第21話 公務が始まりました
ここ3年間、フィオレンサはヘイリー先生の授業を受け続け、皇族として必要とされる知識を十分に蓄積してきた。それこそ皇族が10年という時間をかけて学んでいくはずのものを。
「…………」
「どうでした? 卒業試験。無事、合格できたと思うけれど」
「……文句なしに満点です」
「それは良かったわ。これも先生のおかげね」
「ご謙遜を。ひとえに皇女殿下の努力が実られたのかと」
「嬉しいわ」
3年間の集大成として、フィオレンサは学んだこと全てにおいて卒業試験を受けていた。
基礎知識から始まり、諸外国の言語に古代語、経済学に帝王学、社交界のマナーにダンス。
皇族に、そして皇女として必要だと思われる分野全てをフィオレンサは課題として課せられ、そして見事に皆の予想を上回るスピードで習得し終えたのだ。
「基礎知識において、殿下は授業初めから才を発揮しておられましたが、まさか専門家でも解読が困難とされる古代語までも満点を取られるとは……」
「ふふ、使われている文字が全部で26文字でそれを組み合わせているだけだから。案外簡単だったわ」
(英語とほぼ変わらなかったもの)
フィオレンサは古代語を完璧に習得できていたため、この前禁書庫で見つけた本も読むことができたのだ。あれは古代語で書かれていた。
普通の皇族は古代語を書いたり読んだりはなかなかできない。だからあんな古びた場所に寂しく置かれていたのだ。
試験結果に満足しているフィオレンサは機嫌良さそうにヘイリー先生を見上げる。
3年という、長い期間が経過してもフィオレンサはまだまだ子供だ。床に足がつかないことで、フィオレンサは足をぶらぶらさせている。
「……帝王学もおいそれと簡単に身につけられるものではありません」
「そうねえ、確かに帝王学は王たる資格を身につけるためのもの。基礎的な知識や諸外国の言語を習得するのとは勝手が違うわね」
「ですがその点も殿下は完璧でした。……まるで陛下を見ているようで───」
ヘイリー先生はその時のことを思い出し、感慨深そうにしている。フィオレンサにとって帝王学は前世も今世も初めて学ぶものだ。
だから常に念頭にあったことは『皇帝ならどうするか』その一点だけだった。
(帝王学を知らないけれど、生憎とすぐ近くにいいお手本がいたもの)
皇帝ならどう話すか、皇帝ならどう考えるか。フィオレンサは帝王学を学んでいるときは、自分が皇帝になったかのように授業に取り組んでいた。
卒業試験で問われたことは『ヴェードナ帝国で最も大切なものは何か』というものだった。正直、帝王学を学んだからと言って卒業試験でこの問いをしてくるなんて、ヘイリー先生はいい性格をしていると思った。
フィオレンサはこの問いを聞いて、ヘイリー先生が女神の愛し子の存在を知っているのならば、フィオレンサは迷うことなく『女神の愛し子』と答えていただろう。
そもそもあの本は皇族しか入れない禁書庫の中にあったもの。何かの縁でヘイリー先生が知っていたと考えられなくは無いけど、その場合は授業を通して教えられているはずだ。
けれどフィオレンサは帝王学の授業以外でも『女神の愛し子』については学んでいなかった。
つまりこの問の答えは『女神の愛し子』ではないということだ。フィオレンサはここまで考え、次に皇帝ならどう考えるかと考えた。
いや、平凡な王ならどう考えるかと。
フィオレンサはふたつのパターンがあると思った。ひとつは皇族または皇帝が最も大切なもの。ふたつは民がいるからこそ国は成り立っていると考える、民が大切なものだということ。
どちらでも有り得る答えのなかでフィオレンサはそのどちらも選ばなかった。だって帝国で最も大切なものはそのどちらでもないと思ったから。
(ヴェードナ帝国の成り立ちを理解し、歴史書を読み漁れば簡単にこの答えに行き着くわ。それに陛下だってそう考えるはずよ。あの方は皇帝としては歴史上、最も才覚のある方だから)
フィオレンサはヘイリー先生の問いに確信を持った答えを導き出していた。
『ヴェードナ帝国で最も大切なものはこの国を創設したとされる女神アグライヤ、ですね。 先生』
『……!』
『───と言ってもこの問いに関しては正確な正しい答えと言えるものはないわ。これはあくまで帝王学を学んだ上でその人物がどれほど王たる資格があるのかを確認するためのもの』
『……』
『先生は選んだ問いによって私の考えを把握しようとしたのではなくて? 皇族や皇帝と選んでいれば傲慢な王になりやすい。けれどそれだけ己にプライドを持った高貴な王になる。それに対してヴェードナ帝国の民と選んでいれば優しい王となる。けれど優しすぎて思い切った判断ができないことが多い。……先生はこれを陛下に報告しようとしたのでしょう?』
ヘイリー先生の驚愕した表情を見れば、フィオレンサの考えが当たっていたことだと容易に想像できる。
(まあ、陛下に卒業試験の結果も知らされると思ったから、優秀な後継者としてアピールするためのものだけれど)
フィオレンサは成績表を受け取り、それをかばんにしまった。
「……正直、ここまでとは思っていませんでした。殿下は陛下をも超える女帝となられるかもしれませんね」
「さあ、それはどうかしら。人生何があるか分からないもの」
原作のことを思い出し、フィオレンサは子供に似合わぬ言葉を口にする。けれどヘイリー先生はフィオレンサの優秀さを知っているため、特に驚くことはなかった。
「さて、ヘイリー先生。これから私はどうすればいいのかしら?」
「……どうする、とはどのような意味で……?」
分かっているくせに意地悪な先生だわ、とフィオレンサは思いながら考えを口にする。
「卒業試験を無事に合格したということはこれから授業はもうないということ。そうなれば実践あるのみということになるわ。齢10歳の皇女となれば反発は少なくない気がするけれど……、この試験結果を盾にやっていくのでしょう?」
確信めいた言葉にヘイリー先生は感嘆の息を漏らす。
「さすがです、殿下。お察しの通り、殿下には本日から公務にあたってもらいます」
「まずは陛下の公務を手伝うという形かしら。それに時が来れば社交界にも本格的に取り組むことになるわね。現皇族で女皇族は私しかいないもの」
「おっしゃる通りです。陛下からは既に許可は頂いておりますので、早速始めましょう」
ずっと視界の端に映り込んでいて気になっていたもの。
けれど予想通りだとこの後のことが容易に想像できてしまうため、フィオレンサはなるべく予想が外れる事を祈っていた。
それなのに待っていたと言わんばかりにヘイリー先生は書類の山を机の上にダンっと置いた。見えていた量よりも多いそれにフィオレンサは若干たじろぐ。
「───……ちなみになのだけれど、これ、どのくらいの量なの……?」
戦々恐々しながら尋ねるフィオレンサにヘイリー先生は今日一の笑顔で答えた。
「陛下の5分の1にも満たない量ですのでご安心ください。殿下ならすぐに終わるでしょう」
「いやいやいや、ちょっと待って。私の身長の半分近くある高さよ!? さすがにすぐには……」
「ですから5分の1程度ですので大丈夫です。殿下は陛下も認めた後継者なのですから」
「っ、………………はあ、わかったわ。卒業試験を早くに合格しすぎた自分を恨むことにする……。でもここは授業を受ける場だから書類は部屋に運んでちょうだい」
「かしこまりました」
笑顔で対抗してくるヘイリー先生にフィオレンサは結局負けて見上げるほどの書類を1枚1枚確認していくことになった。
(いくら卒業試験を合格したからって、普通初回からこんな量を与える? それにこれで5分の1って、怖いわ。陛下はこれを終わらせているのだからさすがの一言ね)
近くにいた侍従に手伝ってもらいながら書類の山を分担して部屋へと運んでいく。筆記用具と読みかけの本しか無かったフィオレンサの勉強机兼執務机はあっという間に書類の山に飲まれた。
「…………」
「それでは各書類について説明させていただきます」
「……お願い」
こうして見るとえげつない量の書類だ。しかも全部が全部同じ種類の書類ではなく、嘆願書や報告書、予算案など多岐にわたるため、ただサインしていけばいい話ではない。
やり方を間違えれば多くの民に影響を与えてしまう。
フィオレンサは書類の山から抜き出され、机の上に並べられた書類たちを見ながら、ヘイリー先生の説明を聞いた。
「初めに嘆願書についてですが、こちらは大臣たちのほうですでに篩にかけたものになります。ですが地方分けされていませんので、殿下は嘆願書の中身を確認した上で地方ごとに書類をまとめてください」
「どんな内容なら問題ないの?」
「大臣のハンコが押されているか、嘆願者の署名があるか、陛下の玉璽の欄が空欄か。この3つを確認し、問題があった場合はこちらのボックスへと入れてください。後に大臣に届けさせます」
「……大臣のハンコは署名の場合もあるのかしら?」
「いいえ、大臣は専用のハンコを使い、一次承認を行うので署名はありません。もし署名があった場合は、一次承認を飛ばして二次承認をしたということになります」
フィオレンサはその意味がよく分からず、首を傾げた。
「それだとどんな問題があるの?」
「問題という訳ではありませんが、早急に陛下へとお伝えし、最優先として取り組まなければなりません。一次承認を飛ばした二次承認というのは大臣らが総意で出したもの。ということはそれだけ国にとって目を背けられない出来事があるということです」
「ふーん、なるほどね」
(……ならあれは二次承認? レーヌ川の防波堤設立要請の嘆願書……。まあ見間違いでも問題があれば取り除くだけ)
フィオレンサはヘイリー先生の話を聞き、内容を噛み砕く。分からないことがあったらその都度質問することは相手にとっても自分にとっても大切だ。
「続いて予算案の書類について説明させていただきます」
「…………」
(紙にメモっておいた方が良かったかも)
留意点が多すぎる上に確認事項も多い。たった1種類だけの書類ではなく、複数の書類があることはそれだけ覚えることも自然と増えてくる。
(……けれど、弱音なんて吐いていられないわね)
まだ5分の1程度しかこの場には無い。もっと皇帝から信頼されるにはこれだけでは足りない。
(完璧にこなしてやるわ!)
フィオレンサは直面する難題を飛び越えて、さらに高いハードルを超えようとしていた。




