第44話 贖罪と過去 4
遅れてすみません。
それと第2部はこの話を含めてあと2話で終わりです。
「え……?」
まさかそんなことを言われるとは思わず、フィオレンサはとっさにドアノブから手を離した。それだけフェルさんの言葉に少なからず動揺していた。
「ど、どうしたの? フェルさん。そんなことを言って……」
「あの日から殿下は私に多くの施しだけでなく、貴方と過ごせる時間をくださいました。ですが……もう貰いすぎです」
あの日というのは初めてフィオレンサと出会った日なのか、フィオレンサが皇宮に連れてきた日なのかは分からない。けれどこのままでは、もうフェルさんに会えなくなると感じた。
「ちがう……違う違うっ。貰っているのは私の方よ!」
「貴方はこの国の皇女です。本来ならばお会いになることすら叶わない。運良く殿下と出会え、この老いぼれは変わらない日常から抜け出し、毎日を色のついた世界で過ごすことができました」
「っ……」
「だからこそ、これ以上、殿下のお時間を奪ってはいけない。……本当ならばもっと早くに言うべきでした。けれどなかなか決心が付かず、こうして何日も何日も……」
フェルさんはフィオレンサを優しく見つめた。
「もう、良いのです。私は殿下と過ごせて光栄でした」
(なんでっ、なんでなの……っ!? 私の方がたくさん貰っているのに……っ)
フィオレンサは手を強く握り、下を向いた。今の情けない表情をフェルさんに見られたくなかったから。
「これからはご自分の時間を大切になさって───」
「ちがう!!」
思わずフェルさんの言葉を遮ってしまった。けれど今言わないと、フェルさんとこれまでのように会えなくなる。
だからフィオレンサは感情のままに叫んだ。
「私にとって……っフェルさんと過ごす時間はとても大切なものなの! 貴方の前だと私は皇女フィオレンサではなく、ただのフィオレンサでいられた……。ただ平穏を楽しむ一人の少女に」
声が震え、視界がぼやけてくる。
「贖罪なんかじゃない! 私は……私はフェルさんと今までのように他愛もないお話をして、聞いて、ひとりのフィオレンサとして過ごしたいの!」
「……!」
「フェルさんのお話はどれも面白くて、楽しくていつの間にか時間が過ぎてた。優しくて、いつもフェルさんは、私を暖かい空気で迎え入れてくれたわ」
ぼやけた視界をドレスの裾で拭う。
「心の底から安心できる場所は皇宮では数少なかった。……でもフェルさんとの場所はいつも素の私のままで過ごせた」
フィオレンサは一歩一歩とゆっくりフェルさんの方へと歩いていく。
「私は、これからもずっとフェルさんと一緒にいたい!!」
そうしてバッとフェルさんに抱きついた。
「!」
フェルさんの驚いた気配が伝わるが、フィオレンサはぎゅっと抱きついて離さなかった。
「殿下……」
「お願い、フェルさん。私と……これからもお話して」
「…………」
フェルさんは答える代わりにフィオレンサを抱き締め返した。
「!」
「私の方こそ、お願いしたいです。貴方さまとこれからもいられる権利を……」
「皇女としての権力は未だに多くはないけど、これだけは、っ譲らせないわ!」
我慢していた涙が安心とともに溢れてきた。
「っありがとう。私とこれからも、一緒にいてくれて」
「私こそ、こんな老いぼれといることを選んでくださり、ありがとうございます」
優しくポンポンと背中をさすられると、また涙が溢れてきた。
(……本当におじいちゃんみたい)
恐らくこれがフィオレンサが最もフェルさんを信頼し、心を寄せる理由なのだと感じた。
結局、フィオレンサは涙のせいで目が赤くなり皇宮に帰るのが遅くなってしまった。
けれどその間もフェルさんと楽しく会話していたので、フィオレンサにとってはとても有意義な時間となった。
* * *
「殿下! 一体どこに行っておられたのですか!? なかなか殿下が戻って来られず、とても心配しました」
「あー、ローレン伯爵夫人……。ごめんなさい、思ったよりも時間を忘れて過ごしていたせいですっかり遅くなってしまったわ」
しかし皇宮に帰った途端、フィオレンサはローレン伯爵夫人に見つかり、お叱りを受けた。
(見つからないようにしようとして、こっそりと裏口から入ろうとしたことがだめだったわ)
部屋のソファーに座りながら、フィオレンサはローレン伯爵夫人を見上げた。
「本日は陛下と騎士団に向かうということは存じていました。しかし随分と前に陛下はこちらに戻ってこられたというのに殿下はいつまで待っても帰ってこられず……」
「…………」
(だって騎士団で問題が起きてたわけで……)
「騎士団で何やら騒動があったとお聞きしたため、マリーたちには騒ぎにならないように伝達しましたが、あまりに遅いのでオーウェンさまにお伝えしようかと……」
「それだけはやめてちょうだい……! オーウェンに話したら自然と陛下の耳にまで入るじゃない」
もしそうなれば皇女としての自覚がないと見られ、最悪の場合、フェルさんに会いに行くのが困難になる。
「でしたら朝に仰った『あまり遅くならないうちに帰る』というお言葉を守ってください」
「わかってるわ」
「……私たちは殿下のことが大好きなのです。そしてとても大切に思っている」
「───それは私が皇女だから?」
フェルさんはフィオレンサが皇女だと知っても、初めから後まで態度を変えることはなかった。けれどローレン伯爵夫人たちは仕える相手が皇女だと初めから知っている。
(こんな聞き方してはいけないとわかっているのに……。どうしても……信じられていない私が心のどこかにいるのよ)
それはきっとこれから先も変わらない。フィオレンサが彼女らを心から信じられるのは、原作の通りにならずにフィオレンサを裏切らずにそばに居た時。
(……でもその前に私はここを出ていく。───その方がいい)
最近はどうしても心が揺らいでいる。記憶が戻ったときの心の固さが嘘のように。
おそらくその原因は原作には無い、ローレン伯爵夫人たちの行動のせいだと思う。
「私が皇女だから、ローレン伯爵夫人たちは心配しているのではないの?」
皇女でなくなったとき、さてフィオレンサに今までのように接してくれる人たちがいるのだろうか。
(この世界の主人公は、私ではない)
ヴェードナ帝国物語の主人公はシエナであり、フィオレンサはイツワリ皇女でしかないのだ。
俯いたフィオレンサにローレン伯爵夫人は目線を合わせるためにしゃがみこみ、そしてフィオレンサに言った。
「───たしかに、私たちが殿下に対して気持ちを傾けるのは殿下がこの国唯一の皇女さまだからです」
「…………」
「けれど、決してそれだけではありません」
「……?」
強い口調ではっきりと否定された。
「私たちは皇女であるフィオレンサさまが好きなのではなく、何事にも一生懸命に取り組み、頑張り、そして誰に対しても優しい、フィオレンサさま個人が好きなのです」
「!!」
「皇女さまだからもちろん心配もいたします。けれどそれを上回るほど、私たちはフィオレンサさまを大切に思っております。私たちは皇女殿下にお仕えしたいのではなく、フィオレンサさまにお仕えしたいのです」
意志のこもった檸檬色の瞳は金茶の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「殿下は出会ったころから一人線を引いているような方でした。まるで何かを恐れているかのように───」
「そ……れは…………」
「全てを知りたいわけではござません。ただ私たちは心を込めてお仕えするのみ」
「…………」
「貴方さまを大切に思う人々は貴方さまが思う以上にたくさんいます。ですからどうか、そのような悲観した、全てを諦めたような顔をなさらないでください」
そう言われてフィオレンサは自分がどんな心境にいて、どんな表情をしているのかが分かった。
(……また、揺れ動いている。頭では理解しているのに……っ)
頭と心の考えは合致しないものだとつくづく感じる。けれどフィオレンサはつかの間になるかもしれない、この幸福な時間を、今だけは失いたくなかった。
「……うん」
ローレン伯爵夫人の言葉に頷くと、フィオレンサはフェルさんのところで泣いたように、涙が溢れそうになった。
そんなフィオレンサを見て、ローレン伯爵夫人は静かに立ち、暖かいミルクティーを淹れてくると言ってフィオレンサの涙を見ないようにした。
(原作なんて知らなかったら……こんな気持ちにならずに済んだのかしら)
ソファーの上で体を守るようにして丸まった。
(きっとシエナと陛下はシエナが15歳のときにきっと会う。これだけは変わらない)
さらに体を縮ませると、ドレスや髪がくしゃっとなる音がする。
(けれど、今だけは弱い私を許して……)
フィオレンサはゆっくりと瞳を閉じた。
その後、ミルクティーを持ってきたローレン伯爵夫人はソファーの上で静かに眠るフィオレンサを見て、優しく毛布をかけてあげた。




