第14話 婚約なんてまだ早い
フィオレンサは沈黙がその場を支配する前に息を一つ吐いて、気持ちを落ち着かせてから口を開いた。
「───本日はご招待頂きありがとうございます。太陽の庭園は知っていましたが、こうして来ることが出来て陛下には感謝申し上げます」
「そうか……」
「はい。ところで失礼ではなければ先程はどうやって私を遊覧船へと乗せたのですか?」
フィオレンサはずっと疑問に思っていたことを口にする。皇帝は肘掛に肘を置いたまま、感情の読めない表情でフィオレンサを見ていたが、ゆっくりと口を開き、フィオレンサの疑問に答えた。
「───あれは聖魔力でお前を浮かせたんだ。知っての通り、聖魔力は治癒や浄化に特化している力だが、普通の魔力よりも強大だ。だからあんな風にお前を浮かせることなど容易い」
「あっ、聖魔力……。確かに聖魔力を持っている陛下ならできることですね」
「そういうことだ。1度話はここまでで食事をしよう。こちらの話はあとで話す」
「わかりました」
フィオレンサはほどよい風に触れられながら食事を開始した。フィオレンサが来たのが少し遅かったのか出来たてではなく、少し冷めた料理ばかりだったが、やはり皇帝の食事は皇女であるフィオレンサのものよりも数段美味しい。
(普段から食べたいほどね。何とかしてレシピを美味して貰えないかしら?)
フィオレンサはたまに遊覧船の外の景色を見ながらテーブルに広げられた料理を食べていく。
外の景色はゆっくりとだが変わっていき、遊覧船の動く水の音と相まって、とても落ち着いた空間だ。湖には魚もいるのか、たまにぴちゃっと水の跳ねる音がするのも心が落ち着いていく。
(この景色を見るためにあの長い退屈な時間を過ごしたと考えれば、あの時間も苦ではなかったのかもしれないわね。でも、さすがにあれは長すぎだわ。何とかならないものかしら……)
フィオレンサは思い出して溜息をつきそうになったが、目の前に皇帝がいることを思い出し、寸前で止めた。小さく切られたサイコロステーキを口に含むと、前回と違い味が鮮明に分かり、自分の順応性の高さに笑いそうになった。
食事が終わると、フィオレンサが話し出すよりも早く皇帝が口を開いた。
「───アイメルト公爵の息子と婚約をしなかったそうだが、それは本当か?」
「はい」
「それはなぜだ。これは別に責めている訳ではない。ただ、お前のことだからあれのことを気に入ると思っていたが……?」
どうやら皇帝はランスロットがフィオレンサの好みであると思っていたらしい。確かに、原作のフィオレンサはランスロットが好きだったから皇帝の考えは間違っていないが、今のフィオレンサは星羅としての記憶もあるフィオレンサだ。
もちろん原作のフィオレンサとは好みが所々違う。
「単純にアイメルト公子が好みではなかったからです。それに彼を婚約者にするには時期尚早過ぎるかと考えました」
「好みでは無いということには驚いたが、時期尚早というのはどういうことだ?」
「婚約者というのは未来の結婚相手ということです。一生を共にするかもしれないのにまだ会って間もない相手と婚約するのは愚策かと。もちろん皇女として相応しい相手を選ぶつもりですが、それは今じゃなくてもいいというだけです」
「なるほどな、お前の言い分は理解した」
皇帝は気だるげにグラスに注がれているワインを嚥下する。その動作はまるで一枚の絵画のように様になっており、つい見入ってしまった。
しかしフィオレンサは目の前のお茶を飲むことで、要らない感情を追い出す。一息ついて平常を取り戻すともう一度皇帝に言う。
「───もしかしたら陛下はアイメルト公爵家と繋がることが目的だったのかもしれませんが、婚約に関しては私に一任されているのでどうかお待ちください」
「……ああ」
「それにアイメルト公子の他にも見合う方がいるかもしれませんから。私は婚約など早いと思いますが、帝国の利益に繋がるような───」
「そうだな、お前に婚約者はまだ早い」
「……えっ」
フィオレンサは話を遮断され、しかも皇帝が少し食い気味にフィオレンサの言葉に同意するものだから驚いて素で反応してしまった。
(まさか「早い」と言われるなんて……。てっきりなるべく早く決めろと言われるのかと思っていたのに。けれど、むしろこれは嬉しいことだわ。陛下もまだ決めなくていいと仰っているのだから)
フィオレンサはそう考え、これ以上口にはしなかった。その代わり、気になっていたことを陛下に質問する。
「───あの、話は変わりますが、この湖には魚でも放たれているのですか?」
「? ああ、そうだ。''メジェリナ''というここにしか居ない魚がいる」
「なぜ、ここにしか居ないのですか?」
「それはメジェリナが聖魔力を餌としている珍しい魚だからだ。俺はよくここに来て湖に聖魔力を流している。だからここにはメジェリナがいるんだ」
「聖魔力を餌に……、様々な生き物がいるんですね……」
フィオレンサは直接メジェリナを見てみたいという気持ちが強く出て、無言で席をたち船の端まで歩いた。そしてメジェリナを見るために上半身を船から乗り出した。
(───あれかしら……?)
フィオレンサはよく見るためにさらに身を乗り出す。落ちないように気をつけながら手すりをストッパーにして重心を調節する。
「おい、あまり前に出すぎると落ちるぞ」
「分かっています。落ちないように気をつけ───あっ……」
「───!!」
───バシャンッ
フィオレンサは気をつけていたはずなのに遊覧船の振動で小さな体は軽く身を放り出された。
大きな音ともにフィオレンサは湖へと沈んでいく。肺に空気が無くなると、フィオレンサは必死に手足をばたつかせて浮き上がろうとする。
水面に顔を出したが、ドレスが水を吸ってしまい、気を抜くとそのまま沈んでいってしまう。
「プハッ!……ゴホッ!」
フィオレンサは沈まないように手を上へと伸ばして溺れないように抗うが子どもの体力では長く持つはずがない。
「ハアッ、ハアッ!……も、むり……」
フィオレンサは脚を動かすことが出来ずにドレスの重さで沈んでいった。そのとき、フィオレンサは何気なく遊覧船の上にいる皇帝へと目を向けると、見たこともないような表情でフィオレンサを見ていた。
肺に水が入り、思考が上手く働かないなかでフィオレンサが唯一わかったことは皇帝が一瞬だけでもフィオレンサを心配していたということだけだった。
そして皇帝から名前を呼ばれた気がしただけ。
───フィオレンサっ!!
(陛下が私の名前を呼ぶはずなんてないのに……)
フィオレンサは冷たい水の中で、どこまでが底なのかが分からないまま、静かに沈んでいった。
* * *
スティーブはフィオレンサが席をたち、遊覧船の端へと歩いていくのを静かに見ていた。そして先程説明したメジェリナを見るために身を乗り出すところも。
(落ちられても面倒だから一応釘は刺しておくか。……あんな表情見たことがないな)
メジェリナを見たのか、フィオレンサは子供らしく目をキラキラさせながらメジェリナを目で追っていた。それをフィオレンサが自覚しているのかは知らないが。
スティーブは怠惰な感じで口を開き、一応フィオレンサに忠告する。
「おい、あまり前に出すぎると落ちるぞ」
「分かっています。落ちないように気をつけ───あっ……」
「───!!」
けれどスティーブの忠告も虚しく、フィオレンサは遊覧船へと落ちてしまった。スティーブはフィオレンサが湖に落ちるまで、まるでスローモーションのようにはっきりと、けれどゆっくりと見ていた。
(なっ……!)
スティーブは手に持っていたグラスを急いでテーブルに置き、椅子からガタンと立ち上がる。小さな子供は見つかりにくい上に、フィオレンサはドレスを着ている。
すでに溺れて沈んでいれば船の上からでは見つけるのは難しい。そう思い、遊覧船の端まで行くとフィオレンサが小さな手足をばたつかせながら水面から顔を出していた。
「プハッ!……ゴホッ!」
(あのままでは……っ!)
スティーブは自分の着ている飾りがついた上着を急いで脱いでいく。けれどその間にもフィオレンサは苦しそうにもがいている。
(早く、早く!)
スティーブはボタンをひとつずつ外していく。普段から召使いに着替えをさせているスティーブは自らこういったことはしない。だから上手く外すことができない。
「ハアッ、ハアッ!……も、むり……」
(くそっ!)
フィオレンサが力尽き、湖へと沈んでいくのと、スティーブがボタンを外し終え上着を脱いだタイミングがほぼ同じだった。
「フィオレンサ!」
スティーブは手すりに足をかけ、迷うことなく湖へと落ちる。ザバンっとフィオレンサの時よりも大きな音がしたと思うと、スティーブはそのまま湖の奥深くまで潜っていく。
(どこだっ、どこだっ! ───いた!)
スティーブはコーラルピンクの髪を揺らしながら意識のないフィオレンサを見つけた。そのままフィオレンサの手を引っ張り、がっちりと抱え込むとスティーブは素早く浮上する。
「ハアッ、ハアッ。おいっ、しっかりしろ!」
「……う、ケホッ、ケホッ!」
フィオレンサは飲み込んでいた水を吐き出すが、意識が戻らない。スティーブは聖魔力で遊覧船へと戻ると遊覧船の方向を変え、オーウェンたちが待っている岸へと急いだ。
スティーブはフィオレンサに聖魔力を使うが、一向に目を覚まさない。スティーブは久しく抱いていない不安に襲われた。
遊覧船がオーウェンたちの元に着くと、スティーブはフィオレンサを優しく抱えながら早く船を降りる。
「陛下、殿下、遊覧船はどうで───っ殿下!」
「オーウェン、お湯の準備をするように伝えろ。それと医師も連れてくるように。急げ」
「かしこまりました……!」
ローレン伯爵夫人はフィオレンサたちの状況を見ると持っていたタオルをスティーブとフィオレンサに渡す。そして暖かい飲み物を急いで準備した。
「陛下、お茶です。少しでも体を温めてください」
「俺はいい。しかし、こいつが目を覚まさない」
スティーブは己の腕にいる小さなフィオレンサを見た。湖の水の寒さで顔が青白く、体が震えているのがわかる。スティーブはもらったタオルでフィオレンサを暖めるようにする。
(頼む、目を開けてくれ……!)
スティーブは浅く小さいが、フィオレンサが息をしていることに安堵していた。




