冷えて温まって
日の輪郭が、瘴気の曇り空の向こうで高く登った頃。
雪の壁を突き破って1番に現れたのは、バルガルフ軍であった。
次々と現れる馬車の中でも一際豪華で堅牢な馬車から颯爽と降りてきたのはテルヘロス・バルガルフだ。
「我が軍が一番乗りのようだな」
「だね。 ちゃんと食べてるようで何より」
テルヘロス含め顔色が良いバルガルフ軍は、俺の言った『後で食料支援する』を信じて、食べ物を惜しまずを消費してくれたらしい。
「ガウッ」
「うおっ!」
わざわざ俺の背後で大きくなって登場したムアに、テルヘロスが仰け反る。
「ビビった」
「ガウーウ」
「これは誰でもビビるだろ!」
俺達が騒いでいると、バルガルフ軍の兵士と話していたトーデルが駆け寄ってきた。
「お話中失礼します。
アギト、バルガルフ軍の施設も作ってやってくれないか?
グレイ様からも許可は出ている」
「りょーかい」
そうと決まればやる事は同じだ。
馬車を先に停めてもらって、指示された大きさの植物ハウスを生やしてゆく。
何時もの使い捨ての緑色のツタでは無く、木の幹を歪めて作った冬用の頑丈な家だ。
「何度見ても驚くよ。
大した能力だ」
「まあね」
『貰いもんです』とは流石に言えんなぁ。
まだ国軍が来ていない間に、野菜やら食料を生やして渡しておく。
そんなこんなで忙しくしていると、昼頃になってリニーウ軍と同刻に、セトナート軍も到着する。
俺がセトナート軍にも同じように施設を生やしている間、ムアは霧を使って物資の運搬を手伝っていた。
「ムア、こっちの金床を降ろしてくれないか!」
「ガウッ!」
今ムアに声をかけたのはセトナート軍の兵士である。
初めこそ巨体にビビられていたムアだが、言葉が通じる程知能が高いと認知されると、あっと言う間に重労働の最高戦力となった。
何でも運べるし、気が利くし、可愛いしの非の打ち所が無いムアは、会って間も無い各軍の兵士達から頼りにされると同時に、アイドルのような扱いを受けているようだ。
俺もバルガルフ軍の連中からは親しく話しかけられており、セトナートの兵士からは「助かったよ」と小声で礼を言われたりしている。
慌ただしくしながらも各軍搬入を終え、その夜は顔見せの意味合いも含めた宴会になった。
勿論酒は無く、兵士達は交代で見張りに向かうので、代わる代わる飲み食いする形になるのだが。
料理はシンプルに、僅かな干し肉と大量の野菜を煮込んだ具沢山スープだ。
当然野菜の提供は俺である。
「ガウ」
「ん、ありがとさん」
ムアが霧に乗せて運んできた皿を受け取り、集団から少し離れた岩に腰掛ける。
「お疲れ様さん。
ムア大活躍だったね」
「ガウッ!」
自慢げに見せてきたムアの大皿は、5人前はあろうかと思うほどスープで満たされている。
俺が野菜を生やせるとは言え食料面では各軍不安があるはずだが、それを加味してもムアにこれだけ食べさせてくれるのは感謝の現れなのだろう。
8人がけのテーブルに集まって食事をしている兵士や冒険者達は、各軍ごちゃ混ぜになりながらも楽しげに食事をしている。
初日にしては順調な滑り出しではなかろうか。
現在合流しているリニーウ軍、バルガルフ軍、セトナート軍は『復興派』だ。
『国軍』と言う共通の敵がいるせいかもしれないが、この調子であればそうそう問題は起こらないだろう。
少なくとも今夜は。
「……こんばんは」
「どーも」
俺に声をかけてきたのは、コートの襟を立てて顔を埋めた女であった。
顔を見て違和感を覚える。
この女、厚化粧をしているのだ。
今は団欒とした空気だが、明日以降は浄化作戦が始まる。
リザードマンやスケルトン、まだ遭遇していないモンスターも現れるであろう前線にいる人間にはとても見えないし、ルマネアのような強者の気配も感じない。
強いて言うならば、この女が俺に対し若干の恐怖を抱いている点だろうか。
女は俺が視線を向けると一瞬足を止めたが、意を決したように歩み寄って来ると俺の隣に密着して腰掛けてきた。
「おっと? 何の用かな」
尻をずらして隙間を空けると、女は再びビクリと肩を震わせた。
「あ、あの………」
「ん?」
正面に立ち、務めて優しい声で続きを促す。
「私達の宿を作っていただき、ありがとうございます」
「ああ、どーも」
どの軍の人だろう?
リニーウは全員顔見知りだから、バルガルフ軍かセトナート軍かな?
「その、厚かましくはありますが、お願いがありまして……」
蚊の鳴くような声で話す女の要求は、自分達の宿の部屋数を増やしてくれとの事だった。
聞けばバルガルフ軍と同行して来た出張娼婦のようだ。
そういやリニーウ軍にも、出張娼婦が居たような気がする。
つまり、夜の事をする為の個室が欲しいって事なのだろう。
「構わんよ。
それと金なら既に貰ってるから、色仕掛けしなくても普通に話しかけてくれれば対応するよ」
「あ、ありがとうございます」
拍子抜けしたような顔をしながら頭を下げる女から察するに、俺も荒くれ者の冒険者の1人として見られていたのだろう。
素行がよろしくない自覚はあるが、一定の良心は持ち合わせているつもりなので案ずる事なかれ。
女の恐怖を少し吸収してやると、上げた顔は幾分か血色が戻っているようだ。
「ムアちゃん、でしたか?
撫でてもよろしいでしょうか」
「だってさ」
「ガゥ」
ムアの穏やかな返事に恐る恐る手を伸ばした女は、真っ白な体毛に触れると安心したように微笑んだ。
「……もっと恐ろしい方だと思っていました。
オシャレな覆面をしていらっしゃるので」
話しながら、流れるように俺のマスクに手を伸ばしてくるので、1歩引いて離れる。
「おっと、やめといた方がいいよ。
これ呪われてるから」
「うふふっ」
冗談だと思ったのだろう。
女は相槌のように笑うが、俺とムアが黙ってニコニコしている様子に気付くと息を飲んだ。
「……本当に?」
「うぬ。 因みに俺が着てる服も呪物だよ」
それを聞いて、女はハッとして己の手を見る。
何せその手は、色仕掛けしようとして俺の服に触れたのだから。
「安心しな。 俺が触れてる限り、この子達は悪さ出来ないから」
そう言ってやると、女は少しポカンとしたが直ぐに艶っぽい表情を取り直した。
「……お優しい方なのですね」
「ほう。 何故そう思った?」
「だって誰もが嫌がる呪いの品を、一身に引き受けてらっしゃるのでしょう?」
なるほど、そんな解釈もあるのか。
「ただ好き好んで身に付けてるだけだよ。
固有能力との相性が良いからね」
肩を竦めると、女は俺の服をまじまじと見つめる。
和服っぽい羽織デザインだから珍しいのかと思ったが、そうでは無いらしい。
俺の視線に気付くと、わざとらしく口元に手を当てて視線を逸らした。
「ごめんなさい、逞しい胸元が見えていたので……。
もしよろしければ、私が暖めましょうか?」
こいつめげねぇな。
「お気遣いどーも。
幸いにも生活魔法程度なら片手間に出来るんで、間に合ってるから心配要らんよっ!?」
「?」
背に感じる刺すような視線の感覚に仰け反る。
嫌悪、嫉妬、悲しみ、焦り……
それら負の感情がドリルのようにグリグリ背に突き刺さって来る。
チラと振り返れば、少し離れた場所に無表情のリーチェが立っていた。
「あら……」
女もリーチェに気付いたようだが、少し俯いて口元に手をやるだけだ。
するとリーチェは、土を蹴るようにして俺達の方へやって来た。
「アギト、薬剤の補充したいんだけど今忙しい?」
ニッコリ笑って聞いてくるリーチェだが、その言葉からは確かな圧が感じられる。
「彼は今から私と…」
「それは後で各軍の兵士と見回りに行くから、その時また伝えてちょーだい」
女の言葉を遮って、リーチェの手を引き人混みに混ざる。
賑やかなテーブルを通り過ぎ空っぽの医務室に入った時、手を引いていたリーチェがつんのめるように立ち止まった。
「アギト」
「はい」
「何の話してたの?」
「個室が欲しいから作ってくれって依頼されてた」
振り返らずに答える。
「そのわりには近く無かった?」
「色仕掛けで要求を通すつもりだったみたいよ。
俺も舐められたもんだ」
言い訳のような情けない返事に、異性なんて興味無いぜ、と強がっていた小学生の頃を思い出す。
だが自身の返事の幼さに気付いた所で正解も分からず、そのまま黙ってしまう。
握っていたリーチェの手は、酷く冷え切っていた。
「………アギトも男の子だもんね。
ごめん、邪魔しちゃったかな」
震える声に振り返れば、ムアに寄り添われながら俯くリーチェがいた。
繋いだ手は俺が離してしまえば、力無く落ちてしまいそうだ。
「心配してるような事は無いから大丈夫だよ。
あの手のは興味無いし」
「………」
沈黙はまるで催促のように、俺の尻すぼみな言葉をせっついてくる。
「こんな事言うのは失礼かもしれないけど性病とか怖いし、遊んでる女に興味は無いし、そもそも仕事の話だったのと、それに、ええと……
そもそも興味の無い女には立たん」
「え……」
あ、失言したと気付いた時にはもう遅かった。
言葉を理解したリーチェの耳が、真っ赤に染まってゆく。
いつの間に暖かくなった手が離れようとするが、今度は別の意味で離すわけには行かなくなった。
「ご、ごめん。 そう言う事が言いたかったんじゃ無くて……」
真っ赤になったリーチェは、片手で必死に顔を隠しながら逃げようともがいている。
だが今離してしまったら、次どんな顔をして話せばいいのか分からなくなってしまうではないか。
なので顔を隠す手も捕獲して、強引に目を合わせる。
「ううー!」
真っ赤な顔を背けて抵抗するリーチェだが、このままでは性犯罪者予備軍だ。
今の状況も十分やばいかも知れないが、俺の安全性だけは名誉をかけて伝えなければならない。
「確かにあの時は、まぁ、元気だったけど……、無理矢理そういう事したりはしないから。
大丈夫、俺は安全です」
最後に付け足した言葉の情けなさよ。
だが紛れも無い本音である。
リーチェは途中まで真っ赤になって抵抗していたが、俺の安全宣言を聞くと吹き出してしまった。
「ふ、ふくくくく………」
俺と両手を繋いだまま身を捩って笑うリーチェに、俺も自分のアホらしさにため息のような笑いが漏れてくる。
ひとしきり笑ったリーチェは、俺の手を離すと笑い過ぎて零れた涙を拭った。
「分かった、アギトは安全ね」
「そう、安全。
だってギニンで俺のテントで爆睡してる時も、手出さなかったでしょ?」
「うん、確かにそうだったね」
「あれ他の男だったら絶対襲ってたからな」
「分かってる。 アギト以外の人の所では寝ないよ」
ほんとかー?
この子ニコニコして愛想振り撒いてるくせして、ヘソ天で寝てたからなぁ。
「ほら、寝床まで送ってくから今日はもう寝なさい」
リーチェの背を押すようにしてテントから出ると、火照った顔に夜風が心地よく当たる。
防寒の結界が張られているとは言え、結界内は15度前後なのだろう。
「そう言えばアギト、私医療班になったから一緒に働く事になりそう」
「各軍の衛生兵の指揮下で、自軍の治療をメインでするらしいね。
俺も基本的にはリニーウ軍に居るけど、バルガルフ軍とセトナート軍に重傷者が出たら助けに行く事になってるんだよ」
「おおー、エリートだ」
兵士や冒険者らがゾロゾロと席を立って移動している。
丁度見張り交代の時間なのだろう。
前線には立たない良い身分の俺達は、彼らとすれ違いながら寝床へノロノロ歩いてゆく。
「俺が過労で倒れたらリーチェとムアで看病してね」
「アギトならツバ付けとけば治るよ」
「ガウ」
下された診断は雑で、処方された薬は唾液のみであった。




