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第29話 見つからないオーウェン



インクを付けた羽根ペンを紙にトントンと触れさせながらフィオレンサは頭を悩ませていた。



(ボールペン事業について話すの忘れてた……)



レーヌ川の件を皇帝に話し、前向きに検討してもらえたから気が緩んでいたのか。それとも残っていた思考をデビュタントに全振りしてしまい、記憶から弾き飛ばされていたのか。


(デビュタントの話を切り出した途端に陛下の具合が悪くなってしまったし、あの後ボールペンのことを思い出しても、結局は話せなかったかも)


けれどフィオレンサの悩みの種はそれだけじゃなかった。


先日の皇帝との話の際に、レーヌ川にいるデアリージャを討伐するためにフィオレンサの持っている情報を纏め、それをオーウェン経由で皇帝に提出しろという趣旨を言われたのだ。


───それなのに


(肝心のオーウェンが見つからない。まあオーウェンは陛下の最側近だから常に陛下にぴったりくっついているけど、こんなにも見つからないなんて)


けれど今思えば自分からオーウェンに会いに行ったことはなかった気がするとフィオレンサは思った。


(いつもオーウェンの方が来るから、私から行く必要がなかったのよね)


誰もいないことを見計らい、クッションを抱いてごろんとソファーに寝転がった。


「公務もまだ半分残ってるし……」


執務机に残っている書類たちを見て、ため息を漏らす。


「とりあえずオーウェンのことは一旦置いておいて、公務を片付けてから考えたほうが良さそうね」


フィオレンサは起き上がり、少しだけ乱れてしまった髪を手櫛で整える。ローレン伯爵夫人たちには今朝起きた瞬間にマドレーヌが食べたいと思って、今作ってもらっているのだ。


「また陛下の予算案……。何かを買う度にこうして予算案が作成されるなんてもっと効率的な方法はないわけ? 帳簿はつけてあるんでしょうからそれだけでいいと思うのに」


文句を言いながらもフィオレンサの仕事はただ『みる』だけなので、与えられた仕事をこなすだけだ。




最後の書類に署名をすると大きく伸びをする。途中で運ばれてきたマドレーヌはできたての頃から時間が経ってしまっているため冷めているが、それでも十分すぎるほどおいしい。


「さあて、あとは私がまとめた紙をオーウェンに渡す仕事だけ。期限は言われなかったけれど、近日中に渡しておくべきものだから───」


侍女たちにはオーウェンを見かけたらフィオレンサが呼んでいた趣旨を伝えるように指示しているが、自分から行動を起こさないとこういうのは上手くいかないものだ。


(最近運動不足な気がしていたからちょうどいい)


誰かが来たとき用にフィオレンサは置き手紙を残して部屋を出た。





「まずは適当にぶらぶらしてよう」


折りたたんだ紙をポケットに入れて歩き出す。


優しい風が吹き上げ、木々を揺らす。ふわりと髪が舞う感触が心地いい。


宛もなく歩いていると皇宮に勤めている侍女や皇宮に来ていた貴族たちと会った。


だいたいの人達は皇女であるフィオレンサと顔を見合せてもフィオレンサが何かを言わない限り、頭を下げてその場を去ることがほとんどだ。


もちろんフィオレンサも呼び止めたりしないためそのまま歩き出す。


しかしごく稀に常識を凌駕してくる勇気あるものがフィオレンサの前に現れるのだ。


「これはこれは、皇女殿下」

「───あなたは……」


なんとなく東の庭園へと行こうと思って、角を曲がったときその人物と会った。

普通は向こうが頭を下げてすぐにその場から去るため、フィオレンサは特になにもせずに東の庭園へ行こうとしていた。


(まさか声をかけてくる勇者がいたなんて)


フィオレンサは思わず感心した。皇女の歩く道をおのれの命を賭けてまで止めるなんて、と。


「名はなんというの?」

「ベルディ・ベラールと申します。 南部に領地を持つベラール伯爵領の当主でございます」

「ベラール……───! ああ、あのベラール伯爵だったのね」


フィオレンサのその反応に分かりやすくベラール伯爵は口角を上げる。


けれどフィオレンサは良い意味で知っているわけではなかった。


(騎士団の予算を横領し、親戚が勤めている魔法師団へと予算を流す……。魔法師団の人間同様、この人も平民を軽蔑する人間のひとり。いやどちらかというと、ほとんど魔力を持たない相手に対して、かしら)


だからフィオレンサは目の前にいるベラール伯爵の視線の意味に気づいた。


(聖魔力だけでなく、魔力も持たない下賎な皇女。馬鹿にしても貶しても問題ない相手。───とでも思っているのでしょうね)


ニヤニヤと笑っている顔がとにかく気持ち悪い。半径1キロ圏内にいないでもらいたいくらいだ。


「それでなんの用で呼び止めたのかしら?」

「皇族の証である聖魔力を持っていらっしゃらないのに、後継者として優秀だとお聞きしましてね。これでこの国は安泰だと思い、お声をかけさせていただきました」

「そう……」

「いやはや、初めは聖魔力だけでなく魔力すら持たないと聞いたときは驚きましたが、フィオレンサ皇女殿下でしたらきっと良き方向へと導いてくださるでしょう」


露骨に「聖魔力がない、魔力がない」と強調してくる。黙っていられないのだろうか。


(こんなのが大臣だなんて、それこそこの国の未来が心配だわ)


「けれど魔力を持たない殿下ではいつか限界が訪れてしまうかもしれません。そのときは私めが殿下のお力添えをいたしましょう」

「……それはなんとも心強い言葉ね」

「ですから殿下が即位なされたときは是非ともこのベルディをお呼びください」

「……ええ」


そう言うとベラール伯爵は薄汚い笑顔のままその場を去った。ツルリのひかるその頭が反射して、とてもうざったい。


(カッパのくせに何を言っているのだか。あなたは近いうちに陛下から直接追い出される。私がそうさせるわ)


せっかく気分が良かったのに、あのカッパを見てしまったせいで気分が急降下だ。


フィオレンサはため息をひとつすると、止まっていた足を動かし、東の庭園へと向かった。




「相変わらずここは人の出入りが多い場所だわ。でもその分、オーウェンがいる確率が高いと思うけれど」


3年前にランスロットと来たときから、フィオレンサはよくここへ来ていた。


(部屋から近いから気分転換には持ってこいの場所なのよね)


騎士がその分多く配置されているが、そういうものだと慣れてしまえば案外気にならないものだ。せっかく来たのだからオーウェンを探すついでに庭園をじっくりと観察する。


「この花はヴェードナ帝国の西部に多く生息している花ね。こっちは南部。可愛い表紙の本だったから読んでみたけど、こうして花の種類を覚えられて良かったわ。……あの人から教えてもらったということもあるけれど」


花の香りを確かめようと顔を近づけると、花の蜜を求めてやってきたミツバチとぱっちり目が合う。けれどここのミツバチは気性が穏やかでフィオレンサが手のひらを差し出すと、大人しく手のひらに降り立ち羽をパタパタさせる。


(ふふっ、くすぐったい)


絶対に刺さないとわかっているため、フィオレンサもミツバチを全力で可愛がることができる。


(あなたはこの先も自由でいてね)


ふっと軽く息をふきかけてあげるとミツバチはパタパタと飛んでいった。


「さあてと、オーウェン探しの旅に戻りますか」


庭園内を順番に見て周る。時々カッパ2号、3号と遭遇するが、そのどれもが優秀な騎士たちによってフィオレンサの接触には至っていない。


(このお返しは近いうちに必ずするわ)


そう思ってフィオレンサはその場を離れる。騎士たちの装いは良くも悪くもシンプルなものだった。おそらく予算が足りていないことが原因のひとつなのだろう。


(なんのために税金を集めているのよ)


目の前の利益しか見られないカッパ大臣であるベラール伯爵に殴り掛かりたくなった。




そして結局、庭園を一周してもオーウェンは見つからなかった。


(運動にはなったけど肝心の目的が果たせなかったわ。んー……、西の庭園にも行ってみようかしら?)


西の庭園は事前申請が必要だが、オーウェンなら皇帝から許可を貰い入ることができる。


(わざわざそんな庭園にいるとは思えないけど)


他に行くところがないのだから仕方がない。


フィオレンサは西の庭園に続く通路に沿って歩き始めたとき、見知った髪色の書類を持った長身男性が歩いてきているのが見えた。


(! あれは……)


フィオレンサは彼が通り過ぎしまわないように小走りをして呼び止めた。


「オーウェンっ!」


オーウェンは足を止めて振り返る。そして走ってきたフィオレンサを見て驚いた。


「どうされたのですか? 殿下」

「どうしたもなにも、あなたに渡さないといけない書類があったのに朝から見つからないからよ」


そう言ってポケットにしまっていた紙を取りだして、オーウェンに渡す。オーウェンは左手でその紙を受け取り中身を確認すると、まとめてある内容に目を見開く。


「陛下から聞いていると思うけど、私なりにデアリージャの特性とそれを利用した作戦内容を記したものよ」

「…………」

「あのときの嘆願書の日付から少しでも早く渡した方がいいと思って……って聞いてる? オーウェン」


紙を見たまま微動だにしないオーウェンに問いかける。


「えっ、あ、はい。……殿下の考えられた内容があまりに無駄のないもので……初めて考えられたのですか?」

「? そうよ。だから非現実的なことを書いてしまっているかもしれないけれど……」


そう言ってフィオレンサは顔を暗くさせるが、オーウェンにとってこの作戦内容は熟練の騎士すらも思いつかない画期的な内容であった。



(齢10歳の少女がこれを考えるとは……。やはり殿下は陛下の血を濃く継いでいらっしゃる)



自信なさげな顔をするフィオレンサにオーウェンは素直に羨望の眼差しを向けた。







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