悪夢
アギトが結界を破壊する未来を、ルトレリは見通していた。
見通してなお、その妨げを選ぶ事はしなかった。
時間は、十分に稼いだのだから。
爆ぜる結界の破片に混じり、金色の塊が瘴気と霧を押し退けて貫く。
『それ』は目にも止まらぬ速さで駆け抜けると、ルトレリとミラスの背後で土煙を上げて止まった。
「お見事です」
「クソが」
冷めた声で称賛するミラスに、金色に輝く気を纏ったティラックは牙を噛み締める。
ティラックの腕には、カイルが抱えられていた。
「ティラック……」
「……すまねぇカイル」
怪我をさせぬようにカイルを抱えるティラックは、このような指示を寄越したルトレリを食い殺さんばかりに睨み付ける。
「ルトレリ!! 事実なん…」
だがルトレリは引き攣った顔でティラックの言葉を遮り叫んだ。
「結界を!!」
指示を出しながらルトレリ自身もまた、音を遮断する結界を急いで広げる。
アギトのマスクが、開いた。
『死ね』
包囲していた兵士達が、端から糸が切れたように崩れ落ちる。
アギトが放ったのは、短く、簡潔で、『対象によく伝わる』呪詛であった。
死の波はルトレリの結界に阻まれ止まるが、今度は空から巨大な雲が落ちてくる。
「チィっ!!」
巨大な爪の形をした雲はティラックによって張られた金色の結界とぶつかり……
「ぐぉぉぉぉ!?」
それでもなお止まらずに押し続ける。
「引きなさい!! 2層まで撤退し立て直します!!」
「まだ来るわよ!!」
ルトレリはティラックの結界の内側に、新たに結界を張り直す。
だがその結界でも変わらない未来に歯軋りした。
「背を向け耳を塞いで走って!
今、直ぐに!!」
だが兵士達がルトレリの言葉の意味を理解するより早く、膨れ上がった肉塊がティラックの結界を包み込む。
「見てはだめ!!」
ルトレリが叫ぶが、遅かった。
黒い塊に細かい亀裂が走り、開かれたのは無数の目玉だ。
『ヒアァァァァァ!!!』
兵士達が突如発狂し絶叫した。
正面から見据えていた者も、視界の端にしか収めていなかった者も、それどころか見ていない者ですら例外無く立ち尽くし、肺の中の空気を全て吐き出して白目を剥く。
「邪視かよ……!!」
「私達も直視はだめよ!!」
「分かってます!!
シィッ!!」
ティラックが結界を張り直す極僅かな空白に合わせて放たれる斬撃だが、霧と入れ替わりに現れた黒い塊に飲み込まれて消える。
「化け物め……」
先程と違い全力の一撃であったにも関わらず、あまりの手応えの無さに唸るミラス。
アギトとムアの猛攻に防戦一方のトラモントの金級達は、気付けば2層と3層を隔てる壁を背にしていた。
「やむを得ないわね、2層目の向こうで立て直すわよ!!」
ティラックが壁を破壊し、結界を残して2層へと滑り込む。
ミラスと共に2層へ潜ったルトレリは叫んだ。
「起動!!」
2層を丸々覆う、巨大な結界がアギトとムアの猛攻をついに阻んだ。
結界の向こうで怨嗟を体現したように渦巻く黒と白の塊に、金級らはようやく息を吐いた。
この結界は特別性だ。
生き物が日常生活で無意識に発する魔力や、空気中の魔力を日々蓄積した、堅牢な結界になっている。
それもそのはず、この結界は国が攻め入られた際に起動する、最後の砦の1つなのだから。
「おいそこのお前! カイル…王を保護しろ!」
「ファルシュは何処にいますか!?」
新たに駆けつけた兵士達に忙しなく指示を飛ばすティラックとミラスだが、不意に黙り込んだルトレリに、兵士と揃って口を噤む。
「……嘘でしょ……!?
まだ終わってないわ!!」
「おいおいマジかよ、この結界は戦争用だぞ……!!」
「……我々は一体何を怒らせたのでしょうか」
冷や汗を流しながらも、ティラックとミラスは自らの固有能力によって、最も戦闘に優れた姿へ変化する。
『シャァァァァアアア!!!』
ティラックは気を輪郭が歪む程身に纏い、金色に輝く獣の姿へ変身すると、轟く雄叫びを上げた。
一方、ミラスは全身を糸で覆い隠し繭を作ると、2秒ほどして繭を切り裂き崩壊させる。
繭から現れたミラスは、全身を細身のプレートアーマーで包んでいた。
色は煌めく純白。
この鎧はミラスの糸が幾つも折り重なって作られており、防御力を上げるだけでなく糸による動きの補助でより機敏に動ける代物だ。
しかしトラモントの金級2人が勇ましい姿を見せているにも関わらず、兵士達、ましてや本人達の不安は拭えない。
……パキッ
結界に入ったヒビが、見渡す限り広がるのは一瞬であった。
「っ、厄介な!!」
ルトレリが防音の結界を広げるのと同時に、遂に2層を守る結界が弾け飛ぶ。
『動くな』
底冷えする怨嗟の籠った呪詛が、結界で遮ってなお兵士達の足を重くした。
それだけでは飽き足らず、アギトは更に畳み掛ける。
「『息が詰まる』 『目を開けられない』
『不条理は日頃恨んでいる仲間のせいだ』」
『死ね』などの終わりでしか経験出来ない知らない事よりも、『日常生活でしている事、思っている事』の方が、より心に強く響く。
カイルを護送しようとしていた兵士達は阿鼻叫喚となり、完全にお荷物に成り下がった。
「っ、なんて奴……」
尽く手を潰され、ミラスはギリと歯ぎしりをする。
「ティラック!! 押し返して!!」
「こいつぁ1層まで下がった方がいいんじゃねぇのか!?
あっちの方が硬ぇだろ!!」
金色の結界でアギトとムアを抑えながらティラックが怒鳴るも、ルトレリは先程とは違い、幾らか安堵した様子で諭した。
「いいえ、もう大丈夫よ。 彼女が来たから」
太陽が落ちて来たと錯覚する爆炎が、アギトを焼いて押し返した。
『ガルォン!!!』
遠くから響くような鳴き声と共に霧が巨大な獣の姿を象って襲いかかるも、幾千万も超える炎の矢が質量で防ぎ切ってしまう。
「まさかとは思ったが……アギトとムアだったのか……」
金色の瞳が、苦しげにゆがめられる。
金の髪を輝かせ、巨大な鎌を担いで降りてきたのは、トラモント王国金級筆頭冒険者『滅炎のファルシュ』であった。
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嫌な予感はしていた。
精霊が逃げる不浄の気配も、離れていてなお強くのしかかるプレッシャーも、全て覚えがあった。
王都の外で依頼を潰していたファルシュは、一度に八羽も飛んで来た伝書鳩に記されていた、『フリスト王の急死』と『新たな王の発見』そして『王の保護に抵抗する勢力』について知り、急いで帰還したのだ。
冷酷に怨嗟を振り撒くアギトと、激怒を顕に死の霧を撒き散らすムアを前に、ファルシュは目眩を覚える。
最悪だ。
せっかく出来た友人とこのような形で仲違いが訪れるとは、ゲル浄化作戦中は予想だにしていなかった。
だが状況は感傷を許してはくれない。
「急いで王の避難を!!」
「は、はっ!!」
騎士が王と思しき少年の手を強引に引いた途端、アギトの気配がまた1段と深く、濃くなる。
「その子に怪我をさせれば、王都を滅ぼす」
呪詛では無く、それは宣言であった。
アギトの言葉に、ファルシュにあった躊躇いが消えた。
「……これより骸のアギトとムアを討伐する」
挨拶が終わると同時に動いたのはミラスであった。
細く引き絞られた糸は瘴気による相殺を押し退け、アギトの肉塊を貫く。
ようやく届いた攻撃だが、元よりアギトの固有能力は再生だ。
意に介さぬと言わんばかりに無数の骨槍を生やした肉塊が襲いかかる。
「手応えがありませんね……」
負の感情がタップリ込められた骨槍は、ティラックの結界を食い潰そうと迫り……
ゴウッ!!
ファルシュの業火に焼かれて阻まれる。
お返しに放たれる爆炎は、ムアの霧に溶けるように消されてしまった。
だがムアの霧はティラックの結界を押し返す事は出来ても、突破が出来ずにいるのが現状であった。
アギトの固有能力は厄介だ。
毒や酸のように対象をジワジワと腐らせるような能力は、全ての存在への害と言っても過言では無いだろう。
だが、そんなアギトの固有能力にも不利がある。
それはマイナスに働く能力だからこそ、相殺出来ないほどのエネルギーで攻撃されれば、当然押し負けてしまう。
だがその押し負けを回避するのが、持ち前の再生能力と、相棒のムアの存在だ。
しかし万能に思われるムアの霧もティラックの結界の突破は困難であり……
互いの弱点を補う者同士が集結した結果、場は緊迫した均衡を保っていた。
が、均衡を好まない側がある。
それはアギトとムアであった。
相手のホームグラウンドで時間をかければ、その分不利になるのはアウェイの方に他ならない。
そんな状況で先に仕掛けたのはアギトであった。
バリリリリリ!!
突如アギトが巨大なムカデのような姿に代わり、瘴気を撒き散らしながら周り込もうと移動し始めたのだ。
「っ!! ここは任せるぞ!!」
逡巡は一瞬で、ファルシュはそれだけ告げると爆炎で加速しアギトを追い掛ける。
「はは、本当に人とは思えない姿だな」
アギトの2つ名の由来を思い出し、場違いにも笑えてしまう。
おぞましい巨体を生成しながら突き進むアギトは、正しく怪物と呼ぶに相応しい。
これ程の力を秘めていたからこそ、金級冒険者の中でも悪名高いファルシュに恐れること無く接する事が出来たのだろう。
だが、馴れ合いもここまで。
「以前言っていたな。
頭と心臓さえ無事なら死なない、と。
……試させてもらうぞ!!」
ファルシュがデスサイズを振るうと、王都の空を埋め尽くす業火の槍が、無数に浮かび上がる。
「……恨むなよ」
睨み付けるように並んだ炎の槍は、渦を巻いてアギトへ迫る。
終末のような光景に、アギトは不浄の城を生やし、瘴気で周囲を崩壊させて迎え撃つのであった。
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「おいおい……やり過ぎだろありゃ……」
2層で繰り広げられる殺し合いは、3層で昼食を取っていたエゼロにも見えていた。
「参戦しないんですか?」
エゼロは隣で問うてくるギルド職員をはたく。
「いたっ。 パワハラですよ」
「ギルドに勤めてる奴が温いこと抜かしてんじゃねぇ。
あんなバケモン共に引退した俺が混ざった所で足手まといにしかならねぇよ」
「そんなもんですかねぇ」
肝が太いのかアホなのか、エゼロと並んで食べ続けるギルド職員だったが、空を見上げて「あ」と声を漏らした。
「どうした……」
つられて見上げたエゼロもスプーンを取り落とす。
「うわ、すげぇなこりゃ」
「これじゃエゼロさん何も出来ませんね……」
ギルド職員の素直な感想に、エゼロは先程の自分の言葉など忘れてムッとなる。
「そんな事ねぇぞ。
1本や2本なら大した事ねぇし、避けようと思えば避けられるさ」
「なら参戦します?」
「無理、死ぬ」
呑気に食べ進める2人の背後を、阿鼻叫喚の群衆が王都の外へと逃げ惑う。
エゼロは大皿の残りを大きな口に流し込み、大通りを覗き込んだ。
「さっさと食え。 俺達も行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!」
エゼロを追って大通りに出たギルド職員は目を剥いた。
2層から溢れ出した霧が、動きの遅い火砕流のように迫っていたのだ。
影を落とす暗雲の向こうで光と影が蠢き、獣の怒号と破壊音、生物が壊れる音が絶え間無く溢れてくる。
「……まるで悪夢だな」
エゼロはギルド職員を小脇に抱えると、小走りに駆け出したのだった




