第17話 お風呂
フィオレンサは長い廊下を歩きながら、自分がなぜ目覚めなかったのかについて考えていた。
いくら湖に落ちて、溺死しそうになったからといって、1週間も目覚めないなんて普通はありえない。前世の病弱だった聖羅でさえ、そんなに眠ったことはなかった。
(原作ではこんな描写がなかったからそれらしいものは分からない……。そもそも陛下と遊覧船に乗ること自体が原作からすると異例なのよね。───それにあの暗闇で会った女の人。あの暗闇で見た一筋の光とは別の希望みたいな感じ……)
コーラルピンクの髪に金茶の瞳が特徴の女性。顔はよく分からなかったけど、どこか知ってる、懐かしい感じがした。
なによりフィオレンサの色合いと全く同じという点。
フィオレンサは亡き皇后にはもちろん似ていないし、皇帝とだって色合いが軽く似ているかな、というくらいだ。全く同じ色合いを持つひとを、フィオレンサは他に見たことがなかった。
(問題がまた増えたわね……)
フィオレンサは小さくため息を付いて頭を悩ませた。
そのとき起きたばかりでいろいろなことを考えすぎだせいか、フィオレンサのお腹が小さく「ぐう〜」と鳴った。
咄嗟にフィオレンサはお腹を押えたが、前を歩いていたローレン伯爵夫人には聞こえていた。フィオレンサの方を振り向いたローレン伯爵夫人にフィオレンサは苦笑しながら口にする。
「あ、あはは。1週間も眠っていたみたいだからお腹がすいたみたい。部屋に着いたら食事の準備をお願いするわ」
「かしこまりました。栄養価の高いものを用意させます」
「でも味が薄いのは嫌だからね」
「シェフに伝えておきますが、そこは何とも……、私たちもシェフも殿下の健康のために行動しておりますので……」
思うような答えを得られず、フィオレンサは口を尖らせて、小さく抗議をする。
しかし病人や安静にしてないといけない人間に対しての食事は特に栄養を気にした食事になるため、味は二の次になってしまうということは、フィオレンサはよく分かっていた。
なぜならフィオレンサは前世で既に経験したからだ。
(味が濃すぎるものはその分調味料が多く使われているため、私に対しては基本的に素材の味を生かすのをコンセプトとして出させていたのよね。小さかったころは苦手だったわ……。慣れれば素材の味が美味しく感じられるようになったけど……)
フィオレンサは前世を思い出し、なるべく味が濃いめの料理が来ることを祈った。
部屋に戻ると先に戻っていたマリーたちに浴室へと連れて行かれた。どうやらタオルで体を拭いていてくれていたらしいが、フィオレンサとしてはお湯に浸かりたかったのもあり、マリーたちの機転の良さに喜んだ。
白いレースがふんだんに使われた可愛らしい寝巻きを脱いで、たっぷりと張られたお湯に右足から入れていく。フィオレンサが体を沈めるとその分お湯が流れていった。
「あ〜、気持ちい〜。やっぱりお風呂は疲れが取れるわ。お肌もすべすべになるし、いい事づくめよね」
「そうですよね。実は私、ここだけの話ですが、殿下の侍女になると決めたのはお風呂も理由の一つだったのです」
「───? どういうこと?」
フィオレンサの頭を洗っているマリーにフィオレンサは首を少しだけ回して、質問する。するとマリーはよく響く浴室のなかで答えた。
「皇族付きの侍女はほかの侍女と違い、大浴場を使うことができるのです。私も一応貴族の端くれですが、お風呂はやっぱり贅沢なもので……。大浴場を使えると聞いて志願したのです」
「大浴場って、みんなで入る大きなお風呂?」
「はい。普通の侍女はシャワーだけですが、皇族付きの侍女たちは週に何度か大浴場を交代で使えるんです」
「なるほど、そんなものがあるのね」
「あっ、もちろん、殿下のお世話をしたい気持ちもちゃんとありますよ……!」
「それはあなた達の仕事ぶりを見ていればわかるわ」
「殿下……っ、嬉しいです。ありがとうございます。……それでは泡を流すので目を閉じていてくださいね」
マリーの言葉にフィオレンサは目を強く瞑る。シュワシュワと泡が流れていく音が耳の近くで聞こえてきて、フィオレンサは静かに目を開けて泡が消えていく感触を楽しんだ。
何度か泡を洗い流すとタオルで水気をとってお風呂に入らないように高く結ぶ。しばらくお湯に浸かり、体が十分に温まってきたころ、マリーはバスタオルを持ってフィオレンサに言った。
「ではそろそろ上がりましょうか。ローレン伯爵夫人が食事を持ってきてくれているはずです」
「のぼせては意味が無いものね」
フィオレンサはお風呂から上がり、マリーが用意した柔らかめの素材で作られた体に負担が少ないドレスを着る。
このドレスはゆったりとしたもので腰も腕も縛られることは無い。せいぜい、大きなリボンで腰周りを軽く縛る程度で特に負担はない。できれば毎日でも着ていたいくらいだ。
浴室の扉を開けて外に出ると、ふんわりと甘い匂いがしてきた。匂いを辿るとローレン伯爵夫人が小さな丸いテーブルに料理を置いているところだった。
フィオレンサは濡れた髪のままローレン伯爵夫人に近づき、どんな料理があるのか見てみた。そこにはフィオレンサの予想していなかった料理があった。
「───パン、がミルクに浸されてる……?」
底が少し深い器に小さくちぎられたパンがヒタヒタになるまで注がれたミルクに埋もれていた。ミルクはほんのりと温かくて小さく湯気が出ているが、火傷をするほどの温度では無い。前世の病院では見なかったものだ。
「これはなんて言う料理なの?」
「こちらはミルクパン粥です。パンにミルクを染み込ませて、じっくり柔らかくなるまで煮たものです」
「へえ、だから甘い匂いがしたのね」
「砂糖は入れていませんが、ミルク本来の甘みが出たのでしょうね」
「ふーん」
(お粥ってことは前世で食べていてもおかしくないのに、食べたことないわ。まあ病人に合わせて料理は作られていくものだからたまたま私が食べなかっただけなのかもしれないわね。基本的に私の食事は固形物が少なかったから)
フィオレンサはそのほかの料理も見ていると、頬に水滴が落ちてきた。
「───? あっ……」
その時ようやく髪を乾かさずにいたことを思い出した。思い出すと背中がしとしとと濡れているのに気づき、冷たい。
フィオレンサは後ろを振り向くとマリーが「皇女殿下、また風邪をひいてしまいます……!」とタオルを持って困ったように言っていた。早く食事をしたい気持ちと髪を乾かさないといけないという気持ちに挟まれ、フィオレンサはおろおろとしてしまう。
そのとき、ローレン伯爵夫人はフィオレンサに提案した。
「お食事は殿下の髪を乾かしてからにしましょう。マリーのいうように、風邪をひいてはいけませんから。まずはマリーたちに乾かしてきてもらってくださいね」
「……うっ、分かってるわ。なるべく早く乾かしてもらう……!」
ローレン伯爵夫人に言われ、フィオレンサはマリーたちのもとへ戻った。ふかふかとした椅子に座ると、マリーは念入りに優しく髪の毛の水分を拭き取り、手のひらをフィオレンサの髪にかざした。
フィオレンサが温かい風を感じた時にはマリーは魔力でフィオレンサの髪を乾かしていた。
(いつ見ても魔法ってすごいわ。この前の陛下が私を浮かせたものも驚いたし。聖魔力がなくても普通の魔力があればもっと色んなことができたのかしら? ───まあ、健康な体がある時点で十分なんだけど)
ぽわぽわとした眠気を誘う温かさに、マリーの優しい手つきというダブルコンボに毎度の如く眠くなってしまう。
重くなった瞼と格闘しながら髪が乾くのを待っていると、マリーが手をかざすのをやめてフィオレンサの肩を軽く揺らした。
「───殿下、終わりましたよ」
「……ふぇ……? 終わったの……?」
「はい。お食事にしましょう」
重い瞼をを持ち上げ、目をこすってゆらゆらと立ち上がる。乾かされたコーラルピンクの髪は天使の輪を作っていて、前に屈むとさらさらと背中を撫でる。
フィオレンサはぼぅっとする頭でテーブルまで歩くと、ローレン伯爵夫人に椅子を引かれて座った。目の前からいい匂いがすると、フィオレンサの頭は覚醒した。
「───美味しそう! てっきり冷めていると思っていたのに湯気が出てる……!」
「保温の魔法をかけておきましたので運んできたままの温度のはずですよ」
「……! なるほど、便利なものね」
フィオレンサは食事前の挨拶をすると、スプーンをとってミルクによって柔らかくなったパンをすくう。
スプーンいっぱいにあるミルクとパンをこぼれないように注意しながらフィオレンサの小さな口に運んだ。
ほどよい温かさのミルクは砂糖が入っていないと信じられないほど甘く、パンはそのミルクをたっぷりと吸い込んでいるためとろとろだ。
「お味はどうですか? シェフが時間かけて煮詰めたため、今後のためにもできれば感想を頂きたいそうです」
「感想ねえ……とても美味しいわ。できれば定期的に作ってもらいたいくらいに」
「気に入られたのですか?」
「ええ。だからシェフには週に1度ほど朝食として出すように伝えて。朝はこれくらい軽いものの方がいいわ」
「かしこまりました。一語一句違わずにお伝え致します」
「ニュアンスが伝えられたらそでいいわよ……」
真面目なローレン伯爵夫人にフィオレンサは呆れながら、ミルクパン粥を食べ続ける。味変として小さく切られた少なめのベーコンを食べるとさらに美味しい。
やはり甘いものとしょっぱいものの組み合わせほど最強なものはないのだ。
(前世ではポテチも食べたことがなかったのよね……。季節限定のスイートポテトや苺のゼリーとかが楽しみで。───ポテトはあるみたいだし、ポテチを作れないかしら? 本を読んで作りかたは知っているし……)
フィオレンサは食べたいものを考えていると、ふいにあることを思い出した。
ずっとローレン伯爵夫人に聞こうと思っていたことで、フィオレンサはグラスに注がれた水を一口含み、嚥下するとローレン伯爵夫人の方を向いて、ある質問を投げかけた。




