第42話 贖罪と過去 2
「おじいさん、だあれ?」
フィオレンサは麦わら帽子を被るおじいさんに声をかけた。
「ん? お嬢ちゃん、どこの家の子だ?」
枝を切る手を止めて彼はフィオレンサを見下ろした。年相応そうな皺のよった顔はとても優しそうだった。
「私はフィオレンサ。私の家は……一応ここよ。この国の皇女なの」
「!? 確かに皇女殿下の色と同じだ……。じゃあ本当に……?」
「こんな嘘をついても仕方がないわよ」
フィオレンサが少し呆れたように言うとおじいさんは慌てて梯子をおりた。
「申し訳ございません。なにぶん、こんな奥深くまで人が来るのは久しぶりだったもので」
「別にいいわ。あなただって突然皇族が来て驚いたでしょう」
「ははは、正直に言えばですがね。でもこんなに可愛らしいお客様が来てくれたのにお茶すらも出してあげられそうにありません」
困ったように微笑むおじいさんはやっぱりとても優しそう。
「お茶を飲みに来たわけじゃないもの。……ただちょっとだけ気分転換がしたかっただけ」
小さく呟いたその言葉におじいさんは少し目を見開いたがすぐに小さく言った。
「……でしたら私と少しだけおしゃべりに付き合ってくださいませんか?」
「? おしゃべり……」
「はい。残念ながらここには誰も来ない。一人で作業するというのは寂しいのです」
「…………いいよ。ちょっとだけお付き合いしてあげる」
「ありがとうございます」
そう言って微笑むおじいさんはフィオレンサのために小さな椅子を用意してくれた。と言っても切り株にタオルを敷いただけだった。
「それでなんのお話をするの?」
「そうですね。はじめは殿下の近くに生息している植物についてお話しましょう」
「……普通そこは自分の過去について話す場面ではないの?」
「生憎と殿下にお聞かせできる楽しいお話などないですな」
梯子に登ったおじいさんはパチパチと枝を切り落としながら、フィオレンサに植物について語り始めた。
「───ですから雑草というのも大概馬鹿にできる存在ではありません。雑草の種類によってその地の植生を知る手がかりとなりえます」
「奥が深いのね。とても面白い話だわ、フェルさん」
「そう言っていただけて嬉しいですよ」
優しいおじいさんの名前はフェルと言う。お話の途中に教えてもらったのだ。
「そういえばお時間はよろしいのですか? 殿下。この老いぼれのおしゃべりに長く付き合わせてしまいましたが……」
「あっ! そういえば……」
あんなに高く昇っていた太陽は大きく傾き、日差しは斜めから差し込んでいる。恐らく2時間は経過しただろう。
「大変! ローレン伯爵夫人たちが待ってる……!!」
「そうですか。ではおしゃべりはここでお開きにいたしましょう」
「そうするわ。また今度ね、フェルさん!」
「はい、お気をつけて」
手を振り走り出したフィオレンサにフェルさんはハサミを持っていない方の手で優しく振り返してくれた。
その日の晩、フィオレンサはベッドのなかで考えていた。
(どうしてフェルさんといるときの時間があんなにも楽しかったんだろう?)
時間が過ぎる子も忘れてしまうくらい、フィオレンサはフェルさんとのおしゃべりが心地いいものだった。
「また明日行って見ればわかるかな?」
フィオレンサは静かに目を閉じた。
そして次の日。授業が終わり、残り時間が自由となってフィオレンサはフェルさんに会いに行った。
「フェルさん!」
「こんにちは、皇女殿下。昨日ぶりですね」
「ええ、お話が聞きたくて急いで来たの!」
今日のフェルさんは近くに生えている雑草を抜いていた。四つ葉のクローバーのような形をしたものからトゲトゲしたものまでいっぱいだ。
「これを全部抜くの? 今日中に?」
「今日中というわけではありませんが、雨季の前に抜かなければいけませんので」
「そう。……なら私も手伝うわ!」
「殿下にそんなことさせられませんよ。今日もあの椅子でおしゃべりしましょう」
「むむっ、ならそうするわ」
素人であり、こんなヒラヒラとした服を着た者がいると邪魔になると思い、フィオレンサは大人しくフェルさんの言う通りにした。
「それでは今日は何を話しましょう?」
「じゃあフェルさんが抜いている雑草について!」
「ははは、わかりました」
フェルさんは抜いた雑草をフィオレンサに見せながら説明してくれた。この雑草は繁殖力がとても強いだとか、これはきれいな空気がある場所にしか生息しないだとか、これの根には薬草と同じ効力があるとか。
どれも面白く、どれもまた為になる話ばかりだった。
(やっぱり、ここにいると心地いい)
フェルさんと話しているこの空間がフィオレンサにとって心地いいのはなぜなのか。
それはフェルさんのところに訪れるようになって1ヶ月近くが経った頃だった。
その日はヴェードナ帝国物語で思い出したことがあると隠していた本に日本語で記していた。思い出したことといってもストーリーで抜けていた小さな出来事に過ぎなかったが。
本を閉じていつものようにフェルさんに会いに行こうと部屋を出ると、フィオレンサはそこでようやく気がついた。
(わかった……。どうしてフェルさんとのおしゃべりがあんなにも心地いいのか)
フィオレンサは無意識のうちにヴェードナ帝国物語に登場する人物に対して警戒をしていたのだ。いずれこの人はフィオレンサの元から去る、フィオレンサを陥れる人だと。
けれどフェルさんはヴェードナ帝国物語には一切出てこなかった人物。それはフィオレンサにとって原作に左右されることがない心を許せる人物だったということだ。
(それにフェルさんはとっても優しい。まるで近所にいるおじいさんみたい)
残念ながら生まれてから病院生活がほとんどだった前世のフィオレンサにとって近所におじいさんと会ったことは無かった。
けれど、看護師さんや本を読んでいるとフェルさんのような人が近所のおじいさんなのかなと思った。
たまにフィオレンサの頭に触れるしわくちゃで大きな手。あの暖かさがフィオレンサをとても安心させた。
だからこそ、フィオレンサは甘くなっていた。
───己の言葉がどれほどの力があるかも知らずに……。
最近はフェルさんに花の組み合わせについて教えて貰っていた。
一見色合いが合わなそうに見える花も工夫次第では惚れ惚れするものになり、色合いが合いそうだと思う花はぼんやりとした見栄えのしないものになる。
フィオレンサはフェルさんに花の特徴を教えて貰いながらあーでもない、こーでもないと花束の組み合わせを考えていた。
「んー、難しいっ! どうしてフェルさんはそんなに綺麗な花になるのー!?」
「私はこれが仕事のうちですから」
「むう」
ひとつの色だけだとつまらないと思い、様々な色の花を入れたのが失敗だったのか。なんともぐちゃぐちゃとした色合いだ。
それに対してフェルさんの組み合わせはフィオレンサとほぼ同じ色数なはずなのにプラスとマイナスと思うほど美しかった。
「……でもフェルさんとのこの時間、私は好き」
「! そう言っていただけて光栄ですよ」
だからかフィオレンサは最近、以前ほど皇宮から抜け出したい、どうせ周りはいずれ原作の通りになるという悲観的な考えをしなくなったように思う。
「フェルさんと出会ったとき、大きな悩みを抱えていたのに今では頭に浮かばないほど、私はこの時間のほうを優先していたのね」
「老いぼれがお役に立てたのなら嬉しいです」
こんな日々がずっと続けばいいと、フィオレンサは思っていた。フィオレンサの心の拠り所であるフェルさんとの時間。
前世で味わえなかった分をここで得ているようだった。
「そういえばこの前図書館で調べ物をしているときに『アイスフィリンド』という名前が出てきたのだけど……フェルさんはこの花を知っている?」
いつもの定位置である切り株の上に座りながらフィオレンサは尋ねた。
「もちろんです。その花は別名『氷の華』と呼ばれていまして花弁が氷のように透明に澄んでいる花なのです」
「氷の華……!」
「けれど栽培方法が未だ解明されておらず、自然に咲く分しかなく。けれど高い木の上に咲くというだけで探せばここにもある花です」
それを聞いてフィオレンサは目を煌めかせた。
「ならいつかお目にかかることがあるかもしれないわね! 見てみたいわ!」
ただの感想だった。氷の華と呼ばれるほどの花を見れたら自分の部屋にでも一時飾りたいという。
フィオレンサは自分の想像する氷の華に意識を集中しすぎて、そのときフェルさんがどんな表情をしているか分からなかった。




