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雪溶け

 ゲル浄化作戦を終えて1ヶ月経った頃。


 赤脈の花畑の前には、雇われていたアガパの民が集まっていた。


「じゃあまず、カーズから」


「はい」


 カーズと呼ばれた若い男が、兵士を連れて立つカイルの元へ走って行く。


 今日は遂に、アガパの民の契約終了日であった。


 最初に呼ばれた若い男は、妻と母親と共に雇われていた何時ぞやの彼である。


 カーズに続けて、他のアガパの民達も名前を呼ばれてはカイルの元へ向かう。


 ギニンの兵士の目の前で正式に借金返済と雇用契約を完了したアガパの民達は、それぞれ思い思いの人生をこれから歩んでいくのだろう。


 正式に全員の解雇を終えたカイルは、ホッと息を吐いた。


「お疲れさん。

 よくやり切ったね」


「皆のお陰だよ。

 僕はわがままを通して貰っただけ」


 そう言いながらも満足気なカイルの頭を撫でる。


「そもそもカイルが言わなきゃ雇用も無かったんだ。

 あたしらは手が空いたおかげでゲル浄化作戦に余力を裂けた訳だし、お前が居た事も、やった事にも意味はあったぞ」


 ディカは胸を張れとカイルの背を叩く。


「つっ……痛いよディカ」


 だがカイルの抗議など何処吹く風、ディカは機嫌良く笑う。


「もっと堂々としろ。

 その年齢で自分で経営を初めて、しかも『金貨』単位の売上を叩き出したのは誇るべきだぜ」


 そう、カイルは何と金貨単位の収益を俺達にもたらしたのだ。











 ゲル浄化作戦から帰って1週間が経った頃。


 ディカと共に、ゲルで獲た装飾品の売却でトーデルを嬉々として痛め付けていた際に、ポロッと出た話がきっかけだった。


「あんたらはもうすぐギニンを出るんだよな?

 だったら『赤脈の花畑』をギニンに売ってくれないか?」


 との話が持ちかけられたのだ。


 どうせ潰すつもりだった俺達は金になるのであればと軽い気持ちで売ったのだが、なんと金貨8枚での買取が提案される。


 ギニン……というかグレイは、カイルの考案した雇用形態に相当の価値を見出したらしく『そのまま譲ってくれ、ギニンの新たな名物にする』と息巻いているらしい。


 買い取る前にも関わらず『雪が溶けた夏場は雪解け水や、結露を魔法で促進させた魔道具で予定している』などの計画案を見せられ、その皮算用には呆れるばかりだ。


 ただまぁ、せっかく親しくなったからには成功して欲しいとも思う。


 そんな訳で湯船や経営権を売るにあたって1つだけ『仕込み』をしておく事にした。


 大した事では無いが、俺の魔石をこっそり地中に埋めて、ストレス吸収効果を強めたのだ。


 これで『赤脈の花畑』は俺達の手を離れた後も繁盛し続け、ギニンの民の拠り所になるだろう。




 引き継ぎやら装飾品の売却やらで忙しくしていれば、月日はあっという間に流れていく。


 気付けば空気は暖かくなり、赤脈旅団との別れの日がやって来ていた。


 赤脈旅団の使っていた三階建ての植物テントの前には馬車が並び、荷物が次々と放り出される。


「ここも売っちまうけど、アギト達の取り分は無くて本当にいいのか?」


「いいよ。

 最初に銀貨5枚で売った瞬間から、俺の手元は離れたからね」


「でも10倍だぞ?」


 何度も確認してくるディカを、テントの影に連れ込んで囁く。


「今の俺達には端金でしょう?」


 普段なら俺がこんな事を言えば咎めるディカだが、俺達の脳裏によぎるのはこの冬の売り上げだ。


「ま、それもそうか!!」


 ほっかほかの懐を思い出し、顔を見合せてほくそ笑む。


 しばらく笑っていたディカだが、笑い声はしだいに尻すぼみになり、溜息に変わった。


「……なぁ、気は変わったか?」


 悲しみの溢れる声に口を噤みかけるが、気付かないふりをして平然と返す。


「いんや全然。

 一緒に過ごしたのは楽しかったけど、やっぱり俺はどこかに属すのは向いてないよ」


「……そ…」


「でも、偶然行先が被ることもあるかもしれないから、そうなったら一緒に行動するのはありだね。

 俺はバルガルフに行った後の予定決まってないし、だったら気心知れた仲間が居る場所の方を旅先に選ぶよ。

 次ディカ達が行くのは『トレストロ王国』だっけ?」


 ディカは言いかけたままに口を開けて呆けていたが、諦めたように笑った。


「そうだ。

 『トレストロ王国』は昔『トラモント王国』から派生した国でな。

 今じゃ殆ど見かけなくなった、昔のトラモント王国の街並が残ってるんだ。

 小さな国ではあるが、小国なりに栄えてるんだぜ」


「へぇ。

 ならバルガルフでカイルの両親のお墓作ったら、そっちの方を目指してみるよ」


 俺の言葉に、ディカがバツが悪そうに頭を搔く。


「あたしらの出発に合わせて待っててくれたのは嬉しいが、ジャバルク軍の撃退に間に合わなくなっちまったんじゃねぇか?」


「気にするこたぁ無いさ。

 テルヘロスに行くって宣言した訳でも無いんだし。

 それよりもうちょっと皆と一緒に居た方が楽しいからっ!!?」


 突然抱き締めて来たディカの腕力で足が浮く。


「……このまま拉致ったらだめか?」


「だーめ。

 カイルの両親の墓造りまで一緒に来てくれるならいいけど?」


「……それは商機を逃すから無理だ」


「でしょ」


 駄々っ子のように抱きしめ続けるディカの頭を撫でていると、突然ポイッと放り投げられる。


「団長、そろそろだぜ」


「分かった、すぐ行く」


 憮然とした表情で歩き始めるディカを追って通りに出ると、大勢が集まり始めていた。


「流石の人望。 こんなに大勢に見送られるとはね」


「いつもこうって訳じゃねぇさ。

 今回は特別多い。

 アレのお陰だな」


 ラートが親指で赤脈の花畑の方を指す。


「あれ、カイルって戻って来た?」


「いんや?

 ムアもまだだし、引き継ぎを兵士と話し合ってんじゃねぇかな」


 カイルは、勤務形態や銭湯を運営する際の工夫や知恵を全て兵士達に引き継ぐつもりでいるらしい。


 実際はそこまでせずともブツだけ渡してお終いで十分なのだか、赤脈の花畑を運営してきたカイルは、生半可を許さないつもりなのだろう。


「浄化作戦行ってたお前ぇらは知らねぇだろうが、最後の方は殆どカイルが切り盛りして指示飛ばしてたからな。

 お前ぇらと一緒に、カイルも引き抜けたらなぁって思ってたんだけどよ」


「それはこれから先、カイルがそうしたいって言ったらだね」


 もしカイルが赤脈旅団と一緒に行きたいと言ったなら、俺とムアは心配と寂しさで着いて行ってしまうだろうが。


 ラートと話していると、見送り達がざわめき始める。


 人混みが分かれて現れたのは、騎士を連れたグレイとヴァートスであった。


「何さ、わざわざ見送りに来てくれたの?」


「あれだけ力を借りたのだ。

 門番に口頭で挨拶だけさせて送り出す訳が無いだろう」


 グレイは騎士に命じると、箱を持って来させる。


「受け取るがいい」


「ではありがたく……って短剣?」


 婚約指輪のように開かれた箱の中に鎮座していたのは、銀色の短剣であった。


「リニーウの家紋が刻まれている。

 助けになる機会があれば使うといい。

 もっとも、影響力は復興派内に限るがな」


「なら国王派への要求は拳で通す事にするわ」


「……ほどほどにな」


 新鮮な前科を思い出し、グレイは苦笑いするばかりだ。


「ムアは居ないのか?」


 次に口を開いたのはヴァートスだった。


「今は赤脈の花畑に行ってるよ」


「そうか、ムアにも挨拶しておきたかったんだけどな。

 まぁいい。

 ギニンの近くに立ち寄ることがあれば、必ず顔を見せろよ。

 あまりにも長い間音沙汰が無ければ指名手配するからな」


「やめてよ……。

 分かった、そのうち手紙か何かを送るよ」


「そうしてくれ。

 アギト達ももう行くのか?」


「俺達は昼に出るよ。

 ギルドとか、ムアのファンに挨拶に行かないとだからさ」


 するとグレイはため息をついた。


「そこまで馴染んでいるのなら、もういっそギニンに住めばいいだろうに。

 何故そこまで旅に拘るのだ?」


「それは……」


 建て前を言いかけて考え直す。


「……それは、俺が自分の目でこの世界を見てみたいからだよ。

 白ばっかりの雪景色も禍々しい瘴気の森も、グレイみたいな人もマルズロみたいな奴も、全部見て知りたいんだ。

 だから行ってくる」


 グレイは白い息を1つ吐くと、静かに微笑んだ。


「……なら引き止めはしない。

 どこにでも好きなように行けばいい。

 だがグレイ・リニーウ及び、ギニンがお前達をいつでも歓迎するのは覚えておけ」


 それだけ言うと、リニーウ親子は領主の館へと帰って行った。


 そして、ちょうど入れ違いにムアとカイルが戻って来る。


「おつかれさん。 引き継ぎどうだった?」


「終わったよ。

 あの人達なら任せられそう」


「なら良かった」


 ルールを一から作ったカイルだからこそ、赤脈の花畑への思いは人一倍強い。


 そんなカイルから太鼓判を貰ったのであれば、きっと大丈夫だろう。


「そろそろあたしらは行くぜ」


 カイルと話している間に、赤脈旅団はもう馬車を走らせるだけの状態になっていた。


「じゃあ西門まで送らせて貰おうかな」


 だがディカは首を横に振る。


「いやいいさ、お前らも昼までに出発しなきゃいけねぇんだろ?

 それより、ほら」


 ディカはリーチェの背中を押し出す。


「アギト……これあげる」


 リーチェが渡して来たのは、彫り物がされた木製の箱であった。


 開けると、シュウマイのような形のプラチナの蓋が見える。


「それは香炉だよ。

 ディカ姉がゲルで取ってきてくれた香炉をくれたから、私が魔法を付与したの。

 お香を記憶して、魔力を流せばいつでも同じ匂いが炊けるんだよ」


「へぇ。 試してみても?」


「どうぞ」


 香炉を手に取り、早速魔力を流してみる。


 フワッと優しく香るのは、覚えのある匂いであった。


「あ、リーチェの匂いだ」


「私がいつも使ってるから、染み付いちゃったのかも。

 そのお香には周囲の魔力の乱れを整える効果があるから、時々使えば魔法の制御は上手くいくようになるよ」


「グルゥ……ブシッ!!」


 ムアが香炉に鼻先を近づけて嗅ぎとり、煙をもろに吸い込んでむせている。


 リーチェはくすくす笑いながら、ムアをギュッと抱き締めた。


「またね」


「フシッ…………ガウゥ」


 リーチェとムアは互いに頬ずりし合って離れる。


「カイルも元気でね。

 アギトとムアだけじゃないよ、私達も何かあったら絶対に助けになるから」


「ありがとう。

 リーチェ達も元気でね」


 はにかむカイルの頭を撫でていたリーチェだったが、俺の前に来ると両手をとって囁いた。


「……いつか迎えに来てね」


「っ……分かった」


 リーチェはギュゥと手を握ったかと思えば、香りだけ残してパッと離れてしまう。


 ディカに頭を撫でられるリーチェの表情は見えないが、溢れる感情が悲しみなのは確かだ。


「どっかのタイミングで合流するよ。

 もしくは拉致る」


「あたしが拉致るかもしれねぇけどな」


 ガハハと笑うディカにつられ、リーチェも背を向けたまま肩を揺らす。


「じゃ、またな」


「うい、またね」


 こうして赤脈旅団と俺達は、別れを告げたのであった。



●●●●



「ムアちゃん行かないでぇ〜」 


 ビェェェェと泣く子供達を引き連れながら、俺達は街の知り合いに挨拶をして回っていた。


 1箇所顔を出す毎に誰かしら着いてくるので、気付けば行列が出来ている。


 ギルドに辿り着いた頃には、大通りを埋めつくしそうな程の列が出来てしまっていた。


「僕が列の整理してくるから、アギトはギルドの挨拶行ってきていいよ」


「ガウゥ」


 カイルが慣れた様子で声を掛け、集まったムアのファンを並ばせていく。


 カイルの成長に感涙を堪えながらギルドに入ると、早速知り合いの冒険者に声をかけられた。


「アギト、今日行くんだってな?」


「おうともさ」


 こいつはゲル浄化作戦に参加していた冒険者だ。


 見張りの前と後に必ず俺の元へ立ち寄って、食い物を貰いに来ていた。


「1杯飲もうぜ、奢ってやるよ」


「いやぁ、お酒はちょっと……」


「確かにそうだな! またバケモンの塔を生やされたらたまったもんじゃねぇや!!」


 ギルド内からドッと笑い声が溢れる。


 と言うのも、ゲル浄化作戦から帰ってきた俺は、赤脈旅団に付き合ってもらいながら酒の特訓をしたのだが……


 その時にカイルを抱えながら高笑いして、空まで届くような骨と肉と植物の塔を生やしたらしいのだ。


 寒さに目を覚ましたら塔の頂上で、震えるカイルを脇に抱えていたのだから驚いた。


「あれはマジで記憶が無いんよ……」


 観光名所にしようぜと、酔いの回ったディカに言われたが、シラフに戻っていた俺は塔を即風化させて消し炭にした。


 お酒の失敗は恐ろしいものである。


「星見ながら酒飲んでたら急に立派なのが生えてきたもんだから、酒吹き出しちまったぜ」


 ガキのように笑い転げる馬鹿達を放置し、カウンターへ進む。


「やほ」


「行くのか」


 セプシオは書類から目を離さず、無愛想に答える。


「うぬ。

 色々迷惑かけたね」


「全くだ」


 小さく笑ったセプシオだが、書類から目を離すとチラと俺の顔を見た。


「だが、お前みたいなイカれた奴が来れば変化が生まれる。

 また来るといい」


「ひでぇ。

 なら、面倒事持ち込みに来るよ。

 んじゃまたね」


「アギト! ちょっと待ってください!」


 要は済んだと帰ろうとした矢先、呼び止められて振り返る。


 だが、特に誰も見当たらない。


 少なくとも視界には入らない。


「……気のせい、グッ」


「いい度胸です」


 脇腹にお馴染みとなった鉄拳が突き刺さる。


「いやぁ、ほんの冗談ですよラグニィさん。

 今日も健やかで何よりです」


「お陰様で快調なので、拳で証明しましょうか?」


「おやめ下さい」


 グリグリ拳を押し当ててくるラグニィから逃れようとすると、グイと袖を引かれた。


「アギト、ニキビが出来たので治してください」


「はいはい」


 ゲル浄化作戦後もラグニィからは好き勝手要求されていたので、これくらい朝飯前である。


「ちょっと頬っぺ失礼」


 屈んでラグニィの頬にかかった髪を手で退けるが、ツルピカで赤子のような肌にそれらしいものは見当たらない。


「んー? どっか痛むところある?」


「あります。 もうちょっとしっかり見てくださいよ」


 こりゃ皮膚の奥の方で膿んでるかー?



 深くしゃがんだその瞬間だった。



 不安定な体制でマスクを下げられ、前につんのめる。


 唇に触れた熱い感触と、顔にかかる火照った体温。


 何が起きたのか理解が追いつかぬまま、ラグニィは直ぐに離れてしまった。


「…………!?」


 頬を染めたラグニィが、イタズラが成功したかのように笑う。


「なんて情けない顔してるんですか。

 アギトにはいつもからかわれてばかりだったので仕返しです。

 一生忘れないでくださいね。

 ほら、さっさと行ってください」


 腰を押されてギルドから追い出される。


 ジワジワ湧いてきた実感に熱を帯びる耳を、冬が残る風が撫でる。


「ふぅ………アギト、もう行くよ?」


 列を消化しきったカイルに呼ばれるまで、俺は唇の感触を確かめたままギルドの前で突っ立っていたのであった。

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