浄化の花畑
俺もムアも、睡眠は必要無い。
にも関わらず何故毎晩布団に入るのかと問われれば、眠る事が心地良いからに他ならない。
固有能力や不思議生物だからと言っても、精神は肉体に依存する。
だから俺だけでなくムアも、獣の姿の頃から一緒に擬似的に眠るのだ。
そんな擬似睡眠を嗜んでいた明け方頃のこと。
ムアがムクリと起きた。
「ノゾム」
「うん?」
追って身を起こす俺に、ムアは真剣な眼差しを向けて来る。
「性交は良くない事?」
「…………………!?」
突然の質問に一気に意識が覚醒する。
そして同時に、ムアがその考えに至った原因に思い当たった。
「……ベルヒの身に起きた事?」
ムアはコクリと頷いた。
ベルヒがされたのは、日本の言葉で言えば集団暴行、もしくはレイプと呼ばれるものに該当する。
被害者は心身共に傷を負い、場合によってはそれが原因で人生が壊れたり、自殺してしまう事もあると聞く。
紛れも無い凶悪犯罪だ。
そして、同時に気付く。
ムアは性についての知識が殆ど無いのだ。
思い付く限り、浄化作戦中の娼婦で1例、俺との関係で2例目、そして今回のベルヒの件で3例目だ。
確かに、性について悪い印象を持ってしまうのも仕方ない事なのかもしれない。
さて、どう話したものか……
考えあぐねる俺に構わず、ムアは続ける。
「ベルヒは、人の気持ちを弄んできた私に幸せになる資格なんて無いって泣いてた。
どうして幸せになる資格が無いの?
性交したから?」
おや、思ってたのと方向が違う気がする。
「ベルヒが元々何してたか話してくれたの?」
「うん。 ベルヒはシュテナで娼婦をしてたんだって」
ムアは昨晩、湯船で涙を流すベルヒから過去を聞いていた。
シュテナで娼婦をしていた事。
多くの男に色恋を匂わせ、リピーターを増やしていた事。
稼いだ金で行商を始めた直後に元客であった傭兵達に捕まった事。
「全部、自分が悪いって言って泣いてた。
どうして悪いの?」
「あー……」
俺はしばらく目を瞑って考えたが正解など分かる訳も無く、正直な感想を伝える事にした。
「確かに、人の気持ちを誑かすのは良くない事だと思う。
ただ、娼婦をしていた事は悪い事では無いんじゃないかな。
身を売るって言い方はあれだけど、相応に苦労はあるだろうから。
でも……」
ムアの瞳を見つめ、伝われ、と口を開いた。
「でも、性交は好きな人としないと、きっと苦しくて悲しいものになると思う。
俺はそう信じてる」
人によっては、この言葉を聞いて鼻で笑ったり、烈火の如く怒る事もあるだろう。
だがこれがつい最近まで童帝で、馬鹿な17歳の俺の正直な気持ちだ。
「ムアは俺として、苦しかった?」
「……ううん、幸せだった」
薄い表情に緊張をにじませるムアに、気持ちが篭もりすぎたかと反省する。
そしてふと不安が脳裏を過ぎった。
「……痛く無かった?」
「最初は痛かったけど、治してからは気持ちよかった」
「そ、そっか……良かった」
こんなにストレートに言われると嬉しいのと小っ恥ずかしいのとで、言葉がつっかえる。
そして初めてした日の事を思い出し、ムラッと来てしまった。
「………する?」
「………したいです」
ムアから目を離さずに防音の結界と植物による防壁を張ったところで、堪えきれずに抱き締める。
っと、いかんいこん。
これだけは言っておかなければならない。
「ムア、大好き。最高に幸せだよ。
ムアは?」
「ムアもノゾム大好き。 最高に幸せ」
白い霧に包まれ、俺とムアの肌が蕩けるのであった。
●●●●
「…………んふー………」
大きく息を吐いたムアが、火照った身体のままもたれかかってくる。
霧で人の体を再構築すれば直ぐにでも何時もの調子に戻れるのは知っているが、そんな野暮を言うはずが無い。
魔法で洗い、小柄な身体を包み込むように抱き締める。
ムアが満足気に俺の胸に頬擦りする度にフワフワの髪が乱れるので、手で梳いてやると可愛い顔が見上げていた。
獣の姿をしていた時と同じように頬を撫でれば、心地良さそうに目を細めて、それはそれで可愛いので罪深い。
そんなムアを見ていたら今がいいと感じ、脱ぎ捨てた服から大きな花の蕾を取り出した。
「なに?」
「せっかく人の姿になってくれたんだから、似合うのを着けて欲しくて作ったんだよ」
蕾が開くと、花弁の中央に鎮座していたのは昨晩俺が作ったネックレスであった。
「ムアの?」
「そ、ムアの」
ムアの細い首にかけたネックレスは、白い肌の上で輝くように光を反射する。
「見たい」
「はいよ」
水で鏡を作ると、ムアは自分の首を飾るネックレスに見入るように、身体の角度を変えて確かめる。
浮世離れした美しさを纏うムアの胸元で、真っ黒に存在感を放つ俺の魔石に、叫びたくなるような感覚に襲われる。
どうやら俺は、自分が思っているよりも遥かに独占欲が強いらしい。
やがてムアは霧で全身を包むと、早着替えをしながらネックレスに合う組み合わせを模索し始めた。
見た目の年相応な様子を愛おしく思いながらしばらく眺めていたが、不意にムアの動きが止まる。
「ん?」
起き上がり聞くと、ムアはネックレスが包まれていた花を両手で掬い上げた。
「これは何て名前の花?」
「名前は無いよ。
ムアを想って創った、新種の花だから」
中央の深い青が外側に広がるにつれて白く透明に変わる、透けるほどに薄くて先の細い大きな花弁。
そんな花弁が薔薇のように密集した花である。
色と見た目で名付けるならば……
「浅葱薔薇とかかな」
「アサギバル。 いい名前」
「浅葱薔……いや、アサギバルをこの花の名前にしようか」
新たに命名されたアサギバルを宝物のように抱えたムアは、俺を見て微笑んだ。
「ムアにも好きな花が出来た。 リーチェとディカとラグニィの花も生やして」
「リーチェ達の花? 良いけど」
記憶を頼りにそれぞれの好きな花に、ラグニィのイヤーカフを飾った花を生やすと、ムアはその花も一緒に抱えて満足気な笑みを浮かべる。
「この花も好き。
……あっ、でもアサギバルはムアの花だから1番好き」
気を使うムアに思わず笑ってしまう。
「他の花も好きになったら、俺がいくらでも咲かせてあげるよ。
あ、ムア。 服着せてくれる?」
変質者脱却を果たした俺は、花を抱えるムアの背を押して外に連れ出す。
ムアの素足が剥き出しの土に触れるより先に柔らかい葉のカーペットを敷き、真っ直ぐ歩き続けてやがて小高い丘の上に辿り着いた。
地平線の向こうで光を放つ太陽が地上を照らし、俺とムアは目を細める。
「まだ草原は生えてない」
残念そうな気配は無いが、以前話した事を覚えてくれていたのを聞くに、少しは楽しみにしていてくれたのかもしれない。
「そうだねぇ。
草原はそのうち一緒に見ればいいよ。
それより、今しか見れない……俺とムアでしか見れない景色を見せてあげよう」
気取られぬようこっそり広く這わせていた根に、ありったけの魔力を注ぎ込む。
「……何?」
辺り一帯から生やしたのは、黒ずんだ細身の樹木だ。
冬の枯れ木を思わせる寂しく不気味な黒であるが、黒は淡い白に滲む色を際立たせる事を、日本人である俺は良く知っている。
樹木が人の背丈を越えたのを見計らい、ムアの目を背後から手で覆った。
●●●●
「ノゾム?」
突然遮られた視界に、ムアは何も見えないままノゾムの顔を見上げる。
「少しだけそのままにしてて」
ノゾムはそう言いながら、魔法で強い風を吹かせたらしい。
覚えのある魔力を感じると同時に、人間の肉体が肌寒さを訴えノゾムに身を寄せた。
「ノゾム、寒い」
「ごめんごめん。
…………よし、もういいよ」
「んっ……」
不意の暗闇からの解放に、ムアは眩しさで俯く。
光に慣れた目にまず映ったのは、芝の上に降り積る大きな青白い花弁であった。
「これ、アサギバルの……」
花弁を拾ったムアはノゾムの顔を見上げようとして、ようやく辺りの様変わりに気が付いた。
黒い樹木から咲き乱れたアサギバルが、見渡す限りの景色に広がっていたのだ。
それだけでは無い。
1枚、また1枚と舞い落ちる大きな花弁に空を見上げれば、空高くから雪のようにアサギバルの花吹雪が舞い降りて来ている。
「……わぁ……」
ムアは、目の前に舞い降りてきた花弁を受け止めた。
寒々しい深い青から始まり、淡い霧のような白が広がったかと思えば、端に行くにつれしっとりと濡れるように透き通っている。
花弁の水分で指に冷たさを覚えたムアの手を、ノゾムの手が包み込む。
その手の暖かさに、ムアはホッと息を吐いてノゾムにもたれかかった。
「付け根の青い部分は、俺とムアが会うまでの色。
白い淡い部分は、優しいムアの色。
透明な所は、これから先一緒に見る景色で染める色。
………みたいなつもりで創ったんだけど、どう?」
ムアはいつものようにノゾムの顔を見上げ、しかし息が詰まった。
「………良い。 好き」
何とかそれだけ絞り出し、顔を背けるように手に持つ花弁に視線を落とした。
口をギュッと結び、奥歯に溢れてくる酸味を噛み締めて逃さぬようにする。
触れる手が暖かくて心地よく、もっと広い面積で触れなければ寂しく思う。
それも、これまでとは比にならない程の熱量で。
欲がムアを新たな色に染め上げる。
精神は肉体に依存する。
これは姿形が曖昧な存在だったムアだからこそ、非常に良く理解していた。
姿形を認識される程に、朧気な輪郭は明確に形を成す。
だからムアはノゾムとのスキンシップを日々行い、自らの姿を確立させていたのだ。
そして獣の姿で信頼という形の愛情を抱いたムアは、人の姿で獣の心のままにノゾムを慕っていた。
だか、今のこの気持ちは……
「……ノゾム、好きだよ」
「俺も大好きだよ」
ノゾムは愛おしいさが溢れ出したように優しく、ムアの頭を包み込むように撫でる。
何時もと同じ、ノゾムからの愛情が伝わってくる。
……今は同じ気持ちで、同じ気持ちを返せる。
ムアはノゾムの手を取り精一杯頬擦りし、指を絡め、思いっ切り抱き締めた。
「こんなに喜んでくれるなら、毎日でもアサギバルを満開にしようか」
しかし悲しいかな。
この馬鹿は敵意や悪意には敏感な癖して、好意にはすこぶる鈍いのだ。
「違う」
「いでででで、はんへぇ? まいにひはいやはっは?」
マスクで守られていない無防備な頬をつまんだムアに、ノゾムは訳分からずに目に涙を浮かべる。
痛みへの反射であろうとも、滅多に見られないノゾムの涙目に満足したムアは、頭を撫でて慰めてあげる事にした。
「許す」
「やったー?」
飴と鞭に振り回されるノゾムを撫でつつ、この朴念仁にどうやって気持ちの変化を理解させるべきか、悩むムアであった。
●●●●
花弁が吹雪く丘で、ノゾムとムアは何事か囁いては見つめ合い、語らってはじゃれ合う。
御伽噺のような彼らがあまりにも眩し過ぎて、ベルヒは無意識に後ずさっていた。
そんなベルヒの目の前に、不思議な風が運んで来た一枚の花弁が舞い落ちる。
受け止めようとして指の隙間をすり抜けた花弁を、ベルヒは再び拾い上げた。
深い暗い青から始まった花弁はやがて白に昇華し、その先は景色に溶けるように透き通っている。
花弁の冷たさと儚さにベルヒが憂いを抱いた時。
「っ……あ」
強く吹いた風がベルヒを花吹雪に巻き込み、手に持っていた花弁を攫って高く舞い上がる。
空高く舞う花弁は白の色のみを閃かせ、雲に溶けたのであった。




