第15話 暗闇
スティーブは聖魔力で己とフィオレンサの服を乾かすと、皇宮へと急ぐ。皇宮ではオーウェンたちがスティーブたちを待っていたのか、十数人の使用人たちがいた。
スティーブは彼らを従えさせながら最も近い自室へと急ぐ。そして後ろにいたローレン伯爵夫人にフィオレンサを渡した。
「お湯が張られているはずだ。ここを使え。医師はおそらくこの隣に呼んでいるだろうから、風呂から上がったらそいつを連れて、隣に来い」
「しかし、それでは陛下が!」
「俺はいい。聖魔力でどうとでもなる。けれどそいつは違う。それに寒さで震えている。早く温めてやらねばならない」
「!」
「わかったならさっさと行動しろ」
「かしこまりました」
ローレン伯爵夫人はスティーブの部屋にある浴室へとフィオレンサを連れて、ドレスを脱がす。幸い、スティーブが聖魔力でドレスを乾かしていたおかげでフィオレンサのドレスを脱がすことはそう難しくはなかった。
フィオレンサの体を優しくお湯に入れると、タオルをお湯の中に入れ、それをフィオレンサの体へと巻く。少しでも体が温まるように工夫しながら。
「殿下、こんなに冷たくて……」
ローレン伯爵夫人はフィオレンサの体の冷たさに痛ましそうに表情を歪める。ある程度温まったと思ったらローレン伯爵夫人はフィオレンサがのぼせてしまわないうちにお湯から上がらせ、マリーたちが用意した寝巻きへと着替えさせる。
髪の水分をしっかりと取ると、フィオレンサを抱え、スティーブたちがいる隣の部屋へと移動する。ローレン伯爵夫人はマリーに扉を開けてもらって部屋へと入る。
「お待たせいたしました、陛下」
「いや、いい。それよりも目は覚ましたか?」
「いえ、1度も……」
「そうか」
スティーブはローレン伯爵夫人からフィオレンサを受け取り、部屋に備え付けられている寝台へと運ぶ。
その手つきは儚いものを触るようなもので、今までのスティーブからは考えられないものだった。寒くないように上掛けを掛けて、スティーブは医師を呼ぶ。
「おい、早くこいつを診ろ。聖魔力をかけても目を覚まさない」
「か、かしこまりました。失礼します」
気の弱そうな医師はフィオレンサの額や頬に触れていき、フィオレンサの状態を確かめていく。
やがて医師が手の動きを止めると、恐る恐るスティーブに言った。
「こ、皇女殿下はどうやら気を失っているだけのようです。し、しかし湖に落ちたことで体の体温が冷え、発熱気味にあります」
「だからなんだ。さっさと要点を言え」
「こ、この薬をお使いください。滋養回復に効果があります。こ、皇女殿下はまだ幼くいらっしゃるのでスプーン一杯程度のものを1日3回、食後に与えてください。そうすれば目を覚ますと思います」
医師はローレン伯爵夫人に黄色い液体が入った瓶を渡す。はちみつのような色をしたそれは傾けると、とろりと瓶の中で揺れた。
「───だいたいいつ頃目を覚ます?」
「そ、それはハッキリとは……。し、しかし3日から5日程度で目が覚めるかと」
「そんなにかかるのか?」
「こ、皇女殿下の体力次第でもありますが、まだ7歳ということもあり、回復には時間がかかるかと」
スティーブは医師の「まだ7歳」という言葉に人知れず思い出した。
(ああ、こいつはまだ7歳だった……)
7年間も放ったらかしにしていた事実に、スティーブは今まで感じなかった罪悪感に押しつぶされそうになった。しかし緩やかに頭を振ると医師に伝えた。
「そうか、わかった。今日のところは帰っていい。しかしこいつが目覚めるまで定期的に診察しに来い。ほかの業務が怠っても俺からの命令ということにして、これを優先しろ」
「か、かしこまりました」
医師はそのまま静かに部屋を出ていった。そしてスティーブは部屋にいる他の連中も外に出るように伝えた。
「しかしそれでは殿下が……!」
「俺が見ている。ローレン伯爵夫人はシェフに栄養価の高いスープでも作るように伝えろ」
「───! かしこまりました」
ローレン伯爵夫人はスティーブの発言に驚いたものの、手に持っている瓶を持って部屋を退出した。
そうして部屋の中にスティーブと未だ目を覚まさないフィオレンサだけが残った。スティーブはフィオレンサの髪に触れて、優しく頭を撫でた。
(早く目を覚ましてくれ……)
スティーブのその表情は親が子供を心配するそれであり、ここに誰かがいればスティーブのその表情に驚いただろう。
しかし、先か不幸かこの部屋には誰もおらず、スティーブは自分がどんな表情をしているのか分かっていなかった。
フィオレンサの胸が規則的に上下していることを確かめながらスティーブはフィオレンサの頭を撫で続けた。ふいにフィオレンサがスティーブの右手小指を掴んだ。
「───!」
スティーブは驚いたものの、フィオレンサの穏やかそうに眠る顔を見て、静かにその場に留まった。
「目を覚ませ、フィオレンサ」
スティーブはそう声をかけ、先程よりも赤みを取り戻し始めてきた頬に優しく触れ、フィオレンサに聖魔力を流し続けた。
* * *
フィオレンサは暗闇の中をさまよっていた。どこまでも続く、終わりのない空間。浮いているのか、地面に足が着いているのかも分からない場所。
真っ黒なその空間がフィオレンサの恐怖をかき立てた。
(こわいこわいこわい……。こわいっ!)
誰もいない、何も見えない、聞こえない。手を伸ばしても何にもぶつからない。何もしても無駄だと思えてくる。フィオレンサは徐々に絶望していった。
(寒い……。また、何もできないままなの……?)
両腕で体を包み込んで、フィオレンサは猫のように丸くなる。そうすることでフィオレンサは自分の体がここにあると分かるから。
平衡感覚も時間感覚も分からない。どこを見ても闇しかないここは、フィオレンサが常に抱いていた心の闇を表しているかのようだ。
(ここから出たい。……でもどうすることもできない……)
フィオレンサは体をさらに丸めて、足に回している腕に力を込めた。目を閉じて心を落ち着かせようと努力するが、周りが何もない空間だと知っている状況では、むしろ緊張していくばかりだった。
───……ンサ!
(な、に……。声が聞こえる)
突然声が聞こえ、目を開けて当たり見渡すが声の主は見当たらない。目を凝らすが、フィオレンサは分からない。けれどその声はどんどん大きくなっていく。
───……レンサ!
───……オレンサ!
───フィオレンサっ!!
(なまえ、呼ばれてる……。この声、知ってる)
フィオレンサがそう思うと、暗闇しかなかった空間に一筋の光が差し込んだ。そしてそこから更に声が聞こえてくる。
(……やっぱり、この声、知ってる。……陛下の声……?)
フィオレンサは深く考えるよりも先に、その光がなくならないうちに必死に手を伸ばしてその光を掴もうとする。
(あと、もう少しっ……!)
フィオレンサは懸命に手を伸ばすが、あと一歩が届かない。だが諦めずに伸ばし続けていると、暖かいものがフィオレンサの背中を優しく押した。
(───えっ……?)
光を掴んだフィオレンサは急いで振り向くと、そこにはフィオレンサと同じコーラルピンクの長い髪をなびかせた女の人が立っていた。
その女性はフィオレンサに手を振ると静かに消えていった。
(貴方はだれなの……?)
消えていく最後に金茶色の瞳がきらりと光ったことだけはわかった。フィオレンサは掴んでいた光とともにその暗闇から浮上した。
* * *
「───うっ! ……こ、ここは」
見たことがない天井に部屋。フィオレンサはゆっくりと視線を動かす。左手を視線の位置まで上げて握ったり開いたりしながら生きていることを実感する。
(湖に落ちて助からないと思っていたのに……。生きてたんだ……)
フィオレンサは視線を右へと動かすと、右手が動かないことに気づいた。いや、暖かい手に握られている感覚。フィオレンサは体を起こしてその手を主を見た。
薔薇色の、フィオレンサよりも濃い色合いの髪。その髪色を持つものは皇族を除いて他にいない。フィオレンサは一瞬にしてその人物が誰なのかわかった。
「へ、陛下……?」
なんでここに、という声は飲み込んだがフィオレンサは理解ができなかった。
大きな手に包み込まれているフィオレンサの小さな手。フィオレンサは空いている左手で皇帝の大きな手をつんつんと触った。
造形の整った横顔を見ていると、ふと瞼が震え、透明度の高い茶色の瞳が見える。そのままその瞳はフィオレンサの方を向く。
初めは焦点の合わない瞳をしていたが、フィオレンサが皇帝の顔を見ていると次第に焦点が合い、目を大きく見開いた。
そして緩やかにフィオレンサへ手を伸ばすと、フィオレンサが目を覚ましているのかを確認するように優しく頬や頭を触る。
「───目が覚めたのか……?」
「はい。一応……?」
フィオレンサがそう返事をすると皇帝は椅子からがばりと立ち上がり、フィオレンサを掴んでいた手を離して急いで扉へと向かった。




