下暗し
「……ふむ」
「…………」
水色の澄んだ瞳に見つめられながら考える。
この目の色はムアだ。
大きなフサフサの耳もムアだ。
身の丈を凌ぐ大きさのフカフカ尻尾もムアである。
そして何より、澄ました様子ながら何処と無く無邪気さも感じるこの表情はムアで間違い無いだろう。
「……ムアだね」
「うん、ムアだよ」
つまり、ムアである。
「えっと……どうして人間の姿に?」
「駒を持ちたかったから」
確かに、今生えている手は紛れも無く人間のものである。
そしてようやく、ムアが裸な事に気が付いた。
「取り敢えず服着よう。
人間がその格好をしてるのはおかしいんだよ」
何とか伝わるように言い方を工夫すると、ムアは赤子のようなキメ細かい頬をムッと膨らませる。
「それくらいムアも分かる」
「なら着ましょう」
「うん」
ムアは霧で全身を覆うと、あっという間に着替えた状態で現れた。
「ノゾムの服の着方。
最近はしないけど」
「確かに」
発言1つ1つに反応してしまう辺り、どうやらまだ内心では疑ってしまっているらしい。
いや、でも絶対ムアなんだよなぁ………
腰より長い真っ白な髪の緩やかなウェーブは、獣の時と同じ毛質だし。
肌も真っ白、まつ毛も真っ白な中で、桜が咲いたように唇が淡いピンクに染まっていて見とれそうになる。
一方で、首や肩は獣の時と比べ物にならないくらいに華奢だ。
その下に目を疑う巨乳が服の下から主張しており、視線を奪われかけて強引に逸らす。
だが細い腰やスラリと伸びた艶かしい足に再び吸い寄せられかけ、慌てて煩悩を振り払った。
色々と気になることはあるが、それ以上に聞きたい事があるのだ。
「……ムアって何処から来たの?」
せっかく喋れるようになったのだから、どうしても聞きたかった。
これまでも雰囲気で何となく会話はしていたが、言葉が話せるのであれば是非詳しく聞きたいと思うのは、オカルトを齧っていた人間として当然ではなかろうか。
「ムアは……ムアのいた場所は……何て言えばいい……?。
……どんな言葉なら教えられるのか分からない」
ムアはしばらく考えてくれたが、答えるのが難しかったのか言葉に詰まる。
「じゃあ、俺達が来た世界に居た?
今の世界に居た?
それとも全く別の世界に居たの?」
ならばと候補を挙げてみるが、どれもピンと来ないようだ。
……ふむ、もしや
「……世界と世界の間、暗くて星みたいなのが沢山光ってる場所?」
「そこ!」
ぴょんと耳が跳ねる。
どうやらムアは、世界と世界の狭間の生き物だったらしい。
「元々今みたいに、人間に似た格好をしてたの?」
「ううん、元々のムアはこんなの」
ムアはそう言って霧に包まれると、再び姿を現した。
その姿はまるで……
「……尻尾だけ?」
モコモコの尻尾のみが、霧を纏いながら宙に浮いているような姿であった。
顔は無い、目も手も何も無い。
あるのはひたすらにモコモコした白くて長い尻尾である。
尻尾の姿になったムアは俺の全身を舐めるようにグルリと1周すると、再び人間の姿に戻った。
「あの姿でいる時にノゾムがムアを見つけて、その時にムアが決まった」
「ムアが決まった……?」
記憶を掘り起こして考える。
思い出すのは初めてムアと会った時の事だ。
あの時のムアは、確かまだ小狐で……
「……いや違う。
俺が白いモコモコしただけのムアを『尻尾が長い小狐』だと思ったから、か」
「そう。
ムアはその時まだ力が弱かったから、ノゾムが思った通りの見た目になった。
その後ノゾムと一緒に居続けたから、獣の姿がムアに馴染んだ」
これではまるで、イマジナリーフレンドが現実に反映されたオカルト話のようだ。
「ノゾムと一緒に居続けたから、姿を自分で変える力が出来た。
どう?」
ムアは両手を広げて、俺の視界いっぱいに仁王立ちする。
「どうって……正直滅茶苦茶可愛い」
だがこの答えは求めていたものとは違うらしい。
「好き?」
「好きです」
即答する俺に、ムアはニッコリ微笑んでのしかかってくる。
「なら良かった。
ムアはノゾムとずっと一緒に居るためにこの姿になったから」
ムアの言葉に、蕩けかけていた理性がハッと目を覚ます。
「……もしかして、浜崎さんに言われた事気にしてたの?」
「あの人間は嫌い」
つまりそういう事らしい。
「嬉しいけどムアの体に負担は無い?
もしキツかったりしたら無理しなくていいからね。 獣の姿でもずっと一緒に居るよ」
「大丈夫。
ムアはノゾムと一緒に居て増えた力を使っただけだから」
………それは結局身を削ったのでは?
いや、これ以上はよそう。
心配なんて、必要以上にされても鬱陶しいだけだ。
それよりきっとムアは、こっちの方が喜ぶ。
「ムア、俺の為にありがとう。
何があってもずっと一緒にいるよ」
紛れも無い本音なのは、これまで重ねてきた時間と信頼が言葉以上に伝えてくれる。
ムアはニマァと笑うと、軽くなった体で何時ものように飛びかかってきたのだった。
●●●●
「ムアはカイルのお母さんになりました」
「……!? ………!!?」
目を白黒させるカイルは、無言で必死に俺に説明を求めている。
「大丈夫、お父さんも昨晩同じ反応をした」
「い、いやいやいやいや!
お父さんとかじゃ無くて、ほんとにムアなの!?」
「ムアだよ」
ニッコリ笑うムアに後ずさったカイルは、虚空に向かって何事か呟いて驚愕する。
「妖精もそう言ってたでしょ?」
カイルは母親から、そこら辺にいる妖精と会話する力を貰っていた。
精霊と違い意思を持ち、多少話したり出来る存在……らしい。
俺の目には見えないが。
「お、早速使いこなしてるな。
すごいぞ〜」
撫でようとする俺の手を躱しつつ、カイルは再びムアをまじまじと見る。
「……ムア?」
「ムアだよ。 見てて」
ムアは霧に包まれたかと思うと、次の瞬間何時もの巨大な獣の姿に変わる。
「………本当だ……」
目の前で変身を見せられては、カイルも信じざるをえないらしい。
乾いた笑いを漏らしたかと思えば、諦めたように溜息をついた。
「……そう言えば2人とも、別の世界から来たんだったね」
深く考える事はやめたようだ。
「そうそう。 俺だってディカ達にボコボコにされてる時は、人とは思えない形してたでしょ?
それと同じだよ」
「あれはムアの変身とは違う」
「僕もそう思うよ」
2人とも賢いなぁ。
そんな賢い2人と優雅な朝の支度を終え、シンズへの帰路へ出発する。
3人とも、徒歩でだ。
「ノゾム、まだ雪が溶け切って無い」
ムアは細く白い手で、同じ色の雪を手に取った。
「そうだねぇ。 もう少ししたら全部溶けて草が生えてくるんじゃない?」
雪をどかせば、去年の残りカスのような茶色の枯れ草が見える。
「もう少し暖かくなってからなら見れると思うよ。
ラフネ草原の芝生が青くなるまでシンズで過ごすの?」
「ずっとシンズにいるのも暇だし、時期になってから見に来ればいいんじゃね?」
「なら次はセトナートか」
気を使ってる様子も無さそうだし、お言葉に甘えるとしましょうか。
「厶アもそれでい…おわっ!!」
「うわっ!!」
突然降り掛かってきた雪玉に振り返ると、ニコニコ笑うムアがいた。
「ノゾムとラグニィの真似」
俺とカイルは顔を見合わせると、言葉より早く足元の雪を掴み振りかぶる。
これから先も、楽しい旅になりそうだ。
●●●●
肌寒い空気を満喫しながら5日間もかけてシンズに戻った俺たちを迎えたのは、物々しい雰囲気であった。
街全体が浮き足立っていながらも、それと同時にさぐり合う様な視線が飛び交っている。
『ヒィィィィ!!?』
すれ違いざまに絡もうとしてきた傭兵の集団を威圧して転がす。
ムアに色目を使ったのだから、生きてるだけ感謝して欲しいものだ。
「あの人達もそうだけど、前シンズに来た時は居なかった人が多いね」
腰を抜かす傭兵に目もくれず、カイルが冷静に観察する。
「シンズってジャバルクと帝国の国境に面してるから、他国の奴らが入って来たんじゃない?」
「うーん……?
でもギニンで聞いた話だと、この時期は商人の方が多いって聞いたんだけど……護衛かな」
「だったら取っ捕まえてギルドまで連れてって、素行不良で痛い目見させた方が良かったか」
振り返れば、イキリ散らかしていた傭兵達は一目散に逃げてしまっている。
勿体無い事したなぁ。
「次のが来たらムアが捕まえる」
「そのまま殺ってしまえ」
「駄目だよ」
モクモクしながら意気込むムアとノリノリの俺をカイルが諌める。
しかし待ち構えている時ほど意外と誰も絡んで来ないもので、それからは何事も無くギルドに到着してしまった。
いや、良い事ではあるんだけれども。
先頭を切って入った俺に、ギルド中の視線が集中する。
そして……
「アギト!! 無事だったか!!」
知り合いの冒険者共が、むさ苦しく取り囲んで来やがった。
「無事無事、無傷だよ。
それより皆してギルドに篭って何してんのさ」
「何って……つーかまじで大丈夫だったかよ!」
「ったく、心配かけやがって……」
「痛い痛い」
バシバシ肩を叩いてくる冒険者達をあしらいつつ小柄なムアとカイルを庇っていると、屈強な男達を押し退けて勝気そうな受付嬢が割って入って来た。
「あんたがアギトだね?
噂通りの実力者なら百人力だ。
あんたも参加してくれよ」
一方的に押し付けられた紙を反射的に受け取ってしまい、仕方無く目を通す。
《緊急依頼
アガパ山脈の国境を侵略してきたジャバルク軍の討伐
金級冒険者ルイトラを仕留めた者には、金貨4枚の特別報酬を配布》
「………ふむ」
さて、どうしたものか。
「苛烈な性格してるが、優しい人だって聞いてるよ。
受けてくれるね?」
グイグイ来る受付嬢の態度に、ふと思い出す。
俺も自分を押し付ければいいやと吹っ切れたでは無いか、と。
「そのルイトラってさ……こんな武器使ってた?」
言葉も無く斧を出してくれたムアに感謝しつつ、丸い両刃の斧を見せる。
すると冒険者達が指を刺して「それだ」「間違いない」と口々に言う。
「そいつって、こんな髪色してなかった?」
ムアが渡してくれた魔石を見せると、またしても冒険者達は「それだ…」と言いかけ、口をそのまま開きっぱなしにしてしまう。
「……なぁ、この魔石って……」
「ルイトラのだよ。
ほら」
魔石に魔力を通し、斧をフワフワ浮かせる。
「山頂に居たジャバルク軍は壊滅させといたよ。
それに嫌がらせもしといたから、ジャバルクはアガパ山脈からの侵略はもう難しいはず。
あ、この魔石は俺のだからね」
「………」
今でこそ呆然としている彼らだが、少しすれば騒ぎ出すのは目に見えている。
「せっかく人集めたんだし、自分達で確認すればいいんじゃない?」
それだけ言い残して、ギルドから急いで退散する事にした。
「ほら追っかけて来る前にキリキリ歩くよー」
ムアとカイルの背中を押して、早歩きでギルドから遠ざかる。
「良かったの?」
心配そうに見上げて来るカイルを前に向かせる。
「ルール違反をした訳じゃないし大丈夫でしょ。 知らんけど。
さ、今日の宿探すよ〜」
まだ解せない顔をしているカイルとは対照的に、ムアは平然としていた。
「宿ってギニンで最初に泊まった所?
あれ汚いからノゾムのテントがいい」
「でもシンズはキャンプ地無いらしいんだよ。
野宿でも俺達なら快適に過ごせるけど、買い物の度に何度もシンズに出入りするの面倒でしょ?」
「むぅ……」
土地を買って家を生やす選択肢もあるが、どうせ長居はしないので要らんのだよなぁ。
「魔法の練習も兼ねて、掃除して快適にすればいいさ。
最悪室内に部屋を作り直せばよろし」
そんな事を話しながら宿を探して五軒目にして、ようやく俺達は今夜の寝床を手に入れる事に成功するのだった。
で、その夜の事である。
カイルを起こさないように、僅かな明かりだけを付けてムアとジールムをしていると、部屋の外から悪意と物音を感じた。
2階の部屋のせいで廊下の軋む音が良く聞こえる。
皮肉な事に、忍足程長く木を軋ませるのだ。
暗闇の中で爛々と光る水色の目が、どうすると問うてくる。
「全員誘き寄せてから見せしめにしようか」
俺とムアが気配を殺して立ち上がると同時に、なぜかカイルも身を起こした。
「んぅ……どうしたの……?」
カイルは俺とムアでは無く、虚空に向かって話しかける。
どうやら妖精に起こされたらしい。
「……悪いやつって……」
カイルは俺達の様子に気付くと、目を擦りながらベッドに座る。
「……僕逃げた方がいい?」
「どう思う?」
笑って見せると、カイルは髪を整えて立ち上がった。
「寝てても安全そうだけど、面白そうだから付いてく」
流石は俺達の旅の同行者である。
備え付けの魔力錠が一切の躊躇い無く外される。
「こりゃ店もグルか」
扉を静かに開けて入って来たのは、大柄な男達であった。
部屋の外にいるのも含めて12人か。
目的は言わずと知れている。
「………ちっ! 逃げられてやがる……」
ムアだ。
寝込みを遅いに来た馬鹿をどのように殺してやろうかと、彼らの頭上で息を潜めながら考える。
俺達は今、天井に浮かんで隠れていた。
「……この人達はムアに勝てると思ってるの?」
小声に含まれた怒りに不穏な気配を感じるが、横を見た時にムアの姿はもう無かった。
「ギィッ!!!?」
「ごぷぅっ!!?」
鈍い音と汚い呻き声が連続して響く。
「ちょ、ムアさん…」
バキッ!!
扉どころか、壁ごと破壊して男達が投げ飛ばされた。
「なん、っ!!?」
白い残像が滑るように走ると、廊下に潜んでいた男達を丸ごと階下へ蹴り落とし、自らも追って飛び降りる。
「うおぉぉ!!!?」
1階の食堂から聞こえて来た食器の割れる音と騒音に、犯人殺してお終いでは済まないなと覚悟を決め、俺もカイルを抱えて後を追った。
食堂では、全身がひしゃげた男達を霧で一纏めにして、床に叩き付けるムアの姿があった。
「なっ、何して…」
怒鳴ろうと声を荒らげる宿の主の首根っこを掴み持ち上げる。
「素敵な宿だねぇ。
まさか部屋の鍵が暴漢とのシェアだなんて知らなかったよ」
宿の主の恐怖を増幅させると、ようやく誰を敵に回したのか理解したらしい。
ダラダラと油汗を流し始める。
「汚なっ」
宿の主は小心者らしいので投げ捨て、ハンバーグを作っているムアを止める。
「待ちなさいな。
殺すなら話を聞いた後だよ」
ムアは血の滴る肉ボールを浮かべながら、ムッとした顔のままこちらに向く。
「せっかく人間の姿になったのに、この姿だとムアは凄く舐められる。
だからノゾムみたいにする」
そう言って再びハンバーグを捏ね始めたので、まあ待てと再び止める。
「いいかいムア。
ただ暴れるだけだと、人の心に恐怖は植え付けられないんだ。
半殺しにして、いかに痛くて苦しいかを語らせてこそ、恐怖は芽生え広がるのさ」
「……じゃあ直して」
ポイと捨てられたハンバーグが、食堂にあってはならない臭いを充満させながら崩れた。
「あーあ。 さて、どれが生きてるかな〜」
誰もが息を潜める沈黙の中、肉と血と臓物が糸を引く湿った音が響く。
「お、辛うじて生きてら。
君に決めた!」
奇跡の生還を果たした暴漢の男は再生が終わっても呆然としていたが、軽く蹴り飛ばしたら我に帰ったらしい。
全裸で色々漏らしながら、声にならない掠れた声で悲鳴を上げて後退る。
「さて、色々聞かせてもらおうか」
「………」
男は口を震わせながらも、俺の隣で激怒を顕にするムアを見る。
人の姿のまま全身から霧を立ち登らせるムアは、まるで亡霊のようだ。
さぞかし恐ろしく見えるのだろう。
だが男は怯えた姿勢のまま………アレを立たせたのであった。
直ぐさま去勢したのは言うまでもない。
●●●●
「フスッ!! フスッ!!」
獣の姿で鼻息荒くノシノシ歩くムアを、カイルと小走りで追う。
ブチ切れムアに殺される前に何とか暴漢から聞き出した話によれば、彼らはこの辺り一帯を非公式に縄張りにするギャングの一員らしい。
「俺達に手を出せば〜」などとのたまっていたので、根絶やしにする事にした。
で、この怒り心頭のムアさんだが……
「ムア、気持ちは分かるけど急ぎすぎ。
殺すのは賛成だから、一匹も逃がさないように落ち着いて攻めようぜ」
「…………」
足を止めて振り返ったムアは、何か言いかけて獣の姿では喋れないと気付き、人の姿に変わる。
「……ムアが人の姿になったのはノゾムに喜んで貰う為。
舐められる為じゃない。
あいつらの為じゃない」
ムアはそれだけ言って再び獣の姿に戻る。
え、嬉しいんだが。
照れも隠しも無いストレートな言葉に、思わず口元が緩んでしまう。
「ムア〜? 嬉しい事言ってくれるじゃん。
ムアが人の姿になってくれて滅茶苦茶嬉しいよ」
抱き締める俺にムアは甘噛みを返すと、少しペースを落として歩いてくれるようになった。
「あ、そこの角曲がった先の1番大きな二階建ての建物だよ」
妖精に導かれるカイルに案内され、ギャングの根城に辿り着く。
「……裏側に1つ、側面にも2つ出入口があるみたい」
ギャングの情報を次々と丸裸にするカイルに脱帽する。
固有能力があるとは言え、他の存在に力を借りるのは難しいとライゼンに聞いていたのだが。
カイルは一言二言、友人のように「何人いる?」と聞いて返事を貰っているようなのだ。
「サンキュー。 じゃあ早速……いや、俺のやる事は無さそうだね」
ムアは霧でギャングの根城を、丸ごと包み込んでしまったのだった。




