をお持ちではないでしょうか?」
ジョージの目が急に輝いた。「アーサー?ああ、彼のことか!」
エマの心臓が高鳴った。「ご存じなんですね!」
ジョージは彼女を中に招き入れた。「さあ、入りなさい。話すことはたくさんあるよ」
二人は小さな居間に座った。ジョージは懐かしそうに語り始めた。
「アーサーは素晴らしい男だった。強く、勇敢で、そして何より優しかった。彼は私たち若い冒険者たちを、まるで自分の子供のように気にかけてくれたんだ」
エマは熱心に聞き入った。「どんなことをされていたんですか?」
ジョージは微笑んだ。「彼は常に私たちの安全を第一に考えていた。危険な任務には必ず自ら同行し、私たちを守ってくれたんだ。そして、彼の言葉は私たちに勇気を与えてくれた」
「どんな言葉だったんですか?」エマは興味深そうに尋ねた。
「『君たちは一人じゃない。我々は家族だ。互いに助け合い、支え合おう』ってね。彼の言葉は、本当に心に染みたよ」
エマの目に涙が浮かんだ。「素晴らしい方だったんですね」
ジョージはうなずいた。「ああ、そうだった。でも...」
「でも?」エマは身を乗り出した。
ジョージの表情が曇った。「彼の最後のことは、本当に悲しかった」
エマは息を呑んだ。「最後...?何があったんですか?」
ジョージは深いため息をついた。「詳しいことは私も知らない。ただ、危険な遠征で若い冒険者たちを守るために、自らを犠牲にしたと聞いている。その後、ギルドは大きく変わってしまった。アーサーの名前も、徐々に忘れられていったんだ」
エマは強い感情に襲われた。悲しみ、怒り、そして決意が彼女の中で渦巻いた。「なぜ...なぜ彼のことを忘れてしまったんでしょう」
ジョージは優しく微笑んだ。「時の流れは残酷だよ、お嬢さん。でも、君がこうして彼のことを調べているというのは、とても嬉しい」
エマは決意に満ちた表情で言った。「アーサーさんの物語を、絶対に明らかにします」
ジョージは少し考え込んだ後、言った。「そうだな...もし詳しいことを知りたいなら、彼の娘に会うといいかもしれない」
エマは驚いて声を上げた。「娘さん?まだご存命なんですか?」
「ああ、マリアという名前だったはずだ。今でも生きているはずだよ。でも、どこに住んでいるかは分からない。申し訳ないが、それ以上のことは教えられないな」
エマは立ち上がり、ジョージの手を握った。「ありがとうございます、ジョージさん。本当に助かりました」
帰り際、ジョージはエマに言った。「頑張りなさい、お嬢さん。アーサーの物語は、決して忘れられるべきじゃない」
エマは強くうなずいた。「必ず、真実を明らかにします」
その後、エマの調査は新たな段階に入った。彼女はマリア・ヴァレンタインを探し始めた。しかし、これは予想以上に困難な作業だった。
エマは各地の役所を訪れ、古い記録を調べた。しかし、マリアの痕跡を見つけることはできなかった。
「もしかして、結婚して名字が変わったのかもしれない」エマは考えた。しかし、それでは探すのがさらに難しくなる。
何週間もの苦労の末、エマはついに一筋の光明を見出した。ある小さな村の古い記録に、マリア・ヴァレンタインの名前を見つけたのだ。
「ここだわ!」エマは興奮して叫んだ。
しかし、その記録は30年以上前のものだった。マリアがまだその村に住んでいる保証はない。
エマは迷った。「行くべきかな...?」
彼女は窓の外を見た。雨が降り始めていた。空は灰色で、まるで彼女の気持ちを反映しているかのようだった。
「いいえ、ここまで来て諦めるわけにはいかない」エマは自分に言い聞かせた。
翌日、エマはその村に向かった。村に到着すると、彼女は地元の人々に聞き込みを始めた。
「マリア・ヴァレンタインという方をご存じありませんか?」
多くの人は首を振るだけだった。エマの希望は徐々に薄れていった。
そんな時、一人の老婆が彼女に声をかけた。「マリア・ヴァレンタイン?ああ、あの変わり者の老女のことかい?」
エマの目が輝いた。「ご存じなんですか?」
老婆は小さくうなずいた。「ああ、村はずれの丘の上に住んでいるよ。あまり人と付き合わない人でね」
エマは感謝の言葉を述べ、すぐに丘に向かった。彼女の心臓は激しく鼓動していた。ついに、真実にたどり着けるかもしれない。
丘の上に小さな家が見えてきた。エマは深呼吸をし、ゆっくりと扉に近づいた。
「ここまで来た」エマは小さく呟いた。彼女の手は少し震えていた。これまでの長い旅、数え切れないほどの行き詰まり、そして今、ついに真実に辿り着けるかもしれない。
エマは深呼吸をし、勇気を振り絞って扉をノックした。
しばらくの沈黙の後、かすかな足音が聞こえてきた。
エマは、かすかに震える手で古びた木製のドアをノックした。ドアの向こうには、彼女が長い間探し求めていた人物がいる。初代ギルド長の娘、マリア・ヴァレンタイン。100歳を越える高齢にもかかわらず、まだ鮮明な記憶を持っているという伝説的な人物だ。
ドアが開き、小柄な老婆が現れた。その目は年齢を感じさせない鋭さを持っていた。
「こんにちは、マリアさん。私はエマ・ブラッドストーンと申します。お時間をいただけますでしょうか?」エマは緊張した面持ちで言った。
マリアは静かに微笑んだ。「ああ、エマさんね。噂は聞いていましたよ。さあ、どうぞお入りなさい」
二人は小さな居間に入った。部屋の壁には古い写真や絵画が飾られ、どれもが長い歴史を物語っているようだった。
マリアは椅子に腰掛けると、エマを見つめた。「で、何が知りたいの?」
エマは深呼吸をして言った。「マリアさん、私はあなたのお父様...初代ギルド長のことを知りたいんです。彼の物語を、そして彼が建てたギルドの真の姿を」
マリアの目に、懐かしさと少しの悲しみが浮かんだ。「父のこと...そうね、もう誰も彼のことを覚えていないでしょうね。でも、私の記憶の中では、彼はいつも生きています」
エマは熱心に聞き入った。「どうか、お聞かせください」
マリアは目を閉じ、遠い記憶を呼び起こすように言葉を紡ぎ始めた。
「私が5歳の頃のことです。父、アーサー・ヴァレンタインは、まだ若く、情熱に満ちあふれていました。彼は冒険者としての名声を既に得ていましたが、それだけでは満足できなかったのです」
エマは興味深そうに聞き入った。「どういうことでしょうか?」
マリアは微笑んだ。「父は、冒険者たちが安全に、そして誇りを持って活動できる場所が必要だと考えていたのです。当時、冒険者たちは社会から疎外され、危険な仕事を請け負っては命を落としていました。父はそんな状況を変えたいと思ったのです」
「そうだったんですね...」エマは感嘆の声を上げた。
マリアは続けた。「ある日、父は私を膝の上に座らせ、こう言いました。『マリア、私には夢があるんだ。全ての冒険者が互いに助け合い、成長できる場所を作りたいんだ。それをギルドと呼ぼう』と」
エマは熱心にメモを取りながら聞いていた。「素晴らしい理想ですね。でも、きっと簡単なことではなかったでしょう」
マリアは深くため息をついた。「ええ、そうです。父は多くの困難に直面しました。資金不足、反対する人々、そして何よりも、冒険者たちの信頼を得ることが難しかったのです」
「どのようにしてその困難を乗り越えたのでしょうか?」エマは熱心に尋ねた。
マリアの目に誇りの光が宿った。「父は諦めませんでした。彼は一人一人の冒険者と対話し、彼らの悩みや希望を聞き、共に解決策を探りました。そして、少しずつですが、賛同者が増えていったのです」
エマは感動的な表情で聞き入っていた。「素晴らしい...でも、どうやってギルドを実際に設立したのでしょうか?」
マリアは懐かしそうに微笑んだ。「それは私が8歳の誕生日の日でした。父は家に帰ってきて、興奮した様子で言いました。『マリア、やったぞ!ついにギルドの設立が認められたんだ!』」
エマの目が輝いた。「まさに歴史的瞬間ですね!」
マリアはうなずいた。「そうです。その日から父の生活は一変しました。朝早くから夜遅くまで働き、ギルドの基盤を作り上げていきました。私たち家族と過ごす時間は少なくなりましたが、父の目には常に情熱の炎が燃えていました」
エマは慎重に言葉を選びながら尋ねた。「家族との時間が減ってしまったことについて、どう感じていましたか?」
マリアは少し悲しそうな表情を浮かべた。「正直に言えば、寂しかったです。でも、母は『お父さんは大切な仕事をしているのよ』と私に言い聞かせてくれました。そして、父が家にいる時は、全力で私たちと向き合ってくれました」
エマは共感的にうなずいた。「大変な決断だったでしょうね」
マリアは続けた。「父は常に『家族こそが私の原動力だ』と言っていました。ギルドの仕事で疲れ切って帰ってきても、私や母と過ごす時間を大切にしていました。私たちと過ごす時間が、彼に新たな力を与えていたのです」
エマは興味深そうに尋ねた。「ギルドの発展について、何か印象に残っているエピソードはありますか?」
マリアの目が遠くを見つめた。「ええ、たくさんあります。でも、最も印象に残っているのは、ギルド設立から2年後のことです。大規模な魔物の襲撃があり、多くの冒険者が命を落としました」
エマは息を呑んだ。「それは大変な出来事だったでしょう...」
マリアはゆっくりとうなずいた。「父は一週間眠らずに働き続けました。負傷した冒険者たちの看護、遺族への対応、そして再発防止策の検討...。彼の姿を見て、私は初めてギルド長の責任の重さを理解しました」
エマは真剣な表情で聞いていた。「そんな大変な仕事を、どうして続けられたのでしょうか?」
マリアは微笑んだ。「父はこう言っていました。『一人の命を守ることができれば、それだけで価値がある』と。彼にとって、ギルドは単なる組織ではなく、家族のような存在だったのです」
エマは深く感銘を受けた様子で言った。「素晴らしい精神ですね。今のギルドにもその精神は受け継がれているのでしょうか?」
マリアは少し悲しそうな表情を浮かべた。「時代とともに、多くのことが変わってしまいました。でも、私は信じています。父の精神は、今もギルドの根底に流れているはずです」
エマは熱心にメモを取りながら言った。「マリアさん、あなたのお父様の遺志を再び光を当てる必要があると強く感じます。彼の物語は、現代のギルドにとっても大きな意味を持つはずです」
マリアは優しく微笑んだ。「そう言ってくれて嬉しいわ、エマさん。父の物語が忘れられずにいてくれて...。でも、まだ聞いていない大切な出来事があるの」
エマは身を乗り出した。「それは...?」
マリアの表情が一瞬曇った。「私が15歳の時のこと。父は危険な遠征に参加することになったの」
エマは息を呑んだ。「その遠征が...」
マリアはゆっくりとうなずいた。「そう、父が最後に参加した遠征よ」
部屋に重い空気が流れた。マリアは深呼吸をして、話し始めた。
「その日、父は私たちに別れを告げに来ました。彼の目には、いつもの決意と共に、何か別のものが宿っていました。今思えば、それは不安だったのかもしれません」
エマは静かに聞き入った。マリアは続けた。
「父は私を抱きしめ、こう言いました。『マリア、お前はもう立派に成長した。どんなことがあっても、自分の信念を貫くんだ。そして、人々を助ける心を忘れないでくれ』」
マリアの目に涙が浮かんだ。「その時、私は何か変だと感じました。まるで...これが最後の別れになるかもしれないという予感がしたのです」
エマも目を潤ませた。「お父様は、危険を感じていたのでしょうか...」
マリアはうなずいた。「きっとそうだったと思います。でも、父は若い冒険者たちを守るために、自ら危険な役割を買って出たのです」
「何があったのですか?」エマは息を呑んで尋ねた。
マリアは深く息を吐いた。マリアは深く息を吐き、遠い記憶を呼び戻すように目を閉じた。
「遠征隊は古代の遺跡を探索していました」彼女はゆっくりと語り始めた。「父から聞いた話によると、その遺跡は何世紀も前に滅んだ文明の遺産だったそうです。彼らは貴重な魔法のアーティファクトを探していたのです」
エマは息を呑んで聞き入った。
「しかし、遺跡の最深部に到達したとき、彼らは想像を絶する強大な魔物と遭遇しました」マリアの声が震えた。「その魔物は、古代の魔法使いたちが封印したものだったそうです。長い年月をかけて、少しずつ力を取り戻し、ついに目覚めたのです」
「どんな魔物だったんですか?」エマは小声で尋ねた。
マリアは目を開け、エマをじっと見つめた。「生き残った冒険者たちの証言によると、それは巨大な影のような存在だったそうです。真っ黒な霧のような体から、無数の触手が伸びていた。そして、その中心には燃えるような赤い目が浮かんでいたと...」
エマは身震いした。
「若い冒険者たちは、その光景に恐怖で動けなくなってしまいました」マリアは続けた。「魔物は彼らに向かって触手を伸ばし始めた。そのとき...」
マリアは一瞬言葉を詰まらせた。「父が前に出たのです」
「アーサーさんが...」エマは息を呑んだ。
マリアはうなずいた。「父は大声で叫んだそうです。『皆、逃げろ!ここは任せた!』と、でも逃げ遅れた若者たちが何人も巻き込まれたそうです。」
彼女は目を閉じ、まるでその場面を目の当たりにしているかのように語り始めた。
「アーサーは魔法の剣を抜き、魔物に立ち向かいました。彼の剣から放たれる光が、魔物の影のような体を切り裂いていきます。しかし、傷つくたびに魔物はさらに凶暴になっていきました」
「アーサーは若い冒険者たちに向かって叫び続けました。『早く!逃げるんだ!』彼は自分の体を盾にして、仲間たちの退路を確保しようとしたのです」
エマは息を詰めて聞いていた。
「魔物の触手が、アーサーの体を何度も打ちつけます。しかし、彼は倒れませんでした。彼は自分の魔力を剣に注ぎ込み、魔物の中心にある赤い目を狙いました」
マリアの声が震えた。「そのとき、魔物が突然膨張し始めたのです。アーサーは察したのでしょう。彼は最後の力を振り絞って叫びました。『皆、安全な場所まで逃げろ!ここはもうすぐ崩れる!』」
「そして...」マリアは涙を流しながら言った。「父は魔物に飛び込んでいったのです。彼の剣から放たれた光が、魔物の体を貫きました。同時に、遺跡全体が激しく揺れ始めたのです」
エマも目に涙を浮かべていた。
「生き残った冒険者たちは、必死に遺跡から脱出しました。彼らが安全な場所にたどり着いたとき、遺跡全体が大きな爆発とともに崩壊したそうです」
マリアは深いため息をついた。「父の体は...見つかりませんでした。でも、魔物もいなくなり、その脅威は去ったと」
エマは身を乗り出して聞いていた。「それで...」
「父は、仲間たちに逃げるよう叫びながら、一人で魔物に立ち向かったそうです。彼の犠牲によって、多くの若者たちが助かりました。でも...父は二度と戻ってこなかった。最後もどう戦い、どう死んだのか?魔物も本当に死んだかさえもわかりません。それが父へのギルドの反感にもなったと思います。だから記録も少ないのではないでしょうか?」
マリアの声が震えた。エマは言葉もなく、ただ彼女の手を握った。
「父の死後、ギルドは大きな混乱に陥りました。多くの人々が、父の理想は現実的ではないと言い始めたのです。ギルドの方針は少しずつ変わっていき、やがて父の名前さえも忘れられていきました」
エマは悲しそうに言った。「そんな...素晴らしい方だったのに...」
マリアは静かに微笑んだ。「でも、私は父の教えを忘れませんでした。そして、今あなたが来てくれた。父の物語を聞きたいと」
エマは決意に満ちた表情で言った。「マリアさん、あなたのお父様の物語は決して忘れられるべきではありません。私は必ず、この真実をギルドに伝えます」
マリアは涙ながらに言った。「ありがとう、エマさん。父の精神が再びギルドに息づくことを、心から願っています」
エマは立ち上がり、マリアの手を握った。「必ず、その願いを叶えます。アーサー・ヴァレンタインの名と、彼の理想を再び輝かせてみせます」
マリアは感謝の笑みを浮かべた。「エマさん、あなたの中に父の情熱を見た気がします。どうか、頑張ってください」
エマは深々と頭を下げ、部屋を後にした。彼女の心の中で、新たな決意の炎が燃え上がっていた。
数週間後、ギルド本部。
エマは緊張した面持ちで、大広間に集まった冒険者たちを見渡した。彼女の調査結果を発表する日が来たのだ。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」エマの声が響き渡った。「今日、私は皆さんに重要なお話をしたいと思います。それは、私たちのギルドの真の起源、そして初代ギルド長の物語です」
会場にざわめきが起こった。多くの冒険者たちは、初代ギルド長のことをほとんど知らなかったのだ。
エマは深呼吸をして続けた。「私たちのギルドを設立したのは、アーサー・ヴァレンタインという男性です。彼は単なる強い冒険者ではありませんでした。彼は、全ての冒険者たちの安全と尊厳を守るという崇高な理想を持っていたのです」
会場は静まり返った。エマの言葉に、全ての人が耳を傾けていた。
「アーサーは、冒険者たちが互いに助け合い、成長できる場所を作ろうと決意しました。そして、多くの困難を乗り越え、このギルドを設立したのです」
エマは、マリアから聞いた話を詳しく語り始めた。アーサーの情熱、彼が直面した困難、そして彼が貫いた信念について。冒険者たちの目に、驚きと感動の色が浮かんでいた。
「しかし、アーサーの物語はここで終わりません」エマは声を震わせながら言った。「彼は、若い冒険者たちを守るために、自らの命を犠牲にしたのです」
会場に衝撃が走った。多くの冒険者たちが、息を呑む音が聞こえた。
エマは、アーサーの最後の遠征について詳しく説明した。彼がどのように若者たちを守り、一人で魔物と戦ったかを。語り終えた時、エマの目には涙が浮かんでいた。
「アーサー・ヴァレンタインの犠牲によって、私たちは今ここにいます。彼の理想、彼の勇気、そして彼の愛。これらは全て、このギルドの礎となっているのです」
会場は静寂に包まれていた。多くの冒険者たちの目に、涙が光っていた。
エマは力強く言った。「私たちは、アーサーの遺志を忘れてはいけません。彼が夢見た、互いに助け合い、成長し合うギルド。それを実現するのは、私たち一人一人の責任です」
突然、会場の後ろから拍手が起こった。それは瞬く間に広がり、やがて大きな喝采となった。
エマは驚きながらも、微笑んだ。彼女の言葉が、多くの冒険者たちの心に響いたのだ。
拍手が収まると、現ギルド長のマーカス・ストーンが立ち上がった。彼の表情は厳しさの中に、深い感動が見て取れた。
「エマ・ブラッドストーン」マーカスの声が響き渡った。「あなたの調査と勇気ある発表に、心から感謝します。私たちは、アーサー・ヴァレンタインの遺志を忘れていました。しかし今日、その過ちを正す時が来たのです」
マーカスは会場を見渡した。「今日から、我々のギルドは新たな一歩を踏み出します。アーサーの理想を胸に、より強く、より優しいギルドを作り上げていきましょう」
冒険者たちから、賛同の声が上がった。
エマは感動で震える手で、持参した古い写真を掲げた。そこには、若きアーサー・ヴァレンタインの姿があった。
「これが、私たちの真の創設者です。彼の勇気と献身を、決して忘れないでください」
その日から、ギルドは大きく変わり始めた。アーサー・ヴァレンタインの肖像画が、ギルドの正面ホールに飾られた。彼の物語は、新人冒険者たちに語り継がれるようになった。そして何より、冒険者たち一人一人が、互いを思いやり、助け合う精神を取り戻していった。
...
数ヶ月後、エマは再びマリアを訪ねた。
マリアは穏やかな笑顔で彼女を迎えた。「エマさん、久しぶりね。どうぞ、お入りなさい」
二人は居間に座った。エマは興奮した様子で話し始めた。
「マリアさん、信じられないほどの変化が起きているんです。ギルドが、本当の意味でギルドらしくなってきました」
マリアの目に涙が浮かんだ。「本当?父の夢が...実現しているのね」
エマは熱心に語った。ギルドでの新たな取り組み、冒険者たちの意識の変化、そしてアーサーの物語が与えた影響について。
マリアは感動の涙を流しながら言った。「エマさん、本当にありがとう。あなたが父の物語を蘇らせてくれたおかげで、彼の夢が再び息づいているのね」
エマは優しく微笑んだ。「いいえ、感謝すべきはあなたです、マリアさん。あなたが父上の記憶を大切に守ってくださったからこそ、この物語を伝えることができました」
マリアはゆっくりと立ち上がり、古い箱を持ってきた。「エマさん、これを見てほしいの」
箱の中には、古びた日記があった。
「これは父の日記よ。ギルドを設立する前から、最後の遠征の直前まで書かれています。私はずっとこれを大切に保管してきたの。でも今は...あなたに託したいわ」
エマは驚きの声を上げた。「マリアさん、こんな大切なものを...」
マリアは静かに微笑んだ。「父の言葉が、これからのギルドの道しるべになると信じています。エマさん、あなたならきっと、これを正しく使ってくれるわ」
エマは感動で言葉を失った。彼女は恐る恐る日記を手に取り、そっと開いた。
そこには、アーサー・ヴァレンタインの熱い思いが綴られていた。
『私は夢を見る。全ての冒険者が互いを思いやり、助け合う世界を。その夢のために、この命を捧げよう』
エマの目に、決意の炎が宿った。「マリアさん、必ずや、アーサーさんの夢を完全に実現させてみせます」
マリアは安心したように微笑んだ。「ありがとう、エマさん。父の魂は、きっと喜んでいるわ」
その日、エマ・ブラッドストーンは、新たな使命を胸に抱いて帰路についた。アーサー・ヴァレンタインの日記を胸に、彼女は歩み続ける。ギルドの、そして全ての冒険者たちの未来のために。
(了)




