『それ』
「『それ』は、突如として人々の注目を浴びた。
もともと目立たないようにひっそりと存在していたが、突然スポットライトを当てられて表舞台に立たされた。そして、人々は初め、存在を認めようとすらしなかったのに、ポテンシャルが評価されていくうちにどんどん馴染んでいって、今となっては欠かせない存在となっている。
『それ』は、触れるだけで、他を自分と同じにすることができた。
メンバー全員がそれぞれ、何かしらの個性をもっていた。その全貌を目視できないほど大きい者や、塵のように小さい者、目立ちたがり屋もいれば、とてつもない引っ込み思案もいた。しかし、誰一人として同じものはいなかったはずなのに、『それ』が登場してからは、まるでクローンのように複製されるメンバーが現れたのだ。そのため、人間からの人気に反して、メンバー内での人気はどんどん落ちていった。
『それ』は、他からは嫌われていた。
別に他のメンバーたちは、新入りが注目を集めていたことに嫉妬していたわけでは決して無かった。ただ、『それ』が持つポテンシャルが、単純に他を脅かすものだったのだ。
『それ』は、他のメンバーとの相性が良かった。
人間からの人気が右肩上がりなのには理由があった。なぜなら、『それ』が舞台に上がるとなぜか全体がまとまったからだ。しかも、その上で自身は変に目立たず、自分の立ち位置をきちんと把握し、なおかつ他のメンバーを影で支えているので、人間から見たらまさに非の打ち所も無いような存在であったのだ。
『それ』は、あるメンバーと比べられることが多かった。
あるメンバーは、はるか昔に『それ』の代役をつとめていた者。そのメンバーももちろん、触れられることは嫌がるが、他のメンバーほど『それ』を嫌ったりはしていなかった。また、一緒になる機会が多かったようで、協力して重役を果たしていったことも少なくなかったそうだ。
『それ』は、世界を破壊するほどの力を秘めていた。
優秀な『それ』にも、唯一出来ないことがあった。というより、出来ない方がむしろ面白さを生むということを人々が知って、強制的に出来なくされた、と言う方が正しいのかもしれない。もしも出来てしまうと、メンバー全員が概念ごと壊れてしまう、なんて話も噂されていたそうだが、真相は……
『それ』は、何も無いということを表す存在であった。
ドーナツの穴に例えるとわかりやすいのかもしれない。ドーナツに穴は確かに存在するが、その穴だけを切り取ることは不可能だ。まさに、無という存在。これ以上でもこれ以下でもない。
『それ』は、最小の自然数1より、1だけ小さい数だった。
その名も、0。」