第2話 前世
フィオレンサの前世、聖羅の人生はとてもつまらない物だった。聖羅は生まれつき体が弱く、生まれた時からベッドの住人だった。医者からは10歳まで生きていられるか分からないと言われ、聖羅も両親もほぼ諦めていた。
急変する体、投薬され続ける日々。聖羅はまともな普通らしい生活を送ることなんて一切できなかった。そんな生活の中で聖羅はベッドの上から動くことなんてできない。
だから聖羅は貪欲に手を伸ばし続けた。
あらゆるものに貪欲に。
流行りの漫画や小説から過去の時代劇、ドラマなどあらゆるものに。そして生まれてから1度も通えていない学校の勉強にも貪欲だった。親から渡されるテキストに取り組み、日々の生活を少しでも普通にさせられるように。
(私もあんな風にしてみたい……)
たまに病院の窓から見える学生が楽しそうに登下校する様子を聖羅は羨望の眼差しで見ていた。しかし現実とは不公平だ。聖羅は病院のベッドの上という限られた場所でしか生きていけない。それが聖羅の心を苦しめた。
そんな中、聖羅は出会った。''ヴェードナ帝国物語''に。
ヴェードナ帝国物語はその名の通り、ヴェードナ帝国という物語上の帝国の物語だ。
物語は女神アグライヤが守護するヴェードナ帝国のイツワリ皇女と呼ばれるフィオレンサと本物の皇女として扱われるシエナの二人で主に構成されていた。
生まれてからイツワリ皇女として扱われるフィオレンサは愛に飢えていた。父親からの愛、婚約者からの愛、そして周りからの愛。しかしどれもフィオレンサは手に入れられなかった。なぜなら彼女は皇帝の愛する皇后を殺して生まれてきた存在だからだ。
その上、フィオレンサは皇族の証である初代皇帝が女神アグライヤから授かったとされる''聖魔力''を持っていなかっただけでなく、貴族も平民も持つとされる魔力すら持っていなかったのだ。だから誰からの愛情も得られることなく、イツワリ皇女として扱われ続けれてきた。
そんなとき、皇帝は出会った。亡き皇后と瓜二つのシエナに。
皇帝は彼女を連れ帰り、皇女としての地位を与えた。彼女は聖魔力を持っていなかったが、高位貴族に引けを取らないほどの魔力を持っていた。
人々は思った。
フィオレンサはイツワリ皇女でシエナこそが本物の皇女だと。
フィオレンサが求めていた愛情をシエナはすぐにもらうことができた。だがフィオレンサは納得できなかった。
───なぜシエナなのかと。なぜシエナが自分の貰えなかったものをそう易々と手に入れているのかと。
その感情がフィオレンサを支配し、シエナを殺そうとした。しかしみなに愛されているシエナを殺すことができずに、逆にフィオレンサが処刑された。
これがヴェードナ帝国物語の''イツワリの皇女編''の話だった。聖羅はこの話を読んですぐに虜になった。そしてそれが原動力となったのか医者の言葉を覆し、聖羅は17歳の誕生日を迎えることができた。聖羅はこのままいけば自由に動ける日が来るのではないかと勘違いしていた。
───本当にただの勘違いでしかないのに……
17歳の誕生日を迎えて1週間、聖羅の体調は急変した。今までに感じたことがないほどの激痛に発熱。聖羅は悟った。これが自分の人生の最後なのだと。忙しなく出入りする医者に看護師。ずっとそばで見守っている両親。聖羅は病院の天井を眺め、死が近づいてきていることがよくわかった。
聖羅はここにきて初めて、死にたくないと願った。しかし体は以前のように動かないし、声も出ない。体の感覚すらなくなってきている。あるのはこの感情だけ。聖羅は死ぬ直前に思った。
(まだ学校に通えてない。まだ勉強していたい。 ───まだ生きていたい)
その願いは届くことなく、聖羅はもう二度とまぶたを開けることはなかった。
* * *
そして死んだと思っていたのに次に目を開けると''ヴェードナ帝国物語''のフィオレンサに生まれ変わっていた。
「───いったいどういうことなの?」
フィオレンサは鏡の前で呆然と立っていた。死んだと思っていたのにまさかヴェードナ帝国物語に転生しているなんて思いもしなかったのだ。
「……状況を整理しよう。まず私はフィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディ、7歳。イツワリ皇女と呼ばれるヴェードナ帝国の皇女」
フィオレンサは一つ一つ情報を繋ぎ合わせ、前世と今世の記憶を縫い合わせていく。
「ここがヴェードナ帝国物語の世界なら私は17歳の時に本物の皇女であるシエナが来て、処刑される運命にある……。私に無関心な皇帝である父、お世話もしない侍女達。イツワリ皇女と呼び続ける貴族」
ヴェードナ帝国物語のフィオレンサは基本的には後継者として優秀ではあったが、幼少期で愛情を得られなかったことから少し歪んだ性格の持ち主となる。だが今のフィオレンサにその心配なんてなかった。
───なぜなら……
「せっかく自由に動ける体に生まれ変わったのに、愛情を求めて死ぬなんて絶対にいや!愛なんて貰えなくていい。だから生きていたい……。もう前世のように一生をベッドで過ごすなんていやだ」
フィオレンサは強く強く意志を表明する。鏡に映るフィオレンサは前世のようになりたくないという思いからか、幼い少女の眉が寄っている。手に込める力も自然と強くなる。
「まだやりたいことが沢山あった。もっと話したいことが沢山あった。───生きたかった。……だから」
フィオレンサは誰かに祈る訳でもないのに膝をつき、両手を重ねて祈った。
(聖魔力がなくてもいい。イツワリ皇女でもいい。───私に平穏な一生を与えて……)
今度こそやりたいことができる人生にしたい。自由に駆け回れる人生にしたい。
フィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディは死にたくない。