第7話 陛下は私のことを娘だと思っていないでしょう?
オーウェンに案内され、またしても皇宮内の来たことがない場所へと着いた。そこはいかにも皇帝がいる場所に相応しい、高級な品が置かれている部屋だった。フィオレンサはあまりにも自分の部屋と違うもので、ついあちこちと見てしまう。
「陛下、皇女殿下をお連れしました」
「ご苦労だった。下がっていい」
「かしこまりました」
オーウェンは一礼するとこの部屋から出ていってしまった。つまりこの部屋にはフィオレンサと皇帝の二人しかいないという事である。フィオレンサはとりあえず、皇帝に向けて教わった挨拶をした。
「ヴェードナ帝国の不滅の太陽。皇帝陛下にフィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディがご挨拶申し上げます」
「───ああ、とりあえず席に着け」
「失礼します」
フィオレンサは皇帝の向かいに座る。目の前には既に準備された豪華な食事たちが待っていた。食べ始めたいところだが、皇帝の許しがなければこういう席では食べ始めてはならない。フィオレンサは皇帝が食べ始めるのをじっと待っていた。
───それなのに
(───……なんで、一言も話さないの!? もう10分くらい経過してると思うけど!? 無言のままずっとこっちを見てくるし、いい加減顔が引きつるって!)
フィオレンサはテーブルの下でぎゅっと手を握りながら、時間が過ぎるのを静かに待っていたが、とうとう限界が来た。皇帝が口を開かないならと、フィオレンサは先に話し出すことにした。
「……陛下は、なぜ私をここに呼んだのですか?」
「───陛下……?」
「ええ、一国の皇帝陛下であらせられるお方ですから。それで、陛下。失礼ですが、私と陛下はこうして食事をするような仲だったとは認識しておりませんが?」
あまりにもどストレートに聞くものだから、皇帝は口ごもった。しかし、フィオレンサはそんなのお構い無しに話し続ける。
「陛下はお暇ではないと心得ております。そんな陛下がわざわざこうして時間を取られ、私と食事をしたいと仰ったのにはなにか理由があるはず。それは一体なんなのですか?」
「そ、それは、だな……」
「陛下の自由な時間を奪うのは本意ではないのです」
(実際はそんなのどうだっていいけど。早くご飯を食べたいんだから仕方がない)
フィオレンサは食事のためにバンバンと話しかける。皇帝はそんなフィオレンサに圧倒されるが、段々と余裕が戻ってきたのか、重みのある声でフィオレンサに言った。
「……仮になにか理由があったとしても、それをどのタイミングでお前に話すのかは俺の判断だ。お前が口を挟む理由は無い」
「……っ、失礼しました」
「だが、このまま時間が過ぎても仕方がない。とりあえず食事を始めよう」
皇帝の言葉でフィオレンサはぎこちない動きながらも食事をはじめた。しかし、目の前に皇帝がいることであれほど待った食事も味が上手く感じられない。
(あとで絶対胃痛になるやつだわ、これ。お腹はすいているから手は動くけど、緊張やらなんやらで胃に負荷が……)
フィオレンサは小さくカットした肉を口に含み、もぐもぐと咀嚼する。普段なら美味しいと感じるものが何も感じないとは、こんなに悲しいことはなかなかない。
(はあ、これなら早く食べて部屋に戻ろうかしら。あれから陛下は何も言わないし……)
そう思い始めていると、おもむろに皇帝は話し始めた。
「───最近、勉学に励んでいると聞いている」
「───!」
油断していたせいで危うく喉にサラダが詰まるところだった。急いで水を飲み、サラダを胃へと落とす。そして何事も無かったかのように皇帝の質問に答えた。
「はい。先生のおかげで勉強は捗っています。それに皇族として、皇家に泥を塗るわけにはいきませんから」
「……そうか」
「ええ」
「…………」
「…………」
(えっ、これだけ!?まさか今のが私をここに呼んだ理由じゃないでしょうね)
私は悶々としながらフォークにプチトマトをぶっ刺した。プチトマトの汁が多少とんだが、皿の中だけで留まったのでお見逃し願いたい。
「……なにか、欲しいものはあるか?」
「───!!!? ほ、欲しいものですか?」
「ああ、お前が努力していることをヘイリー侯爵夫人から聞いている。だから、もし欲しいものがあるなら、ひとつくらいは叶えてやってもいいと思ってな」
(はっ! 一体どういう風の吹き回し?努力しているですって? それは貴方に殺されないようにしているだけに過ぎないのよ。……でも、せっかく何かを貰えるなら……)
フィオレンサは意を決して皇帝を見つめた。そして躊躇いながらも口を開く。
「……でしたら、ものはいりません」
「いらないのか……?」
「はい。ただし、代わりに叶えてもらいたいことがあります。陛下にしかできないことです」
「───ふむ。言うだけ言ってみるがいい」
(こんなに早くにチャンスが回ってくるなんて……!)
フィオレンサは落ち着いた声で願いを話した。
「私の願いは侍女長にお暇を上げたいのです。最近侍女長は腰が痛いと言っていることが多く……。私はもう長く務めてくれている侍女長を思い、もう休んで欲しいと頼みましたが、任せられる後任を見つけない限り、役を下りられないと。けれど陛下からお話なさればきっと侍女長も自分の体を思い、私の願いを聞いてくれるはずです」
「………………」
「だめ、ですか?」
フィオレンサは女優負けなしの演技力で、いかに侍女長を思っているかを熱弁した上で、らしくなく首を傾けてお願いをする。皇帝は黙っていたが、グラスに注がれているワインを一口含むと、私の願いを聞き届けてくれた。
「……いいだろう。その願いを叶えてやる」
「───! ありがとうございます、陛下!」
「ついでにお前の新しい侍女長も斡旋してやる」
「お心遣い感謝します」
「ふん。これからも努力するように」
「心得ております」
(やったわ! これで1番最初の目標達成ね! 自分のために勉強は頑張っていたけど、まさかこうして陛下にお願いができるなんて。まさに棚から牡丹餅ね)
緊張もほぐれてきたことが相まったのか、先程までとは違い、食事に味を感じられるようになった。デザートも冷たくて甘い氷菓子で、また食べたくなる味だった。
食事を食べ終わり、お互いお茶を飲んで一息つくと、フィオレンサは今日のお礼を言った。
「陛下、本日はご招待頂きありがとうございました。それに私の願いも叶えてくれて。今後も皇族として恥じぬように精進して参ります」
「……ああ」
「それでは本日はここでお暇させていただきます。せっかくの陛下が休息できる時間をこれ以上、奪うわけにはいきませんから」
「───は?」
「それでは失礼します」
立ち上がろうとしたフィオレンサを皇帝は「まだここにいろ」と言い、フィオレンサが退出するのを許可しなかった。
(もう用はないはずなのに……。ここにいても気まづいだけなんですけど!?)
しぶしぶお茶を入れ直し、空になったティーカップに再びお茶を注いだ。お茶を飲みながらさりげなく皇帝を見ると、皇帝もこちらを見ていたのかパッチリと目が合った。
「───ぶふっ」
思わず飲んでいたお茶を小さく吐き出してしまうほどにフィオレンサは驚いた。けれど皇帝は何も言ってこない。余計にそれが気まづさを促進させる。
(なんのために引き止めたの……!? このままだと陛下からの無言の圧力で気を失うかもしれないのだけど?)
ううっと唸りながらフィオレンサは考えるが、全く分からない。そしてとうとうお茶を飲みきってしまった。空になったティーカップを見つめても、中には何も入ってない。
(もう一度お茶を注ぐ? いや、今度はお腹がタプタプになって動けなくなる恐れ大だわ。……どうするべきか)
無言のまま動かないでいたフィオレンサに陛下は気になったのか、グラスをテーブルに置いて話しかけてきた。
「どうした」
「へあっ? あ、いえ!なんでも───」
「なんでも?」
「あー……そろそろ明日の授業に響く恐れがあるので退席しようかと……」
毎度の如く、唐突に話しかけてくるものだからフィオレンサは変な声を皇帝に対して出してしまった。
(穴があったら入りたい……!)
じわじわと顔が赤くなっていくのがわかる。フィオレンサはティーカップを持つ手に力を込めて、その感情を堪えようと必死になった。そのとき、皇帝がおもむろに口を開いた。
「───そうか、わかった。それなら今日はここまでにしよう」
「……! 分かりました。ご夕食を共にできて光栄でした。帝国の太陽に加護があらんことを」
「待て、最後にひとつ聞かせろ」
「───? なんでしょうか」
皇帝は口篭りながらも、フィオレンサの金茶の瞳を見ながらしっかりとその言葉を口にした。
「なぜ、俺の事を『陛下』の呼ぶ?」
「? なぜと言われましても。陛下はヴェードナ帝国の皇帝陛下であらせられますし、私と陛下は一国の皇帝と皇女という関係性です。それに陛下は私のことを娘だと思っていらっしゃらないようですので、『陛下』と呼ぶのが正しいかと思いました」
「───! そ……うか……」
「はい」
「分かった、もう下がっていい」
「?」
フィオレンサは挨拶の言葉を口にして、部屋を退出した。部屋を出たフィオレンサはずっと外で待っていたのか、行きとともにオーウェンと自室へと戻って行った。
* * *
ヴェードナ帝国皇帝のスティーブ・ガルデド・ロヴィルディはフィオレンサが出ていった場所を静かに見つめ続けていた。
(なぜ、俺はあいつが退席しようとしたあの時、引き止めたんだ……? ───違う、ただ後継者として励んでいることを認めてやろうとしただけだ)
己の不可解な行動にスティーブはグラスの中に入っているワインをゆらゆらと揺らしながらそう決めつける。しかし、退出する前のフィオレンサの言葉がどうしても頭から離れなかった。
『陛下は私のことを娘だと思っていらっしゃらないようですので───』
(なぜ、あの言葉が頭から離れない……? なぜ、あの言葉を思い出すだけで胸が苦しくなるんだ……)
スティーブはグラスをダンっと置いて、自分の髪の毛をグシャッと掴んだ。自然とフィオレンサがいた席に目を向けてしまう。そこにフィオレンサはいないというのに。
(───違う。俺が先に、あいつの存在を否定していたんだ。だから苦しむことなんてないんだ……)
スティーブはグラスの中のワインを全て飲み干し、しばらく呆然と宙を眺めていた。