第23話 信じないのに信じたい
執務机へと再び視線を戻したフィオレンサは残りの書類の山二つを見た。
「昼食が運ばれてくるまで時間があると思うし、予算案くらいの仕分けならしておいた方が良さそうね」
椅子を座り、適当に書類をとって予算案とそれ以外とで分類していく。
だいたい予算案が十数枚程度溜まったところで、予算案以外の書類を山へと戻した。
そのとき、フィオレンサはあることに気づいた。
「……騎士団の予算と魔法師団の予算ってこんなに差があるものなの?」
騎士団の予算と魔法師団の予算とでは魔法師団の方が2倍以上の予算がある。それにどう考えても騎士団の予算は人数に見合った額ではなかった。
魔物討伐に主に駆り出されるのは騎士団が多い。確かに魔法師団はパーティーに必須だが、多くの戦力は騎士団の方だ。
「たしか今の騎士団総長は───平民だったはず。でも叙勲されて名誉貴族になったと思うけど……」
魔法師団と違って騎士団は平民だろうが貴族だろうが力のあるものが上へと行く。だから騎士団はライバル意識は強けれど、身分差で差別したりしない。
一方で魔法師団は貴族で構成されている団だ。平民もいなくはないが、裕福な平民───つまり商人の子息子女が最低ラインとして位置付けられている。騎士団よりも身分意識が強く、おかげで魔法師団は腐った連中ばかり多いと噂で聞くほどだ。
「ふーん、なるほどねえ? この程度の予算案だと陛下まで行かずに大臣止まりとなる。そして予算案担当の大臣は……ベラール伯爵だったかしら。……随分となめたことをしてくれるじゃない」
ベラール伯爵の親戚が今は魔法師団の副師団長を務めている。
───ということはベラール伯爵と副師団長がグルで騎士団の予算までも自分たちの団の予算にしているということだ。
けれど明確な証拠がなければフィオレンサの世迷言として片付けられることになる。
この予算案を提出してもいいが、一応は国の大事な書類となるためフィオレンサから大臣へ、そして皇帝へと渡される。
「その途中で握りつぶされたら意味がないわ。もっとこう、陛下に現状を見てもらわないといけないから……」
どうにかして皇帝に騎士団と魔法師団の差を見てもらいたい。皇帝が違和感を感じればオーウェンが軸となって調べてくれるだろう。
「今回、陛下が最初の関所ということで私に書類を回してくれたことが幸いだったわ。このままだと魔物討伐の戦力低下だけじゃなくて治安維持や隣国への牽制も薄れるところだった」
重要案件ということで先程しまった本に日本語で書き足すと、タイミングよくローレン伯爵夫人が昼食を持って来た。
「失礼します、殿下。昼食を持って参りました。少し多めに持ってきたので食べられる分だけお召し上がりください」
「ありがとう、お腹がすいていたのよ。残さず全部食べちゃうかも」
「ふふ、殿下ほどの年齢でしたらもっと食べてもいい時期ですよ。疲労に効くハーブティーを持ってきましたので、お食事とともにお飲みください」
部屋にあるもうひとつのテーブルにテキパキと食事を並べていくと、優雅な作法でお茶を淹れていく。時間の経過とともに抽出されていく鮮やかなお茶の色と香りは疲れていたフィオレンサをリラックスさせていく。
「……とてもいい香りね。それに薔薇みたいに綺麗な色……」
「こちらはローズヒップティーです。少し酸味はありますが、フルーティーな味わいで後味がスッキリとしています」
「楽しみね」
数分蒸らすと、より香りが強くなる。それをフィオレンサお気に入りのティーカップに注いだ。
「お熱いので注意してくださいね」
「……十分気をつけるわ」
席に着こうとしたフィオレンサにローレン伯爵夫人がそんなことを言うものだから、思わずつい先日の出来事を思い出してしまった。
(でもあれは急に来たオーウェンにも問題があるわ)
ちびちびと紅茶を飲むフィオレンサはどこかにいるであろうオーウェンに恨み言を吐いた。
その日、いつものように来客なんていないものだと思っていた。だからローレン伯爵夫人に用意してもらったシェルナティアのお茶を飲もうとしていたとき、突然扉がバンっと開いて一気に紅茶を口に含んでしまった。
『殿下、風邪をひいたとお聞きしました……! 陛下より滋養豊富な食べ物を持って参りました!』
『……っ、ごほっげほ、お、オーウェン……? げほっ』
『!? 大丈夫ですか、殿下!』
『げほっ……これは、あなたが……っ』
なかなか咳が止まらないフィオレンサにオーウェンはとりあえず背中をさすり出したが、驚きのあまりフィオレンサの咳は悪化した。
(あのオーウェンが私に優しくするとか、何事よ!)
ようやく落ち着いたフィオレンサにオーウェンは安心したように息をついた。
『心配しました。もう大丈夫ですか?』
『……あの咳の原因はオーウェンなのだけれどね』
じとりと見やる。すると珍しくオーウェンが声を上げた。
『えっ!?』
『あなたがノックなしに突然扉を開けるからよ! おかげで淹れたてのお茶は変なところにはいるし、淹れたてのせいで熱いから軽く舌を火傷したし……!』
赤くなった舌を少し出してオーウェンに見せるとバツが悪そうに視線をずらした。けれど淹れたては熱いとわかっていて注意を怠ったフィオレンサにも非がないわけでもない。
『まあ、今回はいいわ。言い争いをしても時間の無駄だし』
『申し訳ございません……』
しおらしいオーウェンの姿にフィオレンサは喉を詰まらせる。
(なにこの弱いものいじめをしたみたいな感じは。それに無いはずの耳も垂れて見える気がするし……)
フィオレンサは咳をひとつして本題に入った。
『それでオーウェンがここに来た理由はなに? それもそんなに慌てた様子で』
『殿下が風邪をひかれたと小耳に挟んだもので……。それで陛下が殿下に風邪に効くものを持っていけと……』
『ちょっと待って、誰が風邪をひいたの?』
『皇女殿下です』
フィオレンサは意味がわからなかった。だってこうしてピンピンしているし、具合が悪くなる予定もない。
一体どういうことだろうと頭を悩ませていると、フィオレンサはひとつ思い出したことがあった。
(あっ……、もしかして)
フィオレンサは今朝、たった1回だけくしゃみをみんなの前でしてしまったのだ。
そのせいでローレン伯爵夫人やマリーたちはフィオレンサが風邪をひいたと勘違いして、風邪薬やら毛布やらを慌ただしく持ってきていたのを覚えている。
『はあぁ、まさか誤ったまま噂が広がり、陛下の耳にまで届くなんて……』
『で、では風邪をひいておられるわけでは───』
『ないわよ。見てわかるでしょう、ピンピンしてるわ』
それを聞いてオーウェンは持ってきた籠を一瞥すると、沈黙してしまった。
『…………』
『…………まったく』
このまま放置してもいいが、せっかく持ってきてくれたのに無下にも出来なかった。
『まあ、誤解とはいえこうして心配してきてくれた訳だし、気持ちだけ受け取っておくわ。でも風邪薬とかはそのまま持ち帰って』
『…………!』
『次からは情報を精査して。これじゃあ誰かに踊らされてしまうわ』
『き、気をつけます』
結局フィオレンサはオーウェンを少しだけもてなしてそのまま籠を持たせて帰らせた。
───ということがあったのだ。もちろん後からローレン伯爵夫人の耳にも入り、噂を広げてしまったことへの謝罪と淹れたての紅茶を飲む時の注意を軽くされた。
(だいたいノックなしに入ってくるオーウェンが問題よ。……うん、やっぱりあれはオーウェンのせい)
フィオレンサはそう結論付けたが、それはオーウェンの異常行動によるものだ。
最近のオーウェンは以前と比べてフィオレンサを気にかけている。廊下ですれ違った時も皇帝の用でフィオレンサに会いに来た時も、まるでフィオレンサを皇帝と同じく主君だと思って接しているかのよう……
(何がしたいのかしら。どうせシエナが来たら態度が変わるでしょうに。でも……)
サンドウィッチを頬張りながらそんなことを考える。
(ねえ、シエナ。あなたと私、どちらが本物なのか最近分からなくなるの。あなたは亡き皇后と瓜二つだわ。あなたを見れば誰もがあなたを皇女だと錯覚するくらいに、ね)
記憶が戻った当初は原作の''イツワリの皇女編''のことしか頭になかった。けれど最近は原作の出来事を実際に経験したかのような夢を見るときがある。
だからこそ思うのだ。
(あなたが本物なら私はイツワリだわ。けれど『始まりの書』のことも考えると、私のこの力は皇族の証とも言える。何が真実で、何がイツワリなのか。……私は何者なのか)
今も皇帝やオーウェン、フィオレンサを認め始めた貴族たちのことを、フィオレンサ自身は心から信じてない。
けれど心のどこかで自分が本物なのなら、彼らのことを信じてみたいという気持ちも生まれ始めてきているのも事実だった。
(ふふ、我ながらあほらしいわ。捨てられて傷つくのは自分だとわかっているのに、それでもなお、信じたいと思うだなんて……。だめね、この感情は)
たかが3年、されど3年。その期間はフィオレンサの凍りついた心の一部を溶かす楔へとなっていた。
(思い出しなさい、フィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディ。人はいずれ変わるわ。だから、自ら傷つきに行くような愚かな選択なんてする必要はない。───……なのにどうしてなのかしら)
ぽっかりと心に穴が空いたような気持ちになるのは。
フィオレンサは目の前にある食事に集中することで、その気持ちや感情を紛らわした。




