帝国の金級
「退屈ですね……」
「………」
ボヤくラグニィの隣で、リーチェは黙々と草を毟る。
「こんな依頼で時間潰すくらいなら、ノゾム達に着いて行った方が楽しかったかも知れませんね」
「………そうかもね」
リーチェの素っ気ない態度に、ラグニィは溜息をついた。
「私がリーチェの立場ならもっと喜ぶか、いたたまれなくて逃げ出してます。
それなのに何で嫉妬してるんですか」
「……別に」
頑なに目を合わせないリーチェに、ラグニィがウサギ跳びで周りこもうとする。
顔を背けるも纏わりつくラグニィに、リーチェは観念し、消え入りそうな声で呟いた。
「……近接でいつも一緒に居られるでしょ」
「でもあの夜、一緒に居たのはリーチェでしたよ」
「………」
真っ直ぐぶつけられる焼け付くような怒りに、リーチェは口を噤む。
「もっと近付きたいなら、リーチェから行けばいいじゃないですか。
………私はまだ返されてませんけど、受け取っては貰えましたし」
1歩離れる気配に顔を上げたリーチェが見たのは、痛みを堪えるように静かに涙を流す幼い横顔であった。
「ごめ…」
「謝らないでくださいよ。
……私が自分で選んだんですから」
励ましも同情も許されない。
なけなしのプライドで震える小さな肩の向こうに、夢にまで現れた憎らしい狡猾な顔を思い出せない。
乾いた息しか吐けない口は、ただの呼吸器に成り下がったらしい。
「っ!?」
突然悪寒を覚えたリーチェが咄嗟に動けたのは、体に染み付いた赤脈旅団での経験か。
悪意の発生源は、丘の彼方にあった。
「どうかし……!!」
リーチェの様子に気付いたカルノは、視線の先を辿り目を見開く。
丘の向こうに現れたのは、50人を超える武装した影であった。
しかし野党と呼ぶにはあまりにも、綺麗に並び過ぎている。
カルノは異常性にいち早く気付くと、バラニの判断を待たずに指示を出す。
「傭兵が接近!!
王都まで走れ!!」
叫びながら王都に背を向けたカルノは、大弓を引き絞った。
●●●●
大きな弧を描き落下する矢を『雷槍のコクノイア』は興味深そうに眺めていた。
「結界を張り、矢を撃ち落とせ」
「はっ!」
傭兵に扮した帝国軍から放たれた魔法は、カルノの矢に触れると爆散する。
「ほぉう?」
撃墜されたかと思われた矢は、無数の炎の塊に変わり、雨のように帝国軍に降り注いだ。
『ぎゃあ!!?』
結界を突破し兵士達を焼く威力に、部下が悶え苦しむ中でコクノイアは微笑む。
「なかなか悪くない。
使い勝手が良さそうだ」
「っ! お待ちください」
馬を進めようとするコクノイアを、側近が慌てて引き止める。
コクノイアが敵国の兵士であろうと平然とスカウトする事を、側近は知っていたのだ。
「あの服はムナルイン学園の制服です。
ただでさえ王都に近づきすぎている状況で、これ以上は王を刺激するかもしれません」
兵士の忠告に、コクノイアは嘲るように鼻を鳴らす。
「お前も日和見の老害に染まったか。
トラモントは今や国として保っているのが奇跡のような脆さなのだよ。
そんな事も分からないのかね?
それに、つい一月前の内乱で王がすげ変わったトラモントに、統率など無い」
「しかし新たな王の気性はまだ知れません。
グッ!?」
なおも食い下がる側近を二股の槍で押し退けたコクノイアは、振り返る事もせず馬上で槍を構えた。
「新たな王もどうせ貴族の傀儡だろうに。
お前はこの任務を終えたら、老いぼれのおしめを変える役職に変えてやろう」
掲げられた槍が青白く発光し、兵士達の髪をふわりとなびかせる。
「………フンッ!!」
槍が一際強く輝き、目が眩む。
ズガァン!!!!
僅かに遅れて届いた轟音の発生源を見れば、ムナルインの制服姿が10人以上は倒れていた。
「死体でも持って帰れば、多少の慰めにはなるだろう。
進……いや、待て」
戸惑う兵士に構わず、コクノイアは地平線と雲の境に目を凝らす。
だが正体を見極めるより早く、瞬く間に急接近する白い影に目を見開いた。
「敵襲!!」
任務に出て数ヶ月、初めて出した『敵襲』の言葉に戸惑う兵士達は、鋭利な形をした巨大な霧に切り裂かれて消えた。
「むんっ!!」
押し寄せる霧にコクノイアは馬から飛び退きつつ、無数の落雷で味方諸共焼き払い安全地帯を作り槍を構える。
「何者だ!!」
霧に叫ぶコクノイアにムアが姿を見せたのは、宣戦布告に他ならない。
水面に溶けるようにムアが姿を消した瞬間が勝負……いや、狩りの始まりであった。
迸る雷が轟音と共に熱風を放ち、周囲の霧を押し退ける。
その間に雷を再び輝かせたコクノイアの槍が閃き、霧を貫いた。
強烈な抵抗に反して手応えの無さに、コクノイアは直ぐさま槍を引き戻す。
だが貫かれた穴を埋めた霧が巨大な爪に変じたのを目にし、今度は槍先のみを輝かせる。
「ふっ!!」
迫る爪に雷の壁を突破されたコクノイアは、放電による爆風で素早く飛び退いた。
「厄介な……何?」
再び雷の壁を生やすべく魔力を放ったコクノイアは、魔力が浸透しない地面に違和感を覚え足元を見る。
目に映ったのは、枯れ草でも、若葉の緑でも無く……波打つ白であった。
「しまっ!!?」
すくわれた足を見放し、膝から上を強靭な雷で覆ったのは、歴戦の判断の速さがあったからだろう。
しかし、命運はとっくの昔に尽きていた。
「ぐぅぅぅぅぅ!!!!」
嵐のように渦巻く霧にみるみる雷を削られ、身を守る範囲を狭めていく。
「があああああああああ!!!!!!」
魔力も、血肉も、絶叫も霧に飲み込まれ、最後に残った魔石すら霧に溶け消えたのだった。
●●●●
「任せる」
「グルゥ!!」
帝国軍を霧に飲み込むムアを横目に、倒れ伏すリーチェとラグニィを抱える。
息は、していなかった。
「電気、AED……っ」
肺を模した肉袋を口に当て、指先を帯電させて電気ショックを与える。
ボッ、と2人の体が跳ねるが、心臓は痙攣しただけで役目を果たさない。
「っ……」
直接心臓に肉を繋ぎ、強引に延命をしようとしたところで、気付いてしまった。
命が、崩れていた。
魔力や気を留める概念の輪郭が、崩壊し始めているのだ。
リーチェとラグニィは、急速に死体へと変化し始めていた。
「嘘だろ、待て待て……」
焦りを抑え、気と魔力を擬似的に流し肉体の変化を食い止める。
雷撃にそれぞれ抵抗したのだろう。
リーチェは魔力が、ラグニィは気の回路がズタズタに傷付いている。
死霊術が役に立った瞬間ではあったが、物言わぬ傀儡になんてするつもりは無い。
だが生きている概念が崩れたこのままでは……
「……命の輪廻か」
陽神は自らの命の力を循環させ、地上の生き物に命を貸し与えている。
貸し与えられていた命が今、回収されようとしているのだ。
命の輪廻の仕組みは詳しく分からないが、命の削り方なら知っている。
魔石だ。
だがかつて作った魔石とは違い、今回は命の深い所、魔力や気の発生源を削らなければならない。
失敗すればライゼンのようになるか、もしくは死ぬ。
迷いは無かった。
魔力と気と、体の芯よりもっと深い部分を削り、2人に浸透させる。
「『生きてる』『リーチェとラグニィは生きている』」
呪詛しか吐いたことの無い俺の言霊が、何処まで命に力を与えられるだろうか。
「…ぅお……」
ガクンと足の力が抜ける。
命が削れた隙間に木枯らしが吹き込んだかのように、体の感覚がかじかむのを感じる。
だが、治療の手を止める理由は無かった。
「……おし……いいかんじ………」
●●●●
帝国軍を一掃したムアが戻って見たのは、リーチェとラグニィの隣で倒れるノゾムの姿だった。
「ノゾム!?」
「……リーチェと、ラグニィ……息して……る?」
ノゾムに意識を向けつつ、リーチェとラグニィを霧で包んだムアは2人が眠るように息をしているのを確認すると、ノゾムに縋り付いた。
「してる!
でもノゾムが……!」
肉体を持たない存在だったムアは、一目見て気付いていた。
ノゾムの命の輪郭が崩れている事に。
「……生徒……浮かせて……早く…」
「なん…分かった!」
ムアが生徒達を浮かせたのを見計らい、ノゾムは地面に爪を突き立てた。
「……ぐ………」
周囲の緑がノゾムを中心に枯れていく。
ノゾムは周囲の命を吸い取り体力の回復を試みたのだ。
「はぁっ……」
しばらく荒地を広げたノゾムだが、吸い取った養分は壊れた命の輪郭からサラサラと抜け落ちていくばかりだ。
「……やべ……死ぬかもしれん」
「だめ!!
ムアの声聞いて!!」
胸ぐらを掴んでノゾムを起き上がらせたムアは、強引に目を合わせ、霞む意識の向こうまで届くように大きな声で呼びかける。
「ムアがノゾムを生きていられるように固める!!
ノゾムを取り込むから抵抗しないで!!」
「……どうすれば……いい?」
「ムアが飲み込むから、生きてるのをゆっくり崩して!!
ムアに全部任せて!!」
ノゾムは眠気を誤魔化すように、口の端で笑った。
「……おっけ……まかせる………」
●●●●
ルトレリが寮の戸をノックする。
だが夜の寮に響く、くぐもった反響音に顔を顰めた。
「ムア、いるのでしょう?
開けてちょうだい。
害意は無いわ」
「来ないで」
扉の向こうから告げられる拒絶に、ルトレリは溜息をついた。
「攻撃したりしないわ。
少し話を聞かせて欲しいだけよ。
あなた達の為でもあるの」
「嫌」
取り付く島もないようだ。
どうしたものかと立ち尽くすルトレリの耳に、微かな声が聞こえてきた。
「……そはつ……ませ……」
「…でも……」
しばらく囁き合うが聞こえた後、扉が渋々開かれる。
「入るわよ〜……」
「そこに座って」
霧の塊は、部屋の角に椅子をペッと吐き出した。
あんまりな応対だが、部屋に入れて貰えただけ十分な譲歩かと諦め、大人しく席に着く。
「一応、防音の結界を張るわよ?」
「こっちには触れないようにして」
環境を整えたルトレリは、ようやく本題に入った。
「あなた達にはお礼を言わなければいけないわね。
命懸けで生徒達を守ってくれた事、感謝するわ」
「命懸けで守ったのはリーチェとラグニィ」
「あら、そうなの?
何が起きたか、詳しく聞かせてくれないかしら」
すると、霧から現れたのはラグニィであった。
「まだ休んでて」
捕らえようとする霧を、ラグニィはやんわり断る。
「大丈夫ですよ。
まだ力が馴染んでいないだけで、死ぬ訳ではありませんから。
……あ、ありがとうございます」
ルトレリが差し出した椅子に深く腰かけたラグニィは、自分が見た限りの事を話した。
薬草採取中に野党が現れた事。
カルノが攻撃を仕掛けた直後に強力な魔力を感じ、リーチェが結界を張った事。
「……初撃を軽減しようと私が気を放って、その後の事は……ムアとノゾム……アギトしか分かりません」
「そう、ありがとう。
勇敢な行動だわ」
ルトレリは霧に顔を向け、続きを促す。
「……ノゾムがリーチェとラグニィの治療に行って、ムアはコクノイアと戦って殺した。
戻って来たらノゾムが死にかけてたから今こうしてる」
「コクノイアを……。
……いえ、それどころでは無いわね。
ムア、あなたがコクノイアを対処してくれたお陰で皆生きて帰って来れたわ。
ありがとう」
霧からの返答は無かったが、ルトレリは続ける。
「………アギトの容態はどうかしら?
もし何か出来ることがあれば力になるわ」
「………」
沈黙を続けるムアにルトレリは辛抱強く待っていたが、未来に変化が現れないと悟ると部屋から立ち去った。
足音が遠ざかるまでたっぷり待ち、ようやく霧が晴れる。
部屋の隅では、霧に浮かぶノゾムの前で、手術中のようにムアが立っていた。
いや、実際治療の真っ最中であった。
「……ノゾムの容態はどうですか」
「とりあえず生きてるようにした。
でも霧から離れたら体が死ぬ。
生き物に必要な命の仕組みが壊れてる」
霧に浮かぶノゾムの眼窩は落ちくぼみ、黒衣の衣から伸びる手足は、鶏ガラのようにか細い。
この姿は最もエネルギー消費が少なく、ムアにとって命の維持がしやすい状態なのだ。
周囲に浮かべられた呪物や身に付けているマスク、棍棒で回復の足しにしているが、それでも命の再起には到底足らずにいた。
「……すみません」
「ラグニィは悪くない。リーチェも。
悪いのはコクノイア」
淡々と事実を述べるムアにラグニィが何も言えずにいると、隣の部屋から持ち込まれていたベッドが軋む。
「……うぅ……?」
重そうに身を起こしたのはリーチェであった。
ラグニィに続き目を覚ましたのだ。
「ここは……」
「ノゾムの部屋。
まだベッドに居て」
普段のおっとりとした印象が消し飛ぶ、有無を言わせぬ口調のムアに、リーチェは目を丸くする。
だが霧に浮かぶノゾムの姿に、そんな事は思考から弾き出された。
「え……何で……?」
「リーチェとラグニィを治す為に命を削って、1人だと生きられなくなった。
2人は悪くない。
コクノイアが悪い」
先手を打つムアに口篭るリーチェだが、それでもベッドから降りる。
「診察させて。
力になれるかも」
足元の覚束無いリーチェに心配そうなムアだったが、命の事ならともかく、肉体的な医療に長けているのは知っている。
リーチェはノゾムの胸に触れると、直ぐに気付いた。
「……魔力が乱れて、ムラが出来てる」
「魔力が乱れるとどうしてダメ?」
目を合わせず、ムアは淡々と質問する。
「魔法で維持してた筋肉とか、体を守ってる薄い膜が張れなくて体調が悪くなったり、病気になりやすくなっちゃうんだよ」
固唾を飲んで見守っていたラグニィが、何かに気付きノゾムに触れる。
「………気もです。
気が全身に巡っていないので、栄養や魔力が行き届かないんじゃないでしょうか。
………気や魔力の発生源を治療に使ったからだと思います」
「そうなの?」
「ええ。
今私の体には、ノゾムの魔力と気が流れていますから。
リーチェもそうなんでしょう?」
ラグニィの言葉に、自身の胸に手を当てたリーチェが頷く。
そんなリーチェを見ていたラグニィは、1度目をギュッと閉じると意を決して口を開いた。
「私の中にあるノゾムの命を返し…」
「だめ。
ノゾムがあげたならそれはノゾムの意思。
ムアもラグニィに死んで欲しくない。
リーチェもだめ」
有無を言わせぬムアの言葉に、ラグニィは何も言えずノゾムの手を握るしか出来ずにいた。
こちらの世界では、植物状態イコール死だ。
食べれなければ、死ぬ。
逃げられなければ、死ぬ。
働けなければ、死ぬ。
かつて心の負担を拭い去り安心を与えてくれた手は、握らなければ力無く落ちてしまう。
蝋のように冷え固まっていないから、大丈夫なだけ。
少しでも暖かくなるように握りしめていたラグニィだったが、無意識に込めた気が吸い込まれ、目を見開いた。
変化は見た目に現れなかったが、命に触れていたムアは真っ先に気付いた。
「今何した?」
「気が、抵抗無く吸い込まれて……」
それを聞き、リーチェもハッとなる。
本来は体を守る為に、気も魔力も自分のもので無ければ弾いてしまう。
だが今2人の持っている気と魔力は……
「そっか、元々ノゾムのだから……」
リーチェが流した魔力も同じように抵抗無く吸い込まれ、ノゾムの中に消える。
「リーチェ、ラグニィ。
ちょっとずつ流して。
2人が、ノゾムの気と魔力の心臓の代わりになって」




