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 シンズを出た翌日の昼。


 駆け足のムアによるハイペースで、俺達はアガパ山脈の麓まで来ていた。


 山肌を撫でながら降りた凍てつく風が、北颪となって吹き荒ぶ。


 春一番は微塵も感じられない冬が残っていた。


「カイル、体を冷やさないように…」


 言いかけて口を噤む。


 頬を赤くしながらも、カイルは山頂近い斜面を見据えていた。


 俺の目には真っ白な山肌にしか見えないが、カイルには分かるのだろう。


「あそこが村か」


「……うん」


 しばらく見上げていたカイルだが、決心したように息を吐き出すと歩き始める。


「この道は昔、お父さんとお母さんと通った事があるんだ。

 だから少しなら分かるよ」


「アガパ山脈でしか取れない物とかを売りに降りてたんだ?」


「うん。 それと生活に必要な物の買い出しとかね。

 殆どは山で取れるものを使ってたんだけど、金物とか野菜はどうしても限界があるから」


 カイル達アガパの民は、雪山の中を転々と移動しながら狩猟を中心とした生活を送っていたらしい。


 雪山の僅かな土で野菜を育てはしていたが、食事は基本的に肉が中心だったようだ。


「何時もお父さん達が狩ってきたのは『ゴーバトン』って動物なんだけど……あそこにいるの見える?」


 カイルが指差したのは、白い斜面に針で穴を開けたような小さな点であった。


「居るのは分かるけどさっぱり見えんな」


「ちょっと待ってて……」


 カイルは魔法で水のレンズを2つ作ると、それを重ねて望遠鏡にして見せた。


「器用だね」


「えへへ……村のおじさんに教えて貰ったんだよ」


 照れるカイルを撫でつつ、レンズを覗き込む。


 拡大されて見えたのは、毛布を重ねて干したような焦げ茶の毛皮の塊に、渦巻いた巨大な角が生えた動物だ。


「あれがゴーバトンか。 でかいね」


「1頭狩れば、一月は食べるのに困らなかったんだよ。

 その分強いけど……」


「ガウッ!?」


 望遠鏡を横から覗き込んだムアが驚いている。


「凄いでしょ」


「ガウゥ」


 褒めるように寄り添うムアに擽ったそうにしながらも、カイルの表情に僅かに影が差した。


 話題を逸らすべきか?


 ……いや、向き合うのなら今しか無いだろう。


「アガパの民では他にどんな技術があったの?」


「他には……あっ! これは先に教えとかなくちゃいけないんだった!

 アギト、目貸して」


「取り外した方がいい?」


「外さなくていい外さなくていい!!」


 慌てて俺の顔を押さえつけるカイルだったが、からかわれたと気付いたのだろう。


 顔を赤らめながらも魔法を使ってくれる。


「『日陰』」


「おお」


 カイルの魔法を抵抗せずに受け入れると、光を反射して眩しかった雪が大人しくなり、小さな凹凸まで見えるようになった。


「『日陰』って言う魔法なんだけど、この魔法を使うと雪の中の獲物を見失いにくくなるんだよ。

 それに川の中の魚も良く見えるし、雪の光で目を痛める事も無いんだ」


 話を聞いていてふと疑問が浮かぶ。


「あれ? この辺りって川あるんだ」


「あるよ。

 この先をもう少し登ったら見えてくると思う。

 お父さんとお母さんとシンズに行った時は、『ラフネ草原』を超えたらいつもそこで休憩してたんだ」


 『ラフネ草原』はアガパ山脈とシンズの間に広がる平原だ。


 今は雪がまばらに残るぬかるみだったのでムアが飛ばしてしまったが、夏には見事な草原が広がるらしい。


「なら丁度いいね。

 川まで行ったら俺達も休憩しようか」


「ガウッ!」


「うん」


 それからもカイルの話を聞きつつ、道など全く見えない雪の中を登る。


 知識を聞くふりをしつつ、蓋をしていた思い出を話させていく。


 男とは幼くとも見栄っ張りで、理屈がなければ素直になれない生き物だ。


 俺だって男の端くれだからそれくらいは分かる。


 少しづつ少しづつ、丁寧に。


 だがそんな俺の内心を知ってか知らずしてか、カイルは突然核心を突いた。


「……僕のお父さんとお母さんは死んじゃってると思う」


「………」


 どう答えたものかと口を噤む俺に構わず、カイルは続ける。


「お父さんは集落の中でも他の人より強くて優しかったから頼りにされてたんだ。

 お金も無い余所者だったけど、ちゃんと役に立ったから受け入れて貰えたんだよ」


 突然飛んだ話しに理解を追い付かせつつ、黙って聞くに徹する。


 しかしカイルは足を止めると、俺とムアを見つめてきた。


「どうして2人は僕の事を助けてくれるの?

 王族だから? 違うよね。

 だったら僕を貴族に売った方が役に立つもん。

 ……どうして?」


 カイルの声は、震えていた。


 そりゃそうだ。


 完全に失念していたが、この子は賢いのだ。


 家族や仲間の死だけでなく、自分の未来についてまで一緒くたに考えてしまっていたのだろう。


 抱きしめようとして思いとどまり、身の丈に合わない大きな手袋を付けた手を取る。


「俺とムアと同じように、カイルがこの世界で一人ぼっちになりそうだったからだよ」


 今にも零れそうな涙を浮かべた、青い瞳を正面から見据える。


「カイルにばかり話させて悪かったね。

 俺達の話もしようか」


 気付けば、耳には川のせせらぎが届いていた。



●●●●



「………じゃあ、アギトとムアはこの世界じゃ無い場所から来たってこと?」


「そ。

 で、その後にムアと『1人にならないように一緒にいよう』って決めて今日に至る訳」


「ガウゥ」


 ムアがのしかかるようにして、全身をこすり付けてくる。


「この世界の人間じゃ無いから王様やら貴族やらって言われても価値を感じ無いんだよね。

 だから、自分の目で見たカイルを大事にしたいんだよ」


「………」


 しばらく黙っていたカイルだが、頭を下げようとしたので止める。


「いいんだよ。

 不安になっちゃったんでしょ?

 そりゃ当たり前の事だし、カイルの年齢からしたら十分に自分の事を制御出来てるって」


「ガウゥゥ」


 ムアも「あんたはよくやってる」とでも言うように唸る。


「ま、カイルさえ良ければ俺とムアと一緒に地の果てまで続く旅に連行するけどな」


 膝を抱えて俯いていたカイルだが、やがて肩を震わせて嗚咽を漏らし始めた。


 僅かに感じる怒りの感情は……罪悪感か。


 相変わらず真面目で律儀なカイルに思わず頬が緩む。


「大丈夫、大丈夫。

 俺らがいるから心配しなさんな」


「ガウゥ。

 ……ガウ」


 俺と一緒にカイルに寄り添っていたムアだが、滴る油が焚き火に落ちた音に顔を上げる。


「お」


 見れば、先程川で捕った魚がいい具合に焼きあがっていた。


 気付けばカイルも川魚の塩焼きに目が釘付けになっている。


「食うか」


 しんみりしていても腹は減るものだ。


 串で貫かれた塩焼きをそれぞれ取り、顔を見合わせてかぶりつく。


「うまっ」


「ガウゥ」


「……おいしい」


 味付けは塩のみだが、焼く前に揉み込んで、途中でも一摘み振りかけたお陰で味の薄さは感じない。


 旨味と塩気が絶妙なバランスで美味いのだ。


 地球のニジマスなどの川魚に比べれば倍以上大きなこの川魚だが、臭みや癖も無くて食べやすい。


 こちらの世界に来て初めて食べた魚料理になるが、こうも美味いのならまた旅の楽しみが一つ増えたな。


「そういやカイル。 この魚って沢山いるの?」


 カイルは首を傾げつつ答えてくれる。


「どうだろう……僕はこの川でしか見た事無いけど」


 なるほどなるほど……


 よっこいせと腰を上げる。


「ムア、乱獲をやめようか。

 絶滅してしまう可能性がある」


「ガウー?」


 返事をしながらも、スィーと横切って行くムア。


 川の上流から下流まで目に届く範囲で駆け回っては、霧で水底を丸ごとすくい上げていたムアを止めに、気を使って全力で追いかける。


「ガウッ、ガウゥー」


「ダメダメ。

 取りすぎて絶滅したら、この魚が増えなくなっちゃうでしょ。

 ムアも長い間食べれる方がいいよね?」


「ガゥゥ、ガウゥ」


 余程お気に召したのだろう。


 粘り強く食い下がるムアを必死に説得していると、カイルが助け舟を出してくれた。


「2人はこれから僕のお父さんとお母さんのお墓を作る為に山を登ってくれてるんだよね?。

 せっかくお墓を建てるんだったら、時々お墓参りに行きたいな。

 もしそうなったらこの道を何度も通る事になるだろうから、楽しみがあった方がいいよね」


「ガ、ガゥゥ……」


 カイルに言われてしまっては強く出れないのか、ムアは渋々ながらも諦めてくれたようだ。


「それにほら。まだゴーバトンも食べてないでしょうが。

 あれなら量も多いだろうし、きっとムアも満足できるって」


「グルゥ、ガゥガァ」


 だが熱く語るムアさん曰く、動物の肉と魚肉では味や食感、風味に大きな違いがあるらしい。


 ムアがグルメに育ってしまった……気持ちは分からんでもないが。


「これからの旅先では、川見つけたら魚を探してみようか」


「ガウッ!!」


 当然!と鼻息荒く息巻いていたムアだが、山頂を見上げて目を細めた。


 集団が山を降りてきていたのだ。


「カイル、ムアに乗ってて」


「ガウ」


「わ、わかった」


 まだ遠目でしか見えないが、全員が長物を持っているのを見るに穏やかな連中では無いだろう。


 ジャバルク軍が進行して来たかな?


 だが、棍棒に手をかける俺を止めたのはムアだった。


「ガウゥ」


 カイルが作ってくれた望遠鏡を覗き込むと、見えたのはバルガルフ軍だったのだ。


「およ、ジャバルク軍の撃退帰りかな?」


 俺もムアに跨り駆け寄って行く。


 バルガルフ軍が俺達を見て驚いたのは一瞬で、すぐに知り合いの騎士が手を振ってきた。


「アギト、来てくれたのか!!」


「偶然だよ。

 それより無事そ?

 満身創痍に見えるけど」


 近付くにつれて見えてきたその姿は、とても無事とは思えない有様だった。


 馬車の代わりなのだろう、ゴーバトンに引かれたソリ小屋からは負の感情がダダ漏れだし、それは他の兵士や冒険者も同じである。


「特別にタダで治してやるから負傷者を寄越しな」


「っ!……ありがとう……!!」


 次々と運ばれてくる怪我人を治癒しつつ事情を聞く。


 俺の想像取り、彼らはジャバルク軍の討伐隊であった。


 しかし十分な戦力と英気を養って出発したにも関わらず、結果は敗走らしい。


「何でやられた?

 銀級も10人以上連れてったんじゃないの?」


 騎士は噛み締めた奥歯の隙間から、漏らすように呟いた。


「……金級がいやがった」


「詳しく」


「……ありゃジャバルクの魔剣士の一人『ルイトラ』だ。

 国仕えの金級だよ。

 くっそ、今度のジャバルクは本気らしいな……」


 彼から聞くに『ルイトラ』と言う女魔剣士は、円形の両刃斧を無数に飛ばせて戦うらしい。


 空中に浮かせた斧を操れる固有能力を持っているようなので、イメージとしてはチャクラムが思い浮かぶ。


「ちなみに、そのルイトラってファルシュより強そ?」


「は? 流石にそれは無いと思うが……」


 ふむ、聞けたい事は聞けたか。


「足止めて悪かったね。

 さっさと帰って休みな」


 すれ違って離れようとする俺に、バルガルフの騎士が我に返って縋り付く。


「ま、待て待て待て!!

 まさか行く気か!?

 この後帰還したら、王都に連絡して金級と合同で討伐する予定なんだ。

 お前達が強いのは知ってるが、流石に行かせられないぞ!!」


「大丈夫大丈夫」


 キンキンに冷えた小手を、丁寧に引き剥がす。


「……やはり冒険者は、金か、名誉なのか?」


 落胆したように呟く騎士の兜を小突く。


「人聞きの悪い事を言いなさんな。

 もっと真っ先に来るものがあるでしょうが」


「もっと先……?」


 鼻水が凍りかけているのに俺の心配をする騎士に呆れつつ、保温の結界を張ってやる。


「好奇心だよ。

 その金級とジャバルクの軍勢の、人と成りを見てみたくなったのさ。

 ま、サクッと終わらして帰ってきますよ」


 バルガルフの軍を置き去りにして、俺とムアとカイルは突き進む。


 さてさて、いったいどんな面が拝めるのやら。


 ………楽しみで仕方が無い。



●●●●



 バルガルフ軍の溶かした道を、悠々と登って行くアギト達。


 騎士は彼らの後ろ姿が見えなくなるまで、動く事が出来なかった。


「……止めなくて良かったんですか」


 恐る恐る声を掛けてきた部下を安心させるべく、意識してゆっくり振り返る。


「……大丈夫だろう。 アギトは強いし、ムアもいる。

 勝てれば問題は無いし、勝てずともムアの足があれば逃げ切れるだろう」


 本音では、とてもムアの出番があるとは思えなかった。


 騎士は見たのだ。


 『人と成りを見てみたくなった』と言ったアギトの目の奥が、底無しの闇のように光を飲み込む瞬間を。

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