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第8話 さようなら



皇帝と食事をした次の日、フィオレンサはオーウェンとともに入室してきた侍女長を冷めた目で見下ろしていた。


「皇女殿下、誤解です! 私はまだ働けます! 殿下にご心配をおかけしてしまったようですが、私はこのとおり元気です!」

「皇女殿下、陛下より、たった今この女を侍女長としての任から解くとご命令が下されました」

「そう……」


「殿下!」と騒ぎ立てる元侍女長を見つめながら、私はオーウェンに問いかけた。


「侍女長には沢山お世話になったから、なるべく多くの退職金を出してあげたいのだけれど、どの程度の退職金が出る予定?」

「およそ1万ベルかと……」

「あら、じゃあ安心ね! 侍女長、今までありがとう。これからは自分の体を大切にしてちょうだいね」


1万ベルは平民が贅沢をしなければ約1年間は働かなくても大丈夫なほどの金額だ。正直、フィオレンサはそんな大金を侍女長になんて渡したくないが、これから侍女長に待ち受けているものを考えたら、この程度の大金くらいは目を瞑ってあげてもいいだろう。


「で、殿下……? まさか本当に私を追い出すつもりですか……?」

「違うわ、追い出すわけじゃないの。ただ今まで十分お世話になったから、陛下に侍女長を自由にしてあげたいとお話したのよ」

「そ、そんな……!」


(悲しいでしょうね。もう私腹を肥やせないんだから。でも絶望するのはもう少しあとよ)


フィオレンサは扉付近に控えているオーウェンに目配せして、一時退席してもらう。そうすると今この部屋にはフィオレンサと元侍女長しかいない。


侍女長は今すぐにでもフィオレンサに掴みかかりそうな勢いだ。けれどそれができないのはすぐ外にオーウェンが控えているから。


(貴方は何もできないのよ。余計な真似はしないほうがいいわ)


フィオレンサは侍女長を見上げて、軽蔑した眼差しを送る。しかしその視線が我慢ならないのか、侍女長は怒りのあまり顔が赤くなっていく。そんな侍女長にフィオレンサは外にいるオーウェンにも聞こえるように大きな声で言った。


「あら、大変だわ! 顔が赤くなってるわよ! やっぱり地方で休養した方がいいのよ。私は貴方の幸せを願っているわ」

「っ! 殿下、私はまだ……!」

「気持ちはわかるけど、 体は心についていかないものよ。是非とも残りの余生を楽しんでちょうだい」

「殿下!!」

「オーウェン、入っていいわ」


まだ納得がいかないという顔をしている侍女長を横目にフィオレンサは侍女長を外に案内するように話した。侍女長は連れていかれそうになるのをフィオレンサの足元に跪いて、命乞いをするように辞めたくない意志を伝える。


(貴方の意志なんて関係ないのよ。だってこの国の最高権力者である皇帝からの命令なんだもの。大人しく従った方が身のためだと言うのに……)


散々馬鹿にしていた相手が急に媚びへつらう様は醜いもの以外ない。フィオレンサは不快な気持ちになった。


オーウェンは皇帝の命令ということもあり、侍女長を連れていこうとする。そのとき、フィオレンサは言い忘れていたことを思い出して、咄嗟にオーウェンに声をかけた。


「あっ、待ってちょうだい、オーウェン。侍女長に話しそびれていたことがあったの」


フィオレンサのその言葉に分かりやすく侍女長は嬉しさを隠しきれない顔になる。フィオレンサはその顔に笑顔で返しながら、コツコツと侍女長に近づき、耳元で囁いた。


「もう横領なんてしない方が身のためよ? もしかしたら貴方の罪を誰かが密告するかもしれないのだから。調べるのかもしれないのだから。いくら私がイツワリ皇女として扱われていたとしても、ね」

「───! ……あ、あぁっ!」

「今までお世話になったわね。さようなら」


フィオレンサは笑顔で言うと、オーウェンに侍女長を連れていくように指示した。侍女長は先程とは打って代わり、青白い顔をして、震えながら部屋を出ていった。


(それもそうよね。もしかしたら、横領した罪が暴かれ、己の人生が地獄へと突き落とされるかもしれないのだから。───でもね、貴方は私が地獄に落としてあげる)


誰もいなくなった部屋でフィオレンサは窓の外を眺めながら、小悪魔のように笑った。



* * *



侍女長が皇帝の命令で退職したと話が広まるのはあっという間だ。今まで侍女長の下で同じく私腹を肥やしていた侍女たちは分かりやすく二手に別れた。


ひとつは自分たちの罪が明るみになることを恐れるもの。もうひとつは侍女長の代わりに成り代わり、更に私腹を肥やそうとするもの。


(前者の焦っている侍女たちはまだいいわ。己のした愚かさを今になって思い知っているのだから。……問題は身の程を弁えずにさらに手を伸ばそうとする後者。どちらにせよ、陛下が斡旋してくれるという新しい侍女長と協力して追い出すしかないわね)


あの侍女長なきいま、侍女のなかでもふたつの派閥に分かれ始めていることにフィオレンサは口角が上がる。そのとき、扉をノックしてオーウェンが入ってきた。


「どうしたの? 何か問題でも起きたのかしら?」

「いえ、陛下が新しい侍女長の人選が終わったため、一刻も早く殿下のもとにお連れしようと参りました」

「……! もう、終わったの? 昨日の今日よ?」

「はい。とても優秀な方ですので、予想よりも早くに人選が終わりました」

「そう、今ここに来ているの?」


フィオレンサはティーカップをテーブルに置いて、オーウェンに尋ねた。するとオーウェンは得意顔で答える。


「もちろんでございます。お会いになりますか?」

「……そうね。これからお世話になるから、早めに顔合わせといきましょうか」

「分かりました。───ローレン伯爵夫人、お入りください」


(ローレン……?どこかで聞いたことがある気がする……)


フィオレンサはその名に頭を悩ませていると、扉の外から優雅に入ってきた。その女性は平均身長よりも少し高く、翠色の髪を短く肩口に揃えて切られていた。檸檬色の瞳を見て、フィオレンサは思い出した。


(ローレン……! なるほど、貴方だったのね。原作のヒロインであるシエナが信頼していた侍女長。リズ・ローレン伯爵夫人!)


フィオレンサは皇帝が斡旋した人物があまりにも優秀だったため、言葉が出なかった。オーウェンはフィオレンサのその様子を人見知りだと勘違いしたのか、ローレン伯爵夫人にフィオレンサのことを軽く紹介した。


「ローレン伯爵夫人。こちらは帝国の永遠の星、フィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディ皇女殿下です。殿下は人見知りなので、仲良くなるのに時間がかかるかもしれませんが、ご理解ください」

「大丈夫です。殿下と仲良くなれるように頑張りますから」


(誰が人見知りですって!? 私は人見知りじゃないわよ! ただ新しい侍女長が彼女で驚いていただけ!)


いくらそう毒づいていも、心の中では誰も聞こえない。もちろん、フィオレンサ自身も話すつもりなどないために心の中ででしか毒づいていないが。


「……初めまして、ローレン伯爵夫人。私はフィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディ。オーウェンは私のことを人見知りだと言ったけど、実際はそんなことないから。これから忙しくなると思うけど、よろしく」

「帝国の永遠の星、皇女殿下にリズ・ローレンがご挨拶申し上げます。皇帝陛下から侍女長の任を拝命し、今後は殿下に仕えさせていただきます」

「うん。……とりあえずローレン伯爵夫人とお話したいからオーウェンはここまででいいわ。ローレン伯爵夫人は私とお茶でもしましょう?」


オーウェンが一礼し、部屋を出ていくのを片目に、フィオレンサはローレン伯爵夫人にお気に入りのお茶を入れてあげようと思っていた。ティーカップも普段なら1つしか出さないのに、同じものを2つ出してテーブルに並べる。


「こ、皇女殿下……! お茶の準備なら私が……!」

「それは次からでいいわ。今回は歓迎の意味も込めて私が貴方にお茶を入れてあげたいの。ふふっ、安心していいわ。味は毎日入れていたから美味しいはずよ」

「───! 毎日……?」

「あら、つい余計なことを。なんでもないわ」


フィオレンサは慣れた手つきでお茶を準備していく。お湯を注いでいる時間、蒸す時間、温度。


それらを完璧に調節しながらフィオレンサはローレン伯爵夫人のティーカップと自分のティーカップにお茶を注いだ。


茶葉のすっきりとした香りが広がると、フィオレンサは砂糖やミルクとともにテーブルに座っているローレン伯爵夫人に差し出した。そして自分のもテーブルに置き、席に着く。


「さあ、どうぞ召し上がれ。残念ながら今はお茶菓子がないの」

「いいえ、殿下自ら入れてくださっただけで十分です。いただきます」


今回の茶葉はストレートでもミルクティーでも相性がいい茶葉だ。フィオレンサはローレン伯爵夫人の好みが分からないため、どちらでも飲める茶葉を使用したのだ。


(今回のお茶も上手くいったわ。ただ、ローレン伯爵夫人の口に合うかどうか……)


フィオレンサはお茶を飲みながら、ローレン伯爵夫人の動向を確認していた。誰かにお茶を入れ、飲んでもらうのは初めてなため、フィオレンサは人知れず緊張していた。


ぎゅっとテーブルの下で手を握っていると、ローレン伯爵夫人がティーカップをテーブルに置く音が聞こえた。


「ど、どうだったかしら? 好みでミルクティーにもできるわよ?」

「いいえ、殿下が入れてくださったストレートは皇帝陛下にも出せるほど美味しいので、何かを混ぜる必要はありません」

「そ、そう? 随分と褒めてくれるわね」

「お茶を入れるのはそう簡単ではありません。少しの温度や時間でお茶の味が大きく変わってしまうことなど、よくあります。しかし殿下はそれをよく理解していらっしゃる」


(それはそうよ。初めて入れたときは渋すぎて飲めたものじゃなかったんだから……)


フィオレンサは初めて入れたお茶を思い出し、少し渋い顔をした。ローレン伯爵夫人はそんなフィオレンサにただ冷静に話し続ける。


「これほどの腕前となるには、余程の練習をしたのでは? 侍女たちに教えてもらったのですか?」

「いいえ、独学よ。……ただ私の環境は噂のせいで厄介なだけ」

「……!」


思わず口にしてしまったが、そう何度も取り消すことなんてできない。





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