第45話 未来に向かって
「フィオレンサさま、こちらのグラスはいくつご用意いたしますか?」
「誰か、会場に飾るリボンが足りないわ! 発注されてないか確認して!」
「お食事は立食式でご用意いたしますが、お席も一部に用意させますか? フィオレンサさま」
侍女たちが慌ただしく夜会の準備をしている。今までもパーティーとあれば最高のものを準備しようと動き回っていたが、今回はその比ではない。
「そこは飲み物を置く場所よ! 食事の席はあっち!」
「階段に絨毯敷いたの誰!? これじゃあしわが寄りすぎているわ!」
「フィオレンサさまの宝飾品はこれで全部? 小ぶりなものは───」
彼女たちを見ながらフィオレンサ自身も動き回り、指示を出していく。
「グラスはある分だけ用意させて。席は20席くらい! 場所が空いてるならそれより多い方がいいわ」
会場に着いて全体を確認していく。
(飲み物はアルコールとノンアルコールを分けないと。ほとんどの貴族が成人しているとはいえ……)
細かい点でも今回は妥協してはならない。
今回の催しは昼間を中心に行われるものではく、夜を中心を行われる。それはつまり『夜会』だということだ。
けれど夜会というのは何も珍しいものではない。力のある貴族たちは定期的に自らの屋敷で夜会を開いている。
(舞踏会や仮面舞踏会も同様よね)
夜会は貴族の屋敷でも開かれるが、ここ皇宮でも開かれる。けれど一般的な夜会と違い、皇宮の夜会は特別な日のみで主に開かれる。
フィオレンサが会場にある階段をゆっくりと降りていくと、そこには様子を見に来ていた皇帝とローレン伯爵夫人が何やら話し合っていた。
「───俺はもう行くが、あとでオーウェンを送る。小さなことだからといって決して妥協するな」
「はい陛下。私たち一同はフィオレンサさまのために準備を進めて参ります」
踵を返した皇帝だったがフィオレンサが降りてくるのを見るとその場で止まり、優しい声色で呼んだ。
「姫、いま来たのか?」
「はい、陛下はどのようなご用件でこちらに? 午後から会議が入っているとお聞きしたのですが……」
フィオレンサは階段を降り終わると後ろに控えているオーウェンに視線を向けた。
彼は困ったように首を横に振ったが、それだけでフィオレンサは皇帝がここにいる理由がわかった。
(オーウェンの言葉を振り切って来たようね)
「だめですよ、陛下。本日の会議は来年度の国の予算を決める重要なものなのですから。一ヶ月後に行われる夜会については私たちが───」
「……だが」
フィオレンサは諭すように語りかける。けれど途中で皇帝によって遮られた。
「姫のデビュタントを誰よりも良いものにするのに、皇帝である俺が手を加えることは何らおかしなことではない」
「…………」
あまりにも真顔で告げられたため、フィオレンサは反応に遅れてしまった。
(いや……そんなキャラでしたか? 陛下)
この五年で更に印象が変わってしまった原作の登場人物たちに、フィオレンサは頭を悩ませた。
* * *
今日の分の準備を終わらせるとフィオレンサは予め用意されていたバルコニーで休憩した。
クッキーにミニケーキ、キッシュとおやつ向けの食べ物が並んでいる。そのうちのひとつを手に取ると小さな口に放り入れる。
昼食を取ったとはいえ、あちこちに動いたフィオレンサは小腹が減っており、マリーたちが合間に縫って用意してくれたこれらの食べ物に感謝しかない。
(原作が始まるまであと一年……)
今年でフィオレンサは15歳を迎える。そして同時に1年早いデビュタントも迎える。
(皇族には陛下と私しかいないということで異例のデビュタントを迎えるわけだけれど……理由はそれだけじゃない)
夜会に出席するにはデビュタントを迎えた令息令嬢しか参加できない。デビュタントを果たしていないフィオレンサは夜会には当然のごとく出席できず、いまの社交界はとても緩い盤石の上にある。
社交界を取りまとめる人物がいない社交界ほど危うい場所はない。
(もちろんアイメルト公爵夫人やオズヴェスタン公爵夫人も社交界で私のかわりにまとめてくれてはいるけれど……)
やはり絶対的な地位を持つ人物が頂点に立たないと派閥が生まれ、やがて争いの火種となる。
それを防ぐために一年早いデビュタントを押し切ったわけだが、フィオレンサにとってはそれも些細な理由に過ぎない。
(本当の目的は───……まあこちらも私情に過ぎないけど)
先日レオナルドが送ってくれた北部産の紅茶を飲んで一息つく。
(いい加減、レオナルドとランスロットの件をどうにかした方がいいのかしら?)
未だに婚約者候補であるレオナルドとランスロット。ランスロットに関しては婚約者にはならないときっぱり断ったのにも関わらず、なぜか婚約者候補となっており、レオナルドは直接婚約者候補に立候補してきた。
(でもあと一年で去る予定なのに婚約者に選んだところでお互い損しかないのよね)
なのにどういことなのか二人はちょくちょく皇女宮へと遊びに来る。まあどれも体調が悪いやら公務が忙しいやらで断ってはいるが、たまに外に出てばったり出くわすことも少なくない。
その度にフィオレンサは仕方がなく皇女宮に招いている。恐らくこれが悪手なのだろうけれど。
「……本当に月日が経つのは早いものね。ねえ、フェルさん」
雲ひとつない空を見上げながら、フィオレンサは彼の名を呼んだ。
「あなたが亡くなってもう2年が経つと言うのね。もういないと分かっているのに無意識のうちに足が運んでしまうのは、やっぱりフェルさんに会いたいからね」
フィオレンサが心から信じ、大好きだったフェルさん。彼は2年前の春に老衰で亡くなった。
看取ることはできなかったけれど、最後に見たフェルさんの顔はとても穏やかそうだった。
「あの日、フェルさんが取ってきてくれたアイスフィリンドは今もうつくしい姿のままよ。当時は知らなかったけれど、私が神聖魔力で魔法をかけていたのかもしれないわ」
原作のストーリーが書かれた本とともにアイスフィリンドは大事に保管されている。
「今度のデビュタントに飾りとして使おうと考えているの。……不思議とあの花が壊れてしまうことはないと断言できるからかしら?」
こうして一人、話しかけているとフェルさんがそこで相槌を打ってくれている気がする。
「私の旅はまだまだ続く。───どうか見守っていてね、フェルさん」
『ええ、もちろんです』
フィオレンサは聞こえてきた声にバッと立ち上がった。けれど辺りには誰もいない。いるはずがない。
(たとえ幻聴でも声が聞けて嬉しかったわ)
フィオレンサは感知できるようになった神聖魔力できらきらと輝く花びらを作り、風の流れに合わせてそっと放った。
(どうか、フェルさんに届きますように)
ふわりと舞う髪を押さえながら心のなかで祈った。
* * *
「姫、準備はいいか?」
「はい陛下。いつでも大丈夫です」
皇帝から差し出された手を掴み、フィオレンサは自室を出る。
「───早いものだな。もう姫のデビュタントとは」
「私もそう思います。この日まであっという間でした」
この日のために準備された絨毯の上を歩いていき、フィオレンサと皇帝は会場となるクリスタルホールへと向かった。
いつもとは違う時間帯でのパーティー。太陽が沈み、空は星が輝き始めている。
「……っ」
(大丈夫、落ち着いて。いつも通りに振る舞えば……)
けれどだんだんと会場に近づくたびに大きくなる鼓動。それも皇帝に伝わっていたのだろう。
「───心配するな、なにも問題ない」
「……? けれど皇女である私が皆の前で失敗など……!」
皇女である以上、失敗は許されない。
それなのに皇帝はフィオレンサの心配を足蹴りして払い除けた。
「この夜会の主役は他の誰でもない、姫自身だ」
「!」
さも当然のように言い放った。
(いや他にも今日が主役となる令息令嬢はいるはずですが……?)
けれど皇帝のおかげで少し緊張がほぐれた。
「ふふっ、陛下がそう仰るのなら堂々と主役としてふんぞり返ることにします」
「ああ、そうしていろ」
そうして大きな扉の前に立つと、扉の前にいた騎士が声を張り上げた。
「ヴェードナ帝国の不滅の太陽、スティーブ・ガルデド・ロヴィルディ皇帝陛下並びに永遠の星、フィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディ皇女殿下のご入場です!!」
ゆっくりと扉が開かれ、フィオレンサは前を向いて一歩を踏み出した。
(行こう!)
美しいドレス姿で登場したフィオレンサの耳上には一輪の氷の華が存在していた。
ヴェードナ帝国物語が始まるまで、あと一年。
これにて第2部、終了です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
第3部はしばらくしてから更新します。
そのときはまた、読んで下さると嬉しいです。




